Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

映画「テルマエ・ロマエ」

2013-04-21 14:02:46 | 雑記
ある方のブログで、古代ローマ人が現代日本にタイムスリップする阿部寛主演の「テルマエ・ロマエ」という映画が面白そうという話を聞きました。昨日テレビで放送されたので見ることができました。ローマは私にとっては憧れの地で、セリエAのローマ対インテルを見たときに市内観光して楽しい思いをしました。

阿部寛は古代ローマ人の建築家の役で、ローマ人が日本語を話す不自然さはありますが、ローマ人はお風呂が好きだという日本人と共通する点に目をつけたのは面白い映画でした。ローマには各地に公衆浴場の跡が残っていて、カラカラ浴場のように皇帝自ら建設を命じた浴場もあります。

浴場からタイムスリップするので、阿部寛は裸の場面が多いです。イケメンのイメージを損なわない筋肉質の体は、女性ファンは一見の価値があるかもしれません。タイムスリップして日本の銭湯を見た阿部寛は、ローマの浴場に日本の銭湯の文化である脱衣場のかごや洗面器を置いて、ローマでは画期的な発明と驚かれます。

この映画はローマ人に日本語を話させる必要があるので、日本人らしくない濃い顔をした役者をローマ人の役で出演させています。あまり映画を観ない私は、知っている名前は北村一樹だけでしたが、邦画でありながらイタリアの全面協力も要る、制作費のかかった映画だと思います。

上戸彩は売れない漫画家の役で、タイムスリップした阿部寛と何度か会い、最後は一緒に古代ローマへタイムスリップします。上戸彩はラテン語を勉強して阿部寛と話ができるようになる設定で、彼女が絡むことで物語は急展開するのですが、それ以上はネタバレするのでやめておきます。

私にとっては、遺跡が残っている古代ローマの風景を描いた模型のCGが面白かったです。コロッセオという闘技場もローマ人に娯楽を楽しむ発想があったことに驚き、サッカーを見にイタリアまで行った私も似ていると思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

積極的中盤(レオ・シルバ)

2013-04-21 11:55:00 | 他チーム
浦和敗戦かつテレビ観戦のため、マニアック分析や浦和の選手を取り上げたネタはできず、他チームから一人取り上げます。それはアルビレックス新潟の守備的MF、レオ・シルバ選手です。新潟は開幕から3試合で2敗1分けと結果は出ていませんでしたが、内容は悪くないとの評価で、それはどういうことなのだろうと、3/30の浦和戦を見てみました。

この試合は、浦和は結果こそ2-0で勝っていますが、内容的には決してほめられた試合ではありません。その理由は浦和の中盤のボールキープが、大抵レオ・シルバのところで潰されていたからです。今までの新潟のボランチはバランス重視で、しっかり引いてブロックを作りスペースを与えない守り方をしていましたが、レオ・シルバは積極的に取りに来るボランチで、しかも取ってからその勢いで前に出てゲームメークもできます。

浦和の得点はCKを頭で合わせた槙野のシュートと、終盤のマルシオのゴールと新潟の組織を崩した点ではなく、戦術的には新潟が上回った試合だったと思います。ただ、浦和戦では新潟の個人レベルまではなかなか目が行かないので、昨日の新潟対横浜FMの映像は新潟をじっくり見るチャンスでした。

この試合は首位の横浜FMに対し、新潟はまだ今季1勝のチームでしたが、結果は1-0と新潟の勝利に終わりましたが、内容的にも決して新潟は負けていなかったと思います。引いて守る新潟のイメージはだいぶ変わっていて、レオ・シルバのボール奪取が起点になり、三門、成岡、田中達也といったあたりが積極的に動いて中盤のスペースに飛び出し、今や新潟も積極サッカーという印象です。

特に、レオ・シルバの1対1の強さは驚異的で、ここへイーブンのボールが行ったら取れないと観念するほどの強烈なフィジカルと、その後の正確なフィードで「新潟の中盤は強いぞ」というイメージができるほどです。レオ・シルバは昨年はブラジル1部ポルトゲーザのレギュラーで、ゲームキャプテンも務めるなど評価は高く、いい選手が日本に来たなと思うとともに、埼玉スタジアムで見ることを楽しみにしたい選手です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

15分の肉体改造

2013-04-21 09:55:55 | 雑記
最近、会社の昼休みに筋力トレーニングをやっています。筋力トレーニングのマシンは写真に示す、腹這いになって足を後ろへ曲げるレッグカールと、大胸筋を鍛えるバタフライがあります。

