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梅崎司の記憶

2017-12-27 22:19:07 | 浦和レッズ
クラブ間合意間近と報じられていた、浦和MF梅崎司の湘南への完全移籍が発表になりました。梅崎は浦和では平川(2002年)、阿部勇樹(2007年)に次ぐ3番目の古株である2008年入団です。負傷で何度も離脱しながら、不死鳥のごとく何度も復活した、思い出深い選手です。その梅崎司の思い出を書きます。

梅崎はプロとしてのキャリアを大分でスタートしました。大分ではトップ下としてポジションを得ますが、どうしても海外に行きたくてフランス2部グルノーブルのオファーに乗ってしまったのは失敗でした。グルノーブルでは日本では当たり前とされている独身寮がなく、自分で食事のコントロールに失敗して体重が増えてしまいました。

失意のまま、大分に戻ってきた梅崎でしたが、今度は2008年、重傷を負っていたポンテの代役がどうしても必要だった浦和からオファーを受けて移籍してきます。ポンテのイメージを持っていた私にとって、梅崎はかなりカラーの違うトップ下だということがわかります。梅崎はアタッカータイプのMFで、左右どちらのサイドからでも仕掛けられる選手でした。

そのため、オジェック監督は使いこなせずに起用されませんでしたが、オジェック監督が2試合で解任されてエンゲルス監督が就任するとサイドを仕掛けていいという自由度が出て起用されます。もっとも、当時の浦和はエジミウソンと高原という、2枚ポストプレーヤーを並べてしまうバランスの悪さで迷走し、梅崎が輝いた印象はありません。

4-4-2でサイドハーフを置くサッカーをした、フィンケ時代は梅崎にとってチャンスと思われましたが、このシーズンは長い負傷で棒に振ります。2011年、ゼリコ・ペトロヴィッチ監督が解任された後の堀監督に評価され、4-1-4-1の右ウイングとして出番を得て、残留争いに巻き込まれた浦和を救った、横浜FM戦のゴールは印象的です。

今季は復活を果たしたものの、梅崎が得意とするウイングのポジションは武藤とラファエル・シルバがファーストチョイスでした。浦和に残ればベンチスタートが関の山だったでしょう。走れる選手なので、湘南という速攻主体のチームでまた輝けるよう、陰ながら応援しています。
コメント
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