尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「佐渡の三人」「ジャージの二人」-長嶋有を読む①

2017年09月05日 23時16分23秒 | 本 (日本文学)
 毎月夏目漱石を読むということをしてたけど、8月は読まなかった。(代わりに9月にいっぱい読もうと思う。)その代りに長嶋有(1972~)にはまってずっと読み続け。最近は「北朝鮮問題」や「関東大震災時の虐殺事件」を書いていた。さらに、この夏は母親がケガして動けなくなったので諸事大変。そんなときには漱石は読めない。けっこう漱石はメンドーなので。そこで去年暮れに買っておいた「脱力系」の長嶋有を読んで、はまってしまった。今こそ読みたい、長嶋有

 だけど、それ誰よと言われそうだ。2002年に「猛スピードで母は」で126回芥川賞を受賞した作家である。デビュー作の「サイドカーに犬」は2007年に根岸吉太郎監督によって映画化され、その映画はとても良かった。この2作は一緒に文庫本に入っているから読んでいる。割と良かったんだけど、じゃあ、この後全部読もうとまでは思わなかった。その後、「ぼくは落ち着きがない」が出た時に単行本で読んだけど、まあまあという感じだった。正直言って、よく判らなかったのである。

 今まで僕がまとめて読んで、ここで紹介した同時代の作家は辻原登小川洋子池澤夏樹などだけど、その「大ロマン」的な作品世界にひかれた面が強い。それに対して、長嶋有はまさに「脱力系」というべき世界で、「なんじゃ、これ」的な作品が多い。実際の体験に基づいたリ、テレビ番組やマンガ、ゲームなどの固有名詞もいっぱい出てくる。じゃあ、簡単に読めるかというと、そういう感じでも読めるんだけど、実はかなり綿密に仕組まれていて油断できない

 非常に綿密に仕組まれたという側面は、2016年の谷崎潤一郎賞を受賞した「三の隣は五号室」を読めばよく判る。長嶋有は小説やエッセイどころか、俳句、さらには漫画まで描いていて、その上「ブルボン小林」名義でゲーム評論、マンガ評論を書いている。多才なんだけど、「遊び」とも言える。「思想」とか「社会」を正面切って描いているわけではなく、日常の世界が多い。でもフツーの働く人々をちゃんと描く小説がどれほどあるか。「泣かない女はいない」(河出文庫)は「働く女性小説」の白眉。

 その「泣かない女はいない」という題名は、ボブ・マーリーの曲から取られている。長嶋有の小説には、僕の知らないマンガやテレビ、家電製品がいっぱい出てくるけど、よく判らんなあという気はしない。なんだか自分も知っている気になって読めてしまう。それはヤナーチェクを知らなくても、村上春樹「1Q84」を読めるのと同じである。だけど、最初の長編「パラレル」(2004)は面白いけど、僕には全く判らない。登場人物が僕には納得できないのである。

 そんな中で、イチ押しは「夕子ちゃんの近道」なんだけど、これは別に書きたい。僕が今回最初に読んだ「佐渡の三人」(講談社文庫)や映画化された「ジャージの二人」(集英社文庫、中に「ジャージの三人」という短編がある)、そしてバカバカしさ全開の「エロマンガ島の三人」(文春文庫)の「三人シリーズ」(?)から読むのがいい。「エロマンガ島の三人」というのは、バヌアツ共和国に実在するエロマンガ島に行ってエロ漫画を読むという雑誌企画を出したら通ってしまって、実際に行く話。

 飛行機を乗り継いで、だんだんボロ飛行機になっていき、登場人物が筒井康隆の「五郎八航空」っていう小説って知ってますか?というくだりで爆笑である。これはさすがに元ネタを知らないと判らないと思うけど。そして行ったエロマンガ島とはどんなとこ? 長嶋有は行ってないけど、ホントに行った人の話をもとにしている。ところで「三人」の中には、空港で初めて会った謎の人物がいる。その人物は一体何なのか。それは同じ本の後ろの方にある別の短編で明かされている。

 「ジャージの二人」(2004)は、北軽井沢にあるぼろい「別荘」に父と二人で(犬も一緒)過ごすというだけの日々。妻はいるけど、他に好きな男がいて、父の方も後妻と娘がいるけど、どうなってんだか。でも、そういう日々の問題は、コンビニもスーパーも遠くて大変な日々に紛れてしまう。仕事も辞めて作家になるという主人公の設定は作家本人と同じ。実際に別荘もあるらしい。後々「ジャージの三人」「ジャージの一人」も書かれる。2008年に映画化されたとき、主人公は堺雅人が演じた。(見てない。)なんてことないけど、哀しくて可笑しい。まあ、クルマの免許は取りましょうと思ったけど。

 「佐渡の三人」(2012)は「佐渡にいったことがなくても楽しめます」と人を食った著者の言葉が帯に書いてある。前代未聞の「納骨小説」で、父、弟と三人で「私」(実は女性の作家だと後で判る)で、先祖の墓があるという佐渡に納骨に行く。もうだいぶ前の代で東京へ出て来て、祖父は医者として知られたらしい。その三男の「父」は「実業家」(実は古道具屋)で、祖母の命令により行きがかり上三人で納骨に行くことになってしまう。ユニクロの袋に骨壺を入れて佐渡に行くてんまつが、おかしくて哀しい。ああ、同じ表現を「ジャージの二人」でも書いてるけど、こっちの方が深い。この変てこな親子、というか一族の様子はまだ続き、「私」は都合3回佐渡に行く羽目になる。トキも見ないで、ただ納骨に行く「ロード・ノヴェル」で、この面白さはちょっと伝えにくい。是非読んでみてくれというしかないな。
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「それから」-漱石を読む⑤B

2017年07月26日 21時03分44秒 | 本 (日本文学)
 「三四郎」に続いて、文庫版夏目漱石全集第5巻の後半にある「それから」を読んだ。これは初めて。昔映画化されたとき(1985年)に、原作も読もうと文庫を買った記憶があるけど、結局読まないままだった。「三四郎」に続いて、1909年(明治42年)6月27日から10月14日まで大阪朝日、東京朝日に連載された。作中で当時問題だった日糖事件や幸徳秋水の名前なども登場する。

 この小説は「高等遊民」の生活を送る長井代助の生活を描いている。彼の家は裕福なので、親の援助で大学卒業後も定職につかず暮らしている。もう30歳で、親からは結婚を急かされている。そこへ学校時代からの友人で大阪の銀行で働いていた平岡が、借金付きで東京に戻ってくる。部下が使い込みをしたため上司に責任が及ばないように辞職したのである。

 かつて二人の学生時代に、菅沼という有人がいた。彼には妹の三千代がいたが、妹を残して母と本人は病死してしまった。ひそかに三千代を見初めていた代助だったが、稼ぎのない自分ではない方がいいと思い、三千代と平沼の結婚を周旋したことがあった。だが、三千代は生まれた子を亡くし、以後病弱となり東京へ戻ってきた。代助の三千代に対する愛と同情は再燃していく。

 代助の父と兄は実業界で重きをなしているらしいけど、何やら難しい問題もあるらしい。そろそろ代助には結婚して欲しく、家の事情からも佐川令嬢との結婚を父は望む。平岡は借金を抱えて求職に奔走してるが、代助には手助けすることができない。一家内でただ一人代助に同情的な兄嫁、梅子は内緒で2百円を貸してくれる。それを三千代に渡した代助は、何かと三千代に近づき、ついに愛の告白をする。父には結婚をはっきり拒絶し、平岡に面会を申し込む…。

 そこらへんのラスト近くは緊迫した名シーンが多い。でも、そこまでがはっきり言って「かったるい」。大体「高等遊民」って何だろう。単に就職しないだけで、特に何もやってないんならたいして面白い人生とは言えない。早くちゃんとした仕事に付けと言われつつ、音楽や演劇などに熱中している若者は、今でも無数にいるだろう。それがいいかどうかは個別の事情によるだろうが、音楽や演劇にあたるものが代助にはない。小説を書くとか学問をするとかすればいいのに。最高学府を出てるんだから知的好奇心でいっぱいだと思うが。

 文体は完成しているので、つい読んでしまうのだが、どうも今になるとつまらない小説だなあと僕は読みながら嫌になった。今あらすじを書いたが、それをまとめると「結婚とお金」に関する物語である。これは近代人の二大問題だ。近代社会では、身分制が崩れ社会の変化が激しいから、人は「何か」になって貨幣を得ないといけない。そして、結婚して一家を構え、家を継いでいかないといけない。今になると後者はほとんど意識しなくていいけど、明治時代には大きな問題である。

 その大問題をめぐって、結構身もふたもない議論を積み重ねたのが「それから」という小説である。僕はこの「何者でもない」代助が、書生と「婆や」を置いているのに心底驚いた。父からもらう金で独立した家を営んでいるのである。それじゃあ、何もできない。父はなんで自立させなかったのか。それは結局、「次男は政略結婚用に取っておかないといけない」ということになる。

 そこで代助が最後に三千代を選択すると、父はついに援助を停止するという最終手段を行使する。そこから代助の人生が出発することになる。これは近代日本で数多く書かれた「不倫小説」の一種と言える。もっとも精神的にはともかく、肉体的には何の関係も起こらない。もし起こったら、「姦通罪」という犯罪になるのだから、そういう展開は書けないし、描写もできない。だけど、この小説は要するに「不幸な人妻を救い出す」という話だ。

 「貨幣」の魔力で引き裂かれた近代人の社会。その中で病気と借金に苦しむ女性を、結婚制度という枠組みを超えて生きる道を探る。それが「それから」という小説だと思うけど、いまさらめいたテーマに思えるし、代助が親の金を使うだけで(芸者遊びなどはしている)、積極的に何かを始めないのでちょっとイライラする。この代助という人物にあまり現実感がないの「それから」の最大の問題だ。

