尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

開高健の短編を読み直すー開高健を読む②

2021年02月21日 23時16分44秒 | 本 (日本文学)
 開高健の最高傑作は、間違いなく「輝ける闇」(1968)と「夏の闇」(1972)だが、今回は長編は読み直さない。2019年1月に大岡玲編「開高健短編選」が岩波文庫に収録されたが、560頁を超える厚い文庫本なので、なかなか読む気になれなかった。2020年12月に集英社文庫で「流亡記/歩く影たち」が刊行されたので、合わせて読んでみたわけである。デビュー頃の作品はほぼ半世紀以来、後期の作品は刊行当時にリアルタイムで読んだから30年ぶりぐらいの再読だ。
(開高健短編選)
 開高健は1958年1月に「裸の王様」で芥川賞を受賞した。その当時は寿屋(現サントリー)に勤務しながら、短編を書いていた。1957年8月に「パニック」を「新日本文学」に発表して評価され、文藝春秋の文芸誌「文學界」10月号に「巨人と玩具」、12月号に「裸の王様」を発表した。「新日本文学」は左翼系文学団体の新日本文学会の機関誌である。開高は寿屋の「洋酒天国」の編集をしていて、1956年11月に大阪から東京へ出てきたばかり。「パニック」は以前から交友があった文芸評論家佐々木基一に託したら「新日本文学」に掲載されたのである。

 「文學界」編集長が注目し、続けて短編を依頼され芥川賞候補にもなった。同期の有力候補には大江健三郎死者の奢り」があり、東大の学生作家大江が注目されたが、結局開高が受賞した。大江健三郎も次回(58年7月)に「飼育」で芥川賞を受賞する。1956年1月には石原慎太郎太陽の季節」が芥川賞を受賞していた。芥川賞が社会的に注目されるのは、その頃からである。1956年7月発表の「経済白書」は、「もはや戦後ではない」と記述して流行語になった。時代の変化に合わせたかのように、文学界に新しい世代が続々と登場したのである。

 今の若い人には感覚がつかめないと思うので、少し詳しく当時の事情を書いている。これらの「若い世代」はお互いにつながってもいた。1958年に岸信介内閣が国会に提出した「警察官職務執行法改正案」は女性週刊誌が「デートもできない警職法」と書き、国民的な反対運動が起こった。その時に石原慎太郎谷川俊太郎永六輔らが「若い日本の会」を結成した。彼らは「60年安保」にも反対した。参加したメンバーに開高健大江健三郎もいたが、他にも黛敏郎寺山修司江藤淳浅利慶太羽仁進武満徹などそうそうたる顔ぶれが揃っている。石原慎太郎、江藤淳、黛敏郎など後に右の論客になる人たちも、その時は「若い世代」だった。

 僕がどうして同世代じゃないのに書けるかというと、岩波新書の中村光夫日本の現代小説」を中学生で読んで文壇的知識を得たからだ。今では2年か3年もすれば文庫になるが、当時は文庫に入るまで時間が掛かった。70年頃に「文学青年」になったので、最新の日本小説は大江か開高、その上の三島、安部公房なんかだった。若い世代向けの小説なんてなかった時代だから、三島由紀夫潮騒」とか大江健三郎セヴンティーン」なんかを読んだのだ。そして開高健の初期短編を読んだけど、確かに新しかった。日本的な「私小説」でもなく、日本軍の横暴や革命運動の挫折を描く小説でもなかった。「組織の中の個」を描く新時代の小説だった。

 学生だった石原、大江と違って、開高健はデビュー時にすでに「会社員」だった。その経験が違いを生んだのだろう。「パニック」は120年に一度のササの開花でネズミが大繁殖したことで、人間社会が大パニックになる様を風刺している。「巨人と玩具」は製菓会社の宣伝競争、「裸の王様」は子ども向け画塾を舞台に、抑圧された子どもの魂の解放をテーマにした。未だに他の誰とも違った独自の世界だと思う。でも、はっきり言えば、ずいぶん古い感じもした。「戦後」も75年以上経つ今となっては、「戦後12年」で書かれた短編群は認識の枠組がずいぶん昔風なのだ。

 「巨人と玩具」は1958年に大映で映画化された。増村保造監督によるスピーディな演出は今見ても面白く、当時ベストテン10位になった。映画では「ワールド製菓」のキャラメル販売戦略が興味深く描かれていて、僕は映画で使われたコマーシャルソングを覚えているぐらいだ。ところがビックリしたことに、小説では「サムソン製菓」だった。そして映画には出て来ない時代分析や商品宣伝の仕掛けが事細かに分析される。案外観念的な小説だった。それは、いかにも「戦後小説」的な感じがする。僕が昔読んで「新しい」と思ったものが、今読むともう古びて見える。
(流亡記/歩く影たち)
 開高健の短編小説をずっと読むと、やはりヴェトナム体験で文体も変わったと思う。日本では一時「行方不明」と伝えられるぐらいの激戦に巻き込まれた。またサイゴンで秘密警察長官が裁判なしで「ベトコン」青年を銃殺するシーンも見た。解放戦線側の爆弾テロで日本の特派員が死んだところも見た。確かに人生が変わるような体験だ。そういう体験を通過して書かれた後期の短編は素晴らしい。ヴェトナムものは急逝する10年ほど前にまとめて書かれ「歩く影たち」に収められた。岩波文庫にも「兵士の報酬」「飽満の種子」「貝塚をつくる」「玉、砕ける」が収録されている。やはり、この4篇が抜きん出ていると思う。

 特に「玉、砕ける」は短編に与えられる川端康成賞を受けた傑作中の傑作。ヴェトナムではなく香港を舞台に、60年代末の中国文革時代の苦難をスケッチする。「貝塚をつくる」も釣りを描くと思わせながら、ラスト付近で転調する構成が見事に着地した名篇。これらの作品を通して、「絶望」をくぐり抜けた作家がどのように生きたかが伝わってくる。安易に時代や政治を語らず、人間の運命を見つめている。初期の短編は古くなったかと思ったけれど、後期の作品群は今もなお魂に触れる。岩波文庫にある「掌のなかの海」は没後に出た「珠玉」に入っているが、人生の奥深い凄みを描きつくした傑作。このタッチ、重くて軽くて深みがあるのが開高健の魅力だ。
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開高健のエッセイの魅力ー開高健を読む①

2021年02月20日 20時58分04秒 | 本 (日本文学)
 昨年来、開高健(1930~1989)を読み直している。読み方は正式には「かいこう・たけし」だが、大方の人は「かいこう・けん」と読んでいた。2020年は開高健の生誕90年だった。あまりにも早過ぎた急逝にビックリしてから早くも30年以上経った。今もなお開高作品は新しく文庫に入ったりする。そうすると買ってしまうのである。開高健は存命中に大体の本を読んでいたから、そんなに読まなくてもいいはずなんだけど。今回少し読み直して感じたことを記録しておきたいと思う。
 
 開高健は小説に加えて、ぼうだいなエッセイやルポを残した。早過ぎた晩年には「オーパ!」などの大評判になった海外フィッシング紀行を書いた。60年代にはヴェトナム戦争に従軍し、「ベトナム戦記」を書いた。1957年に「裸の王様」で芥川賞を取る前から、サントリー(寿屋)の宣伝部に勤めていた。その関係は以後もずっと続き、テレビでサントリーのCMに出ていたから、多くの人が開高の名前を知っていた。戦争や釣りで海外に出かける「行動派」の作家と当時は思われていたと思う。日本のヘミングウェイのように思われていたのである。

 しかし、少し小説を読めば作家が深いウツ状態を繰り返す悩みが読み取れる。本人はそれを「滅形」(めつけい)と読んでいた。(もともとは梶井基次郎の言葉だという。)開高健はその中でも、自らを奮い立たせるように社会を見てルポを書き、外国へも出掛けた。まだ日本人が自由に海外旅行が出来ない時代(外貨管理の問題から、1964年まで日本人は自由に外国へ行けなかった)に、新聞社の特派員としてイスラエルのアイヒマン裁判を傍聴し、ヴェトナム戦争に従軍した。また作家の代表団の一員として「社会主義圏」の中国やソ連にも出掛け、ポーランドでアウシュヴィッツへも行った。これほど海外を駆け回った文学者は他にいないだろう。
(「魚の水(ニョクマム)はおいしい」)
 2020年10月に「魚の水(ニョクマム)はおいしい」が河出文庫から刊行された。これは文庫オリジナルの「食と酒エッセイ厳選39篇」である。ニョクマムはヴェトナムの魚醤で、日本の「しょっつる」のような調味料だというのは、今では大体の人が知っているだろう。しかし、70年代は日本でようやく「ハンバーガー」や「ピザ」が食べられ始めた頃で、東南アジアの料理なんか知らなかった。(インドネシア料理の「インドネシア・ラヤ」という店はあったが。2008年閉店。)

 日本人の多くはヴェトナムは戦争とクーデターばかりの国と思っていただろう。しかし、ヴェトナムは中国とフランスという世界2大美食民族に支配された歴史があるから、奥深い食文化を持っている。当時は多くの人がヴェトナムへ行って戦争のルポを書いたが(もちろん開高健もたくさん書いた)、ニョクマムはフークォック島産に限るなんて話は他の人は書かなかった。フークォック島というのは、ほとんどカンボジア領にはみ出ているような島で、後に傑作短編「貝塚をつくる」に出て来る。開高健の「食レポ」は「味覚」はもちろん「嗅覚」の世界を書き綴っている。争乱のサイゴンは美しくない面も多かったが、それでも開高健が魅せられた何かがあった。

 開高健のエッセイが注目されたのは、2018年の小玉武編「開高健ベストエッセイ」(ちくま文庫)の力が大きいと思う。好評だったとみえて翌年に「葡萄酒色の夜明け (続)開高健ベストエッセイ」も出た。編者の小玉武氏はサントリー宣伝部で開高の後輩だった人で、その後もずっと関わりがあった。2017年には「評伝開高健」も書いている。「開高健ベストエッセイ」は満遍なく開高の世界が抽出されている。そうすると当たり前のことながら、開高健はヴェトナムと釣りと美食だけの作家ではないことがよく判る。