以前ブログのネタにしましたが、筋トレは少し重いと感じる「過負荷」と、少しでもいいから日々進歩させる「漸進性」が重要と、高校時代の体育の授業で習いました。無理に重量に挑戦すると肉離れの危険があるので、最初の筋トレでは軽めのものをおっかなびっくり上げていました。レッグカールは18kg、バタフライは一番軽い11kgを上げるのがやっとでした。

しかし、たったの15分のトレーニングとはいえ、1ヶ月間すべての平日に実行していれば少しずつ成果も出てきます。立った状態で太ももに触ると筋肉を感じるようになりましたし、重さも18kgから28kgに進捗しています。また、太ももがメインのトレーニングでも刺激を受けて他の筋肉にも好影響があり、背筋やふくらはぎなども強くなった感触があります。

また、大学時代のオリエンテーリングで習ったトレーニングの理論には、「積極的休養」と「超回復」があります。積極的休養とは、あまりハードなトレーニングをしても、毎日では効果は薄く、タイミングを見て休養することで逆に成果を出すものです。私の場合、週末の休日を積極的休養にして、筋肉痛を取った状態で月曜にトレーニングをするのはいい効果があります。

超回復は積極的休養とセットになっていて、休養した後の回復度が前の体力レベルの上を行くことです。この超回復状態でトレーニングをすれば、もっと上のレベルを目指すことができます。どこまで体力を伸ばせるか、年齢的にはもうおじさんなので大幅には改善しないまでも、会社の昼休みが楽しみな時間になっています。

通勤時間は自分の好きなスポーツのネタでブログを書くという、楽しむ手段を見つけましたが、昼休みは使い方を確立していない時間でした。今まではインターネットでサッカー情報を入手していましたが、どうもこれはストレス発散の材料にはなっていなかったらしく、苛立つと水を飲みたくなる自分の癖が表に出ていました。

それが、筋トレになったことで、体に刺激を与え午後の仕事にも好影響が出ており、苛立つこともなくなってきています。会社に行って良かったと思うことを一つでも見つけようと思い立って始めたことですが、今のところ大成功です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大宮の慎重策(4/20大宮対浦和)

2013-04-20 22:07:30 | 浦和レッズ
大宮は浦和の弱点は見破ったと公言し、前日練習を非公開にしてその秘策を試しました。浦和としては、大宮のような4バックのチームには1トップ2シャドーをおとりにして、アウトサイドの二人が面白いように空くところを攻めの糸口にしたいゲームプランだったと思います。

しかし、大宮の立てた策は敵ながら見事でした。ボランチ金澤を最終ラインに入れて急造5バックにしてしっかり引き、浦和の4-1-5の選手が誰もフリーになれない極端なマンツーマンを引いてきました。アウトサイドも前の3人も誰も空かなくなり、かといってズラタンとノバコビッチの2トップは無理に追いに来ないコンパクトな布陣で大宮が来ている以上、パスの出しどころがないという苦しい前半でした。

ただ、この布陣では大宮の攻撃も浦和のミス待ちです。たぶん、前半は0-0でいいから浦和を抑え切り、どこか勝負どころで布陣を変えて攻めに出ようというのが大宮のゲームプランだったと思います。この試合を分けたのは、DF那須の出血による一時退場でした。前半もロスタイムで、浦和はピンチになったら大きくクリアして時間を使えばいい場面でした。

しかし、大宮が右から入れたクロスのこぼれ球を、梅崎がミスキックして相手にボールを奪われます。これがきっかけになって大宮MF渡辺大剛に走り込まれ、低くて速いクロスをズラタンに合わせられ大宮が1点を先制します。0-0でもいい戦い方をしてきた大宮にとって、これは嬉しい誤算だったはずで、後半は守りを固める考え方に徹することができるようになりました。

後半、浦和は興梠や柏木が厳しいマークを逆手に取って、引き気味の位置を取ってフリーになる戦略を立ててきます。これでDFラインの前ではボールが持てるようになり、失点につながるミスをした梅崎も名誉挽回しようと、大宮DF下平との1対1を何度も挑みました。しかし、逃げ切る作戦だった大宮は、真ん中を固めシュートを打たせません。

遠めからシュートを打ったり、ロングボールで興梠の走力に賭けたりといった戦い方のバリエーションが欲しかった浦和ですが、苦しいはずの大宮もオフサイドラインだけはきっちり統率していて、興梠の俊足がオフサイドにかかってチャンスにならない残念なシーンも多かったです。

