写真は砧緑地野草園のイカリソウ

著者上田紀行教授は1990年の著書「スリランカの悪魔祓い」で
「癒し」という言葉を使い、注目を浴びたそうです。
p.115 「私を癒し、世界を癒す」とは、
絆を取り戻して世界をもっと生きやすい場所にし、
p.116 傷ついている自分自身も癒してあげようという意味で
この二つはセットだったのです。
しかし、それが世の中で独り歩きを始め、
「世界を癒す」の部分が外され、さらに
「和足を癒し」の「私」という主体的な部分が切り捨てられ
単に「癒されたい」という受動的な言葉に変わってしまった
なるほど。
確かに現代は「お手軽な癒し」を求める人が溢れて
いるようです。私自身は肉体的にも精神的にも強靭(?)な
方だと思うので、「癒して欲しい」と思ったことはありません。
気づかなかっただけかもしれませんが (-_-;)
むしろ、手塚治虫的発想で世の中の悪や不条理に対して
怒りや涙を飛び散らしてきた人生でした。
今も、その内容をミュージカルの脚本にして上演しています。
一緒に演じてくれる仲間と、観に来てくれる体操仲間など、
判り合える人たちはごく僅かですから、世界を変える力もなく、
上田教授の講演会では泣き言を言ってしまいました。
言ったお陰で教授の本を何冊か読むことになり、癒されました。
p.119 自分の中から流出するエネルギーによって
世界も自分自身も変えていこうという発想に意識を
振り向ければ、エネルギーの流れも変えていけます。

著者上田紀行教授は1990年の著書「スリランカの悪魔祓い」で
「癒し」という言葉を使い、注目を浴びたそうです。
p.115 「私を癒し、世界を癒す」とは、
絆を取り戻して世界をもっと生きやすい場所にし、
p.116 傷ついている自分自身も癒してあげようという意味で
この二つはセットだったのです。
しかし、それが世の中で独り歩きを始め、
「世界を癒す」の部分が外され、さらに
「和足を癒し」の「私」という主体的な部分が切り捨てられ
単に「癒されたい」という受動的な言葉に変わってしまった
なるほど。
確かに現代は「お手軽な癒し」を求める人が溢れて
いるようです。私自身は肉体的にも精神的にも強靭(?)な
方だと思うので、「癒して欲しい」と思ったことはありません。
気づかなかっただけかもしれませんが (-_-;)
むしろ、手塚治虫的発想で世の中の悪や不条理に対して
怒りや涙を飛び散らしてきた人生でした。
今も、その内容をミュージカルの脚本にして上演しています。
一緒に演じてくれる仲間と、観に来てくれる体操仲間など、
判り合える人たちはごく僅かですから、世界を変える力もなく、
上田教授の講演会では泣き言を言ってしまいました。
言ったお陰で教授の本を何冊か読むことになり、癒されました。
p.119 自分の中から流出するエネルギーによって
世界も自分自身も変えていこうという発想に意識を
振り向ければ、エネルギーの流れも変えていけます。