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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

台湾 米中のはざまで② かつての最前線の島は

2023-05-21 07:07:04 | 国際政治
台湾 米中のはざまで② かつての最前線の島は

中国福建省アモイ市や泉州市に近接する台湾の金門島。かつて中国大陸側から集中砲撃を受けた最前線の島は今、どうなっているのか。最大都市台北から同島に向かいました。
台北から飛行機で台湾海峡を西に約1時間。飛行機の窓から金門島を見下ろすと、緑の木々と赤茶色の屋根が目立ちました。島の西北部からはアモイ市のビル群がはっきり見えます。大陸まで近い場所では2キロほどしかありません。
1945年8月の日本の敗戦後、中国共産党と国民党の内戦が勃発。内戦に敗れた国民党は49年、大陸から台湾に移動しました。一方、国民党軍は中国人民解放軍の攻撃から金門島を死守。その後、同島を守るために最大で10万人規模の軍人が駐留し、79年まで双方が砲撃を繰り返しました。



【金門県】
大金門島、小金門島など計12の島で台湾の金門県を形成し、面積は約150平方キロメートル。約6万人が生活。以前は軍事拠点でしたが、1992年に戒厳令が解除されました。

多くの観光客
当時の軍事施設は現在、観光地化されています。大陸からの観光客は、新型コロナウイルスの影響で一時停止となり解禁されていませんが、台湾本島から多くの観光客が訪れていました。
台湾軍が大陸に向けて砲撃したという山をくりぬいて造られた巨大な軍事施設「獅山砲陣地」では、軍服を着た解説員による空砲発射パフォーマンスが1日に6回行われています。「バンッ」と空砲が鳴ると、観光客からのどかな笑い声と拍手が起こりました。
ほかにも大陸側に政治宣伝放送を流していた施設なども公開され多くの観光客が見学していました。
「八二三砲戦」と呼ばれる58年8月から10月の期間に、人民解放軍が行った集中砲撃では計47万発以上の砲弾が撃ち込まれ、金門島の住民や軍人440人以上が死亡しました。
金門島に残された大量の砲弾は今、島の職人たちにより包丁に生まれ変わっています。包丁の工房を訪れると、火が燃え盛るかまどの近くで職人たちが手際よく作業していました。30分ほどで包丁1本が完成するといいます。
工房の従業員は「1発の砲弾から60本くらいの包丁をつくることができる。砲弾の鉄は質が高いので良い切れ味の包丁になる。地下の倉庫にはまだたくさんの砲弾がある」と説明しました。武器も生活用品にかえてしまう金門島の人々のたくましさを感じます。



砲弾から包丁をつくる職人たち=4月18日、金門島

「戦争望まぬ」
タクシー運転手の呉さん(70)は「当時は多くの人が死んだ。戦争で死ぬのはいつも庶民。政治指導者は安全な場所で命令するだけだ」と語りました。金門島で生まれ育ち、58年の砲撃も体験しました。「金門島の人々は戦争を望まない、平和を愛する。両岸(中台)は兄弟だ。戦争をしてはいけない」
(金門県〈台湾〉=小林拓也 写真も)(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年5月18日付掲載


中国福建省の目と鼻の先に、台湾領の島・金門島があるなんて知りませんでした。
かつては軍事要塞だった島が、今は観光地になっているって。
中国から打ち込まれた砲弾が今も残っていて、それを使って包丁を作っているとか。
たくましさを感じます。

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