この結果、大宮は浦和を抜いて2位に上がり、唯一無敗を維持しているチームになりました。ダービーの敗戦は悔しいですが、まだリーグ戦は始まったばかりです。この大宮の対浦和の特別対策も、全チームに機能させるのは難しいはずで、まだリーグ戦もACLもこれからです。とりあえず、次の広州戦、勝って望みをつなげられるよう期待しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3バックの復権(ACミラン対ナポリ)

2013-04-20 11:11:53 | ワールドサッカー
今日は埼玉ダービーが注目ですが、午前中はワールドサッカーを見るチャンスで、セリエAのACミラン対ナポリを見ていました。最近、欧州では一旦はすたれた戦術だと思われていた3バックが復権している印象で、イタリアでは首位のユベントス、2位のナポリが3バックです。今回はナポリに注目して見ました。

ナポリはウルグアイ代表FWカバーニが得点ランキング上位と好調です。トップ下のスロバキア代表ハムシク、FWパンデフあたりも点を取っています。このナポリの躍進を支えているのは取ってから縦に速く攻めるカウンターです。

同じ3バックのユベントスと比較すると、ユベントスはポストプレーヤーのブチニッチに収めてから周りの選手が次々上がってきますが、ナポリの場合はセカンドボールを拾ったら思い切って前に行っていいことになっていて、カバーニ、ハムシクといったあたりは速いドリブルを見せてチャンスを演出します。

相手のACミランがポゼッションタイプで前に人数を掛けているので、ナポリのカウンターはよく機能していて、セカンドボールを拾ったら一気にゴール前まで走るシーンは何度も見られました。スコアは1-1で推移して、勝てば2位ナポリに勝ち点1差に迫れる3位ACミランにとっては勝ちたい試合でしたが、最後の25分を見るまでは内容的には面白いと思っていました。

その最後の25分は残念な結末でした。ミランMFフラミニが足の裏を見せる両足タックルを出し、危険なプレーと判定され一発退場になりました。その後は両チーム入り乱れたり次々とイエローカードが飛び交って、荒れた試合になってしまいました。ミランは10人なので、途中出場のエルシャーラウィの個人技に賭けざるを得ず、結局この試合は1-1の引き分けに終わります。

ミランにとっては欧州CL自動出場権が得られる2位が遠くなった痛い引き分けで、次が首位ユベントスとの試合ですが、目標の2位は厳しくなりました。もっとも、今年はミランにとってはガットゥーゾ、セードルフ、インザーギといったベテランが去り、世代交代を一気に進めていた年なので、欧州CLを外さない結果を出しながらある程度結果が出たのは成果があったと思います。

逆にナポリの方は、この引き分けは重要な結果ですが、イタリアの場合こういう工夫と努力でのし上がったチームがあると、主力選手をビッグクラブに引き抜かれてしまいます。FWカバーニには数チームからオファーがあるという噂で、来季の欧州CLまで今のチーム力を維持するのは難しいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バーベルが恋人(霧島)

2013-04-19 18:49:00 | 他スポーツ
いつもならブログのネタは一瞬で思い付くのですが、今日は10分考えても思い付かないので、困ったときは昔の大相撲から引っ張るいつもの手を使います。私は長い相撲が好きで、1分を超える相撲を見ていると力が入ってくるのですが、そんな相撲をよく見せてくれた元大関霧島(現陸奥親方)の思い出です。

霧島は幕下を抜けるのに4年かかるなど遅咲きの力士で、新入幕は25歳とのちに大関になる力士にしては時間がかかっています。当時の霧島は体重110kgと軽量で、前みつを引いて持久戦に持ち込んだときは感動的な相撲を見せてくれましたが、突き押しの相手に弱く簡単に突き出される相撲もありました。

霧島は今で言うイケメンで、女性ファンの多い力士でしたが、当時は人気に強さが追い付いていませんでした。霧島といえば筋力トレーニングを相撲に導入した走りの力士で、バーベルが恋人と自ら認めるほどでした。筋肉痛がないと弱くなったような気がしたそうです。

そんな霧島が変わったのは小結に昇進した場所で1勝14敗と大きく負け越してからです。このままでは上位に通用しないと危機感を覚えた霧島は、プロテインを飲んで筋肉の増量を目指し、体重を130kgまで増やしました。この結果、それまではできなかった吊り寄りが新たな武器になり、千代の富士の1000勝がかかった一番に力業で勝つなど存在感を見せます。

大関昇進は30歳を過ぎてからで、所要91場所は現在も残る大関のスロー出世記録です。ただ、朝潮(現高砂親方)が6回目の挑戦でやっと上がった大関に、一発で上がった勝負強さは評価しています。

しかし、霧島の時代は大相撲が大型化した転換期でした。霧島には防波堤になって何とかその流れを止めて欲しいと、応援していました。曙には一方的に押し出されるなど、ちょっと頼りない防波堤で、大関は16場所と短い在位期間に終わります。