 生まれ育った大阪のこと、焼け跡時代を生き抜いた苦難の青春時代、文学への目覚めなどを読むと、開高健が戦後日本を生きた作家だということがよく判る。社会派でもあるし、文学論議も多い。今になると少し読みにくいところも多い。話題が古くなってしまったものも多い。アルジェリア問題はもちろん、ヴェトナム戦争だって知らない人も多いだろう。開高健は大江健三郎とともにサルトルに会いに行き、その前日に反右翼デモ(当時はアルジェリア独立問題で右翼のOASがテロを起こしていた)に巻き込まれてもいる。時代を感じさせるところも多い。

 続編の冒頭では、没後に見つかった若き日の手紙が収録されている。埴谷雄高中村光夫広津和郎の3人宛てで、こういう「何者でもなかった」日々をよく示している。エッセイというより「文芸評論」に近いもの、あるいは当時有名になった東京ルポなども入っている。池袋にあった「マンモス・プール」を読むと、いかにも「高度成長時代」を思い出させる。僕はそのプールを知らなかった(自宅の近くに「東京マリン」という大プールがあったから、他のプールは知らないのである。)池袋の大プールも1993年に閉鎖され、豊島清掃工場になっている。「ずばり東京」など当時人気があったルポだというが、そこには今はもう失われた東京が封印されている。

 開高健を今どう評価するかは、今後書いていく。だがエッセイなんかすぐ読めると思って取り組んだ割には、けっこう長く掛かった。今の作家の文章はもっとライトで、サクサク読み進めるなと思った。僕は小説も好きだが、「オーパ!」などの写真付釣り紀行を愛読した思い出がある。とにかく豪快で面白いのである。そういう印象があったので、久しぶりに読んだ開高健はずいぶん昔の文学者だったのかと実感した。「今日から見ると不適切な表現」がずいぶんあったのもビックリ。特にハンセン病(らい病)を「悪いもののたとえ」に使う表現に何回か出会った。まだ問題意識が全くなかった時代だったのである。
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「イマジネーションと戦争」ー「戦争と文学」を読む⑧

2021年01月25日 22時35分28秒 | 本 (日本文学)
 集英社文庫のセレクション「戦争と文学」を毎月読んできたが、今月でいよいよ終わりで、我ながらよく読んだと思う。一巻が600頁を超える長さで、持ち歩くのも重い。全20巻ある全集の中に文庫化されなかった12巻が残っているが、とても読む気にはなれない。最後は「イマジネーションと戦争」の巻で、SF・寓話・幻想文学と帯にある。他の巻よりは読みやすくて、いつもなら10日ぐらい掛かっていたのに今回は5日で終わった。しかし、逆に一番面白くなかったと思う。寓話的作品はすぐ読めるけど時代的制約が多い。
(カバー=会田誠「紐育空爆之図」1996)
 芥川龍之介桃太郎」に始まるが、文学史的、思想史的価値はあるが、今では面白くない。「桃太郎」伝説を鬼の立場からひっくり返した作品で、こういう作品があったという価値は大きいが。安部公房鉄砲屋」、筒井康隆通いの軍隊」、宮沢賢治烏の北斗七星」なども同様。早世したSF作家、伊藤計劃は初めて読んだけど、「The Indifference Engine」はなかなかよく出来た戦争小説だった。アフリカのルワンダ虐殺などを思い起こさせる少年兵の恐怖の体験を内面から描き出している。しかし、同時にこれは何のための小説なんだろうという気もしてきた。

 小松左京春の軍隊」は、多分書かれた時代(1973年)には衝撃的で面白かったのではないか。突然日本各地に謎の軍隊が出現してホンモノの戦争を始める。どこかから侵入したわけではなく、いわば異次元空間から突如出現する。合理的な説明はない。これを「平和の風景の裏に、戦争が潜んでいる」と言われても。当時の日本は戦後28年、戦争が「風化」したと言われながら、ベトナム戦争が大きく報道されていた。小松左京は「日本沈没」がSFを超えたベストセラーになった時期で、経済成長した日本は果たして正しい道を歩んでいるのかという問題意識があったのだろう。最後に掲載された小松左京のインタビューにそのことがうかがえる。
(小松左京)
 長崎で原爆小説を書いてきた青来有一スズメバチの戦闘機」は、スズメバチを戦闘機と思い込んで、一人で戦争を遂行する子どもの話。星野智幸煉獄ロック」は、近未来(?)のディストピア小説。人間は完全に管理されていて、子どもは10歳になると男女別に隔離される。10年間の「禁欲」を課せられが、20歳になると子作りが強制され、2年間の間に出産しないと「市民階級」になれない。そんな体制に反逆するカップルの苦難を描いている。筋とともに「接窟」とかの独自用語が面白い。これはセックスのこと。地名も「捕和」「大営」とか浦和、大宮みたいな名前がパラレルワールド感を出している。僕はこれが一番面白かった。
(星野智幸)
 SF系では山本弘リトルガールふたたび」が面白かった。2109年の東京都内の小学校が舞台である。日本は21世紀後半にとんでもない状態に陥った。人々がフェイクを信じるようになり、ついに「広島に原爆は落ちなかった」などという言説がネット上で支持される。政治にも進出して、やがて日本の核武装を目指す党が勝利する。その後どうなるかは直接読んで貰いたいが、最後まで風刺が効いている。この小説は「現在」に関わっていて、残念ながら古びていない。全然知らなかった作家だが、「トンデモ本」を楽しむ「と学会」初代会長だという。
 
 赤川次郎悪夢の果て」は、大学教授が敗戦直前の1945年の東京にタイムスリップする。家族構成は同じ、本人も同じ大学教授なのだが、東京はもう空襲で破壊されている。食糧難の中で息子に召集令状が来る。冒頭は現代で、主人公が教育関係の審議会に出ているが意見は何も取り入れられない。過去の教訓をないがしろにして国家主義的教育を進める日本(発表は2001年)への、ほとんどナマの批判のような小説だ。それでも心に刺さるものがある。

 非常に珍しく貴重だったのは、高橋新吉うちわ」という作品。高橋新吉(1901~1987)は、1923年に「ダダイスト新吉の詩」で一躍有名になった新進詩人だった。ヨーロッパで起こったダダイズムを日本で名乗った詩人である。その後仏教に傾倒したが、ずいぶん後まで長生きしていたのは知らなかった。入手しやすい本はないと思うし、僕も初めて読んだ。戦争中に「狂気」に駆られた男の物語で、1949年の作品。作中の人物は日米戦争開始の号外を見るが、それは自分を狂気に陥れるために作られたフェイク号外だと思い込んでいる。戦時中でも「戦争」を意識しない(できない)生があったのである。
(高橋真吉)
 他にも入っているが省略。各巻の終わりにインタビューが付いている。元の本は2011年から2012年に刊行されたが、この10年の間にインタビューされた人がずいぶん亡くなっている。列挙すれば、林京子水木しげる伊藤桂一小松左京小沢昭一大城立裕の6人である。存命なのは美輪明宏竹西寛子だけ。この10年で戦時中を肌で知っている人がどんどんいなくなってしまった。それでも本の中に残された言葉を我々が引き継いで行くことは出来る。
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「少年と犬」と「雨降る森の犬」ー馳星周の犬小説②

2021年01月12日 20時36分29秒 | 本 (日本文学)
 ノワール小説で直木賞候補に6回もノミネートされてきた馳星周(はせ・せいしゅう、1965~)は、2020年に7回目の候補作「少年と犬」でついに直木賞を受賞した。直木賞はミステリーが受賞しにくいが、今でもそれは言えるらしい。(横山秀夫伊坂幸太郎など選考に疑問を感じて、候補になることを拒否した作家までいる。)ペンネームの「馳星周」は、香港の俳優周星馳(チャウ・シンチー)の名前を逆にしたもので、やはりノワール系で受賞して欲しかったかも。

 最近では直木賞作品も文庫化まで待つことが多いが、今回は年末にまとめて馳星周の犬小説を読みたくなって買ってしまった。集英社文庫に「雨降る森の犬」(2018)という小説もあると気付いて、それも読んでしまった。結論的には「犬と少年」は確かに傑作だが、前に書いた「ソウルメイト」「陽だまりの天使たち」の方が読みやすくて感動的。「少年と犬」は「連作短編」で、一頭の犬が日本を横断して行く様が6編の短編でつながっている。「泥棒と犬」「娼婦と犬」などのように、犯罪者など裏社会を描く作品もあるから、ちょっと子ども向けには勧めにくい。

 変な言い方になるが、「少年と犬」はちょっと「ブンガク」が入っている。そこが直木賞につながってくるところだろう。「少年と犬」は東北を大津波が襲い原発事故が起こった年から10年、そして2016年に起きた熊本地震からも5年という年に是非とも読んで欲しい本である。飼い主が「多聞」(たもん)と名付けていた犬(シェパートと和種のミックス)が仙台である男とともにいる。その時点では「本名」は不明である。ICチップから「多聞」という名前が判明するのは作品の半ば過ぎである。犬はいろんな飼い主に出会って、いろんな名前を付けられる。

 飼われるたびに飼い主に幸運と癒やしを与えながら、その犬は何故か車の中では「」または「西」を向いている。初めは東北にいた犬が、次第に日本を西へとたどってゆく。その理由は何なのだろうか。「男と犬」「泥棒と犬」「夫婦と犬」「娼婦と犬」「老人と犬」と日本各地で不遇に生きる人々の暮らしに一瞬の癒やしを与えていく。しかし、飼い主は理由あって飼い続けることが出来ない。犬は山の中で食物を探しながら、西へと向かっていく。
(馳星周)
 最後の短編「犬と少年」になって、初めてすべての事情が明かされる。エンディングに向かって緊迫感が高まり、真相が判明したときには大きな感動が待っている。僕は確かに感動したけれど、でもいくら不思議な能力を発揮することが知られる犬とは言っても、この小説は不思議過ぎではないだろうか。犬小説としてはその点で疑問もあったんだけど、しかし「災害小説」という読み方も出来る。我々の心を打つのは、「」に加えて「大地震」という要素があるからだろう。

 「雨降る森の犬」は文庫本で500頁近い長編小説で、さすがに「犬小説」だけでは持たないぐらいに長く、「青春小説」という方がいいだろう。主人公は「広末雨音」という中学生で、冒頭で伯父の住む蓼科の別荘に向かうところ。父が小学生時代に死んで、その後一緒に暮らしていた祖母も亡くなった。母は若い「芸術家」と恋人と一緒にニューヨークに行ってしまった。雨音も誘われるが、何でも自分のペースで進める母を嫌っている。そこで親の残した別荘に住んで山岳写真家になっている伯父の道夫のもとで暮らすことにしたのである。