 1985年に森田芳光監督によって映画化され、その年のベストワンになった。代助は松田優作で、三千代は藤谷美和子。主にアクションスターだった松田優作を、こういうアクションの少ない役に使うのは最初心配したけれど、これは非常な適役だった。藤谷美和子のセリフ回しには最初心配だったけど、だんだん良くなっていき、映画全体としてはとても満足できる出来だったと思う。父は笠智衆、兄は中村嘉葎雄、兄嫁が草笛光子、平岡が小林薫と実に豪華なキャスティングだった。

 いま思い出すと、小林薫はどんどん老け役を演じていくわけだが、松田優作は永遠に青年に留まっている。松田優作が「高等遊民」を演じたことがその印象を強めてしまった。でも原作を読むと、どうも「高等遊民」というのも親の金でぶらぶらしているだけという印象が強くなる。それが意外だった。小説も魅力という意味では、「三四郎」に遠く及ばないというのが正直なところだ。漱石全集も半分読んだけど、ずっと続けて読むのは難しい。何とか一月一冊でも頑張って読み切ってみたいと思う。
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グルーズの絵、漱石映画の話-「三四郎」もう少し

2017年07月19日 21時40分52秒 | 本 (日本文学)
 今日(7.19)に梅雨明けした。でも、もう7月初めから、つまり都議選開票の頃から、ずっと東京では30度を超えている。「もう、梅雨明けしてるよ」と会う人ごとに大体みんなそう言ってた。暑い日がずーっと続くと、政治の話題などを書く気力も失われていく。

 各マスコミの世論調査では、安倍内閣の支持率がどんどん下がっている。あれほど「岩盤」のように5割を維持し続けたんだけど、今や調査によっては3割を割っている。稲田防衛相のこと、「残業代ゼロ制度」をめぐる問題など、ちゃんと書きたいと思いつつ、どうも面倒だなと思う。

 2週間前に、九州北部で大水害が起こり、多くの犠牲者が出た。その頃、関東も通り過ぎて行った台風があり、都議選で自民が大敗したといった話題も、テレビでは後景に退いた。国際問題でも多くの問題があるし、加計学園、森友学園問題もあるが、日本ではすぐに「気象ニュース」が中心になる。良くも悪くも、それが日本という風土で生きるということなんだなあとあらためて思う。だからと言って、何でも「水に流す」という風にしてはいけないと思う。

 ということで、今日はちゃんと書く気がしないんだけど、「三四郎」をめぐって書き残しがあるからそれを書いておきたい。昨日は昨日で急いで書いたから忘れてしまったのである。本を読んでるだけでは判らないことが、今はネット上ですぐに判る。三四郎の憧れの君、やがて「里見美禰子」(さとみ・みねこ)と名前も判明するが、この人はどういう容貌の人なんだろうか。

 三四郎は広田先生の引っ越しを手伝いを頼まれてやってくる。その日は「天長節」とある。明治時代の天皇誕生日だから、11月3日である。そこへ「池の女」も手伝いにやってくる。その場面を「青空文庫」から引用すると以下のようにある。(太字は引用者)

 二、三日まえ三四郎は美学の教師からグルーズの絵を見せてもらった。その時美学の教師が、この人のかいた女の肖像はことごとくヴォラプチュアスな表情に富んでいると説明した。ヴォラプチュアス! 池の女のこの時の目つきを形容するにはこれよりほかに言葉がない。何か訴えている。艶えんなるあるものを訴えている。そうしてまさしく官能に訴えている。けれども官能の骨をとおして髄に徹する訴え方である。甘いものに堪たえうる程度をこえて、激しい刺激と変ずる訴え方である。甘いといわんよりは苦痛である。卑しくこびるのとはむろん違う。見られるもののほうがぜひこびたくなるほどに残酷な目つきである。しかもこの女にグルーズの絵と似たところは一つもない。目はグルーズのより半分も小さい。

 この「ヴォラプチュアス」(voluptuous)を検索してみると、「豊満な体をした, グラマーな;官能的[肉感的]な;好色な;みだらな」と出てくるのである。じゃあ、グルーズっていう画家は何だろう。ジャン=バティスト・グルーズ(Jean-Baptiste Greuze)という18世紀フランスの画家である。(1725~1805) 当時の市民生活に材を取った「風俗画」で人気を誇ったが、大革命後には忘れられた画家になったという。どんな絵を描いたのかと、画像検索してみると、以下のような感じ。
 
 まだまだ出てくるが、一応2枚だけ。「美禰子に似たところはない」とあるけど、そして「目は半分」だともあるけど、「肉感的」「官能的」という時のグルーズの絵を言うのは、こういうものだった。ちょっと意外な感じがするけど、なんとなく「高嶺の花」的な感じは共通しているのかもしれない。

 「三四郎」は1955年に東宝で映画化されている。今や「東海道四谷怪談」など新東宝で撮った怪談映画で一番評価されている中川信夫監督。中川信夫は戦前以来、なんでもござれの娯楽映画をたくさん作っているが、文芸映画も多い。「虞美人草」(1941)も撮っている。「若き日の啄木 雲は天才である」などホラー以外の名作も多い。「夏目漱石の三四郎」(1955)も昔見たけど、悪くない。

 キャストを紹介すると、三四郎は山田真二という今は忘れられた俳優で、当時は美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの「三人娘」の映画にたくさん出ている。紅白歌合戦にも一度出たという。美禰子は八千草薫。広田先生は笠智衆。なかなかうまいキャスティングだけど、八千草薫では清楚イメージが強くなるのかもしれない。でも映画としては、八千草薫の美禰子、笠智衆の広田先生というのは、今でも見てみたいと思わせるんじゃないか。

 漱石の映画化としては、森田芳光「それから」が圧倒的にベストだろう。市川崑が「こころ」と「吾輩は猫である」を映画化。新藤兼人も「心」と漢字名で映画化している。でも、まあそれなり。それなら5回映画化されてる「坊っちゃん」の方が面白いか。鴎外、藤村、潤一郎に比べて、映画化には恵まれていない。そこが漱石作品の特徴をも示していると思う。ストーリイで売る話ではなく、歴史小説もほぼない。恋愛というほど発展することも少ないし。それが漱石文学だということでもある。
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「三四郎」-漱石を読む⑤A

2017年07月18日 21時39分38秒 | 本 (日本文学)
 夏目漱石を読んでるシリーズ。ちくま文庫版全集も全10巻のうち、半分の5巻になった。「三四郎」と「それから」を収録している。まずは「三四郎」について。1908年(明治41年)9月1日から12月29日に朝日新聞に連載され、翌年刊行された。昔から青春小説の古典と言われ、僕も前に読んでる。

 以上の連載日時などは、今ネットで調べたが、いまや「三四郎」というのは、お笑いグループの名前として認知されている。でも、まあそれだって元は漱石なんだろう。三四郎というのは主人公小川三四郎のことだけど、どうしてこういう不思議な名前になったのかは出ていない。三郎や四郎はいても、三四郎という名は普通付けないだろう。それはともかく、高校を卒業した三四郎が上京して大学へ入る。クラスメイト、女友だち、先生などと出会い様々な体験を積んでゆく青春彷徨編である。

 多少古い点もないではないけど、今も十分に面白い青春小説の傑作だと思う。文章も読みやすく、東大がある本郷周辺の「都市小説」としてもよく出来ている。有名な場面名セリフが随所にあって、それらは僕も大体覚えていた。「草枕」を絵のような小説をめざしたというけれど、その目論見はむしろ「三四郎」の方が達成度が高いのではないか。東大の三四郎池でヒロインを見かける場面を初め、一編の美しい絵を見た思いがずっと残る。以下に名セリフを少し引用。

・「貴方はよっぽど度胸のない方ですね」(名古屋で相部屋になった女性に翌朝言われる。)
・「亡びるね」(東京へ向かう汽車に乗り合わせた先生が言う。)
・「可哀想だた惚れたって事よ」(友人の佐々木与次郎が「Pity's akin to love」を英訳。)
・「stray sheep」(団子坂の菊人形を見た帰り、疲れて迷った美禰子が三四郎につぶやく。)

 これらは一度読んだら忘れないだろう。僕もずっと覚えていた。だけど、忘れたことも多い。一番大きいのは、肝心の「広田先生」が、「食客」(「いそうろう」とルビがある)として佐々木与次郎を置いていたこと。広田先生というのは、汽車で会って「亡びるね」といった人だけど、なんで汽車に乗ってたのかは謎。その時点では謎の人物だが、大学で出会った友人、佐々木与次郎の先生でもあった。そして、先生の引っ越しを手伝いに行き、かつて見初めた里見美禰子と出会うわけである。

 「三四郎」の中で実際に出てくる主要人物として(手紙の中で出てくる三四郎の母などは除き)、文明批評を担当するのが広田先生である。名前も明示されていて、広田萇という。(「ちょう」である。草冠に長い。そんな字があるかと思うとパソコンに出てきた。)「こころ」の先生と混同していたが、こっちの広田先生はちゃんと高校で教えている。そして、与次郎君は広田先生の東京帝大招致運動をしている。そろそろ日本の大学にも外国人教授ではなく日本人教授を招くべきである。例えば、広田先生はどうかというもので、先生に諮らずに勝手に動き回る与次郎に、先生も三四郎も迷惑を蒙る。

 三四郎が美禰子に憧れる青春恋愛小説としか覚えていなかったのだが、小説内ではそういう世俗的問題がけっこう語られている。それはまた三四郎と美禰子が「貨幣」で結びつけられている事情にも表れている。先生が引っ越す費用20円を野々宮(三四郎の先輩で、寺田寅彦がモデルという)から借りる。それを返すため、先生は与次郎に金を預けるが、与次郎はそれを競馬ですってしまう。そこで与次郎は三四郎の仕送りから借りる。しかし、与次郎は返せないので、いろいろとあたって結局美禰子から貸してもらう。ただ美禰子は与次郎には貸さず、直接三四郎に貸すのならという。

