片山慎三監督『雨の中の慾情』を公開初日に見に行った。公開直後に見ることは少ないが、まあ時間がちょうど良かったのと、そう大ヒットしそうもないから1週目に見ておく方が良いかという判断もある。見る前に、この映画に関する情報はほとんどなかった。普通ならチラシを見れば大体予想できるけど、この映画のチラシには主演者しか書いてない。東京国際映画祭で上映され、つげ義春原作だと出ていたが、ほとんどそれだけ。片山監督は『岬の兄妹』や『さがす』を作った人。『さがす』は2022年のキネ旬ベストテンで7位に入ったが、どこか「過剰」な描写が気になってここには書かなかった。
つげ義春原作の映画はかなりあるが、竹中直人監督『無能の人』(大傑作!)を除けば、短編をオムニバス的に映像化したものが多い。最近石井輝男監督の『ねじ式』を再見したが、それもいくつかの短編が基になっていた。同じ石井監督『ゲンセンカン主人』は最初からオムニバス映画として作られている。今回の『雨の中の慾情』も同様で、1950年代に書かれた初期作品幾つかを組み合わせている。ただし、それで終わらずに、イメージがどんどん暴走していき、時間の迷宮に入り込む。場所も年代も判らぬ幾つものイメージが重なり合いながら、作者を思わせる義男(成田凌)と福子(中村映里子)の関係が変奏されていく。
映画館の紹介では「貧しい北町に住む売れない漫画家・義男。アパート経営の他に怪しい商売をしているらしい大家の尾弥次から自称小説家の伊守とともに引っ越しの手伝いに駆り出され、離婚したばかりの福子と出会う。艶めかしい魅力をたたえた福子に心奪われた義男だが、どうやら福子にはすでに付き合っている人がいるらしい。伊守は自作の小説を掲載するため、怪しげな出版社員とともに富める南町で流行っているPR誌を真似て北町のPR誌を企画する。その広告営業を手伝わされる義男。ほどなく、福子と伊守が義男の家に転がり込んできて、義男は福子への潰えぬ想いを抱えたたま、三人の奇妙な共同生活が始まる……。」
冒頭が『雨の中の慾情』のシーンで、すぐに売れない漫画家義男の現実になる。その後伊守(森田剛)とともに、『池袋百店会』が基になったPR誌のエピソード。だが、どうも変なのである。「北町」と「南町」の間には検問所があるという。町は「分断」されているらしい。そして三人の共同生活になるが、実はこれで話の半分にもならない。怪しい病院で子どもの「脳髄」から液を取り出し、薬として南町に売りに行く。検問を越え、初めて海を見る。そこでは中国語が支配言語になっている。何だか全然判らないけど、今度は突然戦闘シーンになる。負傷した義男は慰安婦(福子)から貰った毛を握りしめている。
全編に漂う不思議ムードは、この映画が台湾でロケ撮影されたことにもよる(台湾との合作)。南国風の「空気感」があって、突然時間が逆転してもおかしくない気がしてしまう。慰安所や野戦病院も出て来るのはどうなのかと思うが、つげと関係が深かった水木しげるの世界にワープしたような印象。時間が132分と長く、時空を飛び越えたイメージの連鎖が少しやりすぎというか、やはり今回も「過剰」な感じを受ける。そこも含めて、つげ原作映画の中でもとりわけ「変」な映画に仕上がっていて、そこが魅力。(「変」は褒め言葉である。)今年のベストとは思わないけど、妙に忘れがたいイメージが残り続ける。
片山慎三監督(1981~)は、ポン・ジュノ監督『母なる証明』や山下淳弘監督『苦役列車』などの助監督を務めたあと、『岬の兄妹』(2019)で監督デビューした。今回の『雨の中の慾情』では福子の中村映里子が素晴らしかった。森田剛や成田凌が惹かれているのも納得。また大家や野戦病院の医師などをやってる竹中直人は、出て来るだけでムードが高まる。ロケは当初金門島でやりたかったというが、結局嘉義市で撮影された。多少茨城県などで撮られたシーンもあるようだが、基本は嘉義ロケ。その懐古的なムードが、つげ作品に似合っている。不思議な「怪作」であり、また「快作」。