 その家には昔マリアという犬がいた。しかしマリアは死んでしまって、道夫は同じバーニーズ・マウンテン・ドッグワルテルと暮らしている。ワルテルは「犬のジャニーズ系」と言われるほどハンサムだが、「男尊女卑」の気味がある。雨音のことは自分の子分とみなして、最初は全然従わない。次第に懐いて一緒に寝たりするようになって、傷ついた雨音の心はワルテルによって癒やされていく。また隣の別荘を持っている家に、近所で噂のハンサムな高校生がいる。夏休みや連休しか来ないけれど、その「国枝正樹」という青年も親との葛藤を抱えていた。

 夏休みに道夫とワルテル、雨音と正樹は蓼科山に登る。初めは山登りなんかしたくなかった雨音だが、山と写真に魅せられた正樹とともに次第に登山の楽しさを知ってゆく。ともに親との葛藤を抱えた二人の絆はワルテルとともに深まってゆく。というような小説で、常にワルテルが傍にいる生活なんだけど、やはり小説の読みどころは「親との葛藤」がどうなっていくかだろう。しかし、犬好きの馳星周だけあって、この小説を読むことでたくさん犬のことを学ぶことが出来る。

 またこの前書いたばかりの蓼科山、その石ころだらけの頂上、雲海越しに見るパノラマ風景が重要な場所として出てくる。その暗合に驚くとともに懐かしくなった。「広末雨音」と「国枝正樹」なんて、どうも「少女漫画的命名」であるが、ワルテルが物語を救っている。二人とも貧しい暮らしではない。正樹の家は金持ち一家だから大きな別荘を持っている。「格差」「貧困」の中で困窮する子どもたちばかりではなく、この二人のように家庭環境で「精神的困窮」になっている子どももいる。金持ちに生まれるのも大変だ。「犬」と「山」はやっぱりいいなあ。
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馳星周感動の犬小説、「ソウルメイト」2部作

2021年01月05日 21時07分54秒 | 本 (日本文学)
 2021年年明け読書は馳星周(はせ・せいしゅう)の直木賞受賞作「少年と犬」にしようと思った。馳星周は新宿を舞台にチャイニーズ・マフィアなどの激しい抗争を描いた「不夜城」で衝撃的にデビューした。最初は面白いと思って何冊か読んだが、次第に飽きてしまった。ずっと読んでなかった間に、あれほどドンパチ小説を書いてたのに、いつの間にかをテーマにした作品を書いていた。「少年と犬」の前に「ソウルメイト」(2013)や「陽だまりの天使たち ソウルメイトⅡ」(2015)という小説があるので、まずそっちから。(どちらも集英社文庫。)
(「ソウルメイト」)
 どちらも短編集で、これがえらく感動的だった。まあ「ソウルメイト」、つまり「魂の伴侶」たる犬の話なんだから、感動的なのも当たり前。僕は「動物小説」というのが大好きで、シートン動物記とか、日本だったら戸川幸夫など愛読してきた。「動物」も好きだし「小説」も好きだから、合わされば最強だ。しかし、日本では最近は余りないなあと思ったら、馳星周が書いてたのか。
(「陽だまりの天使たち」)
 どの話も「犬種」が題名になっていて、その種の絵が表紙になっている。人間たちも犬たちも、普通に生きているというよりも、余命間近だったり被災したりしている。あまりに普通な日常を生きていると小説に向かないんだろう。でもシチュエーションが劇的であるだけ、犬をめぐる物語は心に沁みる。例えば、福島の原発事故避難地域に残された犬。母は津波で亡くなり,犬だけが残された。その犬が生きているらしいとネットの写真で見て、男は仕事を辞めてレスキューに参加した。人に見捨てられ野生のように生き抜いてきた犬は果たして見つけられるのだろうか。
(柴)
 人間社会にはいじめもあるし、夫婦や親子の争いもある。そんな時でも,犬は自分が属する「群れ」が平和であるように心を砕いている。犬を飼ったことがある人は判っているだろうが、家族がケンカしてると犬は必死に仲裁しようとする。時には犬を虐待して捨てる人もいる。そんな目にあった犬が保護された時、引き取ってもなかなか心を開かない。果たして人と犬の心が通じ合う日は来るのだろうか。あるいは盲導犬という犬もいる。犬は人間の仕事をすることが喜びなんだと言うけど、犬が犬である以上やっぱり遊びもしたいのだろうか。そんな多くの犬の心を代弁してくれるような小説がここには詰まっている。
(バーニーズ・マウンテン・ドッグ)
 そして犬の寿命は短いから,犬を飼っていると犬の最期を看取ることにもなる。病気になっても痛い痛い、病院に連れてってなどと訴えない。病院に行けば静かに診察されているけれど、終わったら早く帰ろうよと全身で訴える。犬種によれば,遺伝的に病気になりやすい種類があることをこの短編集で教えられた。犬が病気になって死んでゆくことは誰にも止めることは出来ない。時にはあまりにもつらそうなので「安楽死」を選ばざるを得ないことさえある。そして死んでしまってからも、もっと散歩に行ってあげれば良かった、一緒に遊んであげれば良かったとずっとずっと思い続けるのである。そんな様々な死んでしまう犬も出てくる。犬の思い出を抱えている人は、小説の中の名前ではなく自分の飼っていた犬の名前を呼びかけながら読むことだろう。
(フラット・コーテッド・レトリーバー)
 どんなときにも人間に寄り添ってくれる犬たち。そんな犬について、著者も何頭もの犬を飼ってきて、多くの人に伝えなければいけないことがある。そんな強いメッセージも背後にうかがえる。この小説は多くの子どもたちに読んで欲しいと思う。小学校高学年ぐらいから読めると思う。学校の図書館にも置いて欲しい。犬じゃなくて,猫や小鳥や金魚だっていいとは思うけれど、犬をめぐる物語ほどドラマティックなものはなかなか難しいだろう。人間にとって優しさとは何か、それを犬たちが教えてくれるのである。

 ホワイトハウスの主が代わったからといって、世界がすぐに良くなるなどという幻想は全然持っていない。しかし、バイデン大統領になれば,ホワイトハウスに犬が戻ってくる。それだけでも「世界がほんのちょっと良くなる」と僕は思う。これはジョークで書いているのではなく、完全に本気である。もしトランプ大統領が犬を飼っていたら、再選も可能だったかも知れない。愛犬家が投票するなどというのではない。そうじゃなくて、人を癒やす犬が近くにいてくれれば、あんなに多くの閣僚や補佐官をクビにしたりしないし、攻撃的なツイートを連発したりしないと思うのである。

 なんで飼わなかったのか、僕はよく知らないけれど、アメリカの富豪の家ならば大型の番犬や狩猟犬を飼っているもんじゃないだろうか。もしかしたら幼少期に犬に悪い思い出でもあるのだろうか。犬も人間を見ているから、いじめっ子タイプや気持ちが安定しない人間には懐かないものだ。子どもの頃に犬が懐いてくれなかったのではないかなどとつい憶測してしまう。
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「小説 琉球処分」(上下)ー大城立裕を読む④

2021年01月02日 22時31分37秒 | 本 (日本文学)
 2020年に亡くなった沖縄の作家、大城立裕を読むシリーズ。しばらく放っておいたけど,何とか2020年のうちにと「小説 琉球処分」上下巻を年末に読み終わった。何しろ上下巻合計で千頁を超えるので、そう簡単には終わらない。2010年に講談社文庫に入ったのを持っていたんだけど、10年間読まなかった。でも、読み始めたら案外読みやすかった。歴史的な基本用語が「本土」と違うから当初は戸惑うけど、慣れてくると次第にスピードが上がった。
(上巻)
 講談社文庫上巻の帯には、菅総理大臣の「数日前から『琉球処分』という本を読んでいるが、沖縄の歴史を私なりに理解を深めていこうとも思っている」という言葉が載っている。菅総理の読み方は「スガ」ではなくて「カン」である。2009年に成立した民主党・鳩山由紀夫首相が辞任して、菅直人内閣が成立した時期だ。普天間基地の移転先について「最低でも県外」と言っていた鳩山首相だったが、結局「辺野古移転」に転換して、社会民主党が連立から離脱した。

 その時点では絶版だったので、首相の言葉で古書が暴騰し講談社文庫で出されることになった。もともとは1959年に琉球新報に連載された著者最初の長編小説だが,長くなりすぎて完結する前に連載中止となった。芥川賞受賞後に、残りを書き足して講談社から1968年に刊行された。後にファラオ企画、ケイブンシャ文庫というところからも刊行されたが初版止まりだったという。そして2010年に講談社文庫に入った。一応今も生き残っているようで、ネットならすぐ買える。「カクテル・パーティー」の次に知られている大城作品だろう。

 文庫に入ったことは名誉だが、この本が「いずれ歴史にすぎないと見られる時代になることを、願っているが、私の存命中には無理であろうと思っている」と著者はあとがきに書いている。実際に読んでみて,僕もこの本はまだ歴史になっていないと思った。何度も刊行されたことについて、「琉球=沖縄が、日本にとって国内軍事植民地としての重要な(?)の価値をもっていて、そのなかからさまざまな意向で訴える声を、国民読者が一定量だけ持ち続けた。そしてその一定量だけに止まったということだろう」と冷静な分析をしている。
(下巻)
 一番最初に「物語の背景」という文があって、当時の琉球王国の歴史と政治制度が簡単に紹介されている。読み方として、「親方」が「うえーかた」はまだ判るが、「親雲上」が「ぺーちん」とか、里之子が「さとぬし」、筑登之が「ちくどん」とか。文中で出てくる時に,全部ルビがあるわけじゃないから、最初は戸惑うし時間もかかる。まあ本土の江戸時代でも、「家老」とか「勘定奉行」とか今とは違う政治制度の言葉があった。でもそういうのは時代劇や時代小説で何となくイメージが出来ているが、琉球王国になるとこんなにも知らないのかと思った。

