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P.162からアメリカでの看取り事情が紹介されています。
P.164 驚いたことに、この施設は会社の方針で、職員が入所者の
食事介助することを禁止していました。
職員は入居者の手にスプーンを持たせるだけで、
口の中に食べ物を入れません。
自分で食べられなくなった高齢者に食事の介助をするのは当たり前と
思っていましたが、
こういう国もあると知り、たいそう驚きました。
理由は聞きませんでしたが、自分で食べられなくなったときは
人生の終わりと考えているようです。
その他、食事介助は手間と時間がかかる、
無理に食べさせると誤嚥性肺炎を起こす、などが理由として挙げられます。
P.165 施設の責任者の話。
「家族は親が何もわからない状態で生き続けることを望まない。
手袋がボロボロになったら手を守ることができないように、
体がボロボロになったら魂を守ることができない。
だから死ぬことは仕方がない。
人間、楽しいとかうれしいとかがわからなくなってしまっては、
生きていても、仕方がない」
肉体を、魂のキャリアーと考えて、「着脱する」(?)という考え方は、初耳です。
確かに、私も「魂の乗り物」として、「天から肉体を借りている」
「借り物なんだから、可能な限り、丁寧に扱い、最後まで大切にする」
という考え方をしています。
でも、魂は健全で、肉体だけがボロボロの場合、潔く人生を終えるべきなのでしょうか?
ALSで身動きができない理論物理学者ホーキング博士のような存在を、どう捉えるのか?
私自身が、身動きできなくなった場合、どうしたいのか??
考え込んでしまいます。
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