Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

日本ダービーの思い出

2013-05-25 12:44:15 | 他スポーツ
久しぶりにスポーツ紙を買ったら、日本ダービーの予想記事が一面で、そんな季節になったかと思います。日本ダービーだと、騎手の力より馬の力の方が前面に出るので、意外な騎手が強い馬に出会ってダービーを勝つことがあります。

そんな例は1992年の皐月賞、ダービー二冠馬のミホノブルボンです。この馬を今でも覚えている理由は、スターホースにしては珍しい逃げ馬だったからです。普通、逃げ馬が勝つときは、後方の有力馬が牽制し合って、気がついたときには挽回不可能な差がついているパターンが多いです。

1992年の有馬記念を勝ったメジロパーマーはこのパターンです。逃げ馬が勝つことは「前残り」と表現され、勝つためには展開に恵まれる必要があります。しかし、ミホノブルボンが優れているのは、展開に関係なく勝てることでした。

ミホノブルボンが逃げる理由は、単に道中を気持ちよく走るためだけです。普通の逃げ馬は4コーナーで差し馬に追いつかれたら絶対に勝てませんが、ミホノブルボンは追いつかれても平気な顔で、そこから差し馬に負けない加速を見せて当たり前のように勝てたのはインパクトがありました。

しかし、そんなミホノブルボンも、秋の菊花賞では捨て身の逃げを打った馬の前に先頭に立たせてもらえず、4コーナーからの加速もいつもの切れではなく2着に終わり、惜しくも三冠を逃しています。そのまま無事に走っていれば天皇賞や有馬記念を勝てる馬になれたと思いますが、ミホノブルボンは菊花賞後に故障で引退したのが惜しまれます。

その後出会った、三冠馬のナリタブライアンやディープインパクトも印象的でしたが、ミホノブルボンの勝ち方は誰も真似できず、それが今でも覚えている理由です。
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65歳の挑戦(フィンケ)

2013-05-25 11:25:41 | ワールドサッカー
今日のサッカーニュースでは、元浦和監督、フォルカー・フィンケ氏のカメルーン代表監督就任が目を引きました。最近は大物高齢監督の外国挑戦はよく見られ、73歳トラパットーニ(イタリア人)のアイルランド代表、71歳レーハーゲル(ドイツ人)のギリシャ代表、70歳チェーザレ・マルディーニ(イタリア人)のパラグアイ代表の例があります。

フィンケの65歳は、今ではそれほど驚くような挑戦ではないです。しかし、環境面が整備されていないアフリカの代表監督はビッグネームには人気がなく、だいたいヨーロッパの若手監督がステップアップを狙って就任する地位だと思っていたので、ベテランのフィンケの挑戦は驚きました。

カメルーンは2002年W杯当時の中津江村遅刻事件に代表されるように、チームマネージメントには問題を抱えます。たぶん、フィンケは飛行機の手配や練習場の確保など、本来サッカー協会がやるべき仕事もやらなければならないでしょう。

ただ、カメルーンは1990年イタリアW杯でアルゼンチンに勝って8強入りしたり、2000年シドニー五輪はU-23とはいえ優勝しています。世界を驚かせるポテンシャルは十分持っているチームで、フィンケもその可能性に賭けたと思います。

フィンケはドイツ時代は強豪とは言えないフライブルクを率いて、やりくりのうまさで毎年1部に残留していた実績を誇る監督です。当時はブンデスリーガの試合を映像では見られなかったので、その采配の印象は浦和時代だけです。

その印象は、理想像を追うタイプの監督というものです。布陣だけ見ると、普通の4-4-2ですが、運動量を多くしてボールサイドに人数を掛けて、数的優位を作って短いパスで突破するサッカーです。

浦和時代、はまったときはこの手で面白いように突破できました。しかし、ロングパスで逆サイドに振られると弱く、相手にリードされると無理に攻めるために運動量が増えて、夏場の消耗が激しくなる欠点があり、Jリーグでは結果を出せませんでした。

たぶん、暑いアフリカで、浦和時代と同じサッカーはしないと思いますが、フィンケは状況に応じて戦い方を変えることを苦手にしているので、少し危惧しています。
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