『教行信証』行巻に、次の言葉がある。
「諸々の乱意を捨てて心を一佛に係て、相貌を観ぜず。専ら名号を照すれば、即ち念の中に於いて彼の阿弥陀佛及び一切佛を見ることを得」
名号には、
六字名号 南無阿弥陀仏
九字名号 南無不可思議光如来
十字名号 帰命尽十方無碍光如来
がある。
私は、十字名号ストンと落ちる。
存覚上人の『弁述名号鈔』に、
「阿弥陀仏トイエルハ天竺のコトバナルガユエニ、タダコノ六字ニムカウトキハ、ソノ義キコエズ」とあるそうだ。
存覚上人も、インドの言葉を音訳した「南無阿弥陀仏」に比べて、「帰命尽十方無碍光如来」の方が理解しやすかったようである。
「帰命尽十方無碍光如来」を、一人ひとりの「闇を照らす光」と理解すると、カウンセリングでいうところの、各自の「経験にひらかれる」ということと重なるように感じられる。
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