 琉球王国は、清に朝貢して「王」を認められつつ、江戸時代初期に薩摩藩の侵攻を受けて服属していた。薩摩の支配は苛酷を極め、そのことが琉球王国に大きな傷を残した。その薩摩藩というものが、「廃藩置県」によって無くなってしまった。日本全土が「天皇」のもとに統一され、薩摩藩主も土地を天皇に奉還した。そんなことを聞かされても、琉球では全然判らない。江戸時代には将軍代替わりの時に慶賀使を送っていたので、同じようなものと考えていたら、1873年に国王尚泰を「琉球藩主」に封じ、薩摩藩に負っていた多額の負債も今や無くなったとされた。

 なんだか判らないうちに、突然「近代」に直面した琉球王国の苦難をこのあと延々と描くわけである。「台湾征討」がその当時の心配事だった。その後1875年に大久保利通のもとで内務大丞を務めた松田道之(1839~1882)が「琉球処分官」を命じられて沖縄に赴く。松田の残した「琉球処分」という記録がこの小説のネタ元になっている。以後、1879年の「琉球処分」で「旧藩王」が首里城を明け渡し上京を命じられて沖縄を去るところまで、長い長い政治闘争が描かれていく。
(琉球処分官、松田道之)
 全部書いても仕方ないが、琉球側には抜きがたい中華への恩顧意識があった。だから、いずれ清国が軍艦を派遣するといった噂が流れる。だが、実際にはそのような動きはなく、英仏露などとの抗争を抱えた清国にはそんな力は無いのだった。ただ、外交交渉では清は領有権を完全に放棄したとは言わず、日清戦争まで決着しなかった。日本側から、宮古・八重山を清に割譲する案も出していた。松田らはそれとは関係なく、琉球側に日本の制度への服属を求めることで一貫していた。理解しない、出来ない琉球側には、ある程度までは待ちながらも、最終的には軍事力、警察力で強行するということが決められていた。

 そのような「軍事的制圧」による強圧が、まさに現在を見ているかのようなのである。当時の政府が考えた「国防の最前線」としての「琉球王国」という判断である。しかし、武力というものを持たなかった琉球の人々は、日本の軍隊が置かれることでかえって軍事的危機が起こると心配した。その危惧は1945年に現実のものとなった。その後も「沖縄」は「国防の最前線」とされて、現代でも自衛隊が先島諸島に配備されている。大城氏が予言したように、大城氏の存命中にこの本は歴史にならなかったのである。

 この小説は、琉球処分の政治過程を細かく描き出す。暑い国に派遣され、言語も文化的習慣も異なる中でひたすら消耗する松田道之にも、なんだか同情したくなるほどだ。琉球王国の「頑固党」、つまり幕末の「攘夷派」は水戸藩の徳川斉昭みたいな頑迷な指導者がいて、現実的対策を立てられないまま「清の救援」を信じている。しかし、この小説の読みどころは、仲が良かった若者たちが次第に政治的立場を異にしていく様だろう。あるものは日本政府に仕え、別のものは清国に密航する。世界の様々なところで同じような話を見聞きした。同じような青春の悲劇が沖縄でも起こった。今も読み応え十分な大河小説だった。
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柳美里「JR上野駅公園口」を読む

2020年12月27日 22時05分04秒 | 本 (日本文学)
 柳美里(ユ・ミリ、1968~)の「JR上野駅公園口」(2014、河出文庫)が翻訳されて、全米図書賞の翻訳部門を受賞したことが大きく報道された。英語の題名は『Tokyo Ueno Station』になっている。候補になっているというニュースを聞いたときには、そんな本があったのかと驚いた。そう言えばずいぶんユ・ミリの本も読んでなかった。直後には売り切れていたが、今では帯に受賞とうたった文庫本が本屋に並んでいる。さっそく読んでみたので、その感想。

 柳美里はまず劇作家として知られ、1993年に最年少で岸田戯曲賞を受賞。その後、小説を書き始めて、1997年に「家族シネマ」で芥川賞を受賞した。僕も1999年の「ゴールドラッシュ」ぐらいまでは読んでいた。その後、子どもが生まれて「」4部作を書いた。「3・11」以後は東北に通ってラジオ放送を担当し、2015年には福島県南相馬市に転居し、2018年には書店を開業した。それらの話はマスコミを通して知ってたけれど、なんだか「作家」としては忘れていた感じだ。

 ということで、久しぶりに手に取って満を持して読み始めたが、そんなに長くない割には大変だった。それは「物語」ではなく、本質的には「民族誌」(エスノグラフィー)のような作品だからだ。資料も多く取り込まれていて、戦後を生き抜いた「出稼ぎ労働者」の「聞き書き」的な小説だった。だが、一人の人物ではなく多くの人の声を合わさって「小説化」されているんだと思う。

 福島県の「浜通り」、やがて原子力発電所が作られる前の時代、事実上の「国内植民地」に生まれたある男性が、ほぼ全生涯を「出稼ぎ」で暮らしてきたライフヒストリーが事細かに記録される。彼に対して祖母が述べたような「不運」の人生を歩み、最後は東京で「ホームレス」となって上野公園に住むことになる。上野駅は東北本線、上越本線の終点駅で、東日本の貧しい労働者が最初に東京に降りる駅だ。そこで「ホームレス」となるという人生最終盤の「アイロニー」(皮肉)がこの小説全体を象徴している。それは翻訳では解説があっても伝わるだろうか。
(ユ・ミリ)
 「」は昭和8年1933年)に生まれた。この主人公の名字はあるところで出てくるが、名前は最後まで書かれない。他の「ホームレス」と話すときも、自分のことは語らない。生年は現在の「上皇」(昭仁)と同じである。そして彼の長男が生まれたのは1960年2月23日で、「皇太子の長男」(今の天皇)と同じだった。彼は「浩宮」から一字取って長男を「浩一」と名付けた。

 もっと前、幼少期に「彼」は昭和天皇の戦後巡幸を見ていた。そして人生の終期になって、上野公園に住むことになると、皇族がよく博物館や美術館に来るから、そのたびごとに「山狩り」に合う。つまり警察によって、一時的に「ホームレス追放」がなされるのである。このように「彼」の人生は、「戦後天皇制」とリンクしていた。そこで「JR上野駅公園口」という小説のテーマを「天皇制」と考える人も出てくる。もっと言うと「反天皇制小説」だから日本では評価されなかったとする見方もある。だが、それはちょっと違うのかなと僕は思った。

 そういう読み方を否定するわけではないが、むしろ僕には「移民労働者」の「生活誌」のように感じた。そもそも彼の一家も福島には江戸時代後期に加賀から開拓者として移民した人々だった。加賀での信仰である「浄土真宗」を持ち続けた少数派だった。葬儀の様子も細かく記述される。真の地元民じゃないから、有名な「相馬野馬追」でも重要な役は果たせない。地元に大家族を養う産業はなく、弟妹のため、やがては妻子のため、地元を離れて働き続けた。

 そして「不運」が彼を襲うのである。しかし、「ホームレス」になったのは、書いてしまえば「孫」に迷惑をかけないようにと考えて、自ら家を捨てた。しかし、家にいたならば「3・11」で大津波と原発事故にあっていたのだから、ここでも彼の人生は「皮肉」というしかない。そういう彼の人生を描くときの「補助線」として「天皇制」が使われているが、それが最大のテーマではないように思う。アメリカでどこが評価されたのかはよく判らないが、「移民労働者」や「ホームレス」のライフヒストリーとして共感されたのではないかと思う。

 日本ではそれほど評価されなかったのは、柳美里がちょっと読まれなくなっていたのもあると思うが、端的に言えばあまり成功していないからではないか。資料的な部分が多く、小説としては「生煮え」感がある。「ホームレス」になった事情が納得しにくいし、「上野公園」にいる意味も判らない。歴史に詳しい「ホームレス」がいて、折々に「解説」が入ることにより、「彰義隊」「西郷像」の「歴史的意味づけ」が語られる。でもまあ知ってる話だし、日本人には新鮮な感じはない。

 このような「下層労働者」、もう家族に送金するだけのために生きている「移民労働者」に近いだろうが、細かなライフヒストリーを書いた小説は珍しい。小説じゃない本ではあると思うけど、読むのは大変だから、若い人にはまずはこの本を手に取って現代史を考える材料にして欲しい。小説的感興を求めるというより、日本を考えるときの基本という本じゃないかと思う。
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「アジア太平洋戦争」ー「戦争と文学」を読む⑦

2020年12月20日 22時37分24秒 | 本 (日本文学)
 毎月一冊ずつ読んできた集英社文庫の「セレクション 戦争と文学」もついに7冊目。後一冊を残すのみ。12月は「アジア太平洋戦争」だが、これは水木しげるの巻末インタビューを入れると、全部で750頁を超える一番の大冊だ。持ち歩くのも重くて大変である。しかも、読んでる短編小説が一番多い。中でも大城立裕亀甲墓」なんか、ついこの間読んだばかりだ。よっぽど飛ばそうかと思ったが、折角だから全部読むことにした。そのため予定より時間が掛かってしまった。
(カバー画=橋本関雪「曙光」)
 日本時間の1941年12月8日に、米英との戦争が始まった。今でも一応マスコミでは触れているが、僕の若い頃よりはずっと少なくなった。戦争は「真珠湾攻撃」で始まったのではなく、「マレー作戦」の方が早かった。そのこともずいぶん言ってきたのだが、一向に定着しないようだ。大日本帝国はこの戦争を「支那事変」(日中戦争)を含めて「大東亜戦争」と呼ぶとした。アメリカはこの戦争を「太平洋戦争」と呼んだが、戦争はインド洋方面にも及んでいた。歴史学界から「アジア太平洋戦争」という呼称が提案されたが、これも一般には定着したと言えない。

 長くて最初の頃に読んだものは忘れかけている。戦時中に書かれた太宰治上林暁高村光太郎の3作は「資料的価値」というべきだろう。北原武夫嘔気」はインドネシアに徴用された作家の無為な日々を描く。名前は知っていたけど初めて読んだ作家である。宇野千代の夫だった人物で、ずいぶん達者な筆力だ。何も出来ぬ無力感が印象的。

 庄野英二船幽霊」は貴重な作品だ。「タースデー・アイラン」にいた日本人がオーストラリアに抑留される。どこだと思うと、北部にある小島「木曜島」のことだった。アコヤ貝採取のため、南紀串本の漁民が戦前は大挙して出掛けていたという話は聞いたことがある。彼らが全員「捕虜」として抑留されていたとは知らなかった。演芸会を行ったり、毎月8日に「大詔奉戴日」をやってるなど、やはりという感じ。戦中にあった不思議な日本人集団の歴史である。

