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N-BOX(2002年ジュビロ磐田)

2013-05-24 19:19:50 | 他チーム
昨日は元磐田MF藤田俊哉さんの引退試合でした。元磐田の選手中心のジュビロスターズと、元日本代表選手中心のジャパンスターズが国立競技場で対戦しました。引退試合に出るメンバーは最近は同じ名前が多くなってきましたが、鈴木秀人、田中誠、西紀寛、服部年宏、川口信男ら磐田のOBは懐かしい名前でした。

彼らを見て、敵として埼玉スタジアムに乗り込んできた、黄金時代の磐田を久しぶりに思い出しました。J1で前期後期完全優勝した2002年の鈴木監督時代も、天皇杯優勝の2003年の柳下監督時代も、違った意味で戦術的に印象的でした。

2002年のときは、サッカーマガジンに「N-BOX」という見出しが踊りました。当時の磐田は3-5-2でしたが、普通は中盤の5人はボランチに二人、サイドに二人、トップ下に一人を置くのが一般的です。しかし、このときの磐田は中盤の5人をサイコロの5の目のように置きました。

その中心が名波だったので、名波の頭文字から「N-BOX」と呼んだのですが、この布陣は明確なサイドプレーヤーを置かないので、サイドの守備は一番近くの中盤がカバーします。中盤はかなりきついサッカーです。選手も「本当にこのサッカーをやるんですか?」と監督に確認したほどです。

しかし、当時の浦和は降格を経験してJ1に戻ってきたばかりの時期でしたが、このときの磐田は強かった印象があります。明確なサイドプレーヤーを置かなくても、相手にその隙を狙われない、高い連動性を見せました。

2003年の柳下監督時代も印象的です。当時、清水と埼スタで対戦した天皇杯の準決勝を見ましたが、このときは一見普通の3-5-2のようなサッカーでした。しかし、このときは選手が複雑なポジションチェンジを理解していて、右アウトサイドと左アウトサイドが入れ替わるような芸当も可能でした。

トップ下とボランチが入れ替わるくらいならよくある手ですが、アウトサイドが逆にいるポジションチェンジは驚異的で、この当時の磐田は目を凝らして背番号を確認しないと誰がどこにいるかわからない、サポにとっても難しいサッカーでした。

当時の磐田はサッカーにおける戦術の面白さを教えてくれた存在ですが、3-5-2が廃れたこともあって真似するチームは出ていません。またいつか、このような面白い戦術に出会ってみたいという思いを新たにしました。
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