東京大谷声明学園に通い始めて丸7年が経過しました。
学園は、9月始業で翌年7月に修了する一年コース。
授業は、毎週・木曜日の夜、7時~9時です。
お陰様で、健康にも恵まれて、ずっと皆勤賞をいただいています。
マア、暇人ということの証明でもありますが…(笑)
9月から始まる平成28年度の授業にも出かける予定です。
写真は、浄土和讃のボクのノート。
自分用のノートですので、本人には理解できても他の方には何のことやら…でしょう。
この夏は、皆さまにも分かりやすいノートを作ろうと準備をしています。
ボクの(願い)は、一般の方々に「親鸞和讃」をうたってもらうことです。
里村専精師の「浄土真宗にようこそ」No63をお届けします。
観無量寿経を、善導大師は新しく読み直しました。
いわゆる古今楷定ですが、大師自からに深い自信がありました。
序文の読み方が、従来の理解とはすっかり変わっています。
韋提希というヒロインが、実業の凡夫と見据えられていますが、
その韋提希が救われる縁になるという格付けに、九品往生の姿があるというのです。
序文の中に、後の散善を導入する部分があるとして、大師は「散善顕行縁」と名づけられました。
序文なのですが、論をたてて序分という扱いです。
序文を分析して序分なのですが、はるかに終りに近い部分が散善です。
序文のなかに、散善の人々の救いを予定した部分があるというのですが…。
その「散善顕行縁」という言葉を、親鸞は「散善は行を顕わす縁なりと」と書いています。
これでまた、観経の理解が一段と深められています。
散善には如来の大悲廻向の行が語られている、と読み進めるのです。
つまり下品下生の人を救う具体的な大悲の行が、散善には語られているというのです。
上級の人(聖者)を救う教えは、本来の宗教ではありません。
何も出来ず、むしろ悪に親しむしかない私たち凡夫を、根こそぎ救うものこそが如来の大行です。
人間の実存を徹底して見せる仏道が、散善に示されているということになります。
善導大師の古今楷定を享けて、親鸞はより徹底的に人間の実存に迫る仏道を見つめました。
人間存在の事実に即して、偉大な仏道は現に働いているというのです。
普通には散善は、真面目な聖者には付録のようなものだと評価されていたのですが。
散善に示される凡夫を救わなければ、如来はその存在意義を失うのです。
如来の存在は、あらゆる衆生に向かって開かれたものでした。
凡夫が一人でも救われるなら、その凡夫が真実の如来を証明するのです。
それまでは、如来は如来であってもその存在の意義は無に等しいと言うべきです。
しかし、一人でも凡夫が救われたというなら、その如来の仏道は現に今も生きているのです。
釋真聴は、(よりあい)(かたりあい)(うたいあい)を大事にしています。
主宰・同人として参加している(よりあい)を紹介します。
◇カウンセリング研究会【くりのみ】 *主宰しています。
◇「歎異抄」うたと語り合い *同人として参加しています。
◇(願海庵)やさしい仏教塾 *同人として参加しています。
日程はコチラから。
↓
http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~kurinomi/calendar/calendar.htm
どなたも参加できる楽しいサンガです。
是非、お出かけください。
「歎異抄」うたと語り合いの後、
創作日本料理のお店「ボンズ」さんでディナーをいただきました。
写真は、トマト二種をたっぷりと使ったピザ。
赤ワインにぴったりのお味でした。
今晩は、毎週火曜日夜に開催の「歎異抄」うたと語り合いに出かけました。
台風7号接近の中、3名が集まりました。
◆学習内容。
*カクムさんが、博多の七里恒順和尚和上・伊勢の村田静照和上・能登の櫻井鎔俊和上の教えに基づいた念仏実践道場である「真々園」に出かけた報告をしてくれました。
*「嘆仏偈」読誦
*「歎異抄」音読&語りあい
今回から、2巡目の音読に入りました。
今晩は、(序章)を読んで、下記の項目について語り合いました。
①「竊」について
②「自見の覚語」「自見の覚悟」について
③「乱る」について
*語り合い
日本の若者の労働環境や格差について語り合いました。
次回は、8月23日(火) 「歎異抄」1章を読みます。