 こうして、金を貸す、返すをめぐって、三四郎と美禰子の関係が語られる。ロベール・ブレッソンに「ラルジャン」という、お金が人々の手を周っていく様子を描いた映画があるが、そんな感じ。「貨幣」を媒介にして展開していく人間関係、というテーマは、以後の漱石文学の定型になっていく。その原型という意味がある。「貨幣小説」としての「三四郎」はもっと強調されるべき視点だろう。

 三四郎と美禰子は、同い年である。なんだか美禰子が年上みたいに思えてしまうが。20世紀初頭において、また旧制教育制度において、結婚においては男性が数歳以上年上だというのが通念だった。旧制中学、旧制高校、旧制大学を出たら、もう25歳程度になってしまう。現に三四郎が熊本の五高を卒業して上京したのは、23歳である。一方、女性が行ける大学はなかったし(1901年に作られた日本初の女子大「日本女子大学」は、1947年に至るまで大学ではなく専門学校である)、高等女学校を出たら、もう適齢期である。それなりの仕事を得て家族を養える男は30歳前後になる。

 ということで、最後に美禰子は結婚してしまい、三四郎は「失恋」することになるけど、案外淡々としているようにも思えるのは、当然そうなるだろうと思っていたからだろう。自分は結婚相手に選ばれるべき資格を欠いていることは自分でも判っていただろう。まあ、そうなるまでに菊人形を見に行ったり、美禰子が絵のモデルになったり…。音楽や美術の知識・関心と共有し、英語で本も読める知識階級のサロンのようなものが、ここでは普通に描かれている。会話も面白く、だいぶ文学を受容できる階層が誕生したことが判る。

 恋愛も大事だけど、そういう知的なサロンに東京で初めて触れたことが大きいと思う。ステキな女性がいることは、そういう知的会話を無理してでもできるようになりたい要因だけど、こうして人は大人になっていく。そんな青春上京小説というものを「三四郎」が作ったとも言えるだろう。小説に出てくる地名は、ちょっと大久保(新宿の隣)が出てくる他は、ほぼ今の東京都文京区に限られている。三四郎マップなんかは、探せば出てくるので書かないけど、文学散歩に格好の小説だなあと思った。「追分」「真砂町」など、今の地図には出てない地名も多いけど、本郷周辺である。東大内の心字池は、今では「三四郎池」と通称されるようになってしまった。数年前に散歩した時の写真。
(数年前に散歩した時の三四郎池)
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尾崎一雄の小説を読む

2017年06月25日 22時39分41秒 | 本 (日本文学)
 昨日はパソコンそのものを開かずに、ずっと本を読んでいた。(その前に陸上の日本選手権を見たけど。)読んでたのは、尾崎一雄(1899~1983)の「暢気眼鏡・虫のいろいろ」(岩波文庫)という本である。戦前に「暢気眼鏡」で第5回芥川賞を受けた私小説作家で、今はもう知らない人の方が多いんじゃないか。でも存命中は芸術院会員で文化勲賞も受け、各種文学全集に入っていた。
 
 時代離れしたくなって時々古い本を読むけど、「暢気眼鏡・虫のいろいろ」という文庫本を今読んでいる人は、きっといないんじゃないかなどと思いながら読んでいる。「騎士団長殺し」だったら「今この本を読んでる人は日本中に何人もいるんだろうなあ」と思うわけだけど。この文庫本も今は品切れだと思うが、2012年に重版されたときに買ってあった。何で今読んだかというと、新文芸座の「司葉子特集」で「愛妻記」(1959、久松静児監督)という映画を見たからである。

 これは戦前に尾崎一雄が妻を描いた「芳兵衛もの」(芳兵衛は妻の愛称)をアレンジして映画化した作品で、主人公(尾崎役)はフランキー堺、妻が司葉子である。そういえば、同じような映画を見たことがあったなと思う。それは「もぐら横丁」という1953年、清水宏監督の映画で、近年フィルムセンターで復元され見られるようになった。主演は佐野周二、妻は島崎雪子。(他に1940年に島耕二監督「暢気眼鏡」という映画もあるようだけど、それは見たことがない。)

 主人公は作家をめざして修行中だけど、お金もなく貧乏が染みついている。下宿でも家賃滞納で食事も出してもらえない。なじみの古本屋に行って金を借りてくるしかない。そんな暮らしの主人公のところへ、なぜか14も年が離れた芳子という妻がやってくる。貧乏だけど、明るくつましい二人の日々…。というような話がユーモラスに展開されるけど、そんな夢のような女性がホントにいるのか。いたんだから間違いないけど、映画では司葉子の清潔な明るさがうまく生かされていたように思う。

 原作を読んでみると、もっと苦い感じもあるし、そう簡単ではない諸事情もあった。小田原辺の神主の息子で、父が神宮皇學館にいた当時に伊勢で生まれた。だけど長じて文学に目覚めて親と不和になる。そういう話はよくあるけど、父が病気になって若死にし、尾崎一雄は20歳で家長になってしまった。家の財産の土地を売り払って、東京で飲み暮らして「文学修行」に費やしてしまった。(まあ、それだけでなく子弟にも高等教育を受けさせ、関東大震災や恐慌による経済混乱もあったと本人は書いているけど。)その結果、親兄弟と絶縁していたのである。

 一時は文壇デビューするものの、プロレタリア文学の隆盛や前妻とのいざこざで書けない時期が続いた。それでは「破滅的私小説」になるところ、天衣無縫の若き妻を得て新しく文学的な出発をする。「玄関風呂」なんか、ちょっと他では読めない貧乏ユーモア小説になってる。1934年8月初出とある「灯火管制」もいい。防空大演習の灯火管制を前に、電気代未納で電気を停められ、自然と「灯火管制」になってしまう日々。これは信濃毎日新聞の桐生悠々が批判した1933年8月の「関東防空大演習」を描いているのではないかと思う。市井の人々の様子が伝わってくる。

 戦争中に病気になり、郷里の小田原・宗我神社の近くに疎開し、そのままずっとそこで暮らした。そうなると、病気や田舎暮らしの描写が多くなる。そんな中で家族もだんだん年を取り、母親も死ぬ。一方、3人の子どもも大きくなる。そういう様子を読んでいくのも、私小説の楽しみだろう。この本は全生涯から少しづつ代表作を選んでいるから、読み進むに連れて老境に至ってくる。「蜜蜂が降る」(1975)は自宅にある樹に蜜蜂の大群が分封してやってくる様子を描いて興味深い。

 「松風」(1979)という短編になると、マツクイムシなどの被害で神社の松も伐られることになる。そういう時に著者は松の害虫を詳しく調べて描写している。私小説という形で、時代の移り変わりも描かれる。また、この短編では映画化以後も清水宏監督の交友が続いていることが書かれている。戦災孤児を引き取った「蜂の巣の子供たち」という映画で有名な監督だけど、実際に伊豆で子どもたちと暮らしていた。その場所にあった松が枯れて、そこに「蜂の巣窯」を開くという。その窯開きに招かれたのである。招待者には志賀直哉夫妻、広津和郎夫妻、小津安二郎、野田高梧、尾崎一雄夫妻だとある。そういう交友関係があったのかと驚いた。

 最後の短編「日の沈む場所」(1982)になると、太陽が季節ごとに沈む場所が変わるさまを自宅の2階から眺め続けている。私小説の中には、自己の行為を露悪的に描くようなものも多いけど、この尾崎一雄という人はちょっと違う。ユーモラスかつ自然や哲学への洞察がかなり出ている。もともと歴史ある神官の家に生まれ、結局は無信仰のような、自然信仰のように生きた。それも近代日本人の一つの典型だったかと思う。読みやすいから、これからももう少し読んでみたいような作家である。
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「抗夫」-漱石を読む④B

2017年06月18日 21時23分40秒 | 本 (日本文学)
 「虞美人草」に続いて、漱石全集第4巻後半にある「抗夫」を読んだ。1908年1月から4月にかけて、朝日新聞に連載された。漱石作品中、一番の異色作と言われるが、普通「失敗作」と思われている。確かに間違いない失敗作で、はっきり言って全然面白くない。でも無視もできない作品ではある。漱石を全部読もうと願を立てた人以外は、「虞美人草」と「抗夫」は飛ばして先へ進むのが賢明。

 この小説は一種のルポルタージュ文学で、女性問題のいざこざに巻き込まれた19歳の青年が、家出して放浪しているところを「ポン引き」に捕まって抗夫になろうと思う話である。実際にそういう体験をした青年が、漱石のもとに体験談を小説化して欲しいと持ち込んだという。漱石は断ったけど、朝日で予定していた藤村の作品が遅れて、穴埋めに書かざるを得なくなったという。

 漱石の小説は、そのほとんどが東京のインテリ階級を主人公にしている。舞台もほぼ東京である。地方を描いているのは、「坊っちゃん」「草枕」「抗夫」だけだろう。(イギリスものは除いて。)この中でも、下層階級の実態を描いているのは「抗夫」だけ。その意味で異色作に間違いないけど、読んで見るとあまり抗夫が出てこない。というか、実は主人公は抗夫にならない。アレレ。

 舞台になる鉱山は足尾銅山だということだけど、文庫本230頁ぐらいの中で100頁ほど読んでやっと鉱山に到着する。それまでは、連れられてヤマへ行くまでの記録。裕福な家の御曹司だったらしい「自分」は、いちいち下層社会に堕ちた驚きで話が進まないのである。ハエがたかった饅頭に驚き、抗夫にならんかと言われてビックリする。何するという考えもなしに、ただ家を飛び出た主人公は、ひたすら悪の手先のような男に連れられて「魔界」に足を踏み入れる。