それでも、入幕当時の霧島の相撲を覚えていた私は、これほどの力士になるとは思っていませんでした。努力は報われると、私が何かにめげそうになったときにはよく霧島の名前を思い出しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

評価の高い受け手(興梠慎三)

2013-04-18 20:15:29 | 浦和レッズ
先日の湘南戦はFW興梠慎三選手の移籍初ゴールも話題でした。まだ浦和に来て日が浅いので、浦和の選手としての印象に残る好プレーはまだこれからですが、戦術的には十分機能していて選手からの信頼は確かです。

興梠の良さはボールを受けられるポジショニングです。昨年の1トップ、原口はプレスの厳しさ故にフィジカルで潰されていましたが、興梠は選手の話によれば多少なら無理なボールでもキープしてくれるそうです。

ミシャの広島時代からの傾向として、1トップには強力なポストプレーヤーを置かず、スピードのあるタイプを好みます。Jリーグ得点王にもなった佐藤寿人の1トップもミシャの発案です。興梠はまさにミシャ好みの選手で、速さ、ポジショニング、キープを高いレベルで両立しています。

どうしても一番目立つポジションのFWなので、大分戦で決定機を外したり、PKを外したりした失敗の方が目立ってしまいますが、本人はインタビューを聞く限りでは図太い性格で、1点入れば続けて入るでしょうと開幕からのノーゴールはあまり気にしていませんでした。

今回、1点は入ったので、変に周囲が騒がないで済んだのは良かったです。興梠の記憶はまだ鹿島時代が残っています。鹿島時代に代表にも入りましたが、「鹿島のレギュラーなら代表は当然」と当時からコメントは強気なタイプでした。代表キャップは12試合を誇ります。

敵としての興梠には点も取られていますが、個人技で持って行くタイプではなくいいボールに反応するタイプなので、鹿島時代は49点も取っていますが覚えてはいません。ただ、図太い性格を象徴するシーンを一つだけ覚えています。

それは埼玉スタジアムでの鹿島戦で、負傷でプレーが切れていたときのことです。暑さの中の試合だったので、浦和の選手も鹿島の選手もタッチラインまで出て給水していましたが、興梠は何のためらいもなく、当時敵だった浦和のザバスと書いてある水を堂々と飲んでいました。

もちろん、サッカーでは敵の水は飲んでもいいことにはなっています。ただ、浦和のサポでいっぱいのバックスタンドに向かって飲んでいたのを見て「こいつ度胸あるな」と思った印象が強いです。サッカー選手なら度胸はないよりあった方がいいので、その度胸で浦和のためにいいプレーをすることを期待しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大宮戦プレビュー

2013-04-18 18:05:45 | 浦和レッズ
今週末、浦和はアウェイのNACK5スタジアムで大宮と対戦します。こんなに近くの試合を生観戦できないのは残念ですが、チケット争奪戦が最も厳しいスタジアムなので、最初から諦めていました。

大宮は埼玉新聞に情報が載っているので、一番情報を持っているライバルチームです。今回、大宮は鹿島の持っている17戦無敗のJリーグ記録に並んでおり、浦和戦は新記録を賭けた試合になります。毎年落ちそうで落ちない位置が定位置だった大宮が記録だけでなく順位も3位と好位置につけているのは名将ベルデニックの手腕だと思います。

ベルデニックはスロベニアの代表監督だった経歴を持ち、現役スロベニア代表のFWズラタンとノバコビッチを補強した昨シーズンの後半から結果を出し始めました。昨オフにはMF東をFC東京に引き抜かれていますが、チョ・ヨンチョルや渡辺大剛が活躍してまったく穴を感じません。

ベルデニックは市原(現千葉)で結果を残したときと同じように慎重なチームを作っています。明確にわかるのはボランチ金澤の起用で、パサーのカルリーニョスに代えて守備の強い金澤を入れてから結果が出るようになりました。

また、意外な縁は浦和DF槙野とノバコビッチがドイツのケルンでチームメイトだった経歴があります。お互いは連絡を取り合っている間柄ですが、試合になれば槙野がノバコビッチをマークする可能性もあるので、熱い戦いを期待しています。

浦和の情報は埼玉新聞に載っていなかったのでわかりませんが、大宮の情報は載っていました。前節C大阪戦で退場になって出場停止のCB高橋の代役にはベテラン片岡が入りそうという情報です。ノバコビッチもズラタンもいい選手ですが、なかなか二人揃わないです。浦和戦には是非とも彼らに出てもらって、実力で乗り越える試合を見たいと思います。

