鎌田實さんのブログで紹介されていた佐藤紫華子さんの詩です。
鎌田さんのブログ
↓
http://kamata-minoru.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-008c.html
原発難民の詩
富岡町から避難してきた佐藤紫華子さんは、
国策で2回故郷を失ったという。
一度目は17歳のとき。
樺太に生まれて、終戦直後、引き上げ船で日本へ帰ってくる。
二度目は、3年前の原発事故。第二のふるさと富岡町を追われた。
国策で2回故郷を失ったという。
一度目は17歳のとき。
樺太に生まれて、終戦直後、引き上げ船で日本へ帰ってくる。
二度目は、3年前の原発事故。第二のふるさと富岡町を追われた。
故郷に帰れないくやしい思いを、「原発難民の詩」という詩集に書いている。
仕事がありますよ
お金をたくさんあげますよ甘い言葉にのせられて
自分の墓穴をほるために
夢中になって働いてきて
原発景気をつくった
あの頃・・・人間が年をとるのと同じように
機械も年をとるということを
考えもしなかった
技術者たち!
ましてや
大地震、大津波に
襲われるとは・・・地震国であり
火山国であるという
基本的なことを忘れてしまった末路か・・・私たちは
どこまで逃げれば
いいのだろうか
追いかけてくる放射能
行く手を阻む線量見えない恐怖
におわないもどかしさ
聞こえない苛立たしさ私たちは安住の地をもとめて
どこまで
いつまで
さすらうのだろう