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働き蜂(森島寛晃)

2009-12-25 20:48:11 | 他チーム
小柄な体格ながら、その運動量の多さと決定力で日本代表を牽引した名選手、森島寛晃元選手の思い出です。森島寛晃(デカモリシと区別するためフルネームで書きます)は、当時JFLだったC大阪を、自らの手でJリーグに昇格させた、チームの伝説的選手でした。

当時から、マスコミの評価は高く、「Jリーグに上がれば代表入りの目もある」と言われていたほどです。事実、森島寛晃は加茂監督の目に留まり、1997年フランスW杯予選では控えながらも代表入りし、アウェイのウズベキスタン戦ではスタメン出場もしています。

全盛期は、何といってもトルシエジャパン時代の活躍だと思います。2000年のフランス代表戦、森島寛晃と西澤というC大阪コンビの活躍で、欧州選手権を控えてベストメンバーを出してきたフランス相手に堂々の引き分けを演じます。2002年日韓W杯でも主力MFで、グループリーグのチュニジア戦ではゴールを決めています。

ただ、C大阪というチームに在籍していたため、関東に来る機会はあまりないので、C大阪での森島寛晃の活躍ぶりはあまり記憶にありません。また、所属チームがJ2に降格することがあったのも不運でした。そんなチームを見捨てず、ミスターセレッソとしてチームを牽引した立場でもありました。

私が森島寛晃のプレーをじっくり見た記憶は、コンフェデ杯準決勝の豪州戦(横浜国際)です。あの当時は鈴木隆行が2枚目のイエローで退場になり、豪雨の中、1点ビハインドを追って、体力で上回る豪州は猛攻を仕掛けてきました。それを前線で走り回って少しでも遅らせようとプレスを掛けていたのが森島寛晃でした。

さすがに90分はもたず、途中交代しましたが、彼の運動量はその時点では既に有名でしたが、初めて「体感」した記憶でした。しかし、その後の彼は不遇でした。所属のC大阪が2006年にJ2に降格すると、彼自身も首を痛めて思うように試合に出場できなくなり、最後は最終節、わずか20数秒の途中出場が最後の公式戦になりました。

全盛期があまりにも鮮やかだっただけに、最後の引退前後の不遇は惜しまれますが、プレースタイルに象徴されるようにまじめな性格だった彼を、いつかどこかで指導者として見たい気持ちはあります。
コメント
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