赤く染まったスタジアムの画像ですが、決して駒場や埼スタではありません。ここは清水の日本平球技場です。アウェー側だけを写したからとも言えますが、以前はそうではありませんでした。
私が初めて関東の外へ出かけたアウェー戦が日本平でした。当時(1998年)は浦和が2ndステージ開幕から6連勝して、これは優勝へのカウントダウンになりそうだと思った私は一人で新幹線に乗って清水を目指しました。
当時から浦和サポは日本一と言われていましたが、当時は日本平のアウェー側を満杯にするほどではありませんでした。当時私の座ったゴール裏一階には、一部清水サポも混じっていました。
そんな日本平で、私が感じた印象が、タイトルの「ローレライ」です。ローレライとは、ドイツのライン川にある船の難所で、妖精が不思議な歌を歌い、聞き惚れた船員が水難事故を起こすという言い伝えのあるところです。
ローレライと日本平の共通点は、相手サポの応援です。浦和のサポも懸命に応援していましたが、その応援が途切れると相手サポの応援が聞こえてきました。これを聞いていると、何となく体がそのリズムに染まってきて、おかしな感覚になってきました。これを選手が聞いていると、何か嫌だなと思っていましたが、その通りオリバのVゴールで敗戦し、日本平恐るべしという印象が刻み込まれました。
当時から清水の応援歌はほとんど変わっていません。10年も勝っていないスタジアムだけに、そんな雰囲気を恐れていました。しかし、今は浦和サポの人数が増え、1階ゴール裏やAゾーン指定席からも応援が聞こえてくるようになりました。清水サポの応援は変わっていませんでしたが、今では決して日本平はローレライではなくなりました。
ある意味、今回のローレライ突破は、サポーターが作った出来事かもしれません。ちょっと祝杯をあげてお酒が入っているため、いつものゲームレポートは明日に回します。とりあえず良かった。
私が初めて関東の外へ出かけたアウェー戦が日本平でした。当時(1998年)は浦和が2ndステージ開幕から6連勝して、これは優勝へのカウントダウンになりそうだと思った私は一人で新幹線に乗って清水を目指しました。
当時から浦和サポは日本一と言われていましたが、当時は日本平のアウェー側を満杯にするほどではありませんでした。当時私の座ったゴール裏一階には、一部清水サポも混じっていました。
そんな日本平で、私が感じた印象が、タイトルの「ローレライ」です。ローレライとは、ドイツのライン川にある船の難所で、妖精が不思議な歌を歌い、聞き惚れた船員が水難事故を起こすという言い伝えのあるところです。
ローレライと日本平の共通点は、相手サポの応援です。浦和のサポも懸命に応援していましたが、その応援が途切れると相手サポの応援が聞こえてきました。これを聞いていると、何となく体がそのリズムに染まってきて、おかしな感覚になってきました。これを選手が聞いていると、何か嫌だなと思っていましたが、その通りオリバのVゴールで敗戦し、日本平恐るべしという印象が刻み込まれました。
当時から清水の応援歌はほとんど変わっていません。10年も勝っていないスタジアムだけに、そんな雰囲気を恐れていました。しかし、今は浦和サポの人数が増え、1階ゴール裏やAゾーン指定席からも応援が聞こえてくるようになりました。清水サポの応援は変わっていませんでしたが、今では決して日本平はローレライではなくなりました。
ある意味、今回のローレライ突破は、サポーターが作った出来事かもしれません。ちょっと祝杯をあげてお酒が入っているため、いつものゲームレポートは明日に回します。とりあえず良かった。