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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

君は「シンセミア」を読んでいるかー阿部和重を読む③

2020年09月27日 22時52分53秒 | 本 (日本文学)
 阿部和重を読むシリーズは3回で一端休止である。初期作品を読んでいたのは9月中旬のことで、もうスルーしちゃおうかと思っていた。しかし、大長編「シンセミア」まで進んだところ、噂にたがわぬ大傑作だったことに驚いた。もともとは1999年から連載が始まり、2003年に刊行された。毎日出版文化賞や伊藤整賞を受賞し、21世紀の傑作と評判になった。2006年に朝日文庫に全4巻で収録された。僕の持っているのはその文庫版だが、あまりの大長編なので読まないままになっていた。(現在は講談社文庫から上下2巻で刊行されている。)
(「シンセミアⅠ」)
 「君は『シンセミア』を読んでいるか」などとつい大きく出てしまった。ウィキペディアには大江健三郎万延元年のフットボール」や中上健次枯木灘」に並び称されると書かれている。だけどこれらの言葉に誘われて、「良い子の皆様」が本当に読んでしまったら、そのあまりの悪徳の町の恐ろしさに絶句してしまうかもしれない。暴力、セックス、ドラッグはもちろん、犯罪者のオンパレードで警官でさえ悪徳警官ばかりである。気が弱い人は止めとく方がいいかもしれない。

 でも「シンセミア」は間違いなく傑作である。とにかく面白い。戦後史の読み直しでもある。山形県東根市に「神町」(じんまち)という地区がある。よりによって「神の町」である。ここが著者の出身地でもあるが、最初に聞いたときは創作かと思った。そういう名前の駅も出てくるが、ホントかよと思って地図を見たらJR神町駅はちゃんと実在した。この「神の町」という字面のイメージをもとにして、神町に神はいるのかとヴィジョンを膨らませてゆく。それが「神町サーガ」(長編としては「神町トリロジー」)と呼ばれる大シリーズに結実した。
(「シンセミアⅡ」)
 東根と言えば「さくらんぼ東根」として有名で、僕も昔ドライブして銀山温泉へ行ったときに通り過ぎたことがある。もちろん小説は現実の東根ではない。ただ、戦時中に海軍航空隊の基地があり、戦後はそこに米軍が進駐したことは大前提の事実である。米軍撤退後は陸上自衛隊の基地となり、飛行練習場だった場所に山形空港が作られている。米軍がいた頃は風紀が乱れ、売春施設が建ち並んでいたと小説には出ているが、それがどこまで現実なのかは僕は知らない。だが、当時あちこちの米軍基地周辺で起こったことが、やはり神町にもあったのだろう。

 戦前からパン屋を開いていた田宮仁は戦時中に店を閉じることになった。戦後は米軍に雇われて働きながら、米軍との人脈が出来て神町に「パンの田宮」を再建した。地元のヤクザ麻生興業の麻生繁蔵も米軍人脈を通して勢力を伸ばし、裏で麻生と田宮が結託して神町を支配してきた。二代目の田宮明麻生繁芳も同学年で親しくして、裏支配は継続されてきた。しかし裏支配にほころびが生じ始めていく。21世紀目前の2000年の夏、神町には謎の事件が相次ぎ、かつてない大洪水にも見舞われた。かくしてカタストロフィが訪れる。
(「シンセミアⅢ」)
 しかし、こんな「シンセミア」の要約は不可能だ。筋が入り組んでいるだけでなく、一人一人の設定が半端なくぶっ飛んでいる。田宮家3代目田宮博徳の立ち位置は特に複雑で、彼は家庭がうまくいかず知人たちの「盗撮組織」に加わる。麻生、田宮と組んできた悪徳建設業者笠谷建設笠谷宗太は市議として産廃処分場建設を推進しているが、反対運動も起こっている。反対運動の中心だった高校教師が謎の自殺を遂げるが、その理由は何か。

 田宮博徳と高校で同級生だったスピード狂、相沢光一はその夏の初め謎の事故を起こす。その事故場面のビデオが存在するという噂が町に流れる。どうも「盗撮組織」が関係しているのかもしれない。博徳は同じく同級生で警官になって戻ってきた中山正に相談する。この中山巡査はまさか警官になるとは思えなかった人物で、実際「少女性愛者」を自覚し、合法的に町の少女たちを観察できると思って警官になったというとんでもない人物である。そして冒頭で謎の他殺事件が起きるが、その犯人も目的も明かされない。こうして事故や自殺が続く町で、ロリコン警官や盗撮集団が暗躍して、長く続いた神町の裏支配にひびが入っていくのである。
(「シンセミアⅣ」)
 20世紀の小説では、作家が神のように何でも知っているのはおかしいとされてきた。しかし、「シンセミア」では作家が自在に登場人物に入り込む。登場人物が阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」を読んでる場面も出てきて、阿部和重を名乗る人物からのメールも出てくる。描写は逸脱に次ぐ逸脱で、神町に起こる様々な出来事が複合的に語られる。人物一覧や相関図がないと判らなくなる(付いている)。この犯罪描写は広義のミステリーとも言える。

 大江健三郎の「四国の森」や中上健次の「紀州の路地」を思い起こすのも間違いとは思わないけど、むしろジェイムズ・エルロイの「暗黒のL.A.4部作」に近いのではないだろうか。日本で言うならばヤン・ソギル(梁石日)の「血と骨」のように、触れれば血が出るほどの熱さを持っている。そして「シンセミア」(Sinsemilla)の意味。これはマリファナ栽培で「種なし」を意味するという。大麻の受粉を防ぐことで、無種子の大麻になり効果が強烈になるという。一種の戦後日本の空疎な姿の象徴、あるいは「三代目の没落」を意味するか。

 長いけど一気読み必至の面白さ。しかし、満腹しすぎてトリロジー(三部作)を読み進めるのはすぐには無理。ちょっと時間をおいて、さらに「阿部和重を読む」シリーズを続けるつもり。
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「IP」と「NN」ー阿部和重を読む②

2020年09月26日 23時05分25秒 | 本 (日本文学)
 阿部和重の2回目は「IP」と「NN」。そういう名前の小説ではなくて、正確には「インディヴィジュアル・プロジェクション」(1997)と「ニッポニア・ニッポン」(2001)で、僕はそれぞれ新潮文庫で出たのを持っている。しかし今は講談社文庫に移って「IP/NN 阿部和重傑作集」として出されている。多重構成で読みづらかった初期小説が、「IP」から変わっていったと言われる。確かに時間軸が一本線になっているけれど、「企みに満ちた小説」であることは阿部和重の小説全てに共通する。ここでは順番を変えて、「ニッポニア・ニッポン」から書くことにする。
(ニッポニア・ニッポン)
 阿部和重は「神町サーガ」と呼ばれる山形県東根市神町(じんまち)を舞台にした一大シリーズで知られる。「ニッポニア・ニッポン」は神町が舞台ではないけれど、神町出身の少年が主人公になっていて「外伝」的な作品になっている。「グランド・フィナーレ」にもつながっていく作品である。ところで、まず題名が判らないと話が始まらない。

 動物(というか鳥)に関心がある人なら知ってると思うが、「ニッポニア・ニッポン」は朱鷺(トキ)の学名である。シーボルトが標本を送ったことから、学名にニッポンが付くことになった。実は日本固有種じゃなくて、中国や朝鮮半島にもいる。それは亜種ではなく遺伝子的にもほぼ同種とされている。日本のトキは1971年に能登半島で絶滅し、佐渡に残るだけになった。1981年に全5羽を捕獲したが、1955年に雄のミドリが死に日本産の繁殖は不可能になった。2003年に最後に残ったキンが死んで、日本産トキは絶滅した。
(阿部和重)
 「ニッポニア・ニッポン」はそういう時代を背景にして成立した少年犯罪小説である。「テロ小説」と呼んでもいいし、いくらでも思想的深読みを誘う小説だ。主人公鴇谷春生(とうや・はるお)は自分の名前に「鴇」(トキ)が入っていることに気付いて以来、トキに関心を持ってきた。山形県の高校に進んでいたが、中学時代に思いを寄せた同級生に対するストーカー行為がバレて退学させられる。東京に出て一人暮らしをしながら、親には大検(2005年から高卒認定試験)を目指すと言いながら、インターネットでトキの情報を漁り続ける。

 春生は中国のトキを借りだしての「トキ繁殖計画」はインチキだと考える。日本産トキが絶滅することは確実になっていた時点で、中国のトキで「代用」して喜んでいる日本の「偽善」。これを現代日本の欺瞞の象徴と考えた春生は、佐渡トキ保護センターの襲撃を計画する。日本にしか存在しない「ニッポニア・ニッポン」には、例えば「天皇制」も挙げられる。「戦後天皇制」もアメリカに寄生した「欺瞞」とも考えられる。「反中国ナショナリズム」や「ストーカー」「ネット依存症」などを予見した危険な「テロ小説」だと思う。。

 この小説には実在のウェブサイト情報が満載で、多分世界でも非常に早い「ネット世界小説」になっている。後にフランスのウエルベック地図と領土」(2010)がウィキペディア(フランス語版)を大量に引用したが、それに10年先駆けている。また「少年犯罪」小説としても、「テロ小説」としても注目だ。(2001年の「新潮」6月号発表で、米国多発テロより前である。)春生は1983年生まれ(作品中には明示されないが、「シンセミア」第1巻の関連年表に出ている)で、神戸連続殺傷事件の「少年A」や西鉄バスジャック事件の少年と同年齢である。

 阿部和重はこの小説を三島由紀夫金閣寺」や大江健三郎セヴンティーン」にインスパイアされたと言ってるらしい。しかし文庫解説の斎藤環(精神科医)は豊富なサブカル知識を披露し、むしろ音楽や漫画からの引用を証明している。「引きこもり」概念を広めた斎藤氏の解説は必読だ。特に襲撃後の春生の車に流れているラジオの音楽がクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」だと指摘している。文庫本刊行は2004年だから、もちろん映画「ボヘミアン・ラプソディ」よりずっと前である。そして草野剛のカバー装幀が「クイーン」のアルバムのパロディだと指摘した。中央のQが「@」に、上の白鳥がトキに変えられた。他にも重要な変更点があるという。
(QUEENのマーク)
 「ニッポニア・ニッポン」は2001年上半期の芥川賞にノミネートされた。しかし、池澤夏樹の支持しか得られず落選している。受賞は玄侑宗久中陰の花」、選評を見ると次点が長嶋有サイドカーに犬」で確かにまとまった名品だ。小説の危険な魅力を避けたのかもしれないが、引きこもり、ネット、ストーカーなどが新味をねらったとしかとらえられなかったのではないか。今読むと予見性に満ちた傑作だと思う。
(インディヴィジュアル・プロジェクション)
 「インディヴィジュアル・プロジェクション」に触れる余裕がなくなった。渋谷の映画館で映写技師をする男の危険な生活を描いたヒリヒリするような小説だ。かつて映画学校の卒業制作の題材選びに困って、彼と仲間たちは実家近くにあった怪しげな青年キャンプのような組織を撮り始めた。これが実は元自衛官が開いたスパイ養成機関で、彼らも危険な計画に巻き込まれてゆく。そこを抜け出して東京に潜伏しているのだが、そこにも敵の手が…。と思うと、自己が自己でないような、夢のような迷宮を彷徨うことになる。そして全体が作家の仕掛けかもしれないというラスト。しかし、まさか映写技師そのものがデジタル化でなくなってしまうとは。
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阿部和重の初期小説ー阿部和重を読む①