 そこで他の抗夫の生態に触れて、下層民衆の卑しい生活になじめない思いを面々と訴える。その後、試しにヤマに入ってみることになるが、そこは確かに迫力はある。そこで働けば面白い文学になったかもしれないが、身体検査を受けたら気管支炎と診断されて、鉱山内労働不可となる。なんだという感じ。一種の「冥界めぐり」の異文化体験だけど、面白くなりそうなところで終わってしまう。

 この作品の一番つまらないところは、抗夫の生態が一面的にしか描かれていないことだろう。彼らは儲けた金をバクチと娼婦に使ってしまう。だから金がたまらない。だから、いい加減に生きているやつらはダメなんだというような感じである。そりゃあ、バクチや女にカネも使おうが、それ以前に会社によって、あるいは親方制度によって、搾取されているはずだろう。労働者自身も複雑に身分差が作られている。それに対する抗議運動もあったわけで、史上有名な軍隊まで出動した足尾銅山争議は1907年のことである。この小説が書かれる前年のことではないか。

 いくら19歳のうぶな青年の経験をもとに書いていると言っても、同時代を揺るがした足尾大争議(暴動)や、足尾銅山鉱毒事件(1901年に田中庄造の天皇直訴事件、1906年に谷中村の強制廃村)の影も形も見えないとなれば、それは作家の想像力が及ばなかったんだろう。漱石の思想性の限界ではなかろうか。モデルの人物が、せっかく鉱山まで行きながら、そういう社会的矛盾をとらえる目がなかったということなんだろうけど、それがこの作品を弱いものにしているのは間違いない。

 ルポルタージュ文学としても、明治東京の下層社会を描いた松原岩五郎「最暗黒の東京」(1893)、横山源之助「日本の下層社会」(1899)などの迫力に遠く及ばない。何しろ漱石が自分で見もしないで書いているのだからやむを得ない。作者が自ら潜入して迫真的な告白ルポを書いた、鎌田慧「自動車絶望工場」や堀江邦夫「原発ジプシー」のような迫力がないのも当然。

 その後、プロレタリア文学、戦争文学がいくつも書かれ、主人公がもっとすごい境遇に置かれて絶望的な体験をしている。そういうことを知っている今の目で言えば、ほとんどお坊ちゃんのお遊び的な体験記というしかない。だけど、それ以後の漱石作品が都市の知識人世界に限られるようになったのも、いわば「抗夫」の失敗体験ゆえなんだろう。その意味では重要だし、富裕層の青年が下層社会をどう見るかという社会学的な意味はある。ただ、文学的な意味での感興には乏しい作品だ。
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「虞美人草」-漱石を読む④A

2017年06月14日 23時24分02秒 | 本 (日本文学)
 ニュースもいろいろある日々だが、思い出すように月に一回読んでいる夏目漱石。今回はちくま文庫版全集第4巻だけど、「虞美人草」と「抗夫」と長いのが二つ入っている。一回にまとめると長くなりそうだし、最初に読んだ「虞美人草」を忘れてしまいそう。そこで、二回に分けて書くことにする。
 (読んだ本とは違う画像だけど)
 夏目漱石は1900年に英国に留学、帰国後は東京帝大や一高で講師をしながら、「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」を書いていた。しかし、1907年に教職をすべて辞職して朝日新聞社に入社し、専業作家として生きることを決意したわけである。そして最初に書いた長編が「虞美人草」で、1907年の6月から10月にかけて新聞に連載された。ちょうど110年前の小説

 「虞美人草」は昔から一般的には「失敗作」と言われることが多いと思う。その割に長いので、敬遠されがちだ。「猫」や「草枕」を読んだら、次は「三四郎」や「それから」に飛んでしまう人も多いだろう。僕も初めて読んだけど、やっぱり失敗作に間違いない。途中でちょっと面白くなるけど、最後の最後に大混乱になる。ちょっと救い難い展開で、困ってしまった。問題は単なる失敗作というにとどまらず、漱石の思想、あるいは文学観そのものに問題があることだ。

 物語のヒロインは、藤尾という。そのことは昔からいろんな漱石関連本で知ってたけど、藤尾という名字かと思っていた。(昔、藤尾正行というウルトラ右翼の自民党政治家もいたので。)そうしたら、「甲野藤尾」という名前だった。僕だって「藤緒」とでもなってたら女性の名前かと思っただろうが、これでは間違う。そもそもヒロインを名前だけで表すというのが、一種の性差別である。藤尾の兄、甲野欣吾は主に「甲野」と書かれているのだから。

 この「藤尾」という女性は、日本文学史上に名高い「悪女」というか、「驕慢」な女性とされている。文庫の裏の紹介では、「我執と虚栄心のみ強く、他人を愛することのできない紫色の似合う女・藤尾」とひどいことが書いてある。ところが読んでみると、そこまで「我執」の人とは全然思えない。まあ、美人を鼻に掛けているタイプではあるだろうけど、そんな人は世の中にいっぱいいて、特に「悪女」と糾弾されるほどのことでもないだろう。現代の小説では珍しくもない。

 藤尾が特に糾弾されるのは、多分「結婚相手を自分で変えたいと望んだ」ためだろう。彼女には親どうしで何となく決めたような関係の男性がいる。兄欽吾の友人、宗近一である。さらに彼の妹、宗近糸子は欽吾と結婚を考えている。だけど、宗近一はなかなか外交官試験に合格しないのに、とかくノンビリ構えている。藤尾はそれが不満で、むしろ英語の家庭教師に来てもらっている小野にひかれていく。彼は「恩賜の銀時計」を貰ったほどの秀才なのである。

 欽吾の父は外国で死亡し、今の母は後妻に来た人である。つまり、欽吾と藤尾は異母兄弟。欽吾は哲学専攻で病弱のため、自分は家を出るなどと言う。そうなると、甲野家は藤尾に婿を取る方がいいわけで、その点でも係累のない小野の方が適当だと、藤尾の母は思う。母は「なさぬ仲」の欽吾ではなく、藤尾に老後を見てもらいたい。そういう非常によく理解できる俗なる動機で、母と娘は宗近ではなく小野を婿にしたいと望むわけである。

 一方、小野は故郷で世話を受けた井上孤堂なる「恩師」がいて、彼のおかげで大学にまで進めた。その娘・小夜子とはこれも「いずれは結婚」と黙約のような状態にあった。しかし、正式な婚約でもなく、小野も将来を考えて財産も美貌もある藤尾の方が自分の相手にふさわしいと思う。これも道徳的には少し問題かもしれないが、「よくある話」である。そんなこととは知らない井上一家は、京都で窮迫して小野を頼りに東京に出てくる。そして当然、小野が小夜子を嫁に迎えると信じて待っている。

 まあ、そういう「欲得の絡んだ三角関係」が起こるわけだけど、むろん現実の男女関係は何もない。こんな話は腐るほどあって、昔から小説では「親の決めた相手と結婚せざるを得ず、泣く泣く心の恋人を諦める」というストーリイが山ほど書かれた。ところは、「虞美人草」はそれと反対で、親の決めた相手と結婚しないとはなんという不徳義漢かと非難するのである。

 これは今では全く通じない話である。今じゃ親が結婚相手をいつの間にか決めちゃうという方が「不道徳」な話である。特に美人の藤尾が自分を慕ってくれる秀才を、欲得も絡んで選ぼうとするというのは、当然の展開というしかない。小野にしてみても、貞節な田舎娘とマジメな結婚をするのもいいけれど、ともにシェークスピアを論じあえる藤尾のような女にひかれるのも当然の成り行きである。

 むろん、現実の結婚というのは、そうそう思い通りにはいかない。藤尾と結婚しても自我の衝突に苦しみ、小夜子を捨てた過去を悔いるかもしれない。一方、小夜子と結婚しても索漠たる結婚生活に耐えがたい思いを抱き続けるかもしれない。どっちがいいとか事前に判るわけがないけど、何にせよ、俗世で苦しみ続ける人間を冷徹に見つめるというのが、「文学」というものだろう。

 ところが最後の最後に、宗近が外交官試験に合格し、それと同時に「小野」を正気に戻す工作を一家で開始する。作者が小説内に出てきて解説してしまって、あれこれと人物をコマのように動かす。そうすると、宗近に説得されて、小野はがぜん自己の非を悟り、反省して小夜子と結婚すると約束する。中の人物が寄ってたかって藤尾とその母を非難し、秩序が再生される。哀れ藤尾は皆の攻撃を一身に受け、ついには謎の死を遂げてしまう。(ウィキペディアは自殺と書くが、吉田精一の解説は「ショック死か自殺か判らない」と書く。読む限りでは明示はされてない。)

 こういう一種のトンデモ小説だとは思いもよらなかった。もう最後のころには「ブンガクの香り」がまったくなくなる。代わりに立ち込めるのは「説教臭」である。作者が一定の道徳観を持つのは当然だけど、それが小説内で絵解きされてはいけない。登場人物が作者の与えた性格付けをまったくはみ出ていかない。名作と言われる小説では、作家の思惑を超えて登場人物が独自の存在感をどんどん発揮してしまうものだ。そういう面白さに全く欠けるのが、「虞美人草」の最大の欠陥だろう。

 そういう点もあって、会話が恐ろしくつまらない。恐らく当時の日本社会全体で、ウィットに富む会話を交わしあうと言った社会空間が存在しなかったんだと思う。漱石の「猫」では、一部の知識階級だけがサロン的に集まり、高踏的な会話を交わしあうのが醍醐味になっている。でも、現実にはそんな場所はなかっただろう。「猫」でも現実の社会や政治は出てこない。