 火野葦平異民族」は、インパール作戦中のビルマ(ミャンマー)で「異民族統治」にあたる日本兵の様子を描いている。厳格を重んじる上官に人々は恐れを抱き従っているように見えたが…。火野葦平の戦後作品で、読みやすくて考えさせる。中山義秀テニヤンの末日」は前に読んでるけどすっかり内容を忘れてた。サイパン島近くのテニヤン島に赴いた二人の若き軍医の話で、やはりよく出来ている。やはりというのは、僕はこの作家が好きでずいぶん読んでいるから。戦前に芥川賞を受けた「厚物咲」は強烈な作品である。発表当時評判になった作品だが、今になっては戦争文学としては時間が立ちすぎた感じもした。
(中山義秀)
 全部書いてると大変なので、三浦朱門礁湖」、梅崎春生ルネタの市民兵」などは名前を挙げるだけで。負けていく日本兵を描く小説は大体パターン化していく。若い時に読んだら衝撃を受けたろうが、案外似ているのが多くて飽きてくる。そんな中で、大城立裕亀甲墓」は、沖縄の伝統的習俗と圧倒的な米軍の攻撃力の交錯する場を描き尽くしていて見事だ。

 それに対して若い時に読んで感銘を受けた吉田満戦艦大和の最期」は読みにくさが先に立った。戦艦大和から辛くも生還し、戦後は日銀監事まで務めたが1979年に56歳で亡くなった人物である。戦後になって「書き残す」ために書かれた記録なので、戦艦大和そのものを問い直す視点はない。空母も残ってなくて制空権を持たない中をただ撃沈されるだけの「特攻出撃」だった。もともと帰りの燃料を積んでなかった。これだけ読むと荘重な史劇を読む感を受けるが、今から見ると恐るべき愚挙に驚きが先に立つのである。

 文学として一番評価したいのは島尾敏雄出発は遂に訪れず」だ。島尾敏雄も若い頃に大体読んでいて、ずいぶん久しぶり。読みやすいとは言えないが、最後まで気が抜けない名作だ。奄美の加計呂麻島に配属された大学出身の若い海軍士官。ひたすら特攻訓練に明け暮れ、ついに8月13日に出撃命令が下るも、結局最後に延期される。そのまま次の日も命令がなく、15日には司令部に集まるように伝達される。彼は島の娘と恋仲になり彼女は毎日心配で見に来る。これは有名な話で、結局出撃前に「8・15」を迎え、二人は戦後になって結婚するがそこでも壮絶な話が起きる。それはともかく「極限における心の揺れ」を見事に文章化した傑作だ。
(若い頃の島尾敏雄)
 三島由紀夫英霊の声」が入っていて初めて読んだ。二・二六事件で死刑となった反乱兵と特攻で死んだ兵の霊魂が呼び下ろされる。そこで天皇(昭和天皇)の「裏切り」に痛烈かつ痛切な告発をなすという「問題作」として有名だ。「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」と「人間宣言」を批判する。解説の浅田次郎は美しい文章と評するが、僕には空疎な観念的文章としか思えなかった。本当に「二・二六」の霊魂ならば、まずは陸軍刑法に反して私兵を動かしたこと、多くの人の生命を奪ったことへの謝罪が最初にない限り信用出来ない。何も戦後になって裏切って「人間」になったのではなく、もともと天皇は人間である。こんな程度の認識では「昭和維新」なんかできない。結果的に依り代となった盲目の青年まで死んでしまった。罪深い作品だ。

 吉村昭「手首の記憶」は樺太でのソ連軍侵攻時の悲劇、蓮見圭一「夜光虫」は潜水艦に乗務していた祖父の思い出。ともに貴重な作品で、特に吉村作品は何だか最後に重大な問題が残っていたなあという感じを持った。
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「戦時下の青春」、空襲の恐怖ー「戦争と文学」を読む⑥

2020年11月21日 22時14分03秒 | 本 (日本文学)
 毎月読んでる「戦争と文学」シリーズも6回目。我ながらよく読んでると思う。残り2冊だから、何とか頑張りたい。前回の「女性たちの戦争」は、女性を描く作品が少なく巻名と中身が違っていた。今度の「戦時下の青春」も青春を描くのは数編。永井荷風勲章」とか野坂昭如火垂るの墓」などは、どう拡大解釈しても「青春」ではないだろう。もっとも戦時下を描く名作だから落とせなかったのだろう。650頁にも及ぶ本を読んで一番思ったのは「空襲の恐怖」である。
(表紙=手塚治虫「新・聊斎志異 女郎蜘蛛」
 「戦時下の青春」にふさわしいのは、吉行淳之介焔の中」、井上光晴ガダルカナル戦詩集」ぐらいかと思う。どちらも読んでいたので、先の2作と合わせて4編が既読だった。でも「焔の中」はすっかり忘れていた。これは大変よく出来た短編で、吉行淳之介の確かな筆力に舌を巻いた。一度召集されて病気で帰された大学生という設定は、ほぼ作者自身である。作家の父は早世し、美容師の母と暮らす。この母がテレビドラマにもなった吉行あぐりだが、若い頃に読んだときは知らなかった。暮らしの中に若い娘が不思議な感じで登場し、そして空襲を迎える。
(吉行淳之介)
 井上光晴ガダルカナル戦詩集」は長崎の青年たちが出征する友の壮行会に集まる話。表題の詩集は実際に戦時中に刊行されて評判になったもので、作中で登場人物が読んで感激する。この小説は戦時中の目で書かれているので、登場人物たちが何を心配し心に掛けているかが描かれる。そこが判りにくいところで、暗いムードが全編を覆っているし読みにくい。井上光晴はその後「明日」という小説を書いた。1945年8月8日の長崎を描き、映画化もされた。それを思い出すと、ここに出てくる登場人物の何人かは、8月9日の長崎にいたはずだなと今回思った。

 この巻には有名な作家がずいぶん収録されている。すでに作家として世に出ていた人は、井伏鱒二太宰治内田百閒などは自身の体験を書いたものが入っている。池波正太郎キリンと蟇(がま)」は「鬼平」などで有名な作家の現代小説で、こんな作品があったかとビックリした。証券会社員だった「キリン」が軍需工場に徴用されて、旋盤工になる。職場の先輩「」に教えられて、何とかやっていく。戦後になって思わぬところで再会するが…。「株屋」が「職工」になれるのかをテーマにしながら、「徴用」という体験を後世に伝える小説にもなっている。
(池波正太郎)
 今ではほとんど知られていない作家も収録されている。上田広指導物語」は熊谷久虎監督によって戦時中に映画化された。蒸気機関車の運転を兵士に教える機関手の話で、鉄道ファンには知られているかもしれない。その原作があったのかという感じだが、非常に素直に進行する「教育小説」で、内容はほぼ映画と同じだった。上田広は火野葦平などと並ぶ兵隊作家だったらしいが、元々は鉄道省に勤めていたと出ている。戦後も鉄道に関する小説を書いている。顔写真は見つからなかったが、戦時中に出た「指導物語」の本があった。
(「指導物語」)
 前田純敬(すみのり)の1949年の「夏草」は、芥川賞候補になったという。作家も作品も知ってる人はほとんどいないと思うけれど、鹿児島在住の14歳の少年が軍に召集されて海辺で「本土決戦」の訓練をさせられる。その間に鹿児島市は空襲され逃げ惑う。川内(せんだい)に避難するが、そこも空襲を受ける。奄美大島出身者への差別も描かれる。東京や大阪の空襲を書き残した記録は多いが、地方都市の空襲を描く小説は珍しい。これがまた恐怖に次ぐ恐怖で、都市空爆の恐ろしさをここまで描いた小説は少ないと思う。その後あまり活動しなかったようだが、非常に貴重な作品だ。2004年に亡くなったが、その年に「夏草」が刊行されている。
(「夏草」)
 結城信一という作家もほとんど知られていないだろう。1980年の「空の細道」が日本文学大賞を受賞していて、一応前の二人よりは文学史に名を残している。全3巻の全集もあるが、僕も今回「鶴の書」で初めて読んだが哀切な空襲小説だった。30過ぎた女学校の教師が不遇な女子生徒を引き取って暮らしている。辻潤と伊藤野枝みたいな例もあったけれど、今では書けない設定かもしれない。編者の浅田次郎はこの名品を埋もれさせてはならないと思って選んだと言っている。「鶴の書」の鶴の意味が判るとき、この小説は真に忘れがたくなる。
(「鶴の書」)
 一番最後にある井上靖三ノ宮炎上」も異色の青春もので、戦時中の神戸・三ノ宮にたむろする「不良女子」を描く。「不良」と言ってもカワイイもんだが、戦時中にも「不良」がいたということが新鮮。江戸川乱歩防空壕」、坂口安吾アンゴウ」は空襲を題材にした独自のミステリー。小林勝軍用露語教官」も面白かった。他にも中井英夫見知らぬ旗」、三浦哲郎乳房」、高橋和巳あの花この花」、川崎長太郎徴用行」、石川淳名月珠」、高井有一(くぬぎ)の家」、古井由吉赤牛」など多彩な作品があった。さすがに名の知られた作家はうまいもんだ。
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世界の中の大城文学ー追悼・大城立裕

2020年10月29日 22時05分55秒 | 本 (日本文学)
 作家の大城立裕(おおしろ・たつひろ)氏が10月27日に亡くなった。95歳。老衰というから「大往生」である。大城立裕は沖縄で初めて芥川賞を受賞したことで知られる。最近ちゃんと読もうと思い始めて、今までに3回書いた。今後も続けるので書かなくてもいいような気もしたが、逆に書かないと変な気もするので書くことにした。残念だが遠からずこのような日が来ることは予想していた。90歳を超えても作品を発表していた大城氏だが、「90歳を超えて妻に先立たれた男性」の平均余命はそれほど長くはないのが現実だと考えていたのである。

 今までに書いたのは、次の通り。①「焼け跡の高校教師」、②「カクテル・パーティー」、③「『レールの向こう』と『あなた』」 これではまだまだ「ちゃんと読んだ」とは言えない。だからもっと読みたいと思っているんだけど、それは「沖縄」と関係があるのは間違いない。ただ、僕が思うのは大城立裕の文学を「沖縄を描いた」という「ローカルな文学」として見てはいけないということだ。沖縄に生まれ、沖縄に住んでいたから、沖縄を描いたが、沖縄は「世界に通じている」のである。