2020年09月25日 22時50分27秒 | 本 (日本文学)
 ちょっと前に安倍政権について何回か書いたけれど、その頃僕の頭の中にあったのはアベはアベでも阿部和重の方だった。安倍政権について考えていたのはもっと前のことで、どこも出掛けない連休まで書く時間がなかっただけ。アベにはいくつか漢字表記があるが、一番多いのは「阿部」だろう。(阿部寛とか阿部慎之助とか)僕は「安倍政権」と書いたら、印刷屋に「阿部政権」と直されてしまったこともある。作家の「アベ」といえば、今までは「安部公房」だろうが、21世紀になって急速に世界的評価を上げているのが阿部和重(1968~)である。

 阿部和重の本は文庫になるたび買っていたんだけど、読んだことがなかった。2005年に「グランド・フィナーレ」で芥川賞を受賞したときに、すでに作家歴10年を超えていて「遅すぎた受賞」と言われた。持っているんだから順番に読みたいと思っていたら、なかなかメンドーそうで放っておいたわけである。川上未映子は読んでるのに、これはまずいと思ってはいた。(ちなみに阿部和重と川上未映子は、史上初の芥川受賞作家同士の夫婦である。)8月に「百年泥」や「残り火」を読んだのをきっかけに、ここで阿部和重を読んでしまおうと思ったのである。

 まずデビュー作の「アメリカの夜」(講談社文庫)で、1994年に群像新人文学賞を受賞した。講談社の文芸雑誌「群像」は、大庭みな子三匹の蟹」や村上龍限りなく透明に近いブルー」など一発芥川賞を多く送り出した賞で、村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」も「群像」だった。しかし、そういう歴史からじゃなくて、選考委員に柄谷行人がいたから応募したらしい。冒頭は七面倒くさいブルース・リー論で、それは柄谷行人のパロディなんだそうだ。ここが面倒で読みたくなかったんだけど、そこを通り過ぎれば残り大部分は特に判りにくい訳じゃない。

 主人公は映画学校を出て、渋谷のイベントホールでアルバイトしている。これは著者の実人生通りで、日本映画学校を出た後で渋谷のシードホールで働いていた。(シードホールは西武が流行の「種」を見つけるためのファッション店で、最上階に多目的ホールがあった。どんな演劇や映画、コンサートが行われたかはウィキペディアに詳しい記録が載っている。僕も何回か行っているから阿部和重とすれ違っていたのかもしれない。)

 映画作りを企画している友人がいて、主人公は呼ばれてないのに出るつもり満々でロケ現場が大混乱に陥る。何だかよく判らないような一人称の思い込みが続いた後で、いろんな描写が渾然一体とカオスに突入する。そういう構成は阿部和重の小説に共通する。そこが判りにくい感じを与えるが、同時に新しい感じもする。「ポストモダン」の「J文学の旗手」とか「渋谷系文学」などと言われただけのことはある。若書きだなと思ったけど、読む意味はある。「アメリカの夜」というのは、もちろんトリュフォーの映画題名にもなった撮影技法のこと。

 続いて「ABC戦争」「無情の世界」は新潮文庫で読んだが、今は講談社文庫の「初期作品集」にあるようだ。どっちも「アメリカの夜」に近い作品で、別々の物語がラストのカオスに至る。「ABC戦争」はY県の不良高校生が抗争する話。後に山形県東根市と明示された物語を書き始める著者だが、この段階ではイニシャルでN国T地方の物語だった。「公爵夫人邸の午後のティー・パーティ」「ヴェロニカ・ハートの幻影」も似た感じ。特に前者は完全に二つの物語が最後にまとまる。そういう構成は村上春樹にもあるが、阿部和重の場合はクエンティン・タランティーノの初期映画、「レザボア・ドッグス」や「パルプ・フィクション」の影響ということらしい。
 
 「無情の世界」は野間新人文芸賞を受賞したが、その後のことを考えると「都市小説」的過ぎるかもしれない。表題作の他、「トライアングルズ」と「」(みなごろし)が入っている。暴力、セックス、ドラッグ、ストーカーなど異常な描写が疾走するように描かれ、いかにも世紀末の小説っぽい。今では阿部和重を全部読むぞという人以外はスルーしてもいいのかもしれない。僕は暴力描写が好きじゃないけど、才能は十分うかがえる作品群だろう。
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「9・11 変容する戦争」ー「戦争と文学」を読む④

2020年09月10日 22時05分26秒 | 本 (日本文学)
 集英社文庫の「戦争と文学」を毎月読むシリーズの4回目。9月は1931年に「満州事変」の起こった月で、文庫じゃない全20巻本には「満州の光と影」の巻もある。しかし、文庫になってないので持っていない。(満州以外でも朝鮮、台湾など「植民地」関係の巻が一つも文庫化されずに残念だ。近代日本の「侵略」にこそ向き合うべきだと思うが。)

 そこで、「9・11 変容する戦争」というまさに現代を扱う巻を読んだ。前回の「ヒロシマ・ナガサキ」は700頁もあって難渋したが、今回は550頁ほどでずいぶん短い。と思ったら、解説を読んで楠見朋彦の「零歳の詩人」という旧ユーゴスラビア内戦を扱った作品(芥川賞候補)が、文庫化にあたって著者が収録を断ったと出ていた。
(カバー=ホスロー・ハンサンザデ)
 今回の作品は全部読みやすかった。辺見庸ゆで卵」や笙野頼子姫と戦争と『庭の雀』」なんか、小説としてはかなり変なんだけど、そこは現代小説だから理解しやすいのである。日中戦争や原爆などは、今読むとどうしても「事実」を記録した読み物を求めてしまう。そのドキュメント性が読みにくさの素になる。この巻収録の小説は同時代の文脈で理解出来るから読みやすいわけである。原本が出たのは2011年で、その時点で故人だった小田実日野啓三米原万里以外の全作者が今も存命であることも読みやすさの理由になっている。

 扱われている内容は、主に2001年の「米国同時多発テロ」や2003年の「イラク戦争」を中心に、湾岸戦争や地下鉄サリン事件、パレスチナゲリラ、アフリカやアフガン内戦などと幅広い。いじめ問題にPKOを絡めた重松清ナイフ」まで入っている。リービ英雄千々にくだけて」、シリン・ネザマフィサラム」など、日本語を母語としない作家の小説もある。戦争だけでなく、「日本」も変容している。冒頭の「千々にくだけて」では、日本に暮らすエドワードが一年一度母に会うために飛行機でアメリカに向かう。ところがバンクーバーに向かうところで、テロ事件が起こってアメリカ発着の飛行機はすべて運航停止となる。心ならずも足止めされた数日間を描いている。
(リービ英雄)
 21世紀の世界を全く変えてしまった2001年の「同時多発テロ」を、アメリカ人でありながら入国できない主人公の心情を通して日本語で表現する。復讐心に燃え立つアメリカに違和感を禁じ得ないエドワードだが、家族が待つワシントンには行けない代わり日本へ向かう便は先に再開される。結局アメリカ行きは諦めて日本へ向かうが、「行く」のか「帰る」のか。アメリカで会う予定の「妹」も「義理の関係」で複雑なアイデンティティの揺らぎが細かく描写される。主人公が思う「千々にくだけて」という表現は、松尾芭蕉の俳句から来ている。しかし、テロで変わってしまった世界を絶妙に表現している。

 一方、ラストに置かれている「サラム」は、イランに生まれたシリン・ネザマフィが2006年に書いた小説で芥川賞候補になった。日本で難民申請しているアフガニスタン難民の通訳をアルバイトでやっているイラン人女子学生の話である。難民の少女は文字が書けず、母国ではタリバン政権に迫害されるハザラ人である。言語はダリ語というが、ほぼペルシャ語で通じる。そこで主人公が雇われて、弁護士とともに入管の収容所に向かう。そこで明らかになる悲惨な生い立ち、日本政府の冷たさと無理解。それらを素直にストレートに描いていく。多少日本事情に疎い感じが見え隠れするが、それも含めて「現代の戦争」の実相を明らかにしている。
(シリン・ネザマフィ)
 岡田利規三月の5日間」は、気鋭の劇作家の戯曲として当時評判になり岸田戯曲賞を受賞した。イラク戦争が始まる数日間を渋谷のラブホテルに籠もって過ごしていたカップルがいる。お互いにほぼ知らない関係で、あえてその後も連絡を取らないと決めて別れる。その二人を中心に数人の「語り」の構造が面白い。あえて「世界」から目を閉ざす人々の意識の中に、それでも「世界」が入り込む様を突きつける。しかし、この戯曲の「若者語り」が10年を経て、もう「古くなった」感じがしてしまった。この戯曲が一番時代を感じさせてしまう逆説が面白い。
(岡田利規)
 その他、「9・11」や「イラク戦争」ばかりではなく、現代世界を考えさせる作品が集められている。中にはエッセイや評論も多い。中ではパレスチナのコマンドとの交流を描く小田実(おだ・まこと)「武器よ、さらば」が感銘深い。池澤夏樹イラクの小さな橋を渡って」は当時読んでいるのだが、イラク戦争間近のイラク紀行である。この巻には「中東」のイスラム教国家を何らかの形で扱う作品が多い。「日本語」で表現された「日本文学」であっても、それは避けられない。その他、谷川俊太郎の詩「おしっこ」が面白かった。
(小田実)
 ところで、個々の作品以上に刺激されたのが、高橋敏夫の解説で紹介されるネグリ=ハートの「新しい戦争」論だった。イタリアのアントニオ・ネグリとアメリカのマイケル・ハートによる「帝国」と「マルチチュード」で展開された考えである。世界はすでに「グローバル支配権力」が支配する「帝国」になっている。そこでは「帝国内の内戦」または警察行動としての戦争しか起こらない。主権国家どうしが宣戦布告して行われる古典的な戦争はもはやないのである。

 そこでは始まりも終わりもない「戦争状態」が続くことになるし、戦闘の場所も限定されない。「新しい戦争」では日常的な戦争状態が永続的に続くことになるというのである。戦闘地域が限定されない「テロ事件」に対するに、大国の「対テロ戦争」という構図がもうずっと続いている。アメリカのアフガン戦争、イラク戦争ばかりでなく、ロシアのチェチェン中国のウィグル問題も同じ構図である。このような時代にどう立ち向かうべきか。僕にはまだ解が見えない。「9・11」や「地下鉄サリン事件」、イラクやシリアでの日本人人質事件などを思い起こして心苦しいところもあるけれど考えるべき視点がたくさん詰まった本だ。
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村上春樹「一人称単数」「猫を棄てる」を読む

2020年08月27日 23時06分46秒 | 本 (日本文学)
 村上春樹の6年ぶりの短編集「一人称単数」(文藝春秋)が出た。6年前の「女のいない男たち」はまあ書くこともないと思ったんだけど、今回は初めて父を語った「猫を棄てる」(文藝春秋)も出たので簡単に書いておきたい。一つ一つの作品を詳しく書くつもりはなく、そういう情報や評価を知りたい人は他のサイトで調べて欲しい。20世紀の頃と違って、僕も村上春樹の新刊が出たらすぐに読もうというまでの熱はなくなっている。でも、やっぱり手に取ってしまうわけだ。

 「一人称単数」は同名の書き下ろし短編と、「文學界」に2018年から2020年にかけて断続的に掲載された7つの短編で構成されている。いずれも「一人称単数」で語られた話で、一種の「奇妙な味」風の短編が多いけど、かつてなく懐古的なムードに満ちている。やはり村上春樹も「老い」の段階に入ったのだろう。だから、読む側もいろんな過去の出来事を思い出してしまって、短い作品なのに読み進まなかったりする。

 例えば「クリーム」では過去にピアノ教室で一緒だった女性からリサイタルの知らせが来て、バスで六甲山の奥の方に出掛ける。しかし、会場についても開催するムードがない。「誰かに会えない」「自分だけ除け者にされる」というのは、村上作品で繰り返されるパターンだ。ここで自分の同級生のリサイタルとか、会えなかった知り合い、自分で行き着かなかった映画館や劇場のことなどを思い出すのである。今はスマホがあるから、場所が判らない時は案内して貰える。

 「会いたい相手と会えない」「相手の連絡先をなくしてしまう」というシーンは、「ウィズ・ザ・ビートルズ」や「石のまくらに」などでも見られる。メールアドレスを知らない相手とデートすることは普通ないだろうから、21世紀になった頃からは急用とか勘違いはメールで連絡できるようになった。昔はそれが出来なかったから、悩みも大きかった。日常の中にずいぶん「実存的不安」が満ちていたのである。「石のまくらに」は同じような状況は自分になかったから、どうも今ひとつ入り込めない。しかし引用されている短歌は共感できるものだ。

 僕が一番面白いと思ったのは「ウィズ・ザ・ビートルズ」で、高校時代の男女交際を振り返りながら思わぬ深い地点に到達する。村上春樹はビートルズが好きじゃないというのに、よくビートルズが出てくる。それが「時代」かもしれない。ラジオにビートルズが掛かってない時は、ローリングストーンズの「サティスファクション」や、バーズの「ミスター・タンブリンマン」や、テンプテーションズの「マイ・ガール」や…が流れていた。これが懐かしいのである。よく判るのである。時代は数年違うけれど、ラジオには大体同じような曲が掛かっていた。

 主人公は冒頭で高校の廊下でビートルズのLPレコードを抱えた少女に出会う。そして強く惹かれたが、名前も知らず後に会うこともなかった、というエピソードが書かれている。ビートルズのレコードじゃないけれど、僕も似たような思い出がある。当時は生徒数が多く、学年が同じでも名前と顔が一致しない人がいっぱいいた。(PTA会員名簿が配布されるから、全校生徒の名前は判るけど。)しかし、村上春樹の高校では「名札」は着用していなかったのか。僕は「名札」を付けなければいけなかったから、知らない女生徒の名字も何となく判ったのである。

 「謝肉祭」はシューマンの音楽と「醜い女性」の関わりがラストで見事に転調する。非常に興味深い短編だが、「醜い」という形容がよく判らなかった。僕もずいぶん多くの人に接したから、「美人じゃない」という形容なら理解できるが「醜い」とまでいうのはどういうんだろう。うまく頭の中にイメージが浮かばないのである。多分「醜い」というのは「独特な魅力」がある顔立ちなんじゃないだろうか。「品川猿」は鮮やかな奇譚。他に表題作と「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」と「ヤクルト・スワローズ詩集」を掲載。どっちも世界中で村上春樹しか書かない文章だ。
 
 「一人称単数」はところどころ引っ掛かる点がないでもないが、ずいぶん昔のことを思い出してしまった。1970年に村上春樹は大学生だったが、僕は中学生だった。これは大きな目で見れば、20世紀中頃、日本の敗戦後に生まれたという共通性があるのかと思う。若い世代からすれば、同じようなものかもしれない。だが激動の60年代にあっては、数年の違いが大きな違いとなる。僕からすれば、二世代ぐらい上という感じがしてしまう。しかし、今まで家族を語らなかった村上春樹が初めて父について語った「猫を棄てる 父親について語るとき」を読めば、やはり同じ日本社会で年を取っていることが判る。当たり前だけど。

 この本は非常に重要な本で、村上春樹理解のために必読だが、それだけでなく「兵士と戦後」という意味で重い読後感がある。台湾の女性イラストレーター、高妍(ガオ・ イェン)の絵が素晴らしいので、是非見て欲しい。題名だけ見ると、猫好きは読まない方がいい気がするかもしれないが、読んでみればそういう話ではない。実際、昔は(というのは1950年代だが)、犬や猫を棄てるのは「よくあること」だった。犬だって放し飼いが多かったし、ペットに避妊手術をするなんて誰も思いつきもしなかった(し、思いついてもそんな手術は出来なかっただろう。)

 ここでは父の軍歴が細かく記述される。なかなか調べる気持ちにならなかった理由も明かされている。それは父が南京攻略戦に参加していたのではという思いからだ。実際はどうだったか、それは本書に当たって欲しいが、何度も召集される世代で本当に気の毒だ。僕の父の場合は、ちょうど「学徒出陣」の世代で、やはり数年違っている。そして僧侶の家の次男に生まれて、教師として生きたが毎日読経を欠かさなかった。それは恐らくは中国戦線の体験が背景にあるのだろうと著者は推測する。村上春樹の作品の多くに「日本軍」が出てくる内的必然が自らの言葉で語られている。それはすごく大切な言葉だと思った。
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「カクテル・パーティー」ー大城立裕を読む②

2020年08月18日 22時57分07秒 | 本 (日本文学)
 沖縄の作家、大城立裕(1925~)の芥川賞受賞作「カクテル・パーティー」は現在岩波現代文庫で読める。現時点で文庫で入手できるのは、先に紹介した「焼け跡の高校教師」(集英社文庫)とこれだけだと思う。何度か本になっているようだが、2011年に出た岩波現代文庫版には他では読めない「戯曲 カクテル・パーティー」が収録されていて、これが問題作なのである。

 大城立裕は90歳を超えても現役で書き続けている作家で、およそ沖縄に関するテーマなら大体書いているんじゃないかと思う。人気も知名度も沖縄以外では高いとはいえないから、文庫などにはあまり入ってないけど現代日本の重要な作家だ。この文庫には「カクテル・パーティー」の小説版、戯曲版の他に3つの小説が入っている。「亀甲墓」(かめのこうばか)、「棒兵隊」は沖縄戦、「ニライカナイの街」は米軍統治下の沖縄を描いている。

 「亀甲墓」は米軍の艦砲射撃が迫る中で、一家で大きな墓地に籠もった家族の話である。そんなところにいないで、北部の方に逃げるべきだったわけだが、画像に見るような大きな要塞のような墓なのである。しかし「鉄の暴風」と呼ばれた猛攻撃に耐えきれるもんじゃない。一家の主である老人の体験で何とかなるレベルを超えていた。しかも妻は後妻だし、娘は夫の戦死後に親が認めない男と結ばれている。そんな家族のあり方を「実験方言をもつある風土記」として描いている。方言というけど、地の文は標準語なので違和感はほとんどなかった。
(亀甲墓)
 「棒兵隊」は「郷土防衛隊」に召集された「地方人」(軍から見た一般住民を呼ぶ言葉)が「友軍」にスパイ視される中で生きていく姿を描く。「ニライカナイの街」は娘がアメリカ軍人と結ばれ子どももいる一家を描く。父と弟は闘牛に夢中で、アメリカ人のお金をあてにして強い牛を買いたい。娘は昔の男と会って、アメリカの土地を買う話を勧められる。ベトナム戦争を背景に、「アメリカ」と付き合いながら生きているエネルギッシュな民衆像を印象的に描いている。

 以上3作も興味深いのだが、情報内容としては少し古いかもしれない。今では沖縄戦で日本軍から住民がスパイ視されたという話は常識に近く衝撃性は少ない。ベトナム戦争も過去になっている。その意味では「ペリー来航110年」(1963年)を舞台にした「カクテル・パーティー」も古い。その時点では1972年に「沖縄返還」がなされるとは予測出来なかった。沖縄県の「祖国復帰」から半世紀近く経って、本土復帰運動が「正統思想」として疑われない現時点では、前半で繰り広げられる「沖縄文化論争」ももはや古びて見える。

 前半では「中国語を沖縄で学ぶ」という共通点を持つ4人が集まる。琉球政府に勤める「」、本土の新聞の記者「小川」、革命を逃れて沖縄に来た中国人弁護士「」が、共に中国を学ぶ米軍人ミラーの家を基地に訪ねるわけである。他にもミラーの知人が呼ばれていて「カクテル・パーティー」が催されるのである。ミラー夫人は「私」の娘も通う英語教室を開いていて、料理もうまく容姿も魅力的である。そんな状況で4人は沖縄文化は日本文化や中国文化とどう関わるのかと討論するのである。それは「沖縄のアイデンティティ」をめぐる論争である。