 やはり小説は現実の社会に規定されている部分が大きい。女子大学もなく、女が勉強すること自体がおかしなことだった時代に、藤尾が評価されるはずがない。24歳で「行き遅れ」と評されている。平均寿命も違うけど、学生にも「職業婦人」にもなりえない女性が、そう何年も嫁に行かないというのは、当時の観念ではおかしいのである。だけど、それも父親が亡くなり、甲野家を誰が継ぐかという問題が背景にある。家制度のあった時代で、それを無視できない。欽吾がはっきりしないのを非難せず、藤尾の行動だけを非難するというのは、漱石の思想が保守的だったのである。
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イデアとメタファー-村上春樹「騎士団長殺し」を読む②

2017年06月01日 22時38分45秒 | 本 (日本文学)
 ここ10日近く「騎士団長殺し」を読んでいて、何とか読み終わったわけだが、2回目は疑問などを中心に書く。前回よりも、小説の中身の仕掛けに触れざるを得ないので、まだ未読で近々読もうと思っている人は読んだ後にしてもらう方がいいかもしれない。

 「騎士団長殺し」の第1部は「顕れるイデア編」、第2部は「遷ろうメタファー編」と題されている。読み方は「あらわれる」と「うつろう」で、「イデア」(idea)とはプラント哲学以来の用語で「観念」のこと。「メタファー」(metaphor)は比喩の用法の一つ「隠喩」のこと。「あなたは私の太陽だ」といったものである。(「太陽のように」と表現するのが普通の比喩。)こういう題名を見ると、大体の人は物語の内容をそれこそ「隠喩」で表した題名だと思うだろう。

 ところがそれは大違い、実は世界小説史上誰も書いたことがない「トンデモ小説」なのである。「顕れるイデア編」というのは、要するに本当に「イデア」が現実界に顕れるのである。つまり、自分が「イデア」であると名乗るイデアの「実体」(?)、「形象化」(?)が口を利く。形は雨田具彦描くところの「騎士団長」を仮の住まい(?)としている。もっとも登場人物の中でも、イデアを見られるのは「私」の他には「少女」だけに限られている。そして「彼」は不思議な言葉遣いをする。まあ通じる日本語だけど。

 同じく「メタファー」の方も同様に、現実にメタファーであるという「実体」が出てきて、「私」は「メタファー世界」を遷ろうのである。そこでは「二重メタファーの危険」という警告がなされる。なんだ、二重メタファーって? これがこの小説で一番判らないんだけど、何がどう危険なのか読んでる限りでは僕にはよく判らなかった。だけど、こんな小説は今まで読んだことがない。

 例えば「吾輩は猫である」で言えば、猫が人語を解するのはおかしいけれど、世の中に猫という実体が存在するのは皆が知っている。「仮に猫が人間の言葉を判るとするならば」という仮定を受け入れれば、後はリアリズムで理解可能である。だけど、「イデア」や「メタファー」は、本質として「概念」なんだから、実体がない。小説は何でも書けるけど、これは何なんだろう?

 もちろんそういう発想が小説内に出てくることは全然かまわない。うまく使われているならば。そこらへんの判断が僕には難しい。単なるリアリズムで小説が書かれていたのはずいぶん昔の話で、日本でも安部公房や大江健三郎以来、ずいぶん不思議な話が書かれてきた。村上春樹でも、特に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」「1Q84」など長大な小説は、リアリズムを超える手法で書かれてきた。

 「海辺のカフカ」なんか、要約するのも難しいような不思議な話なんだけど、超現実界=ファンタジー世界での闘いが、現実世界での「救い」につながっている。「騎士団長殺し」では最初の方から不思議な話がいっぱい出てくるけど、それは「吾輩は猫である」的なファンタジー、つまり「そういうこともあるさ」的に受け入れさえすればリアリズムでも読める。「私」と免色氏の掛け合い的な探求は、ミステリー的にも面白い。それが第2巻の中ほどで、ガラッと変わる。そこで話が一挙に「ファンタジー世界」に移るのである。それは非常に面白いけど、そこでの「私」の闘いが現実にはどう伝わるのか?

 「海辺のカフカ」や「1Q84」は、その辺が最後まで非リアリズムなので、現実界の救済=ファンタジー界の闘いという構図が心に沁みとおりやすい。一方、もともと「少女を救い出す」はずの「私」の行動だったのだが、小説世界内で「現実に起こっていたこと」も説明されてしまう。後で納得できる説明をしているわけだから(その内容はここでは書かない)、「私」は何もする必要がなかったのではないか。騎士団長は「私」と少女のもとにともに訪れる。だから、「私」に対して「諸君は心配することはあらない。火曜日になれば見つかるであろう」とアドバイスしてくれれば良かったのに。

 だけど、この小説における「私」のファンタジー界の冒険は、「私」にとっては必要なものである。「少女を救う」=世界を救済するためではなく、「私」自身が「ユズ」(別れを切り出した妻)と出会いなおすためには。あるいは小さなころに亡くなった妹の「小径」(こみち)と再び手を取り合うために。小径という名の妹は生まれながらに心臓が悪かった。だから亡くなったことに、兄の責任はもちろん何もなく、どうしようもない運命だった。だけど、彼の家族は妹の死を乗り越えることができなかった。

 つまり、「私」の人生は「あらかじめ失われた」ものだったのである。それは村上春樹の多くの小説と同じである。「ノルウェイの森」や「海辺のカフカ」などに通じる、とてつもなく大きな喪失感を抱えて生きてきた。そして、出会った「ユズ」という女性。彼女を得て、肖像画家として生きてきた。彼女が去り、再び大きな傷に直面した主人公がいかに「回復」していくか。その傷の再生という意味では、この小説は心に深く訴えるものがある。だが、現実を救済することと、ファンタジー界を彷徨うことがいくらか離れているのではないか。まあ、それはともかく、「面白くて深い小説」を書く作家は僕が何度も書いているように日本にはまだ多い。村上春樹を好きな人は、ぜひとも辻原登「韃靼の馬」小川洋子「猫を抱いて象を泳ぐ」を読んでみることをお勧めしたい。
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村上春樹「騎士団長殺し」を読む①

2017年05月31日 22時51分06秒 | 本 (日本文学)
 3カ月ぐらい放っておいた村上春樹の新作長編小説「騎士団長殺し」をようやく読んだので、そのまとめ。放っておいたのは、一言で言えば長そうだからということになる。読んでみたら、やっぱり長かった。もちろん、2巻合わせて千ページを超える本だと判っているから、長いのは当たり前だがそれだけでもない。今までの小説と少し感触が違い、叙述は悠々と大河のように進んでいくのである。90年代頃までのように、「この小説は自分のために書かれた本だ」といった感じはもうしない。世界的な大作家になって、悠々たる大作をものするようになっている。

 この「騎士団長殺し」は、とても面白く魅力的な小説ではあるけれど、僕には結構判らないことも多いし疑問もある。疑問の方は次に回して、まずは小説の成り立ちを簡単に。いつも不思議なことがたくさん起きるハルキワールドだけど、もちろん今回も同じである。だけど、その様子は今までとちょっと違う。村上春樹の長編小説は、特に21世紀に発表された「海辺のカフカ」「1Q84」はともに、二つの違う視点の物語が交互に語られる構成になっていた。しかし、今回の「騎士団長殺し」は時間が現実世界で直線的に進む物語で、不思議なことも起こるけど、現実世界の枠組みは否定されない。

 違うと言えば、初めて「私」という一人称を使っていることで、まあ外国語に翻訳すれば同じかもしれないが、日本語表現ではかなりニュアンスが違う。清水義範の傑作「国語入試問題必勝法」を思いだしていえば、この「騎士団長殺し」とは、要するに『私』に「いろいろあった」という話である。いろいろの中身を書くと、これから読む人の興を削ぐからここでは書かない。ただし、「騎士団長」とはモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の登場人物で、「騎士団長殺し」とは、主人公の「私」が見つけることになる日本画家雨田具彦の知られざる傑作の題名。その絵を見つけてから不思議なことが続く。

 書評で言われているように、この物語の中では今までのハルキワールドのアイテムが総動員される感じで、その意味では「またかよ」的な既視感もないではない。だから「ハルキ入門編」(斎藤美奈子)とも言われるわけで、まあ「総決算」(あるいは「二番煎じ」)とも見えかねない。特にいつも出てくる「」の存在、これは「ねじまき鳥クロニクル」など多くの小説に共通する。妻に離婚を切り出され、再び妻のところに戻るまでという意味では、やはり「ねじまき鳥クロニクル」。謎を突き詰めていくと、過去の戦争の傷に向き合わざるを得なくなるのも、「ねじまき鳥」や「海辺のカフカ」と似ている。

 「不思議な妊娠」の物語と言えば「1Q84」を思わせるし、「生霊」をめぐる物語という意味では「海辺のカフカ」。(さらに「源氏物語」と「雨月物語」。)「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」では、「色彩を持たない」とは「友人どうしの5人組の中でただ一人、赤や青など色名が姓に付いてない」という意味だったけど、「騎士団長殺し」ではもっと進んで主要登場人物に「免色」(めんしき)という不思議な姓の人物が出てくる。白髪で真っ白なジャガーに乗って登場する、本物の「色彩を持たない」人物である。この免色は「私」が住む山の屋敷から見える向かいお屋敷に住んでいる。海と山とは違うけど、その構図は(村上春樹が翻訳している)フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」と同じ。

 「海辺のカフカ」もそうだったけど、「騎士団長殺し」でも上田秋成の影響が見える。ここでは名前も明示されていて、登場人物が「春雨物語」を読んで似ていると語り合う。それは地面の底から不思議な鈴の音が聞こえてくるということで、秋成の本では大昔に即身成仏を求めて地底で断食してミイラになった僧が、魂だけ残っているというような設定である。これは最近見た鈴木清順監督のテレビ作品、「恐怖劇場」のために作られた「木乃伊の恋」の原作だ。(「木乃伊」はミイラと読む。)清順作品ではホラーというより、途中からコメディタッチになってしまうけど、この小説ではもっと不思議な展開になる。