浦和は久しぶりにミッドウィークに試合がなかったので、主力選手は休養を取りました。全北戦のアウェイが勝負の試合になったので、ターンオーバーをやっている余裕がなくなったのは誤算ですが、この大宮戦も大事な試合で、勝ち切ることを期待しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大相撲夏場所の思い出

2013-04-17 18:28:45 | 他スポーツ
昨日のなんでも鑑定団が力士のお宝鑑定で、元横綱千代の富士の九重親方が数千万円の絵画を出品して驚きを呼んでいました。夏場所までは1ヶ月ぐらいありますが、夏場所、千代の富士といえば今でも印象に残る一番があります。

それは1991年の夏場所初日の千代の富士対貴花田(のちの横綱貴乃花)です。当時は千代の富士35歳、貴花田18歳で対戦が実現しただけでも奇跡的な一番でした。当時のマスコミは千代の富士優位の予想で、千代の富士は二場所の休場明けでしたが、まだ千代の富士の休場明けの強さをファンの多くは信じていました。

事実、千代の富士の休場中のトレーニングは驚異的で、負傷した部分以外の筋力を維持するために病院の中でもトレーニングをしていた伝説が残っています。それは千代の富士が休場明けの10場所中6場所を優勝しているデータに現れています。またそんな強さを見せてくれるだろうと私も思っていました。

貴花田はこの場所は前頭筆頭で上位初挑戦でした。当時から北の湖親方が自身の持っている最年少横綱記録(21歳)は破られるだろうと話すなど、貴花田の将来性は評価されていましたが、上位初挑戦は大抵の力士が跳ねかえされる壁です。そんな相撲は世代交代を鮮やかに象徴した、後世に語り継がれる一番になりました。

千代の富士の立ち合いはわずかに遅れ、命綱の左前みつは引けませんでした。うまく立った貴花田は低い体勢を作り、大横綱千代の富士に何もさせずに寄り切り、史上最年少金星を挙げて千代の富士を引退に追い込みます。こうして土俵の主役は交代するのかと、ドラマ性も抜群で、20年以上経った今でも取り口まで思い出せる相撲です。

もちろん、こんな相撲が実現したのは千代の富士が横綱という困難な地位を35歳まで守ったことと、貴花田の驚異的なスピード出世の両方があったからです。貴花田ものちに横綱になり、一時代を作りこの相撲の記憶を鮮明にしました。

私にとって、ファン歴が最も長いスポーツが相撲ですが、思い出に残る一番を一つだけ挙げるなら、この千代の富士対貴花田戦です。今はこの二人は大相撲を宣伝する立場ですが、彼らに街頭で宣伝されたら即チケットを買ってしまうでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脇役が合っていた(平野謙)

2013-04-16 20:08:25 | 他スポーツ
珍しい野球ネタで、西武黄金時代の2番打者、平野謙外野手の思い出です。昨年、西武ライオンズがかつての名投手稲尾が着けていた24番を永久欠番にしましたが、所沢に来てからのファンの私は24番といえば平野のイメージが残っているので、少し違和感がありました。

平野が西武に加入したのは32歳のときで、主力投手だった小野との交換トレードで中日ドラゴンズからやってきました。当時、平野といえば盗塁王にもなった1番打者のイメージがありました。しかし、森監督の起用は2番でした。果たして、森監督の手堅い野球に平野がどこまでマッチするか、最初は懐疑的でした。

しかし、平野はずっと前から2番を打っていたかのような適応能力を見せます。スイッチヒッターで相手投手の左右に関係なく使えるのも追い風になり、広い守備範囲と強肩を誇った外野手としての能力も高い選手でした。

ただ、平野と聞いて一番思い出せるのは送りバントです。当時の1番打者の辻の出塁率が高かったので、平野には送りバントのサインが出ることが多かったです。平野本人はバントの技術について、殺した打球でピッチャーに取らせることをコツにしていると話していました。

盗塁王にもなって主役の味も知る平野が脇役の2番を喜んで引き受けたのは意外でしたが、結果的にこの決断は平野本人にも西武にとってもいい効果がありました。西武は日本一に何度も輝き、平野も40歳を過ぎても現役でプレーできました。

平野は最後はロッテに移籍して、長い現役生活を終えました。当時の西武黄金時代を支えた選手たちは指導者としての引き合いも多く、現役監督が3人(渡辺久信、伊東、秋山)いて、コーチもたくさんいます。平野もロッテで二軍監督もやった経験があります。あれほどのチームはそう簡単には現れないだろうと、少年時代を懐かしく振り返ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする