法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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里村専精師「浄土真宗にようこそ」No80

2017年10月27日 23時18分05秒 | 里村専精師の言葉

里村専精師「浄土真宗にようこそ」No80をお届けします。

「世尊我一心 帰命盡十方 無碍光如来 願生安楽国」
難しい言葉ですが、有名なというよりは大切な言葉です。
この言葉に、世親菩薩の全体があります。
曇鸞大師が、ここにある「我」という文字に問題を提起しておられます。
1.邪見語=因縁に背く主体。
2.自大語=自己中心的関心で成り立つ主体。
3.流布語=いわゆる一人称として用いられる主体。
という三つが、一般に使用されている世間で通用する一人称です。
ここに私たちの日常の、迷った自己意識があります。
つまり私たちは、常に自分をつまらない間違った自分を自分だと思っています。
ここには、何の深みも厳密様ありません。
けれども、誰だって本物の自分でありたくて、生涯にわたって尋ね求めています。
曇鸞大師は、再び言われます。
「我一心」の一心に立った(一体化した)我とは、世親菩薩の自督の語だと。
「自らをすすめる」という意味だというのです。
ここに、仏道に生きる主体的存在の歩みが語られています。
言わば、信心の人の姿がここにはあるというのです。
仏道に出遇い、真実の主体に覚めて、人は人の広大な歩みを見つめます。
この「一心」を、後に親鸞聖人は真実の一心だと確認されました。
それは「無量寿経」の本願の三信に相当する大切な精神だというのです。
親鸞自らの歩みがこれによって決定していますし、その名前までが親と鸞から取られています。
我一心」の我は、真実の仏道によつて開かれた本有の主体です。
それは「我一心」する働きを見出した人々が、共に照らしあう生き生きとした主体なのです。
日常の私たちが、その日常の精神生活で閉ざしていた主体ではありません。
本来の雄大な主体は、「みずからすすむ我(運動体)」だというのです。

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