 それではこの小説は、過去の村上春樹作品と似ているのか。必ずしもそうではない。まず第一に、小説内の時間や地名がある程度はっきり書かれているということである。主要なドラマは、画家の「私」が借りて住むことになる小田原の雨田邸である。妻に離婚を切り出された「私」は、ショックを受けて自動車であてもない旅に出る。北海道から東北各地を回り、何も起こらないような日々が続くが三陸の港町(名前は出てこない)でちょっとした出来事がある。車が壊れて東京へ戻るが、住む場所がない「私」は学生時代からの友人雨田政彦から小田原の家を紹介される。彼は有名な日本画家雨田具彦の子どもで、具彦はもう90を超えて認知症が進み、伊豆高原の施設に入っているのである。 

 途中の叙述でこれが21世紀の話だと判るが、最後の最後で「東日本大震災の数年前」と時間もはっきりする。「私」は36歳なので、2006年の話だとすると、「私」や雨田政彦は1970年生まれとなる。雨田具彦の弟は、20歳の音大生の時に、なぜか日中戦争に召集され南京戦に従軍したとされる。となると、弟は1917年生まれとなり、雨田具彦はその数年前の生まれ。1915年生まれだとすると、1970年には55歳となる。留学中のウィーンでヒトラーのオーストリア併合にあい、事件に巻き込まれた。戦後になって日本画に転向し高く評価され、遅い結婚をしたとあるから、まあ時系列の整合性はある。

 こうして最後に至って「ポスト3・11小説」の相貌も見せてくる「騎士団長殺し」なのである。この小説では最後に不思議なことがいろいろ起こるが、現実界での時空間に回収されるのである。そして「私」は現実世界で子どもとともに暮らしている。「1Q84」もそうなるのかもしれないけど、明確には書かれていない。「海辺のカフカ」も最後に現実世界に戻ってくるけれど、その後に関しては書かれていない。では、どうして「後日譚」まで書かれたのか。それは村上春樹も年齢を重ねたということでもあるだろうし、「3・11」の衝撃が日本の作家に残した傷跡でもあると思う。

 村上春樹は珍しく各紙のインタビューに答えて、ナチスのオーストリア併合や南京大虐殺は「歴史は集合的な記憶だから、忘れたりつくり替えたりするのは間違っている」(4.2東京新聞)と語っている。歴史修正主義的な動きには「物語という形で闘わなければならない」と明言している。朝日新聞のインタビュー(4.2)でも「この物語の中の人は、いろいろな意味で傷を負っている。日本という国全体が受けた被害は、それとある意味で似ている。小説家はそれについて何もできないけれど、僕なりに何かをしたかった」と語っている。それがうまく成功しているかどうかの判定は別にして、登場人物、あるいは作家は日本という「世界」の傷を負って闘っている。それがこの小説なんだと思う。

 それにしても、絵について、音楽について、小説について、さらに自動車や酒や食事について、この小説では実の多くのことが語られる。それは単にペダンチック(知識をひけらかす)なものではなく、主人公の生き方や世代的な情報を示すものでもあり、また物語の伏線になっているものもある。だから、ゆるゆると楽しみながら読めばいいんだと思うし、関心のない分野はスルーしてもいいのではないかと思う。だけど、ある意味では主人公は「時代離れ」している。雨田邸では雨田具彦が残したクラシックのレコードばかり聞いている。テレビもインターネットもない。ケータイ電話も持たない。友人の雨田政彦も車ではカセットを聞きたいという理由で、古い車を買い替えない。

 「似た者同士」ということで説得力がある。僕もさすがにCDは聞けるようにしているけれど、CDプレーヤーを買う前に何十枚のCDを買っていた。(今もDVDが見られないのに、何十枚もDVDを持っている。)車ではカセットやラジオを聞く方が好きだった。(今は車はないけど。)だけど、これがつまり「伏線」で、登場人物が行方不明になっても、あるいは様々なトラブルを抱えても、ケータイ、スマホ、パソコンなどで連絡可能だというのが現代社会である。この物語の最大の謎は、主人公と、彼の知り合いの少女のゆくえが判らなくなるという設定だが、「ケータイがない」という説得的な理由をそれまでに作っておかなくてはいけない。それには成功しているだろう。(ところで、僕も車は全然判らないので、参考資料として写真かイラストがあるとうれしいと思った。)
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草枕、二百十日、野分-漱石を読む③

2017年05月19日 22時53分32秒 | 本 (日本文学)
 漱石連続読書の第3回。夏目漱石全集の第3巻。「草枕」「二百十日」「野分」の3作品が入っている。1906年から1907年にかけて書かれた作品で、「坊っちゃん」(1906)と「虞美人草」(1907)の間の作品。「草枕」が一番有名で、前にも読んだことがある。他の2作は漱石全体の中でも、そんな小説あったっけという感じだろう。でも、「草枕」はけっこう難物で、若いころに読んだ時には全然判らなかった。
 
 冒頭が有名だけど、「智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」というのが、今ではもうちょっと考え込まないと意味が取りにくい。その後も、人生論や芸術論が多くて、なんか取っつきにくい。それに漱石の(明治人の)漢文素養に付いていけない。だから「草枕」の文章リズムが素晴らしいと言われて、判ることは判るけど、こっちはいちいち注を見ないといけないのでリズムになかなか乗れない。

 とまあ、そういう問題もあるし、一般的な小説における「個人」が描かれないから、ちょっと詰まらない。でも、漱石はこれを「俳画」のような作品、一種のイメージの連鎖のようなものとして書いたのだから、小説としての結構を批判しても仕方ない。ヒロイン格の那美の人物が描かれてないなどという批判も無意味だろう。確かに読後に、いくつものシーンでの那美の映像がくっきりと思い浮かぶ。

 と同時に、読み直してみたら、これは(「猫」などと同じく)日露戦争の「銃後小説」だったことに驚いた。戦争で婚家が破たんして実家に戻った「出戻り」、再度召集され「満州」へ向かうその甥、同じく「満州」へと流れていくかつての夫。その3人を風景の中に点描する画家の主人公。美しい風景の奥に、厳しい歴史の風が流れている。今読むと、むしろそっちが心に残る。

 この小説の舞台が熊本県玉名市の小天(おあま)温泉だというのはよく知られている。2011年に熊本を訪れた時に、そこへも行った。旅館としては「那古井館」があって立ち寄りできる。それよりも「草枕温泉てんすい」という大きな立ち寄り湯もあった。(草枕山荘という宿泊施設もあるようだ。)どっちもなかなか気持ちがいいお湯だった。一度ちゃんと泊まってみたいものだ。

 那美のモデルは、民権運動家前田案山子(かがし)の娘(つな、1867~1938)だとされている。その妹、槌は宮崎滔天の妻である。そこらへんの関わり具合が面白いけど、省略。前田家の別邸が残っていて、草枕の浴場というのもある。それは確かに小説の中の有名なお風呂の場面にそっくりだった。「草枕交流館」というのも近くにある。「草枕」もずいぶん観光資源になっている。
 
 孤高のピアニスト、グレン・グールドが「草枕」が好きだったというけど、世界にもファンが多いらしい。もちろん英訳で読んだわけだろう。僕は一度「草枕」の英訳の再翻訳を読んでみたい気がする。もちろん漢詩なんかは、普通の現代詩として訳すのである。もっと「草枕」が現代人に受けるんじゃないか。

 「二百十日」は、読みやすいけど明らかに失敗作。ほとんどすべてが登場人物二人の会話だけという変な小説で、それも中身は阿蘇登山の失敗期である。この二人の話が全然面白くないのである。二人が地図もなく、案内人もないまま、火山灰がふる阿蘇山を登っていくという無謀ぶりに驚いた。いくら何でも20世紀になってるんだから、もう少し噴火にも、登山そのものにも慎重さが必要だろう。案の定、迷ってしまって大変なことになる。いや、いろんな小説があるもんだ。

 「野分」(のわき、のわけ)は「台風」のことだから、「二百十日」(立春から数えて210日目のことで、台風の多い日とされる)とほとんど同じ意味である。でも、中身に台風は出てこない。「二百十日」よりは面白いけど、まだ小説家途上の作品という感じ。中学教師として地方へ行きながら3回にわたって土地の有力者と衝突して東京へ戻ってきた白井道也という男がいる。世に入れられず、教師をあきらめ筆一本で立とうとしている。つまり漱石の自己戯画化のような設定である。

 中学時代に白井を追い詰めた生徒の一人、高柳は今は自分も大学卒業後に窮迫し、かつては悪いことをしたと思う。高校からの友人、中野は親が裕福で暮らしに困らない。自分も作家として少しは知られる存在で、今は雑誌の記者をする白井が中野の談話を取りに来る。そんな因縁の3人、そして白井の妻と中野の新婚の妻を配置し、一応小説としての登場人物がそろう。でも、どうもドラマとしての発展が弱く、ラストのオチも見え見え。だけど、白井夫人が夫を責めるところなど心に刺さる。

 3作、あるいは今までの作品すべてに言えるけど、漱石という人は「論を立てる人」だなと思う。言いたいことがいっぱいある。社会に対する不平不満もため込んでいる。それを一応、実生活では俳句を作ったり、ユーモア小説を書いて「余裕派」を演じている。そのぐらいの配慮はできるんだけど、相当に不敵な論客だと思う。よくぞ小説家としてあれほど大成したものだ。評論家や学者の方が向いてたんじゃないかと思う。実際にそういう方面の業績も素晴らしいし。
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「坊っちゃん」「倫敦塔」他ー夏目漱石を読む②

