今日は急に暑くなった体にこたえる日で、自分の歩くスピードの遅さに呆れながら、「今日は早く寝よう」と思うあまり良くない日です。鳥栖戦のプレビュー記事は明日に回し、今日は穴埋めネタで野球からソフトバンクの内野手、小久保裕紀選手の2000本安打を取り上げます。
小久保は和歌山の出身で高校時代は投手でした。日刊スポーツのドラフト候補のリストにも載っていましたが、青学大に進学して大学No.1内野手になったのですから、進学の判断は正しかったでしょう。
そんな彼がなぜドラフト2位?と当時のルールを知らなければ思うはずです。当時は現在は廃止された逆指名ドラフトというルールがあり、逆指名して1位か2位で指名されれば他球団は手を出せないルールでした。
小久保は他の選手を1位で指名したダイエーの誠意のなさより、日本史上初の開閉式屋根の福岡ドームを作って新しい球団を作ろうとしていた球団の理念に賛同したと思われ、大学No.1野手としては屈辱的と言えなくもないドラフト2位をあえて受け入れます。
同世代の松中は一軍定着に苦労しましたが、小久保は入団1年目のハワイ・ウィンターリーグの活躍が王監督に認められ、比較的順調に一軍定着します。小久保と聞いて思い出すのは「福岡ドームを克服した男」というイメージです。
福岡ドームは外野フェンスの距離が遠く、高さも相当あるので、このスタジアムで日本人が30本ホームランを打つのは無理というのができた頃の評判でした。西武時代は40本塁打を打っていた秋山現ソフトバンク監督も、この福岡ドームを見てヒットを狙いに行ったので、ソフトバンクのファンは秋山がホームランバッターだったイメージはないはずです。
しかし、小久保、城島、松中の3人は福岡ドームの広さを恐れず意欲的にホームランを打ちにいきました。小久保にホームランバッターの印象が強いのはこの頃のイメージがあるためです。
大卒で2000本安打を打つには40歳近くまで現役でないと難しいです。小久保は2003年にオープン戦の負傷でシーズンを棒に振る苦労もしています。ただ、2000本安打のような積み重ねの記録は1年くらい不振でも置いてくれる球団の誠意も要ります。ダイエーに逆指名までして入った小久保には球団もよくしてくれたのもこの記録の要因かもしれません。
小久保は和歌山の出身で高校時代は投手でした。日刊スポーツのドラフト候補のリストにも載っていましたが、青学大に進学して大学No.1内野手になったのですから、進学の判断は正しかったでしょう。
そんな彼がなぜドラフト2位?と当時のルールを知らなければ思うはずです。当時は現在は廃止された逆指名ドラフトというルールがあり、逆指名して1位か2位で指名されれば他球団は手を出せないルールでした。
小久保は他の選手を1位で指名したダイエーの誠意のなさより、日本史上初の開閉式屋根の福岡ドームを作って新しい球団を作ろうとしていた球団の理念に賛同したと思われ、大学No.1野手としては屈辱的と言えなくもないドラフト2位をあえて受け入れます。
同世代の松中は一軍定着に苦労しましたが、小久保は入団1年目のハワイ・ウィンターリーグの活躍が王監督に認められ、比較的順調に一軍定着します。小久保と聞いて思い出すのは「福岡ドームを克服した男」というイメージです。
福岡ドームは外野フェンスの距離が遠く、高さも相当あるので、このスタジアムで日本人が30本ホームランを打つのは無理というのができた頃の評判でした。西武時代は40本塁打を打っていた秋山現ソフトバンク監督も、この福岡ドームを見てヒットを狙いに行ったので、ソフトバンクのファンは秋山がホームランバッターだったイメージはないはずです。
しかし、小久保、城島、松中の3人は福岡ドームの広さを恐れず意欲的にホームランを打ちにいきました。小久保にホームランバッターの印象が強いのはこの頃のイメージがあるためです。
大卒で2000本安打を打つには40歳近くまで現役でないと難しいです。小久保は2003年にオープン戦の負傷でシーズンを棒に振る苦労もしています。ただ、2000本安打のような積み重ねの記録は1年くらい不振でも置いてくれる球団の誠意も要ります。ダイエーに逆指名までして入った小久保には球団もよくしてくれたのもこの記録の要因かもしれません。