 話の途中で出席者の幼児が行方不明という情報が入る。そして帰宅すると、娘が衝撃的な事件に巻き込まれている。その「転調」が衝撃なのである。そして「ミラー」や「」のそれまで隠されていた別の像が立ち現れてくる。そこは今触れないが、ほとんど人物の会話で進行する小説なので、もともと「戯曲的」な構成になっている。「焼け跡の高校教師」を読むと、もともと劇作体験の方が早く、教員時代も高校で演劇をやっていた。本人からすると小説の「カクテル・パーティー」には書き足りないものを感じていて、戯曲版を書いたということである。
(アメリカで映画になった「カクテル・パーティー」)
 戯曲版は最初ハワイで英語版が、沖縄文学アンソロジーの中に収録されて出版された。それはハワイで上演され、アメリカで映画になったということだ。沖縄ではその映画が字幕を付けて上映されたというが、他では全然知らないだろう。戯曲では「カクテル・パーティー」が1971年に移され、プロローグ、エピローグが1995年になっている。「私」は「上原」、「娘」は「洋子」と名付けられた。洋子は高校卒業後、アメリカに留学してその地で結婚した。それが何とミラーの息子で、弁護士のベンである。スミソニアン博物館で計画された原爆展在郷軍人会が反対していて、ベンはその弁護士を担当している。

 1971年はすでに翌年の「沖縄返還」が決定している。その段階で4人の「論争」が繰り広げられるが、沖縄、アメリカ、日本、中国の「加害」と「被害」が重層的に絡み合う。それは大きな問題ではあるが、「原爆」と「真珠湾」というテーマは戦争責任そのものだ。「中国戦線での日本軍の残虐行為」と「沖縄での米軍人の性的暴力事件」は、「女性の尊厳」という問題の方が大きい。「女性の視点」からする「もう一つのカクテル・パーティー」が書かれるべきかもしれない。

 ともかく「戯曲版 カクテル・パーティー」は知られざる問題作なので、多くの人に一読を望む。著者は沖縄戦当時は上海にいて、その後日本軍に召集された。その経歴から書かれた渾身の問題作だと思う。なお、「棒兵隊」の中に焼け跡にあった首里の町を「目鼻のおちた癩病やみのように家一軒もない首里市」という表現がある。これは差別表現だと考える。少なくとも注がいる。それにしても、長らく「平和の礎」にハンセン病療養所の空襲犠牲者が刻印されなかったぐらい、沖縄の厳しい差別があったのである。また「カクテル・パーティー」の中に「小川」氏を本土の被差別出身者ではないかと考える描写があるが、全く判らない。これは差別的な描写として書かれているのではないが、全然判らない考え方なので指摘しておきたい。
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「百年泥」と「送り火」ー二つの芥川賞作品

2020年08月16日 22時36分52秒 | 本 (日本文学)
 「純文学」の新人賞としては、一応芥川龍之介賞に権威が認められている。まあ芥川賞を取ってない有名作家もいっぱいいるわけだが、それでも野間文芸新人賞三島由紀夫賞など他の新人賞は得ていることが多い。僕らは全部の小説を読んでるヒマはないから、何か賞みたいなガイドがないと新人作家が判らない。どんな作品が受賞したか、どんな作家が出てきたか、一応芥川賞受賞作ぐらいは読んでみたいと思う。大体3年ぐらいで文庫化されるから、文庫を待って読む方が多い。ちょうど158回、159回の受賞作が最近文庫に入った。

 2018年1月に発表された158回(2017年下半期)は、若竹千佐子という63歳の女性による「おらおらでひとりいぐも」(河出文庫)が話題を集めた。高齢女性の頭の中に別人格の声が聞こえてくるという語りの構造が面白い。これは今度田中裕子主演で映画化されるので、文庫も映画のカバーを掛けて宣伝している。この作品は確かに言葉の使い方が実に面白いんだけど、その老女の世界観は案外フツーだなという終わり方になった。

 それより同時受賞の石井遊佳の「百年泥」(新潮文庫)が抜群に面白いではないか。たまたま若竹千佐子と同じ文学教室に通っていたという話。著者は大阪出身で、早稲田大学を出た後に東大のインド哲学に学士入学し、博士課程後期まで進んだという人である。その後サンスクリット語研究者の夫とともにインドへ行って、チェンナイのIT企業の日本語教師をした。「百年泥」は明らかにその体験がもとになっているが、もう完全に自由すぎるぐらいに発想がどんどん飛んでゆく。解説を仏教史研究の第一人者、末木文美士が書いていて必読。

 チェンナイで100年に一度の大雨が降り続き、アダイヤール川が氾濫して「百年泥」が橋上に積み上がる。日本語の生徒が交通違反のボランティアで橋を清掃しているが、彼がどんどん不可思議なものを泥の中から発掘する。そこはもう過去の大阪とつながっているようでもあり、記憶の彼方から様々なものが呼び起こされてくる。折々に語られるインド人の世界観が現代日本人とはズレていて、そこに「おかしみ」のような「かなしみ」のようなものが漂う。主人公もいい加減ないきさつで日本語教師になるのだが、副主人公というべきデーヴァラージの人生のすごみには太刀打ちできない。

 「語り」の力で読ませていくが、マジック・リアリズムとか異文化体験などというよりも、全体がホラ話と見る方がいいかもしれないと思った。大阪とチェンナイが姉妹都市となって、招き猫とガネーシャを取り替えっこしたという所など特に笑える。ビジネスマンが空を飛んでるなんてのもすごい発想。インド社会は果たして変わりうるのかなど、作品を離れていろんなことを考えてしまう。そんなに長くないけど、最近になく面白かった。

 続いて159回(2018年7月発表)の高橋弘希の「送り火」(文春文庫)も文庫になった。続いて読んでみたが、少年時代を描くこの不穏なリアリズム作品には、ドキドキさせられた。何が起きるんだか怖いのである。必ず何かが起きるように書かれている。主人公は転勤族の父について、中学3年で青森の農村部の中学に転校したばかり。中学も浜松、東京に続き、3校目。教室の人間関係の泳ぎ方はそれなりに習熟しているつもりが、ここでは男子が6人しかいない。どうしても抜けられないし、ボスみたいな少年に従う形で副委員長を引き受けてしまう。

 親や教師には判らない子ども世界の力学があるということを、これぐらいまざまざと示す小説も珍しい。「純文学」だからこそ、本格的に怖いのである。「いじめ小説」と言っていいが、構造的に少年世界を描ききったのはすごいと思った。その分読むのがしんどいかもしれないし、自分の実体験を思い出して苦しくなる人もいるかと思う。しかし筆力は確かで、他の作品も買ってしまった。短いから一度はチャレンジしてみるべき作品。
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田中小実昌「ポロポロ」「ほのぼの路線バスの旅」他を読む

2020年08月11日 23時02分00秒 | 本 (日本文学)
 「戦争と文学」シリーズの「ヒロシマ・ナガサキ」を読む前に、田中小実昌(たなか・こみまさ、1925~2000)の本を5冊読んでいた。もともと僕は田中小実昌の本が大好きで、ずいぶん読んできた。特に1979年に出た小説「ポロポロ」(谷崎潤一郎賞)はすごい本だ。今度で3回目だけど、改めて強い印象を受けた。またエッセイも独特の趣(「コミさん節」とでも言うような)があって、時々読み直したくなる。でも読み続けると、今度はその「意味のなさ」に飽きても来る。
(「ポロポロ」)
 「意味のなさ」というと誤解されるかもしれない。それまで社会的、歴史的に「重い」本が続けて読んでいて、その「意味の重さ」にたじろぐような感じがした。そこで田中小実昌の本を読んで、「意味抜き」をしたくなったのである。意味のない文章はないわけだし、もちろん田中小実昌の文にも「意味」はある。そう思うから読む人もいるんだろうけど、中公文庫から4月に出た「ほのぼの路線バスの旅」なんか、家を出てフラッとバスに乗って西へ西へと行くだけの記録である。
(「ほのぼの路線バスの旅」)
 さすがに一回では無理で、15年掛けて九州にたどり着いた。事前に調べて行くんじゃない。ぶっつけ本番路線バスの旅と言えばテレビ番組みたいだけど、テレビだと各地の映像を見てるだけで楽しい。また事前に決められたミッションがあって、果たして終点まで着けるかなというハラハラがある。それでも解説の戌井昭人が書くように、コミさんと蛭子能収コンビのバス旅を見てみたかった気がする。文章だと地名が羅列されてるだけだから、途中で飽きてくる。その退屈感が時々味わいたくなるんだけど、映像があればもっと楽しいだろう。
(田中小実昌)
 田中小実昌の名前は、最初はミステリーの訳者として知ったと思う。それから風貌やストリップなどの本からくる「怪しげ感」のある人と認知した。当時は野坂昭如とか小沢昭一とか色川武大(阿佐田哲也)とか、怪しげな人物がいっぱいいた時代だった。本人も書いているが、そのはげ頭が殿山泰司とよく間違えられた。なんではげちゃったかは、恐らくは苛酷な中国戦線に10代で連れて行かれたことによると思う。1979年に「香具師(やし)の旅」で直木賞を受けて作家として認められたが、大衆文学とも純文学ともつかぬ、というかほとんどエッセイ、いや「つぶやき」(ツイート)みたいな文章を書き続けた。

 ちくま文庫から「田中小実昌エッセイ・コレクション」がかつて全6巻出ていた(今は品切れ。)「ひと」「」「映画」「おんな」「コトバ」と読み続けて飽きてしまった。最後の「自伝」だけ残っていたのだが、これがめっぽう面白い。何しろ旧制高校を繰り上げ合格しているので、戦後になって東大の哲学科に入学した。しかし、ストリップ劇場で働いたり、米軍のバーテンダー、テキ屋、街頭の易者など「怪しげ」な仕事に熱中して、大学は除籍になった。その若き日の体験を後になってずいぶん書いているが、波瀾万丈の裏話満載で楽しい。
(田名小実昌エッセイ・コレクション「自伝」)
 どうしてそうなったかは、本人の特性もあるんだろうけど、生家も変だったし戦争体験も強烈だった。それが書かれているのが「ポロポロ」で、表題作は独立派キリスト教会の牧師だった父の話である。もともと東京生まれだが、父の任地に沿ってあちこち動き、やがて教会を離れて広島県呉で独自の宗教活動をした。「ポロポロ」とは何だというと、信者が語る祈りの言葉で「パウロ」から来てるらしい。でも子どもの目からすると「ポロポロ」つぶやいてるとしか思えない。「この世界の片隅で」、こんな人々も同じ呉市で戦時下に生きていた。

 そして実にどうしようもない生徒だったらしい。それでも旧制中学、旧制高校に進み、徴兵検査年限が一年繰り下がった年に高校を繰り上げ卒業にされて、19歳で軍隊へ行った。日本には安岡章太郎古山高麗雄などの「弱兵小説」があるが、中でも田中小実昌は一番と言ってもいいぐらい弱っちい。もともと虚弱で甲種合格したことがおかしい。戦争末期の1944年(昭和19年)だからだ。それでも「幹部候補生試験」から帰っていいと言われたのは、この人ぐらいだろう。