2017年04月18日 23時02分51秒 | 本 (日本文学)
 漱石読書の2回目。ちくま文庫版漱石全集の第2巻には「倫敦塔」「幻影の盾」など7編と中編「坊っちゃん」が入っている。しかし、「坊っちゃん」以外は恐ろしく読みにくい。それらは擬古風の美文で書かれたロマン派風の作品で、漱石初期にはそういう作品も書いていたということである。泉鏡花や幸田露伴みたいな作家になったかもしれない可能性が、漱石にもあったわけだ。

 だけどまあ、あまり成功していないと思う。特に「一夜」「趣味の遺伝」なんかは何だか全然判らない。ただ、「趣味の遺伝」は旅順攻撃で戦死した友人が出てきて、中で乃木将軍(と思われる将軍)の凱旋の模様が描かれていて興味深い。「倫敦塔」「カーライル博物館」「幻影の盾」「薤路行」(かいろこう)はイギリスに材を取っている。「カーライル博物館」は写生的だけど、それ以外は幻想的な短編。中世騎士の伝説を描く「幻影の盾」や「薤路行」は結構いいけど、今では読みにくくて雰囲気に浸りにくい。「倫敦塔」が一番いかもしれないけど、イングランド史の暗い王権簒奪の歴史が身に沁みる。ただ「琴のそら音」は普通の文章で書かれたホラーもので、後味も悪くなくて面白かった。
 
 ということで、「坊っちゃん」にたどり着くまでにだいぶ時間がかかる。「坊っちゃん」は中学以来だと思うが、今でもものすごく面白い。「文体」が確立している。だけど、内容的には生徒だけでなく、自分も教師を体験したわけだから、ある程度感想も変わってくる。今回、小林信彦「うらなり」(2006年、文春文庫に2009年)を取り出して読んだけど、今では両者を比べて読む方がいいと思う。漱石の原作で「うらなり」とあだ名された英語教師古賀の「その後」を描いている。昭和9年になって、古賀(うらなり)と堀田(山嵐)が再会する。「マドンナ」のその後も出てくる。それらは著者の創作だけど、違和感はない。
 
 今はどうなのか知らないけど、「坊っちゃん」は中学生ごろの必読本とされていた。「中一時代」とか「中一コース」とかいう「学年雑誌」を多くの生徒が予約購読していた時代で、多分そういう雑誌の付録に付いてたので読んだんだと思う。文学初心者でも読める。スラスラとどこまでも渋滞しない文体で、漱石が初めて獲得したものだと思う。1906年に書かれたが、その時点では「猫」もまだ続いていた。「ホトトギス」には両方載っているという。「猫」は猫語りと、苦沙弥先生と、漱石自身が混然となっている。そこが魅力でもある。だけど、「坊っちゃん」は漱石が後景に退いて、主人公の語りに一本化されている。

 今までに多分2回読んでると思うけど、それこそ半世紀近い前だから、ずいぶん忘れていた。一番驚いたのは、「マドンナ」(遠山令嬢)がほとんど出てこないこと。確かに出ているし、坊っちゃんも駅で実見しているけど、他にはほとんど出てこない。「坊っちゃん」は戦前の山本嘉次郎監督作品から、昨年正月の二宮和也主演のテレビドラマまで何度も映像化されている。映画の中では、岡田茉莉子、有馬稲子、加賀まりこ、松坂慶子らがマドンナを演じている。坊っちゃん以上に、マドンナに集客効果を期待しているような感じである。赤シャツがマドンナ宅を訪れるような場面は原作にない。

 原作を表面的に読むと、どこか四国辺の中学(漱石が実際に赴任していた松山中学がモデルと普通思われているが、名前は出てこない)に赴任した「坊っちゃん」が、「江戸っ子」の流儀を押し通す「痛快物語」である。最後まで名前が出てこないから、すごい。読んでるうちに「デジャブ」(既視感)が高まってきた。自分で読んでるんだから当たり前だろうという話ではなく、映像で見た高倉健や石原裕次郎のサラリーマンものを思い出したのである。60年代初期に作られた大衆映画の中では、会社にはびこる不正を新進気鋭の社員が暴いて正義を実現する。高倉健や石原裕次郎は、そういう映画の中の「快男児」にピッタリである。「坊っちゃん」はそういう快男児の原型と言っていい部分がある。

 だけど、「坊っちゃん」をよく読むと、漱石は表面的印象とは違うことも書いている気がする。小説を読んでいるだけでは、「坊っちゃん」先生を生徒がからかう場面が最初にある。天ぷらや団子、温泉などの様子を教室でからかわれる。その後、初の宿直で「バッタ事件」が起きる。バッタ事件などは相当に悪質で、この学校にはそれ以前から問題があったのではないかと思われる。その後、坊っちゃんは赤シャツ(教頭)と野だいこ(美術教師吉川)に釣りに誘われ、生徒の裏に山嵐(数学主任堀田)がいるらしいとフェイクニュースを吹き込まれる。

 坊っちゃんは今までの学校を知らないので、来たばかりで問題を起こしている教員である。まあ採用すぐというのはそんなものだと思うが、「初任者研修」も何もないので手探りでやっていくしかない。坊っちゃん自身も、「江戸優先主義」を振りかざし、地方蔑視が甚だしい。それに直情径行でかっとしやすいから、生徒からすれば一番からかいやすい新任教員である。だから何も判っていないのだが、英語教師古賀の父が死んで古賀家没落が始まるのは、もっと前である。赤シャツとマドンナの関係も坊っちゃんの来るずっと前から始まっている。山嵐と学校側の確執も前からである。

 坊っちゃん側からすると、坊っちゃんの大活躍で学校の不正が正されるかのように思われるが、実は違っている。坊っちゃんと山嵐は学校に辞表を出して去り、校長と教頭は安泰である。それに先立って古賀先生も延岡に去っている。赤シャツの完勝である。坊っちゃんは、この「学園紛争」の脇役である。校長からすれば、堀田先生を追放した後で、数学が手薄にならないように、坊っちゃんを抱き込む必要がある。というより、東京物理学校(今の東京理科大)を出ていて、学士ではないものの東京出身をウリにできる坊っちゃんが赴任してきたから、山嵐追放へ動き始めたと言ってもいかもしれない。

 「坊っちゃん」を読んでる限りでは痛快物語だけど、教員間では完敗してるし生徒の応援もない。中学対師範学校での生徒のケンカでも、赤シャツの弟が誘い出しに来ていて、生徒はむしろ赤シャツ側だったのだろうか。生徒の応援のない教員間トラブルは大変だ。そういう「苦い現実」を隠し通し、坊っちゃん視点から「痛快物語」にしているのが小説「坊っちゃん」である。だけど、このネーミング自体、最後の方で野だいこのからかいの言葉として出てくるのである。「青二才」といった意味である。だから漱石は「裏の現実」を認識していて、そのうえでこの小説を書いているのである。
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冒険ふたたび、「キトラ・ボックス」-池澤夏樹を読む⑦

2017年04月07日 21時17分47秒 | 本 (日本文学)
 池澤夏樹の「アトミック・ボックス」(角川文庫)という本のことをちょっと前に書いた。(3.20付記事)ところで、その続編というべき「キトラ・ボックス」(角川書店)という長編小説がちょうど3月に出たばかりだった。最近、池澤夏樹の新刊は買ってなかったんだけど、そうと知ったら買わずにいられない。長そうな「騎士団長殺し」を後回しにして、こっちを読み始めたら、スイスイ読めて一日で終わってしまった。

 まあ、ものすごく出来がいいかというと、ちょっと疑問もあるけれど、とにかく面白い。その一番の理由は、前作「アトミック・ボックス」の主要登場人物が再結集することである。前の本の登場人物はとてもよくできていた。その設定をそのまま使えるんだから、スイスイ進むわけだ。逆に言えば、前作を読まずに、こっちから読んではいけない。前作の結末を前提にして書いてあるから。

 もっとも、前作のヒロイン宮本美汐は今回は脇役である。美汐と一時付き合いながら若い院生に心が移り、その後捨てられてしまったという讃岐大学准教授の藤波三次郎。前回は脇役だったけど、今回の主役は彼の方で、専門の考古学でちゃんと活躍させてもらっている。でも真の主人公はウィグル族の女性研究者で、大阪の民族学博物館で研究職をしているカトゥン、可敦という人である。この人の研究上の活躍と同時に、ウィグル族をめぐる複雑な政治情勢がテーマとなっている。

 藤波は瀬戸内海の高地性集落を研究していたが、もうひとつ、奈良県の天川にある日月神社(フィクション)のご神体の研究を頼まれる。その鏡と似ていると思われるものが新疆で発掘されていて、その報告をした人がいま民博にいると知った藤波はその女性研究者、可敦に連絡を取る。さらにしまなみ海道の大三島に、もう一つ似た鏡があるということで二人で見に行くと…。そこで可敦は何者かによって拉致されそうに…。彼女を守るため、藤波は美汐に助けを求め…。意外な人物まで総結集して救援に動き始める。前回は日本政府が相手だったけど、今度は中国公安(と思われる)が相手とは。

 実はもうひとり、主人公的な人物がいて、それはキトラ古墳の被葬者その人である。なんで関係してくるかというと、可敦さんが鏡の文様とキトラ古墳の壁画の類似に気が付くのである。それは現代の話だけど、小説の中ではキトラ古墳の盗掘から話が始まり、古代の人々が登場してくる。そして、「キトラ古墳の真の被葬者」が判るという設定になっている。なんとも大胆な設定である。歴史上の疑問点を「解決」してしまうんだから。中で書かれているように、キトラ古墳の被葬者は、阿倍御主人(あべの・みうし)とか高市皇子、弓削皇子などの説が出されている。小説もそれに基づいている。

