只今、【くりのみ会】から帰宅しました。
今晩は、「思量」「不思量」「非思量」について、教えていただきました。
『正法眼蔵・坐禅儀』の最後に次のような文章があります。
「兀兀と坐定して、思量箇不思量底なり、不思量底如何思量 これ非思量なり。これすなはち坐禅の法術なり。坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり、不染汚の修証なり」
私は、
「思量」…おもい量ること。比べること。
「不思量」…おもい量らないこと。比べないこと。
「非思量」…「思量」「不思量」をこえた世界。
と理解していたのだが、どうも違うらしい。
今日の学習で気づいたことは、自分の既修の知識を土台にして理解をしようとしている姿。
会員のMさんは、絵を描く人である。
Mさん曰く「既修の知識や技術に頼ると、絵は描けません。自分の身心のキャンバスを白紙にすることが大事です」と。