 だからといって大城文学が「日本文学から外れている」というわけではない。大城立裕は戦前に教育を受けていて、戦後は苛酷な米軍支配下で「日本語」で「文学」を書き続けた。つまり大城立裕のアイデンティティーは「日本語」と「日本文学」にある。そのことは「焼け跡の高校教師」の最後が「国語教育から文学を消してはならない」になっていることでも判る。しかし、その「日本文学」にはその地方独自の「伝統」や「地方語」(方言)による表現も含まれている。沖縄の伝統劇や組踊の原作も書いているのである。
(新作組踊「花の幻」と「花よ、とこしえに」の上演を前にして。大城立裕は前列右から2人目。2019年6月21日、浦添市の国立劇場おきなわで。=「琉球新報」)
 2020年は1970年から半世紀。つまり「三島事件」が起こった年で、「三島由紀夫没後50年」という年にあたる。三島由紀夫は1925年1月14日生まれなのだが、実は大城立裕も1925年生まれなのである。もっとも9月19日生まれなので、日本の教育制度では一学年違うことになる。1925年生まれには、他にも丸谷才一辻邦生田中小実昌などがいる。1924年生まれには安部公房吉行淳之介吉本隆明ら。1926年生まれに井上光晴星新一山口瞳らがいる。ちなみに瀬戸内寂聴は1922年、ガルシア=マルケスチェ・ゲバラは1928年生まれである。

 大城立裕三島由紀夫が同年生まれだとは普段は誰も意識しないだろう。「本土」では、もっと早く文壇で評価された人が多い。もちろん運不運もあるし年齢が高くなって作家になる人もいるわけだが、戦後文学史で「戦後派」とか「第三の新人」などと呼ばれた人たちとほぼ同じ年齢だったのである。しかし、「米軍統治下の沖縄」という歴史的現実によって、大城立裕の作家としての評価は遅れた。そして何かローカルな問題を扱う作家のように思われてしまいがちだ。

 沖縄戦米軍統治という大激動を受けて、沖縄出身作家として初めて大きな知名度をもった大城立裕は、ある意味沖縄に関することなら何でも書いた「百科全書」的な作家だった。前近代の歴史も、沖縄戦も、戦後の沖縄の民衆生活も、今なお色濃く残る「ユタ」などの沖縄の民俗事情も、ハワイなど海外に移住した沖縄出身者も書いている。そこが他に例を見ない「巨人的作家」だと思う理由である。方法的には時代的にも、普通の意味でも「リアリズム」が基本で、そこは後の世代の又吉栄喜や目取真俊などとは違って古風な感じもする。
(大城立裕追悼コーナーが作られたジュンク堂那覇店=沖縄タイムス)
 だが沖縄戦を描いた「夏草」(新潮文庫「日本文学100年の名作」第8巻)を読むと、今まで読んだことがないような生命力あふれた「戦争文学」に驚くしかない。芥川賞受賞作「カクテル・パーティー」を読むと、単に米軍統治下の現実を描くに止まらず、日本の加害責任や米軍の性暴力などを扱っている。60年代半ばだったことを考えれば、驚くべき先見性だったと思う。しかも、その「性暴力」の被害者のその後を「戯曲版 カクテル・パーティー」で取り上げ、さらに米国の原爆投下を取り上げた。これらの視点は世界的に見ても「現代文学」だと思う。幾重にも積み重なった重層的な差別に投げ込まれている世界の多くの人々にとって、必ず意味を持つものだと思う。
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「女性たち(+子ども・マイノリティ)の戦争」ー「戦争と文学」を読む⑤

2020年10月23日 22時37分52秒 | 本 (日本文学)
 集英社文庫の「セレクション 戦争と文学」を毎月読むシリーズ。10月はメモリアルな日付がないので、、第4巻の「女性たちの戦争」を読んだ。しかし、この題名は正確ではない。650頁もある中で、「女性」を扱った作品は半分もない。後の半分以上は「子ども」と「捕虜」を描いている。もっとも「捕虜」と言っても、中国人労働者朝鮮人労働者である。子どもたちの中にもハンセン病療養所を舞台にした作品がある。つまりこの巻は単に「銃後」というだけでなく、マイノリティから見た戦時下の日本という視点で編まれている。そこが貴重だ。
(表紙=北川民次「鉛の兵隊(銃後の少女)」)
 最初に戦時下に書かれた3作。大原富枝祝出征」、長谷川時雨時代の娘」、中本たか子帰った人」である。いずれもこの本に入ってなければ読まなかった作品だろう。もちろん軍部批判のようなことは書けないわけだが、それ以上に「女性作家なりに時局に協力したい」という動機が読み取れる。中で中本たか子帰った人」を見てみる。全然名前を知らなかったが、下関出身のプロレタリア文学者で蔵原惟人の妻だった。

 女はかつて銀座を闊歩した慶応ボーイに憧れ、なんとなく婚約したような思いで出征した男を待ち続ける。その間に友人がどんどん結婚するので、複雑な焦りを持ち続けた。男はついに6年ぶりに帰還したが、会ってみると感じが違っている。日焼けして無口になり、女を戦車部隊の同僚の家に連れて行く。それは亀戸の貧民窟にあり、今まで足を踏み入れたこともない場所だ。そして都市文明に幻滅し、田舎に戻って農業をするという。

 「幻滅」も感じながらも、女は彼に付いていこうと決心を固めるまでを描いている。スラスラ読めるんだけど、これはタテマエで作られた作品だろう。そもそも「ノモンハンの戦車部隊の生き残り」が帰還するなんてなかったと思う。主人公の気持ちもウソっぽいし、「帰った人」が健康すぎて現実性に乏しい。でも、こういう設定が女性に求められたという意味を読み取れる。
(中本たか子)
 戦後に書かれた作品には、戦地を描けない分迫力が乏しい。ただ一つ瀬戸内晴美女子大生・曲愛玲」だけは占領下の北京を舞台にしている。もっともこの作品はセクシャリティを扱った作品と言うべきかと思う。上田芳江焔の女」は遊郭の女、吉野せい鉛の旅」は召集された息子に会いに行く親、藤原てい襁褓」(おむつ)は引き揚げ船内の苛酷な状況を描いている。

 でも小説としては、戦時中よりも戦後を描く方が面白いと思った。田辺聖子文明開化」は敗戦後の大阪を舞台に圧倒的な面白さ。価値が転換していく様を軽妙に描いているが、古い価値も残っている。河野多恵子鉄の女」は初婚の夫が戦死し、後に再婚した女性の「靖国神社体験」を扱う。こういう小説があったんだという感じ。大庭みな子むかし女がいた」、石牟礼道子木霊」はテーマをリアリズムではなく描く。結局「銃後の女たち」は短編小説では難しいのか。長編では、僕は遠藤周作女の一生 2部サチ子の場合」が忘れがたい。

 それよりも、子どもの章に入って高橋揆一郎ぽぷらと軍神」には驚いた。著者は「伸予」という小説で70年代に芥川賞を獲得した作家。僕も読んだことがなかったが北海道の炭鉱地帯を描く作品が多いという。「ぽぷらと軍神」は「文学界」新人賞を得た出世作で、かつて読んだことがない恐るべき体罰小説である。小学校に軍人上がりの教師がやってきて、恐怖支配を敷く。「ばんじゃあ」と呼ばれる加藤という教師は、何でも「盤石」という。帝国は盤石であるとか言い過ぎて、子どもたちがあだ名を付けた。絶対になりたくなかった「ばんじゃあ」が担任になり、さらに級長にもなってしまった主人公の恐るべき体験の数々。この小説が今回の一番の収穫だったが、恐るべき小説があったものだ。トラウマになるから映像化不能だろう。
(高橋揆一郎)
 竹西寛子兵隊宿」は川端賞受賞の名短編で、少年と馬の結びつきが感動的。一ノ瀬綾黄の花」は学童疎開だが、集団ではなく縁故疎開を扱う。冬敏之は知る人ぞ知るハンセン病作家で、「その年の夏」は戦時中の療養所を舞台に少年の心を描く。非常に貴重な作品で多くの人に触れる機会になって良かった。三木卓」(ひわ)は芥川賞受賞作の傑作で、満州と思われるソ連軍支配地区に残された一家の冬を描く。あまりにも厳しい環境を生き抜く苦労が心に残る。僕は三木卓が昔から好きなんだけど、改めて読み直したくなった。
(三木卓)
 向田邦子司修小沢信男寺山修司などの知らなかった作品も収録。それより第4部の阿部牧郎見よ落下傘」に驚いた。これは秋田県大館市に疎開していた少年の話。父親は同和鉱業に勤務している。そしてある日大きな事件が起きる。鹿島建設の中国人労働者が暴動を起こしたというのだ。つまり「花岡事件」を少年の目で描いているのである。こんな小説があったのか。そして最後に鄭承博(1923~2001)の「裸の捕虜」にも驚いた。名前を知らなかった在日コリアン作家で、戦時中の徴用工を主人公にしているのである。
(鄭承博)
 主人公は軍需工場に徴用されているが、配給の食糧が乏しくなって「買い出し専門」を会社から依頼される。元気な青年が内地にいるので変に思われるが、朝鮮出身だから徴兵令の対象じゃないのである。ヤミの買い出しは違法行為だから、注意深さが必要だが主人公がうまく立ち回って食料を集めてくる。ところがサンマの塩漬けを運んでいたときに、別件捜査中らしき警官に呼び止められる。警察で軍需工場用だと弁明するが、会社に問い合わせると知らないと言われる。(だから朝鮮人徴用工を買い出し要員にしていたのである。)

 警察を出た後はバカらしくなって、奈良の老農家に住み着いたりしていたが、戻ると逮捕される。徴用逃れの脱走とみなされたのだ。そしてどこかへ送られる。そこは長野県のダム工事現場だった。そこで鍛冶職人として働かされる。そこには中国人捕虜がいた。「八路軍」の捕虜だという。そういうケースは現代史では知っているが、小説では初めて読んだ。こんな話が書かれていたのか。これで読む限り、「女性」をテーマにするよりも、「マイノリティ」を扱う方が深い小説が多い。また「内地」より「外地」、「大人」より「子ども」を描く方が興味深くなると思った。