 そのバカバカしい戦争体験は是非本書(河出文庫に生き残っている)で読んで欲しい。何しろただ何千キロも歩いているだけど、人はどんどん死ぬ中で、田中小実昌もアメーバ赤痢マラリアコレラにかかって、死んでも全然おかしくないところ、何故か生き残った。何でただ行軍しているかというと、「補充兵」なので「原隊」に行く必要があるが、中国戦線は奥深く原隊は遙か遠くにいる。鉄道や船は物資輸送優先だから、ただの歩兵は歩かされる。炎暑のもと、自分の体重ぐらいある荷を背負うのである。その間、一度も「敵軍」を見ていない。そんなバカなという話である。そして、病気のデパートのような体験が頭髪をなくさせた。
(「自動巻き時計の一日」
 父の教会も強烈だが、その後の「これが日本の軍隊か」という体験を生き延びれば、確かに東大で哲学を勉強するより、ストリップ小屋や易者の方が心安らぐだろう。でも「田園調布」に住んでいたが、これは画家の野見山暁治の家で、その妹と結婚していたのである。それでも何か職を得ないといけない。一番長続きしたのが、なんと米軍基地の医学機関だった。神奈川県座間市の米軍キャンプまで通勤した。1960年前後の日々を綴る「自動巻き時計の一日」というフシギな小説がある。今は品切れだというが、今まで読んだことがないタッチの小説だ。米軍で働くとはどういうことかも判る。今は細かく触れないが、「人生は短いが、一日は長い」という名言が出ている。全くその通りだな。
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「ヒロシマ・ナガサキ」ー「戦争と文学」を読む③

2020年08月10日 22時34分38秒 | 本 (日本文学)
 集英社文庫の「戦争と文学」を毎月読むシリーズ。8月は原爆文学を読んだ。できれば6日、そうじゃくても9日には書きたかったけど、750頁を超える大冊なので読み終わらなかった。この本を読むと、原爆投下から75年、ずいぶん多岐にわたる文学表現が積み重ねられて来たことが判る。原著は2012年に出たので、2017年に亡くなった林京子のインタビューが掲載されているのも貴重だ。この一冊は最低限の基準として読んでおきたいと思う本だった。
(カバー=石内都「ひろしま #43」)
 最初の「Ⅰ」に「被爆者」自身によって書かれた3作が納められている。そのうち2つは前に読んでるので、今回は「Ⅱ」「Ⅲ」を先に読んだけど、やはり順番に書いていきたい。原民喜の「夏の花」は、昔から名高くて、今も新潮文庫、岩波文庫に入っているから入手しやすい。次の大田洋子屍の町」は名前は有名だが初めて読んだ。170頁もあって、案外長いので驚いた。二人ともすでに文学活動をしていたので、原民喜は「アッシャー家の崩壊」を思い出している。大田洋子も妹によく死体を見られると問われて「人間の目と作家の目で見ている」と答えている。
(原民喜)
 この2作はとりわけ「証言」的性格が強い。その時点では「原子爆弾」だと判っていた人はいなかった。あれこれデマや間違った治療法が出てくるが、当時の人は判らなかったので、それを克明に報告している。しかし、まさに爆心直下にいた人々は即死しているので、「証言」できない。残されたものは全て「生き残った人々」の証言なのである。すでに戦争末期で物資不足の中、周辺の村に住む人々は広島に救援に行っている。しかし、それらの「二次被爆者」が一ヶ月経った頃から続々と死んでしまった。「放射線」の被害など皆知らなかったから、被爆直後に広島へ入ってしまったのである。そのことが核兵器の恐ろしさだが、当時の人々の恐怖が伝わってくる。
(大田洋子)
 「屍の町」では被爆後に一家で村の方へ疎開している。バスがなかなか来なくて、移動も大変だ。当然広島で起こったこと全部を知っている人はいない。部分的な証言しか出来ないわけだが、その意味では「屍の町」はある時点で広島市内の様子は途中で終わってしまう。その代わりにその秋に「枕崎台風」を初め水害が相次いだということなど、この作品で知った。水源地の山林地帯が戦時下に荒れてしまい、全国で水害が多かったという。
 
 長崎の被爆証言文学は少ないが、1975年になって現れた林京子祭りの場」は「原爆証言文学」の最高の達成だと思う。先の2作は占領期に書かれて、世に広く事態を知らせた意味は大きかった。しかし、今となってみると「途中で終わってる」感じが強い。「祭りの場」は被爆30年を経って、「感傷はいらない」と書かれた稀有の記録文学である。
(林京子)
 僕は発表当時に読んで非常に大きな影響を受けた。時間が経って判ったことも書かれている「祭りの場」の意味は大きい。戦後の日本文学にあって「原爆文学」は独自の位置を占めているが、いま改めて林京子の業績を再評価する必要があると思う。著者は高等女学校生で三菱の兵器工場に動員されていて被爆した。勤労動員の実情を伝える意味でも大きな意味がある。長崎を史上最後の「被爆都市」にするために、全世界の人々に核兵器の被害の恐ろしさを伝えていく必要がある。取りあえず、日本人はまず「祭りの場」を読んで欲しい。

 被爆直後の凄惨な様子はここでは引用しない。僕が伝えきれる問題ではない。「Ⅱ」では、まず川上宗薫の「残存者」があって驚いた。川上宗薫は芥川賞候補に5回選ばれて受賞できず、その後「官能小説」で有名になった。それしか知らなかったけれど、長崎で母と二人の妹を失った。主人公が初めて長崎に帰る設定の小説で、被爆後の様子を描いている。中山士朗という知らない作家の「死の影」は、被爆後の広島にハエが増大して死体にウジがたかる様子を冷徹に見つめている。動けない身体にウジが湧く描写はちょっと想像したくないぐらいの迫真性があった。

 井上ひさし少年口伝隊一九四五」はさすがの筆力で感動的。井上光晴夏の客」、後藤みな子炭塵のふる町」は広島、長崎の被爆者が差別的に見られた現実を描く。金在南暗やみの夕顔」は長崎で被爆して、釜山で暮らしている女性と娘の暮らしを描いて衝撃的。名前も知らなかった作家だったが、今回一番衝撃的で深刻な「韓国における被爆者問題」を突きつけている。美輪明宏」もあまり読んだ人はいないと思うけれど、実によく出来ているので是非。
 
 芥川賞作家、青来有一は長崎に生まれて、被爆体験はない世代だが原爆を描き続けている。「」という小説は、生まれた直後に被爆して親兄弟も知らず、拾われた女性の養子として生きてきた男性を主人公にしている。いま被爆体験のエッセイを書こうとしているが、妻が屋根に何かいるという。夫婦関係や義理の親子関係などを丹念に描いていて、「原爆」は一瞬だったがその後の何十年の生活が人間にはあると実感する。非常に優れた文学的達成で、読み応えがあった。小説的には一番出来がいいと思った。
(青来有一)
 続いて最後に第五福竜丸事件の橋爪健死の灰は天を覆う」、原発問題が絡む水上勉金槌の話」、核兵器の実験地を取り上げる小田実『三千軍兵』の墓」、祖母の生を探る若い孫を描く田口ランディ似島めぐり」など多彩な問題が扱われる。中では小説的には大江健三郎アトミック・エイジの守護神」が圧倒的に面白い。60年代の大江の才能は輝いていた。他に詩、俳句、短歌、川柳を収録。長いけれど、読んで良かった。ただし長すぎて、最初の方で読んだことを忘れてしまう。いろんなことをもっと考えたと思うんだが、最後は何とか読み終えることを目標とするようになってしまった。ちょっと収録作品が多かったかもしれない。
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「焼け跡の高校教師」ー大城立裕を読む①

2020年07月12日 22時33分56秒 | 本 (日本文学)
 沖縄初の芥川賞作家として知られる大城立裕(1925~、おおしろ・たつひろ)だが、名前は知ってるけれど、そんなに読んだことはなかった。先日読んだ「オキナワ 終わらぬ戦争」(戦争と文学8、集英社文庫)で「カクテル・パーティ」を読み直して、これはちゃんと読まないといけないなと感じた。そうしたら6月の集英社文庫新刊で、文庫オリジナルの「焼け跡の高校教師」が出ているのではないか。本文だけなら180頁ほどの短い自伝的小説である。

 ちょっと時代が遠くなってしまったが、戦後まもなくの高校教師生活が生き生きと再現されている。もちろん戦後沖縄の苦難が背景にあるが、同時に何もないような中で繰り広げられた奇跡の教育の思い出になっている。著者は1943年に上海にあった東亜同文書院大学に入学したが、この大学は日本系の大学だから敗戦とともに閉鎖されてしまう。「大学中退」となって、姉が疎開していた熊本を経て米軍占領下の沖縄に帰った。米軍で働く他なく、諜報機関で翻訳をしていたが、仕事がいやになり高校の教師となった。給料は600円から300円に半減した。

 そこは現在の沖縄県立普天間高校、当時は野嵩(のだけ)高校と言った。もちろん大城は大学中退で正規の教員資格はない。しかし、もともと文学や芝居が好きで、戯曲を書いてコンクールに当選したりしていた。そこを見込んで代用教員みたいな話が持ち込まれたわけである。まだ22歳の青年が、戦争の悲劇を生き抜いたばかりの青年といかに接したか。米軍テントの授業から、教員が自分たちで校舎を建ててしまったような時代である。たった12人しか教員がいない学校である。そして大城が作詞した校歌は、普天間高校の校歌として歌い継がれている。
(大城立裕)
 多くの生徒事情が語られる。特に書かせた作文は直接載せられていて感動的。米軍統治下で「国語」と名乗れず、大城先生は教科名は「文学」を担当していた。その方がむしろ大城先生には合っていた。沖縄はもともと舞台劇が盛んだが、大城は「沖縄芝居」ではなく、「新劇」の脚本を書いていた。その経験を生かして、年度末に演劇大会を企画した。また、バスケットボール専門の教師がいて、たった一つのボールを大事に持っていた。そして各高校の対抗試合が開かれることになった。大城先生は応援歌を作詞し、野嵩高校はリーグ戦を勝ち続けた。

 エピソードの一つ一つが興味深いけれど、著者は初めから2年で辞めると決めていた。経済を専門にしたいと思っていて、琉球貿易庁に転職したのである。そして最後に再び演劇大会を企画した。これが何と「青い山脈」である。石坂洋次郎原作で、映画が大ヒットしたことで知られる。沖縄に本土の本が自由に流通できた時代ではないが、時にはいろんなルートで運ばれてくる。とある生徒がそれを入手して、先生にくれたのである。どうもバクチで勝ったらしいが、あえて追求しなかった。そして「青い山脈」を自由に脚色して、野嵩高校で上演したのである。これが評判を呼んで、琉球新報の演劇コンクールに出場して優勝してしまう。

