
「君は『シンセミア』を読んでいるか」などとつい大きく出てしまった。ウィキペディアには大江健三郎「万延元年のフットボール」や中上健次「枯木灘」に並び称されると書かれている。だけどこれらの言葉に誘われて、「良い子の皆様」が本当に読んでしまったら、そのあまりの悪徳の町の恐ろしさに絶句してしまうかもしれない。暴力、セックス、ドラッグはもちろん、犯罪者のオンパレードで警官でさえ悪徳警官ばかりである。気が弱い人は止めとく方がいいかもしれない。
でも「シンセミア」は間違いなく傑作である。とにかく面白い。戦後史の読み直しでもある。山形県東根市に「神町」(じんまち)という地区がある。よりによって「神の町」である。ここが著者の出身地でもあるが、最初に聞いたときは創作かと思った。そういう名前の駅も出てくるが、ホントかよと思って地図を見たらJR神町駅はちゃんと実在した。この「神の町」という字面のイメージをもとにして、神町に神はいるのかとヴィジョンを膨らませてゆく。それが「神町サーガ」(長編としては「神町トリロジー」)と呼ばれる大シリーズに結実した。

東根と言えば「さくらんぼ東根」として有名で、僕も昔ドライブして銀山温泉へ行ったときに通り過ぎたことがある。もちろん小説は現実の東根ではない。ただ、戦時中に海軍航空隊の基地があり、戦後はそこに米軍が進駐したことは大前提の事実である。米軍撤退後は陸上自衛隊の基地となり、飛行練習場だった場所に山形空港が作られている。米軍がいた頃は風紀が乱れ、売春施設が建ち並んでいたと小説には出ているが、それがどこまで現実なのかは僕は知らない。だが、当時あちこちの米軍基地周辺で起こったことが、やはり神町にもあったのだろう。
戦前からパン屋を開いていた田宮仁は戦時中に店を閉じることになった。戦後は米軍に雇われて働きながら、米軍との人脈が出来て神町に「パンの田宮」を再建した。地元のヤクザ麻生興業の麻生繁蔵も米軍人脈を通して勢力を伸ばし、裏で麻生と田宮が結託して神町を支配してきた。二代目の田宮明と麻生繁芳も同学年で親しくして、裏支配は継続されてきた。しかし裏支配にほころびが生じ始めていく。21世紀目前の2000年の夏、神町には謎の事件が相次ぎ、かつてない大洪水にも見舞われた。かくしてカタストロフィが訪れる。

しかし、こんな「シンセミア」の要約は不可能だ。筋が入り組んでいるだけでなく、一人一人の設定が半端なくぶっ飛んでいる。田宮家3代目田宮博徳の立ち位置は特に複雑で、彼は家庭がうまくいかず知人たちの「盗撮組織」に加わる。麻生、田宮と組んできた悪徳建設業者笠谷建設の笠谷宗太は市議として産廃処分場建設を推進しているが、反対運動も起こっている。反対運動の中心だった高校教師が謎の自殺を遂げるが、その理由は何か。
田宮博徳と高校で同級生だったスピード狂、相沢光一はその夏の初め謎の事故を起こす。その事故場面のビデオが存在するという噂が町に流れる。どうも「盗撮組織」が関係しているのかもしれない。博徳は同じく同級生で警官になって戻ってきた中山正に相談する。この中山巡査はまさか警官になるとは思えなかった人物で、実際「少女性愛者」を自覚し、合法的に町の少女たちを観察できると思って警官になったというとんでもない人物である。そして冒頭で謎の他殺事件が起きるが、その犯人も目的も明かされない。こうして事故や自殺が続く町で、ロリコン警官や盗撮集団が暗躍して、長く続いた神町の裏支配にひびが入っていくのである。

20世紀の小説では、作家が神のように何でも知っているのはおかしいとされてきた。しかし、「シンセミア」では作家が自在に登場人物に入り込む。登場人物が阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」を読んでる場面も出てきて、阿部和重を名乗る人物からのメールも出てくる。描写は逸脱に次ぐ逸脱で、神町に起こる様々な出来事が複合的に語られる。人物一覧や相関図がないと判らなくなる(付いている)。この犯罪描写は広義のミステリーとも言える。
大江健三郎の「四国の森」や中上健次の「紀州の路地」を思い起こすのも間違いとは思わないけど、むしろジェイムズ・エルロイの「暗黒のL.A.4部作」に近いのではないだろうか。日本で言うならばヤン・ソギル(梁石日)の「血と骨」のように、触れれば血が出るほどの熱さを持っている。そして「シンセミア」(Sinsemilla)の意味。これはマリファナ栽培で「種なし」を意味するという。大麻の受粉を防ぐことで、無種子の大麻になり効果が強烈になるという。一種の戦後日本の空疎な姿の象徴、あるいは「三代目の没落」を意味するか。
長いけど一気読み必至の面白さ。しかし、満腹しすぎてトリロジー(三部作)を読み進めるのはすぐには無理。ちょっと時間をおいて、さらに「阿部和重を読む」シリーズを続けるつもり。