天守台から下りて 附櫓台 遺構
間違いなく 排水溝 なのだが
附櫓台石段から 天守台石段の 延長線上にある
考えたら 附櫓があったわけだから
現在のように 続きで天守台に上がれたわけではない
ということに なると これは 屋内かもしれない
附櫓台 石段脇の石垣
粗っぽくみえるものの
的確に積み上げている
400年 崩れていない
堀 西側
雁木のような高さはない
その雁木
本丸内は 大きな松の木の林になっている
すぐ天守台 👉
この辺は 桜の木
👈 本丸門 .
花見は 良さそうやな~
雁木見?
子供は 入場無料だったら
絶好の遊び場やね
管理者からしたら それは 困るか
それでも
そういう遊び場になっていた時期も あったかもしれない
雁木十段
雁木の反対側 松の林の中に…
ここは そもそも 本丸屋敷 本丸御殿
だったと思うが
こういう屋根は 茶室ですね
明治中期になってから 移築したらしい
廃城後 建物払下げした後に 持ってきた
なんか 時期的に 不思議です
行ってみましょ
はなのえちゃてい
茶亭 寸法ですね
私は 頭下げて 潜りました
亭内
↖ 左手の方に
向こうは 瓦葺きですね
梨羽家の茶室になるのかな
茅葺き
萱 と 言う字もありますが
そういえば 子供頃は カヤ と言ってましたが
ススキ だと知ったのは 後の事でした
手を切ると やたらに痛いのですよ
私の 苦手なヤツ
水が 溜まっていたそうです
頭 ボーボー 笑ってます
三日月 石灯籠
門を入って 玄関前の庭に
こういうのを 灯してみたいものです
池
枯れちゃってます
年月 感じます
苔が びっしりと言うことは
水が無くなってから かなり経ってますね
水が無くなってから かなり経ってますね
池や庭は 移築の時に 造ったのでしょうかね
歴代 お殿様の お庭ではないのでしょうか…
庭が残っていたから 茶室を 移築したとも 考えられる
残念なことに
萩開府420年記念 花江茶亭 呈茶席
※花江茶亭は当面の間休庵いたします
(2024.10.4)
旧三の丸にあった13代藩主・毛利敬親の別邸 花江御殿の茶室「自在庵」を、
明治22年(1889)頃に指月公園内に移築したものです。
との ことらしい
なかなか タイミングよく 来れないな~
かなり時間を掛けて回っておられたのでしょうか。
目新しいものを見ては、あれこれ撮って、
結果、時間がかかっているって感じです。
萩城、、さすが毛利家、広いです。