 今まで全く知らなかった世界もあったが、主題として「女性たちの戦争」という意味では「慰安婦」も出て来ないのが特徴。「日中戦争」の巻に田村泰次郎「蝗」があった。この巻は「銃後」に絞っている。「銃後」では、今まで「家制度」に縛られていた女たちが戦時下では「挺身隊」や「国防婦人会」に出ていくことになる。「旧弊」な老婦人は、良家の子女は外で働くものではないと思っている。「戦争協力」を理由に「家」を出る若い女たちを女性作家が「進歩」ととらえる。そんな構図の小説がかなりある。考えておかなければいけない「社会制度の罠」だろう。
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「レールの向こう」と「あなた」ー大城立裕を読む③

2020年10月13日 20時20分03秒 | 本 (日本文学)
 現代沖縄を代表する作家大城立裕が齢90歳を超えてまだ健在なので、少しずつ読んでみるシリーズ3回目。今回は地元の図書館で借りた最新の2冊。「レールの向こう」は2015年に第41回川端康成賞を受賞した。川端賞は短編に贈られる賞で、2018年まで44年間にわたって存続した。大城氏は1925年9月生まれだから、なんと89歳での受賞だ。短編という性格から、これまで70代の受賞者は何人もいるが、もう90歳に近い受賞というのはすごい。
(「レールの向こう」)
 表題作は著者初めての「私小説」という。妻が脳梗塞で入院した日々を描いている。「レールの向こう」のレールとは、現在の沖縄には一つしかない鉄道である「ゆいレール」のこと。空港と首里方面を結ぶモノレールで、首里の二つ手前が「市民病院前」。そこに入院して窓からレールが見えるのである。妻のこと、二人の息子のことなどが病状とともに語られていくが、途中で別の知人の話に飛ぶ。毎回のように沖縄の文学賞に船をテーマにした作品を送っていたが、訃報が届き追悼文を求められる。書く余裕がない中で、何かと思い出してゆく。

 続く「病棟の窓」では今度は自分が転倒して入院する。一体どうなるのかと思うが、それでも頭がしっかりしていて小説化出来るんだからすごい。どっちも「私小説」でありながら、現代沖縄の生活がやはり反映されている名篇。全部私小説かと思ったら、残りは現実をベースにしながらも、フィクションになっている。「エントゥリアム」はハワイで苦労した親戚を訪ねる。題名は花のアンスリウムのこと。「天女の幽霊」はユタ(沖縄の民間霊媒師)が生きている沖縄の民俗を描いている。開発にあたって「ユタ」のお告げを悪用することもあるのか。沖縄(本島)を理解するには実に面白い短編だった。他に「まだか」「四十九日のアカバナー」収録。
(「あなた」)
 次の「あなた」(2018年)になると、3年経って妻は亡くなった。亡妻の追憶だけで成り立った私小説である。「亡妻記」というのは日本文学では少ない。これからは増えてくるかもしれないが、単純に年長の夫から先に死ぬというのが多くの男性作家に起きることだ。その後に残された妻や娘が、亡くなった作家の回想記を書くというのが普通のパターンである。さて大城立裕の場合、もちろん米軍統治下に結婚し子どもも生まれて、大城は公務員と作家の二足のわらじで活躍した。支えた妻の苦労を今になって推し量るわけだが、中でも若い頃に膵臓炎で福岡県久留米の病院で手術したことが妻の記憶に残り続けた。「久留米の雪」を最後まで覚えていた亡妻が哀切だ。

 90歳を完全に超えて書かれた今度の作品は、もう回想エッセイみたいな文章ばかりである。「辺野古遠望」は半世紀近く前に兄とドライブして辺野古周辺に迷い込んだ話。そこに建設会社を営む兄や甥の(基地の仕事をどう請けるかなどの)苦労が折々に語られる。「B組会始末」「消息たち」は自分の学校時代の友人を振り返る。B組会は沖縄県立二中、「消息」は上海にあった東亜同文書院の同窓生の話。著者が余裕がない暮らしの中、東亜同文書院に行ったのは沖縄県の援助制度があったからだ。その結果、中国で召集されたため、中国戦線は知ってるけど沖縄戦は経験しなかった。知人が沖縄を超えて全国にいるのも、そこへ進学したから。

 「拈華微笑」(ねんげみしょう)は仏教用語で一発変換できた。「以心伝心」みたいな意味だという。不可思議な父の追憶である。父は母を置き去りにして、首里で女性と暮らしていた。子どもたちは「おばさん」と呼んでいたが、父は「おばさん」にも見放されてしまう。それなりの仕事をしているのに、節約生活が出来ずに苦労が絶えない。そんな父の思い出を語っていく。「御嶽(うたき)の少年」は子ども時代に夏休みに村の祖母宅で過ごした日々の思い出。いずれも好短編で読みやすいけれど、さすがに年齢的にもピークを過ぎている感は否めない。

 大城立裕を読んでいるのは、沖縄を理解するためという目的が大きい。だがそれだけなら歴史や基地問題などを読む方がいいかもしれない。今回紹介した2冊は、沖縄を理解するという意味は大きくない。大城立裕を読んでいる人にしか意味がないとは思うが、日本語で創作を行う作家の最長老の一人の晩年の仕事に触れたかった。それでも前近代から現在まで、沖縄から日本、ハワイまで、身辺雑記を中心にしながらも、やはり広がりがある。沖縄独特の民俗習慣も出てくる。「本土」とはやはり相当異なった暮らしがある。今後も時々続ける予定。
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「ピストルズ」、宿命のラビリンスー阿部和重を読む⑤

2020年10月11日 20時54分33秒 | 本 (日本文学)
 阿部和重の「ピストルズ」(2010)は、大傑作「シンセミア」(2003)に続く「神町トリロジー」の第2作である。山形県東根市神町(じんまち)は著者の故郷でもあるが、阿部和重ワールドでは独特の歴史が刻まれている。戦前に海軍基地があったため空襲で大被害を受け、戦後に米軍が駐留した。その頃も町を分断する自警団が生まれたが、最近では2000年に大洪水が襲い町は大混乱に陥り一晩に10名が死亡することになった。(それを書いたのが「シンセミア」。)

 それから5年、2005年の神町では再び不穏な情勢が生じていく。しかし、この上下2冊の大長編の「語りの構造」はなかなか複雑だ。神町東方(現在は陸上自衛隊駐屯地の近く)に若木山(おさなぎやま)という丘のような低山があり、そこに古くから若木神社があった。それは以前から神町ものには出ているのだが、調べてみると実在する神社である。戦時中に山に防空壕がたくさん作られたのも事実。その神社の麓には神社とともに1200年も続いてきた「菖蒲(あやめ)一族」が存在した。ハーブやキノコの幻覚効果を利用して人々の心を支配し続けてきたのだ。

 その効能は著しく、戦後の米軍も偶然にその効果を知ることになった。米軍の心理作戦を研究する部門では、日本の「アヤメ・メソッド」に注目し続けている。テロを未然に防いだり、今も知られざる活躍をしているのである。菖蒲一族は若木山麓で果樹園を営みながら、同時に日本中から悩める人が集まってきた。今は「ヒーリングサロン・アヤメ」として開業もしている。60年代、70年代には一種のコミューンのように多くの若者が共同生活をしていた。

 菖蒲一族は一子相伝で秘術を伝承してきたが、当代の当主菖蒲水樹(あやめ・みずき)はその父から子孫をもうける呪術を掛けられ、子を産んでくれる女性を求め続ける。その結果、いくつもの悲劇を生みながら、母の違う4人の女子が生まれることになった。上から、そらみあおばあいこみずきである。さらにあいこの異父兄カイトもいるが、母親はいずれもいない。これまで代々男子が継承してきた菖蒲家の秘事だが、父は4人目の女子が生まれたのを見て当主の名「みずき」を娘に与えて女子につがせることにした。

 そんな知られざるコミューンがあったというのである。文中で自ら触れているように、これは半村良産霊山秘録」(むすびのやまひろく)みたいである。1200年も続いているというのは史料では裏付けられないと中でも語られている。というか、これまで普通の小説のように、主人公が客観的に叙述したかのように書いているが実はそこがそもそも違っている。2000年に起きた町の悲劇を食い止められなかった書店主がいた。石川という店主は神町の歴史を調べていて、過去に起こった忌まわしい事件も知っていた。自警団など作らない方がいいと主張したのに商店会では受け入れられなかった。以後5年、ほとんどうつけ者として過ごしてきたのだった。
(若木神社=おさなぎじんじゃ)
 しかし神町に小説家が住んでいるという。それは菖蒲家の次女、菖蒲あおば(ペンネーム「三月」)がジュニア小説家として何冊か書いているというのだ。全く知らなかったので、訪ねてみる。菖蒲家は地元でもほとんど知られていなかったのである。(そして実は石川書店主の娘は「グランド・フィナーレ」に出てきていた。)菖蒲家の4女みずきと石川の娘は同級生でもあった。しかし娘は彼女の記憶がほとんどないという。そんな事情をもっと詳しく知りたいと思い、石川はあおばを定期的に訪ねて話を聞くことにする。そのインタビュー記録がこの本の大部分を占めている。

 この構造は小説としては異例というべきだ。ほぼすべてが菖蒲あおばと石川の語りで構成されている。あおばは一族の秘密を全て明かすというのだが、最後には秘術を使って忘れて貰うというのだ。世に知らしめてはいけない部分もあるということで。そこで石川は話を聞いたたびに自分のパソコンに記録を打ち込んでいく。それがこの本ということになる。元々がフィクションであるわけだが、それにしても「一家の歴史」として語られたものを、さらに第三者が記録する。話が面白いから一気に読んでしまうが、すごく複雑な迷宮構造になっている。
若木山防空壕)
 上巻は父が母の違う4人の娘をつくるいきさつを語っていく。なかなか進まないので、ちょっとイライラしないでもない。ところが、下巻になると隠岐の島における「みずきの修行」がすさまじい。その修行を何とか生き延びた結果、マジカルな力を強めたみずきは全能感に浸されて行く。そこで語られるのが「グランド・フィナーレ」の真相というか、裏で起こっていたことである。町に起きた様々な危機に際して、菖蒲一族がスピリチュアルな戦いを続けてきたという「もう一つの歴史」が今明かされていく。しかし、2005年の事件はみずきの手に余り、結局は大きな悲劇を神町にも菖蒲一族にももたらしてしまった。