 同時にもう一本、「望郷」という劇も上演した。この小さな本の中に、脚本が20頁も引用されている。これは戦時下に熊本に疎開した沖縄の青年たちが、まだ沖縄に帰れないまま当てもなく喧嘩したりする姿を描いている。朝鮮人が南北で争う姿もセリフに出てくる。かなり長いセリフもある正統的リアリズム演劇だが、ラストは「椰子の実」の合唱となる。「ああ、沖縄へ帰ったら、沖縄へ帰ったら…」というセリフにかぶせて、「思いやる八重の汐々 いずれの日にか国に帰らん」と歌が流れる。そこに舞台中央の登場人物たちに真っ赤なスポットライトを当てるのである。

 このスポットライトは当時の沖縄では、高校演劇になかった方法だと述べている。書いてないけどスポットライトの演出は明らかに「日の丸」で、米軍への抵抗と取られかねない「祖国復帰思想」の表出だと思う。書いてないのは、その後「日の丸」が「国旗」となり「抑圧」の象徴に変わったこと、「若気の至り」への気恥ずかしさ、あるいは判る人だけ判ればいいといったあたりだろう。10年経つと戦後沖縄の「正統」となる「祖国復帰運動」だが、この時点では大きな声では語れないテーマだ。ここでは「(疎開から)沖縄へ帰る」ことを「国に帰る」と表現したように用心深く書かれている。でも「椰子の実」のいわれを知る人には意味が通じたはずだ。

 生涯で一番熱く生きた2年間を振り返る書で、戦後直後の教育環境を知る意味でも興味深い。でも基本は世界中どこでも通じる「青春」の本だ。「普天間」一帯は、後に基地が拡充され大問題になっているわけだが、そんなことも語らない。しかし、基地拡充の前の、あるいは戦争前の「普天間宮」と国指定天然記念物だった松並木(戦時中に伐採され、今は跡地は基地の中)を校歌に読む話が出てくる。出ていない話は、読む側で補って読むのである。

 大城立裕は9月で95歳。これほど瑞々しい青春記を発表したのである。2015年には短編小説向けの賞だった川端康成賞を「レールの向こう」で受賞している。老いてまだまだ現役バリバリではないか。この本の最後に書いていることも、日本の「国語教育」から「文学」が軽視されることへの痛憤である。「沖縄文学」という枠組みではなく、「日本文学」の最長老として、あるいは「世界文学」というとらえ方で大城文学を読み直す必要があるのではないか。そんな風に思って、これからポツポツと断続的に読んでみようかと思っている。(大城氏はこの後、2020年10月27日に逝去した。)
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「日中戦争」ー「戦争と文学」を読む②

2020年07月07日 21時03分24秒 | 本 (日本文学)
 7月7日は「七夕」だが全国的に雨模様で、九州では大被害が生じている。もっとも旧暦ならこれは「五月雨」(さみだれ)になる。それはともかく、7月7日は日中戦争の発火点となった盧溝橋事件の起きた日である。事件は現地での短期処理も可能だったと思うが、結局8年に渡る全面戦争の始まりになってしまった。「戦争と文学」シリーズを読み始めて、先月は「オキナワ 終わらぬ戦争」を読んだので、7月は「日中戦争」だと決めて読み始めた。これが難物で、途中で「関ヶ原大乱 本当の勝者」(朝日文庫)に一時避難したが、まあ何とか終わったので報告。
(表紙=清水登之「難民群」)
 昔の小説、戦時中に書かれた作品が結構収録されていて、これが大変だった。和辻哲郎小林秀雄の評論は今では読む意味が判らない。解説の浅田次郎が絶賛している日比野士朗呉淞(ウースン)クリーク」は確かに「戦場文学」として今でも読める作品だった。「事変」が上海に飛び火した後で、決死のクリーク渡河作戦を綿密に描く。作者は兵士として従軍して帰還後に書いた。兵士は「部品」であって、一体何のために戦うのかなどは考えない。

 考えてはいけないし、考えないように訓練されている。しかし今ではそれでは「文学」として中途半端である。また戦場でタバコを吸いすぎだ。これほど不用意だと煙火で敵に位置を知らせてしまう。火野葦平の「煙草と兵隊」を読むと、火野は煙草嫌いだったらしい。両者を合わせ読むと、「軍隊と喫煙」というテーマが浮かび上がる。

 直木賞作家で生涯戦争小説を書いた伊藤桂一(1917~2016)の「黄土の記憶」は山西省の山中をひたすら行軍する兵士たちのスケッチである。特に戦争を告発しようというような姿勢ではないだけに、淡々と描写される中に、強姦や略奪が出てくると驚いてしまう。ほとんど自然の成り行きのように「ガマンできなくなった」と強姦に出かける男。蔓延する性病。そんな中で、敵兵とのわずかな触れあいもある。著者と思われる主人公は、もともと文学青年だが、戦場でも短歌を詠むことで正常な感覚を維持している。長命だった伊藤氏はインタビューも収録されている。小説なんだけど、「日本人の戦争観」を振り返るときに、伊藤桂一の仕事は落とせない。
(伊藤桂一)
 棟田博(むねた・ひろし、1908~1988)という作家がいる。一生「兵隊小説」を書いた人で、渥美清の出世作である「拝啓天皇陛下様」の原作者として名前は知っていた。「軍犬一等兵」で初めて読んだが、なかなか達者な大衆文学だった。僕は「軍犬」、つまり軍で使役される犬だけど、地雷探査犬などというものが日本軍にもいたのか。匂いで地雷を見抜くのである。そんな犬の訓練をする兵士の哀歓を描く作品。軍に献納される前の「元の飼い主」との交流もほろ苦い。知らない話なので興味深かったけれど、戦争を考えさせるヒントにはならない。
(棟田博)
 考えるヒントになるのは、駒田信二脱出」や富士正晴崔長英」だ。特に後者は中国人の苦力(クーリー、現地で徴発された軍属の労働者)が、馬を扱うときだけ異様な能力を発揮する様を描く。「肉体の門」「春婦伝」などを書いた戦後の大人気作家、田村泰次郎(1911~1983)の「」(いなご)は興味深い作品。「政治問題」になる前の「慰安婦」の語られ方を知る意味でも重要だ。主人公は遺骨を入れる白木の箱を運ぶ任務を負っているが、同時に「ついでだから」と朝鮮人慰安婦5人を前線に連れて行く任務も仰せつかる。日本人慰安婦はもっと後方の町にいて、「将校専用」である。前線の兵士には朝鮮人を連れていくしかない。
(田村泰次郎)
 主人公はそれまでは「慰安所」も利用していたのに、任務中という意識があるからか、移動中は「その気」にならない。しかし途中途中で、「減るもんじゃなし」とあちこちの軍で無理やり「慰安婦」の「提供」を求められる。そんな道中にも敵の攻撃もあれば、蝗の大襲来もある。「冒険小説」的な趣はなくて、ただ「これが戦場だ」というような感覚で書かれている。まさに「従軍慰安婦」だが、こうして前線まで連れ出した「慰安婦」を日本軍は戦場に置き去りにした。戦後すぐの段階で書かれたという「時代性」を意識に入れた上で、重要な作品だ。

 田中小実昌岩塩の袋」は傑作短編だが、ただ岩塩を一番奥に詰めながら行軍する日本軍の姿がほとんど「不条理文学」である。重い荷物を持って、暑い陽射しの中を、ただひたすら歩き回る。これは熱中症の危険と今では言うわけだが、兵士たちは突然倒れて死ぬ。何のためにそんなことをしているのか。輸送手段がないところに兵士を送っても意味がないだろう。兵站を無視して、補給なしで現地で奪えばいいというような方針は「指導」の名に値しない。そこまでして戦う意味を誰も判らない。「文学」ではなく、歴史の本が必要だと思う。

 このシリーズは「日本文学」というか、「日本語文学」しか対象にしていないから、この不条理な軍隊に国土を荒らされた中国側の記録は出て来ない。それがこの巻を読んで、今ひとつ面白くなかった最大の理由だと思う。触れなかった作品も多いが、僕には面白くなかった作品。
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「オキナワ 終わらぬ戦争」ー「戦争と文学」を読む①

2020年06月26日 22時16分01秒 | 本 (日本文学)
 集英社文庫から出ている「セレクション戦争と文学」の8巻「オキナワ 終わらぬ戦争」を読んだので、紹介と感想。この本はもともと2012年頃に刊行された全20巻に及ぶ「戦争×文学」の一冊である。2019年から20年にかけて、その中から全8巻をセレクトして文庫化された。もとの本は高くて厚くて、20巻もあるから家に置く場所もない。評判は良かったけど、買う対象じゃなかった。文庫でも1700円もするし、700頁もある。どうしようか迷ったんだけど、思い切って毎月買っていた。買っても読まなければムダである。6月だから沖縄の巻から毎月読んでいこうと決めた。
(表紙=黒田征太郞「野坂昭如戦争童話集 沖縄編」)
 最初に書いておくと、読みやすくて考えるところが多かった。しかし、これを読んだだけで「沖縄戦」や「沖縄現代史」が判るわけではない。あくまでも小説や詩、戯曲などのアンソロジーで、「文学」として接するべきものだ。そのことを前提にすれば、「オキナワ」を考えるヒントがいっぱいある。読んで面白いのである。テーマ性が勝って読みにくいかと心配したが、そんなことは全然なかった。時代を生き残った作品が選ばれたんだろう。

 「戦争と文学」というシリーズだが、ここで扱われているテーマは「狭義の沖縄戦」ではない。むしろ「沖縄戦」を直接描く作品の方が少なく、「以前」と「以後」を含めて、沖縄史の重層的な構造が問われている。冒頭の山之口貘の詩がそのことを暗示している。続く長堂英吉(ながどう・えいきち、1932~2020)の「海鳴り」は「琉球処分」(1879年)以後の「琉球王国」廃絶後の状況を描いている。それまで猶予されていた徴兵令が、いよいよ1898年から施行されたが、それに反抗して徴兵を忌避し清国に逃亡した青年たちが出てくる。作者の名前も知らなかったが、検索すると2020年2月に亡くなっていた。本の著者紹介ではまだ存命になっている。作者もテーマも、「本土」ではほとんど知られていないだろう。僕も名前を知らなかったが、大変な力作だった。

 続いて知念正真(ちねん・せいしん、1941~2013)の戯曲「人類館」が置かれる。これは1978年に岸田国士戯曲賞を受賞した戯曲で、当時読んでいる。その後も沖縄で活動したので、その頃に岸田賞を受賞した劇作家たちに比べて、知名度が低いかもしれない。しかし、沖縄をめぐる重層的な構造差別をテーマに、時空間を自由に飛び越えて問題意識が炸裂する傑作だ。

