雁木下りまして 天守台に向かいます
天守台城内側に 附櫓台があります
附櫓台の石垣が 天守台とは あきらかに違う
部材も 積み方も ご覧の通り
城内側は 手抜きとは言いませんが
表側とは 仕上げの差を 付けてます
それも 関ケ原後の 減石 に起因するのでしょう
附櫓台 石積み
関ケ原前の 戦国の城みたいです
崩れたわけじゃないようです
↖
角
造ってますからね
🔻 天守台 .
東面 北の角 なんですが
なんでこうなっているのかと
考えると
堀側の 南の角の 勾配に揃えてるのでしょうかね
ずーっと 引いて見ると 合ってるのかもしれません
ちょっと 珍しい 造りかと思い
あれこれ撮りました
この石段は 埋門的に しそうですよね
ことら側も 同じ高さの石垣があって 門櫓
オープン石段になってます
城の石段っぽくないような
石段の石は きれいに切られています
天守前だから でしょうか?
公園整備の施工でしょうか?
どうなんでしょう…わかりません
それでは 上がりましょう
附櫓への石段上がって 天守台 石段左側
東側石垣
天守台は 城内側も きちんと積まれてます
🔻 勾配の上部 .
天守台への 石段
ここは 現存っぽいですよ!
片側に 手摺がありますね
手摺を造るにあたって 細工がされてます
元の石に コンクリで固定して
それらしくしていますが
はっきり言って 浮いてます
手摺は どこの城も 苦労されてるようですが
木製が良いような気がします
原状回復 できるように というか
現存石段を 加工するのはどうなんでしょう?
天守に 上がると 右手
🐓
西側
中央
🐎
南
こう見ると レベルが とれている
江戸の初期
どういう技術だったのだろう
左側
🐉🐍
東南
🔻 本丸門前土橋 .
さらに 左…
🐇
東
🔻 🐂🐅 角 ありますぞ .
三角形の礎石は めずらしい
一見かわいく見えるが 大きい
例の 黄色い成分が多く含まれている石
意外と 角が丸いのよね…
切り出したのじゃなくて
持って来た時には 風化していた?
指月山に転がっていたのを
手ごろなのを 選んだのだろうか
安土や大和郡山とは違います。
レベルがとれているの意味が分かりました。
でも伊能忠敬より150年前なんですよね
当時の人は工夫してたんだと思います
ビニールホースがあれば簡単に出るんですけど…
城関連の高度な技術、すべてに感心します。