 というようなことをいくら書いても、この小説の奥底には届かない。最後の最後まで気が抜けない小説で、今書いたことも「表面的な読み」に過ぎず、いくつもの奥の奥があるかもしれない。「シンセミア」も意味が判らなかったが(作中で説明なし)、今度の「ピストルズ」も意味が判らない。二挺拳銃みたいな題名だと思っていたら、これは「雌しべ」(Pistil)の複数形ということだ。雌しべの香りが虫を引き寄せるように、若木山の薬用植物や毒キノコを使って独自の秘術世界を作り上げた一族。最後に生まれた4人姉妹が「雌しべ」なのか。

 今まで人工的なドラッグによる幻覚体験は阿部作品によく出てきたが、今回は植物由来の幻覚、アメリカ先住民などにあるようなものばかり。それを文章で再現してゆく手腕は見事なもので、ほとんど読むものも不可思議な感覚に浸されていく。占領下に起きた事件にも菖蒲一族が関わり、60年代末からは一種のコミューンとなった。戦後史の裏に、長く続く菖蒲一族の存在があって、それは米軍も監視している。そんな破天荒なイマジネーションが羽ばたく破格な容量を持った小説だ。もっとも僕は「シンセミア」の方が面白かったと思ったが、とにかく順番に読むことで現代小説の最前線を読んだ感じだ。文章は読みやすいが、内容的には油断も隙もない。
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「グランド・フィナーレ」ー阿部和重を読む④

2020年10月10日 22時43分58秒 | 本 (日本文学)
 阿部和重を書いても読まれてないけれど、相変わらず読んでいる。続けて全部は読めないので断続的に。次回に谷崎潤一郎賞を受けた「ピストルズ」を書くが、その前に芥川賞受賞作グランド・フィナーレ」を先に。大長編「シンセミア」が2003年に出た後、2004年暮れに「グランド・フィナーレ」が発表された。2005年の単行本には「馬小屋の乙女」「新宿 ヨドバシカメラ」「20世紀」の三つの短編も収録されている。「新宿 ヨドバシカメラ」を除くと、どれも山形県東根市の神町(じんまち)に何らかの形で関わった作品になっている。

 「グランド・フィナーレ」はその後、2005年1月に芥川賞を受賞した。同時に候補となったのは、山崎ナオコーラ人のセックスを笑うな」、白岩玄野ブタ。をプロデュース」、中島たい子漢方小説」などで、すでに「シンセミア」を書いていた阿部和重は貫禄で受賞した感じだ。もっとも選評を見ると、村上龍が「中途半端な小説」と呼んでいる。石原慎太郎や古井由吉が全然評価しなかったのも、そんなところが影響したのかと思う。

 実は僕も読んだときは同じように思って、これはスルーしてもいいかなと思った。しかし次の大長編、「神町トリロジー」の第2作「ピストルズ」を読んだら、後半になって「グランド・フィナーレ」の中途半端感が全部解明されるのである。実はこういうことだったのかととても驚いた。そういう風に驚くためには、やはり順番に読むしかない。芥川賞受賞作だからとこれだけ読んだ人もいると思うが、そうするとストーカーや幼児性愛やドラッグの話が気持ち悪くて、その後読まない人もいるんじゃないか。頑張って「ピストルズ」まで読まないと世界の謎は明かされない。

 「わたし」(本名はなかなか明かされない)は離婚して故郷の神町に帰っている。ほとんど腑抜けのように生きているが、それも最愛のわが娘に会えなくなってしまったからだ。自分が悪いことは理解している。2001年のクリスマスを前に、酔っ払った「わたし」は妻に「本性」を知られてしまった。娘の裸の映像を秘密に撮りためていたのである。教育映画の製作をしていた「わたし」は、仕事で出会った幼女たちも巧みに誘って写真を撮っていたのである。趣味だけでなく、秘かに横流しもしていた。全てがバレて娘には会ってはならないとされて絶縁された。

 しかし、どうしても会いたいと誕生日のプレゼントを持って、家の周りをうろつきながらストーキングするのが前半の話。設定は頭では理解出来るし、似たようなことを自分が絶対にしないとは言えないかもしれないが、やっぱり気色悪い。かつての知り合いに代わりに渡して貰うのが精一杯。仲間たちも六本木あたりでドラッグをやってる怪しい連中だ。彼らとの交友がやがて神町に大事件を引き起こすのだが、それは「ピストルズ」で描かれる2005年夏の話。

 やむなく山形へ帰って、もうほとんど客のいない実家の文房具屋を時々手伝って生きていく。そんな「わたし」に小学校の教員になっている昔の友人がある頼みを持ってくる。児童会で行う演劇公演の演出を手伝って欲しいというのである。過去のいきさつは知られていないし、何しろ「映画会社に勤めていた本職」などと思われている。しかも二人の女児が非常に一生懸命になっているという。実はそこが「ニッポニア・ニッポン」につながる悲劇の連鎖だったことがやがて判明するのである。よりによって、幼児性愛者であることが読者には知らされている人物が小学生の催事に関わっていいのか。そして「わたし」は二人の子どもの重大な秘密を偶然知ってしまった。

 というような展開の話だが、文庫本で140頁ほどの作品ながら結構重い。そしていろいろと読者を心配させながら、公演の幕が上がるところで終わってしまう。一体、結局のところどうなっているんだという疑問が僕の心にくすぶり続ける。その中途半端感が「ピストルズ」を読むと世界が反転して見えてくる。そこまで仕組まれていたのかと大いにビックリ。しかし阿部文学にいつも出てくる「ストーカー」感覚についていけない人はいると思う。無理して付き合う必要もないだろうが、いかに気持ち悪くても「シンセミア」「ピストルズ」が現代の大傑作だという事実は間違いない。
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「女誡扇綺譚 佐藤春夫台湾小説集」を読む

2020年10月02日 22時42分08秒 | 本 (日本文学)
 中公文庫8月新刊の佐藤春夫女誡扇綺譚 佐藤春夫台湾小説集」を読んだ。阿部和重の熱に当てられた頭を冷やせるかと思ったら、こっちも案外手強かった。紀行文みたいな作品も多く、すぐ読み終わると思ったら案外時間が掛かったのだ。やはり昔の作品だし、植民地を旅するという特別な体験が難しいのである。それでも非常に興味深い作品集で、佐藤春夫が台湾を旅した1920年からちょうど100年という年(2020年)にふさわしい本だった。
(「女誡扇綺譚」)
 佐藤春夫(1892~1964)は小説家・詩人として昔はよく読まれていた。日本文学全集なんかには必ず1巻が充てられていたものだ。和歌山県新宮市の生まれで、新宮にある佐藤春夫記念館に行ったこともある。中学卒業後に上京して、慶応の予科で永井荷風に師事した。また新宮に大きな犠牲を出した大逆事件に衝撃を受けた。都会生活に疲れて田園に転居した体験を基にした「田園の憂鬱」(1919年)で新進作家として認められたが、その作品や「美しき町」「西班牙犬の家」などの初期のロマティックな作品が僕は昔から大好きだ。
(佐藤春夫)
 それらの作品は今も文庫にあるから読まれているのだろう。1920年には注目される若手作家だったが、恋愛問題などもあって極度の神経衰弱になって同年に帰郷した。そこで台湾の高雄で歯科医をしていた旧友と出会って、台湾行を勧められたのである。そこで彼は6月から10月にかけて、対岸の福建を含めて台湾各地を訪ねる大旅行を敢行した。総督府で先住民調査をしていた人類学者森丑之助を紹介され、森がプランを作って先住民の住む地域まで訪ねた。
(安平古堡)
 まず表題作「女誡扇綺譚」(じょかいせん・きたん)だが、台湾に住む日本人記者が現地の友人と連れだって台南近くの安平を訪れた時の謎めいた体験を描いた作品である。昔は栄えた港だったが、今は寂れきった廃屋が並ぶ町。そこにある廃屋から聞こえてくる謎の女声。ホラーみたいな設定の中に、悲しい真相を探ってゆく。台湾でも人気の高い作品だということで、現地に今も残る館などを紹介するサイトもある。上の写真はオランダが1624年に作った要塞で、この地方は台湾で最初に開かれた地方なのである。この作品が一番小説っぽい構成になっている。
(日月譚)
 他には伝説や童話的な作品もあるが、量的に多いのは「旅びと」「霧社」「殖民地の旅」という紀行のような3つの作品である。本当は阿里山なども行く予定だったが、直前に台風が直撃したためには行けなかった。何とか訪れた日月譚(じつげつたん)の夢幻的なまでの美しさ。しかし、その中に先住民の悲しい現実が書き留められている。美しい風景だけではない。

 後に(1930年)に大事件が起きた霧社にも行っていた。実は一番先住民政策がうまく行っていた地帯とされていたのである。しかし、大事件の10年前の霧社も相当に危うい事態になっていた。北方のサラマオで蜂起が起きていたのである。それでも佐藤春夫は現地を訪ねた。そこでは日本統治が明らかにうまく行っていない。明文では書かれていないが、子どもたちに理解不能な天皇制教育を押しつける愚が示されている。当時の言葉として「蕃人」と書かれているが、見るものは見ている。霧社とはこういう地域だったのかという歴史の証言として価値が高い。

 一方「殖民地の旅」では現地の有力者を訪ねている。台湾では統治者の「内地人」、支配される「本島人」、先住民の「蕃人」に分裂していて、その緊張関係が佐藤春夫の旅にも見え隠れする。「殖民地の旅」は台中周辺で画家や書家を訪ねている。その中で非常な有力者(「台湾共和国」というのがあれば大統領になるだろう人」と言われている)に会う。これは実は林献堂(1881~1956)で、1921年から「台湾議会設置請願運動」の中心となった人物である。戦後は「2・28事件」の後、一時は国民党政府に協力したものの病気を理由に日本に移って死ぬまで帰国しなかった。台湾近代史上の超有名人物で、作中で主人公は丁々発止のやり取りを行っている。これも実は小説であって、主人公がタジタジとなるように描かれているのはレトリックだろう。

 文庫独自に編まれたもので、河野龍也(実践女子大学教授)の解説が詳細で役に立つ。普段は解説は後に読むべきだと思うが、この本は先に読んだ方がいいかと思う。僕は後で読んだので、なるほどそうだったのかと思うところが多かった。最近の日本では台湾スイーツなどの人気も高いが、台湾を知るためには必読の本だ。
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