 こうして全部触れていると終わらないので、テーマを絞って重要作に触れたい。まず「沖縄戦」の持つ思想的意義。沖縄出身の重要作家、霜多正次(1913~2003)や大城立裕(1925~)などは、沖縄戦を経験していない。戦後派として活躍できる年齢の男性は、徴兵や留学で県外にいたのである。あまりにも悲惨な出来事に対して、戦争を経験した女性たちも長く口を閉ざすことが多かった。そのことがむしろ「沖縄戦」について、深く考える時間を与えたと言える。今では時間が経ってしまい、沖縄=戦争の悲劇=平和の大切さといった図式に陥りがちだ。

 しかし、「沖縄戦」の持つ意味は、表層的な「平和」の訴えではない。今回読んだ作品だけでなく、今までに読んできた歴史書、ノンフィクションなどを含め、「反軍」=「非軍事志向」という教訓である。何しろ、「敵」以上に「友軍」の方が恐ろしいのである。もう組織的抵抗が終結し、軍の指揮系統も途絶えた後になって、多くの地元住民が日本軍に殺害された。日本軍の中には沖縄県民を下に見る差別意識があった。しかし、それだけでなく、仮に「本土決戦」が行われていても、「本土」で住民虐殺が起こったはずである。

 それは日本軍の特殊性にもよる。現在の中国軍は実は「中華人民共和国軍」ではなく、中国共産党の「人民解放軍」である。それに対して、帝国陸海軍は一応憲法に規定された国家組織にはなっていた。しかし、本質は「天皇の私兵」であり、天皇のために死ぬべき存在だった。だから「降伏」という考えはないし、住民は足手まといでしかない。「沖縄を守る」のではなく、天皇を守るために沖縄を捨石として米軍を釘付けにするのが日本軍の役割だった。

 米軍支配下においては米軍の専制に抵抗し、日本に「復帰」してからは戦争の総括なき天皇制に抵抗する。芥川賞作家、目取真俊の「平和通りと名付けられた街を歩いて」は皇太子(現・上皇)夫妻の沖縄訪問にあたって、いかに愚なる警備態勢が敷かれていたかを子どもの目で徹底的に見つめている。主人公の家では認知症(という言葉はまだなかった)の祖母がいるので、警察に目を付けられている。仕事場まで警察が絡んでくる。そんな日々を生きる少年はどういう行動をするか。沖縄文学では「天皇制」を問うのである。
(目取真俊)
 沖縄出身の芥川賞作家は4人いるが、そのうち3人が収録されている。復帰前の1967年に受賞した大城立裕の「カクテル・パーティー」は若い頃に読んだときはよく判らなかった。前半の沖縄文化論の会話、一転して米兵の性暴力をテーマとする後半という構成が分裂していると思えた。学生の頃に読んだので、読み取れない部分が多かった。今回読み直して、これはすごい作品だと思った。僕も「95年以後」にならないと理解出来ない部分があったのだと思う。1995年とは、「本土」では阪神淡路大震災、オウム真理教事件が起こり、沖縄では「米兵少女暴行事件」とその後の県民総決起大会があった年である。小説の具体的な内容は今は省略する。
(大城立裕)
 95年の事件では、加害米兵はアフリカ系だった。また米軍の司令官はレンタカーを借りる金で女性を買えたと発言した。この問題はこれ以上触れないが、このように「沖縄」を考えるときには、沖縄をめぐる複合的重層的な差別構造を描かざるを得ない。「豚の報い」で芥川賞を得た又吉栄喜の「ギンネム屋敷」は敗戦後の沖縄で、朝鮮人が重要な登場人物として出てくる。徴用されて沖縄に来て、今は米軍の軍属をしている。沖縄内部の女性や障害者をめぐる問題もあり、様々な人間関係がモザイク状に出てくる。又吉栄喜文学は沖縄が単なるリアリズムを超えて、独特なマジック・リアリズムを獲得した証でもある。
(又吉栄喜)
 こうして読んで来ると、「本土」出身者の作品に迫力がないと感じる。「パルチザン伝説」の作家、桐山襲(きりやま・かさね、1949~1992)の「聖なる夜 聖なる穴」は沖縄史を縦横に語りながら、やはり天皇制の問題を扱うが、面白いけれど作りすぎの感もする。その中では自らの経験に基づくエッセイを書き続けた岡部伊都子(おかべ・いつこ、1923~2008)の凜とした姿勢に改めて粛然とした。亡くなって時間も経って、生前に愛読した岡部さんの名も失念していた。
(岡部伊都子)
 岡部の兄が戦死し、秘かに憧れていた一つ年上の男性も弔問に来る。彼は何度も訪れて、ある日「自分は天皇陛下のおん為になんか、死ぬのはいやだ」と発言した。「君やら国のためになら、喜んで死ぬけれども」と発言した。岡部伊都子はその時に発言の真意と重みに気付くことが出来なかった。考えたこともない発想に驚くだけで、「私なら、喜んで死ぬけど」と述べてしまった。その後、体の弱い伊都子のもとに、「どちらかが死ぬまでは、他の人とご縁をもたないという形の婚約」の申し出があった。その婚約者は沖縄戦で亡くなった。岡部にとって「痛恨の原点」となる出来事となる。「日本人」が自由に生きてゆくためには、「オキナワ」を考える必要があることを岡部さんの戦後の歩みが示している。岡部伊都子を忘れまいと肝に銘じた。
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牧村健一郎「漱石と鉄道」を読む

2020年06月04日 21時07分32秒 | 本 (日本文学)
 牧村健一郎漱石と鉄道」(朝日選書)を読んだ。僕はとりわけ鉄道ファンではなく、夏目漱石ファンでもない。それでも「漱石」「鉄道」のファクターが重なると、読みたい気持ちが3倍増ぐらいになる気がして、出たばかりの本を買ってしまった。確かに漱石の小説には鉄道がよく出てくる。

 「三四郎」の冒頭、九州から上京途中に青年が名古屋で下車して、同乗の女性客とひょんなことから同宿する。その翌日は鉄道で会った客(広田先生)と話していると「(日本は)滅びるね」と驚くようなことを言う。読んだ人なら忘れられないシーンで、小説の始まりとしても有名だ。ところで、その汽車は何時何分のものか。どこから乗って、どこへ通じているのか。小説だし、読んだときには特にそんなことは考えなかった。でも明治の時刻表(名前は違うけど)も残っているのである。それを調べて、できる限り特定して、できれば追体験する。それがこの本の趣向である。

 漱石の小説は数年前に全部読んだけど、鉄道による「移動」が物語の起動力になっている作品が多い。「坊っちゃん」は松山で軽便鉄道に乗っているが、そもそも坊っちゃんはどうやって四国まで出かけたのか。そして松山で一暴れしてさっさと中学教員を棒に振った坊っちゃんは、東京に帰って「街鉄の技手」になった。僕はこれまで、なんとなく市電の運転手になったのかと思っていたが、「技手」(ぎて)というのは「技術系職員」だという。帝大出じゃないから幹部要員ではないが、理科学校出身だから「現業職」の運転手ではないんだという。

 東京の「市電」の発展も印象的だ。「坊っちゃん」発表時(1906年4月)には確かに「街鉄」(東京市街鉄道)だったが、同年9月には「東京鉄道会社」になった。路面電車の会社は当時3社あって、合併したのである。さらに1911年に東京市が買収して「市電」、東京都制(1943)で「都電」になった。また、今の中央線は甲武鉄道という私鉄から始まった。1906年の鉄道国有法によって国有化され「省線電車」になった。(当時は鉄道省が置かれた。)この甲武電車の発展で、帝大関係者にも新宿辺に住む人が現れた。「三四郎」には大久保で飛び込み自殺した事件を目撃する場面がある。
(甲武鉄道のカブトムシ電車)
 漱石は松山や熊本で勤めたから、当然東京と鉄道で行き来した。熊本で結婚後に実父が亡くなり、夫婦で夏休みに帰省する旅が辛すぎて、夫人は流産してしまった。大変な時代である。小説家になった後も、朝日新聞の講演会に駆り出され、関西や長野に出かけている。長野への旅は、胃腸病を抱えた漱石を心配した夫人も一緒だった。横川・軽井沢間の有名なアプト式の難所を夫婦で越えた。そしてロンドン留学中は、日本にはまだない地下鉄も経験、スコットランドまで旅行した。満鉄総裁の友人、中村是公に誘われ、出来たばかりの満鉄(南満州鉄道)にも乗っている。

 「漱石と鉄道」とは、いいところに着眼した。著者はスコットランドにも、遼東半島にも実際に出掛けている。牧村氏は元朝日新聞記者で、以前にも漱石の本を書いている。獅子文六を最近まとめて読んだけれど、牧村著「評伝 獅子文六」が最近ちくま文庫に入り、興味深く読んだばかりだ。当時の汽車は揺れが大きく、胃病持ちの漱石には辛いはずだが、それも死因だと推測している。有名な「修善寺大患」の伊豆・修善寺温泉も、今ではまっすぐ行けるが、当時は御殿場線回りで行っている。丹那トンネルがなかったという知識があっても、実際の行き方は気付かなかった。

 「明暗」には湯河原温泉が重要な役割で出てくる。今は東海道線に乗れば遠くない。首都圏から熱海まで直通の電車が出ているから近すぎる温泉である。でも当時の東海道線は小田原直前の国府津(こうづ)から御殿場線に乗って箱根を大回りする。湯河原、熱海へは小田原と結ぶ「熱海鉄道」という軽便鉄道があった。それに乗って熱海へ行く場面は、実に危なっかしい。小説を読んでるときは物語に気が行くから、鉄道のことはあまり考えない。鉄道だけ取り出すと、なかなか興味深い鉄道社会史になる。
(熱海駅前の熱海鉄道車両)
 ところで、この本では関西は私鉄が発展したが、東京の私鉄発展は遅れたと書いている。しかし、東武鉄道京成電鉄は明治時代に作られている。東京東部だから、山手線以西の人にはあまり影響しない。確かに今の東急、小田急、西武などは大正時代になるけれど。まあ、東京東部を抜きにして東京を語る人は多いのでいちいち気にしてはいられない。漱石を読んでないとちょっと大変かも知れないが、基本的には鉄道や文学に関心が薄い人でも興味深く読める本だと思う。
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獅子文六の「面白さ」の理由-獅子文六を読む⑤

2020年02月24日 22時31分21秒 | 本 (日本文学)

 獅子文六展が現在県立神奈川近代文学館で開かれている(3月8日まで)。先日、神田伯山襲名披露の整理券配布(10時)と入場(16時45分)までの長い待ち時間を利用して出かけてきた。今まで本人の顔写真も載せてないけど、チラシを見るとちょっと不機嫌そうな顔が判る。本人や家族のすごく貴重な資料がズラッと並んでいるが、特に演劇の資料が貴重で見どころがある。読んでない人には昔の単行本を見ても意味ないかもしれないが、貴重な写真も多くて楽しい。

