法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

カウンセリング研究会《くりのみ》
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主宰者の《日乗》

「身心」か「心身」か?

2008年06月29日 22時37分31秒 | 日乗

カウンセリング研究会[くりのみ]を始めて、15年になる。
月2回の学習会を開催している。

[くりのみ会]の目当ては、(からだ)と(こころ)のストレッチである。

普通に、(しんしん)を調べると、(心身)で(心)が先である。
(心身)か(身心)、どうでもよいことかもしれないが、大変重要なことである。

ちなみに、私のいま使っている一太郎では、
(しんじん)で変換すると、信心、真人、新人、深甚等である。
(しんしん)で変換すると、心身、伸身、身心、心信、新進等が出てくる。

道元禅師は、身心(しんじん)で統一されている。
私は、道元禅師のお示しのように、(身)を先にし、(しんじん)と読む通りにしようと思っている。

今日は、一日、毎田周一の著作と『佛説大無量寿経』を読んで過ごした。
『毎田周一全集』は、40年も前大学生の頃購入した全集である。
これまでは、「積んでおく・飾っておく」であったが、ようやくじっくりと読めるようになった。

また、浄土三部経の存在は知っており、聖典も持ってはいたのだが、ようやく腰を落ち着けて読めるようになった。

 

毎田周一のことば。
身だ心だといって
区別する人が可笑しい
身心(しんじん)一如といふことは
当たり前といふことです

 

 

 

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道徳教育

2008年06月29日 10時30分04秒 | 日乗

学校で、道徳の授業の充実が言われ、数年前から各校で道徳授業の地域公開等も行われるようになった。

昭和39年7月に書かれた毎田周一の言葉を引文。

 今、我国の学校教育、殊に小・中・高等学校で、道徳教育といふことが、日程に上がって来たといふことは、面白いことだ。といふよりも有難いことだ。何故ならその教師が、自分は道徳教育をやる資格があるか、その能力があるか、自分に問わなければならぬからである。
 浅い自己意識しか持たない者は、当然出来ると自分は考へる。その次の人は、自分には出来ないが、食わんがためには嘘もつかなければならぬと考える。そして第三の部類の人が、到底出来ない自分に直面して、自らも苦しむ。真の生命に出会うのは第三の人。 

 40数年前の文章であるが、現在の学校現場・先生方に味わってもらいたい内容である。
 言うまでもないことだが、第三の部類の先生方が一人で多くなるのが一番大事なことだと私も考える。

 

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