本丸門東側
幅の広い堀が 毛利家の威信かと
関ケ原以降の勢力関係はわかりませんが
西の端に追いやった家康が
反抗さえしなければ
追い詰めてくるとは 考えられないのではと思う
ならば
誰が攻めてくると考えての 築城か?
ならば
築城で財源を使わずに 陣屋で 良かったのでは?
と思うも
陣屋ならば 攻めよう と思う者も 出てくる
と言うことで
築城は不可欠だったということか…
まだまだ 戦もあるかも?
という 関ケ原直後 だったわけだし
位置的には 大陸、半島 から近いわけで
黒田・福岡藩と共に その恐れも忘れてはならない
そんなこともあったのでしょうかね
とは言え
戦国時代の城郭の 培ったノウハウを駆使した
最新の城
とも言えたのかも
そうなのかな?
古い 戦国の城 みたいな気もするけど…
どちらにせよ 観光天守がないから
ロマンは 感じるわけで
私的には すごい楽しい
着見矢倉台 内堀 見てみましょう
萩城は 櫓ではなく 矢倉 表記のようです
宇和島城もそうでした
上の写真の位置から 直進して 東の角
対岸は二の丸
距離は どれくらいでしょう かなりあります
ズーム
三階矢倉 東矢倉 二の丸 東門 .
⇩ ⇩ .
海からの 防御ライン
東の角から 北側
👈 👀
海が見えます
🔻
左へ 入り込んでます
角まで 行きます
海側の石垣が見えます
🔻
👈 👀
北側に 入り込んだ堀
海からの 侵入、突破への防御
⇩ 本丸東側内堀石垣
ここも 長くて 立派です
これだけの長さ
真ん中に 補強を兼ねた 出角 を設けることがあるが
萩城は 無い
しかも 膨らんだりの 不具合もない
400年…
ピースは 大小不揃いだが ピッチリ
もう一度 海の方に
👀
二の丸 石垣 切れ目?
華矢倉 跡 でしょうか…
この辺 ぐるーっと廻って 行ってみましょ
着見矢倉台から 東側内堀石垣は 行けそうにありません
飛び降りれば 行けなくはないですが
遠くまで来て バカなことはやめておきます
本丸門側
ここに 鉄砲隊が待機
弾丸と火薬を詰め替える場所?
撃てる銃を持って 雁木に上がる
こんな 高低差の 雁木
スケールさん 下りるのに 苦労しております
武具つけて 上がるには 大変だったでしょう
鉄砲隊は 軽装だったのでしょうね
現在 活躍されている 各藩の鉄砲隊は
けっこう 装備しておりますね
必ず 地下足袋だし…
そうだ 各地の忍者もだ…
あ この 状況は…
やっぱり!
ファンに取り囲まれている ♪
ハハハ
忍び寄る あやしい影
危うし スケールさん
と その時 何かを感じて 振り向くと…
謎の影は 消えたのだった…
スケール 危機一髪
つづく
第二次長州征伐では、高杉が海援隊と向かいました!
でも萩城修理時にはまだ細川が小倉城にいましたので、違いますね。。。
でもいろいろ想像すると楽しい(笑)