 演劇資料では、まずフランスで見た観劇ノートなどが貴重だ。獅子文六宅は戦時中の空襲で焼けてるけど、よく残っていたと思う。帰国後は演劇(いわゆる「新劇」)で活動するが、特に「文学座」を創立したことで知られる。戦後になって大人気作家になっても、多くの文学座公演で演出を担当している。文学座提供の写真でそれが示されている。日本の「新劇」は「築地小劇場」以来、左翼的な「プロレタリア演劇」が中心だった。獅子文六(岩田豊雄)はそういう傾向に反対し、大人が楽しめる演劇をめざした。フランスで見てきた演劇もそういうものだった。
(文学座アトリエ竣工式)
 上の写真は1950年、今に残る信濃町の文学座アトリエ竣工式である。岸田國士久保田万太郎の共同創立者の他、田村秋子杉村春子長岡輝子徳川夢声三津田健中村伸郎芥川比呂志宮口精二金子信雄など演劇史、映画史に名を残すそうそうたる顔ぶれが並んでいる。クリックして大きくすれば人名が判る。そのような演劇体験が小説にも生かされているのである。

 原作小説と映画を比べると、登場人物が減ったり増えてるしているものだ。でも獅子文六の小説に限って、そんな事態が起きない。人物もエピソードもほぼ原作通りという感じである。でも筋を知ってるのに、小説を読んでも面白い。ストーリーじゃなくて、文章のユーモア人物どうしのすったもんだが面白いからである。新聞小説を書くときは、冒頭からラストまできちんと物語を作ってから書いたんだという。だから締め切りに遅れたことがないという。すごいなと思うけど、これは芝居の演出と同じなんだろう。全編の登場人物の出入りを全部計算して頭の中へ入れているのである。

 獅子文六を読む体験とは、この「プロの技」を堪能することである。しかも内容が重くない。重くなる前にスッと解決してしまう。人生は、あるいは社会は本来はもっと重い。だから最近はエンタメ系小説に与えられる新人賞である直木賞も、けっこうテーマも描写も重厚である。「サラバ!」や「蜜蜂と遠雷」など1000枚を越える大長編だ。そんな中に獅子文六を置くと、ただひたすら軽快に進行する面白さが新鮮なのである。こういう「ユーモア文学」は最近見なくなった。昔は北杜夫どくとるマンボウシリーズなどで読書の楽しみを知り、そこから「楡家の人々」のような大小説に進んでいったものだ。あるいは遠藤周作も深刻な宗教小説の傍ら、狐狸庵と称してユーモアエッセイを書いていた。

 獅子文六が小説を書き始めた1930年代後半には、近代日本文学史上に輝く多くの傑作が書かれている。島崎藤村「夜明け前」(1935年完結)、志賀直哉「暗夜行路」(1937年完結)、川端康成「雪国」(1937年初版刊行)、永井荷風「濹東綺譚」(1937年刊行)などである。また谷崎潤一郎は「春琴抄」(1933年)完成後、30年代後半は「源氏物語」現代語訳に取り組み1939年から41年に刊行された。大衆文学でも吉川英治の「宮本武蔵」(1936~39)が刊行され、獅子文六といろいろと関わりがあった大佛次郎の鞍馬天狗シリーズも営々と書き継がれ映画で大人気だった。

 それらと比較してしまうと、いくら何でも獅子文六は軽すぎる感じもする。だから時代が過ぎ去ると忘れられてしまった。確かにこの「軽さ」は良いことばかりではない。同じくフランス語をよくした大佛次郎(おさらぎ・じろう)は大衆文学と同時にフランス現代史に材を取ったノンフィクションを発表している。これは大佛のファシズム批判であり「抵抗」だった。獅子文六の小説にはそのような視点がない。僕が若い頃獅子文六を読まなかったのは、一番はもう古い作家に見えたからだが、同時に岩田豊雄名義で戦時中に「海軍」を書いたことがやはり引っかかっていた。

 「プロの技」を楽しめるには時間が必要だったんだと思う。今になると「文学を読む」というのと少し違った観点で、昔の小説を楽しむことができる。それは古い映画を見るのと同じく、違う時代を発見する楽しみである。僕が今回たくさん読んで思ったのは、短編はワン・アイディアで成立するから、今では風俗が古びて面白くない。(「断髪女中」では「女中が断髪するなんて」と書いてあるが、そもそも全く意味不明である。)長編はたくさんの脇役が計算された動きをするので楽しんで読めるのである。それも時代が非常に違う戦前期と戦後も高度成長が始まりつつある50年代後期から60年代初期が面白い。

 それは時代そのものが興味深いということだと思う。いや敗戦後の占領時代も興味深いわけだが、「敗北を抱きしめ」なかった獅子文六の小説は今では古いのだ。高度成長も功罪があったが、現代日本の前提であり「懐かしく思い出せる」時代なんだと思う。「田中角栄ブーム」みたいなもんである。だから全然当時を知らない若い世代だと、そんなに楽しめないのかもしれない。でもこの「軽さ」「後味のよさ」「教訓臭のないラブコメ」の貴重さは再発見に値するんじゃないか。

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「やっさもっさ」と敗戦三部作-獅子文六を読む④

2020年02月23日 22時35分41秒 | 本 (日本文学)
 戦前に「悦ちゃん」などの新聞小説で人気作家となった獅子文六は、文学座の共同創立者である岸田国士が大政翼賛会文化部長になったとき(1940年)には批判的だった。しかし「大東亜戦争」が始まると、戦争協力に踏み切らざるを得ない。1942年7月から12月にかけて、本名の岩田豊雄名義で朝日新聞に「海軍」を連載した。真珠湾を特殊潜航艇で攻撃し「九軍神」と称えられた海軍軍人を描いたもので大評判になった。朝日文化賞を受け、田坂具隆監督によって映画化された。

 敗戦後はそのことが「戦争犯罪」に問われるのではないかと心配した。結果的には岸田は公職追放になったが、獅子文六は一時「仮追放」に指定されたものの追放は免れた。そのような心配に加えて食糧難もあり、1945年12月から1947年10月まで、二度目の妻の故郷である愛媛県岩松町(現宇和島市)に一家で疎開した。その時の体験が後に「てんやわんや」(毎日新聞1948年11月から1949年4月に連載)に結実した。東京に帰還後は一時お茶の水に住み、東京で見聞した風俗を巧みに取り入れた「自由学校」(朝日新聞1950年5月から12月)にまとめられた。

 この二つの小説は「悦ちゃん」や「海軍」をしのぐほどの大評判となった。後に「週刊朝日」に連載されて映画になって大ヒットした「大番」と並び、生前にもっとも有名な小説だったと言える。これに続く「やっさもっさ」(毎日新聞1952年4月から8月)をまとめて、獅子文六は自ら「敗戦小説」と呼んだ。次の新聞小説「青春怪談」を読売新聞に連載する時に、三つの新聞小説には「戦争に負けたカナシミ」を書いたと述べた。だから戦後社会史的にはすごく興味深い三部作なんだけど、今読むと小説としては思ったほど面白くない。社会のあり方が全く違ってしまい共感を感じにくい。

 「バナナ」や「箱根山」は映画を見てても面白い小説だと思ったけど、やはり映画を見ている「自由学校」は読んだらそれほど面白くなかった。「てんやわんや」「やっさもっさ」も映画化されているが、僕は見ていない。しかし、この三部作はその後に影響を与えている。「てんやわんや」は当時題名が判らないと言われたらしいが、この「大混乱」を意味する言葉は生き残った。「自由学校」は2社で映画化され、1951年5月に公開された。ヒットして、それが「ゴールデンウィーク」と呼ばれるきっかけとなった。「やっさもっさ」は横浜が舞台で、横浜駅でシウマイを売る「シウマイ娘」が小説に出てきて評判になった。それが崎陽軒が有名になるきっかけとなった。
(当時のシウマイ娘)
 ここではあまり知られていないと思う「やっさもっさ」を主に取り上げたい。2019年12月にちくま文庫に収録されたばかりである。それまでは読んでた人もほとんどいないだろう。この小説は冒頭を除き、ほぼ「横浜小説」と読んでいい。横浜で占領軍の軍人と日本人との間に生まれた「混血児」を収容する施設を作った女性が主人公である。冒頭はその施設のためのバザーを品川区御殿山の「摂津宮邸」で行う場面だが、これは白金の朝香宮邸(現東京庭園美術館)だろう。

 「やっさもっさ」は明らかに失敗作だ。人物が物語の役割を演じるだけで自由に生きていない。「自由学校」は風俗や情報としては古くなっているとしても、東京裏面探訪としての面白さは残っている。それに比べて「やっさもっさ」はどうも盛り上がらない。獅子文六の小説は仕掛けが共通しているので、先行きが読めるということもある。横浜が生誕地である獅子文六は、占領軍に接収された横浜が悲しかったのだろう。ほぼ「横浜」が主人公と言ってもいい「やっさもっさ」が書かれたのも、そのためだと思う。横浜に「カジノ」を作ろうとする登場人物がいて、戦後占領時代は今につながるようで興味深い。

 「やっさもっさ」のモデルになっているのは、明らかに沢田美喜が作ったエリザベス・サンダースホームである。「混血孤児」施設として有名だった。沢田は三菱財閥を作った岩崎弥太郎の孫で、神奈川県大磯の岩崎家大磯別邸に施設を作った。だから横浜ではないし、登場人物も大分違っていて単純なモデル小説ではない。獅子文六は沢田美喜と夫の沢田廉三(外務事務次官、国連大使を務めた外交官)と親しくなり、三度目の結婚の仲人を頼んだという。この小説を読んで判るのは、当時の「黒人兵」に関する視線の厳しさだ。自分がフランス人と結婚していたにもかかわらず、敗戦後の日本で身を売る女性が現れ、さらに黒人兵士の子を生む者もあったことにショックを受けている。
(沢田美喜と子どもたち)
 「混血児」が今では考えられないほどの衝撃だったことがこの小説でよく判る。獅子文六の小説だけでなく、昔の小説を読むときには「今日の人権感覚に照らして差別的と受け取られかねない箇所があります」と断り書きがあるものだ。「自由学校」の中にある同性愛者への表現は、「受け取られかねない」段階を越えて「同性愛恐怖」だと思う。もっとも「やっさもっさ」は主観的には「同情」している。今となっては明白な差別になるが、当時の感覚では敗戦に伴う「混血児」の登場こそ、「同情」レベルを超えてしまう「敗戦のカナシミ」だったのだ。特に白人ならまだしも黒人は。明白にそう書いている。そんなこんなであまり楽しく読めない本だが、社会史・風俗史的には貴重な本だった。
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