 という、1300年の時空を超えて人々が活躍するという大胆不敵な小説である。だけど、ミステリーや冒険小説としてはちょっと物足りない。そういう小説は、謀略のスケールの大きさ、主人公たちの陥る危険の深さがあってこそ、スリルとサスペンスがいや増すことになる。でも、「キトラ・ボックス」はそこがちょっと弱くて、サスペンスというより「仲間小説」っぽい作り。まあ、いつもいつも緊張して書いてるわけにもいかないだろうから、これはこれで楽しい。むしろ、「古代史ミステリー」の趣も強くて、壬申の乱をめぐる「真相」などちょっと驚く設定になっている。

 ところで、中国の民族問題、特にチベットとウィグルをどう考えるべきか。この小説はその難問を突き付ける面もある。昔のミステリーでは、なんでもアメリカのCIA、あるいはソ連のKGBなんかの謀略にしてしまうことがあった。中国の台頭とともに、日本でも中国公安が出てくる小説がけっこうあると思うけど、そういう時代になっている。「キトラ・ボックス」に出てくる話自体はフィクションだけど、ウィグル族に対する監視が日本でも行われているのは事実だろう。ウィグル人研究者が帰国したまま出国できない事態は、今までにも起きている。そういうことも考えさせる小説である。
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(ほぼ)半世紀ぶりの「猫」-夏目漱石を読む①

2017年03月29日 23時04分57秒 | 本 (日本文学)
 ちょっと突然だけど、夏目漱石の話。漱石(1867~1916)は今年が生誕150年昨年が没後100年である。今年は新宿区に漱石記念館ができることだし、何かと漱石が話題になるだろう。でも僕は漱石をあまり読んでないのである。「」「坊っちゃん」「草枕」に「三四郎」「こゝろ」だけなんだから、これでは「漱石定食(梅)」という感じ。(もっとも小品をもう少し読んでると思う。)

 それではいかんと自分でも思い、ちくま文庫版の全集を買ってある。それも10年近く前なんだけど、なかなか読み始めるきっかけがない。やはり近代文学史上の巨人に違いないから、もうそろそろ読みたい。今年はチャンスだということである。思えば、宮沢賢治(1896~1933)や太宰治(1909~1948)の生誕百年の年にも読み残しを読んだものだ。生誕の節目はきっかけになる。

 ということで、まずは全集第1巻の「吾輩は猫である」である。1905年1月に「ホトトギス」に掲載され、好評を得て1906年8月まで書き継がれた。1905年から1907年にかけて、3巻に分けて刊行された。当時から非常に有名で、今も非常に有名な小説だろう。僕はこれを中学生のころに読んだと思う。半世紀前というと小学生になっちゃうけど、まあ「ほぼ半世紀前」になる。ものすごく面白かった。その面白かったところは、皆が集まってワイワイとバカ話をするという構成そのものにあったと思う。
  (右側が実際に読んだ本)
 今回読んでみたら、案外面白くなかったんだけど、それはどうしてかを中心に書きたい。特に漱石や「猫」論というほどの気持ちはないんだけど、月に一冊程度のペースで読んでいきたいと思っていて、自分の心覚えという意味でも書いておきたい。ところで、今回読んでみて、「字ばっかり」のページが多いので閉口した。視力が落ちてくると、けっこうつらい。だから、登場人物たちが御高説を披露しているのについていくのも面倒だなあ。そういうこともあるとは情けないけど…。

 「吾輩は猫である」(以下、「猫」と省略)の冒頭は、古典じゃないから暗記させられたわけじゃないけど、川端「雪国」と並んで近代文学では一番有名な出だしだろう。どんな話かも大体の人は、読んでなくても知っていると思うので、中身の紹介はしない。今も原文で読めるというのはすごいことである。「たけくらべ」や「舞姫」は、翻訳しないと若い人は読めないのではないか。

 「猫」もけっこう難しいんだけど、それは古今東西の逸話が無数に出てくるからである。気にしないで進んでいけば、文体的には今も通じる。ただ漢文調に慣れてないと、付いていきにくいかもしれない。こういう文体が、最初から確立されていたのは何故だろう。漱石の好きだった「落語」の影響など、いろいろと考えられる。でも、猫が語っているという体裁、主人苦沙弥(くしゃみ)先生とその友人の気の置けない語りという「猫」の特質から、文体的な苦労はそれほどでもなかったのかもしれない。

 「猫」の発表は、見れば一目瞭然、日露戦争最中である。案外意識してないと思うけど、戦争中に書かれている。旅順陥落などの記載も中に出ている。日露戦争は明治日本にとって、大変重い戦争だったけど、小説内ではそれほど出てこない。でも、猫は猫なりに、名前も付けてもらってないのに、日本に生まれ日本の主人を持つから日本びいきだとは言っている。猫がそんなに愛国熱に浮かれていてはおかしいとは言える。そういう条件を作って、その程度で済ませているのである。

 漱石文学そのものが、「日露戦争から第一次大戦まで」に書かれている。「日露戦後デモクラシー」とその反動の「冬の時代」の時期である。あるいは本格的に日本で「産業革命」が進み、「都市化」も進行した。そんな時期の、「都市知識人」の文学が漱石文学だと言える。都市インテリの立場から、新興ブルジョワジーの成金趣味をからかっている。その素朴な正義感が昔は痛快だった。

 だけど、今回読んでみて、案外内容がないのに驚いた。猫は猫だし、先生も引きこもり気味の胃弱だから、実際に成金金田家とほとんど交際がない。それで反発しているから、具体性があまりない。それはともかくとしても、金田夫人の鼻だけを特筆大書して、「鼻子」「鼻子」と罵倒している。猫なんだから人間を外面的特徴で把握しても不思議はないわけだけど、今の基準で言えばまずいのではないか。いかに成金攻撃としても、本人にどうしようもない身体的特徴をからかうのは、趣味が良くない。

 そういう悪趣味性は、例の寒月君の「首くくりの力学」にも言える。鼻子もそうだけど、この寒月のエピソードは昔は笑ったものである。子どもには面白かったのである。こんなおかしな研究もありうるのか。そういう面白さを感じて、よく覚えていたんだけど、今の日本で「自殺」を論じるにはデリカシーが欠けていないか。そういう目で見れば、ジェンダーや階級に関するバイアスもかなり目に付くのである。どうも登場人物の議論が時代に取り残されたのかも…。

 ということで、案外面白くなかったのだが、それはこの小説の構造にも原因があると思う。登場人物たちの様々な葛藤が衝突しあう、いわゆる「本格小説」ではない。小説はいろいろあってもいいけど、ストーリイで読ませるタイプなら、内容に没頭できれば今も面白い。「猫」も半分ぐらいはいろんな「事件」が起こっている。人間もそうだけど、猫も活躍している。でも後半になるにつれ、猫が人間の話を聞いて祖述しているとしても、作者が前面に出て語っているような感じが強くなる。

 「サロン小説」という感じである。そこに登場する人物は、美学者や理学者、詩人や哲学者などと様々だから、そこに「論争」が起こる。とはいえ、大きくは作者と似たような階層の「都市知識人」に限られている。そういう狭さが小説をつまらなくしてしまっている。敵役の「金田家」だけが大きくなって、隣の中学生の悪さも金田家が後ろで糸を引いていることになっている。そこらへんの「社会性のなさ」が困るのである。ギリシャ文化に詳しい知識人よりも、日本社会にとっては「実業家」の役割の方が大きい。その実業家の実態が暴かれず、単にからかいの対象になっているのも弱点。まあ、やはり出発点であり、好評につき書き足していったのが、構成の難につながっているのだろう。
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「核」をめぐる大冒険、「アトミック・ボックス」-池澤夏樹を読む⑥

2017年03月20日 20時21分59秒 | 本 (日本文学)
 池澤夏樹「アトミック・ボックス」(角川文庫)は、ものすごく面白いドキドキ冒険小説だった。それと同時に、いまの日本で「核兵器」や「原発」をどう考えるべきか、非常に重要な議論を行う小説でもある。池澤夏樹に関しては、2月初めにまとまって記事を書いた。著者に関しては「池澤夏樹を読む①」を参照。その時に書いた「カデナ」「光の指で触れよ」「氷山の南」などは、一度読み始めたら止められない面白さの「冒険小説」である。今回の「アトミック・ボックス」もそれらに負けぬ大冒険小説。

 また、「アトミック・ボックス」は、「ポスト3・11小説」という、もう一つの意味を持っている。東日本大震災に関しては、大津波による死者に関しては「双頭の船」という小説を書いた。一方、原発事故に触発されたテーマを扱うのが「アトミック・ボックス」。2012年9月から翌年7月まで毎日新聞に連載され、2014年に単行本として出版された。2月に文庫化されたので早速買って、やっと読み始めた。

 舞台の大部分は瀬戸内海の島々。内容は「国家的陰謀」に関して、警察の目をかいくぐって東京を目指す、若い女性研究者の大冒険である。ある漁師が亡くなり、娘にCDに入った遺書と秘密のデータを残す。父の過去など何も知らなかったのだけど、漁師になる前の前半生に何か大きな秘密があるようだ。死後に「誰か」がその秘密を回収に来ることになっているが、「秘密」をそのままに葬っていいのかと悩んだ父親は、事前にコピーを取って娘に託した。そして、実際に回収に来た公安警察(意外な人物)に秘密を全部渡さずに、娘は逃げることにしたのである。

 この娘、宮本美汐は、高松の大学で講師をしている新進の社会学者という設定。「同性のゆかり」で若い時に民俗学者宮本常一に手紙を出したというのが効いている。そして離島に住む独居老人の話を聞き集め、論文にまとめて評価された。その時に知り合った老人たちに助けられながら、国家権力に抗い続ける。「村上虎一」という老人は、海賊村上水軍の末裔を自称し、権力を恐れない。

 他にも、父のところによく来ていた新聞記者、昔からの友人など、さまざまな人が出てきて助けてくれる。現在はケータイ電話(スマホ)なくしてはいろいろと不便である、あるいは現金はそれほど持たず、ATM(現金自動支払機)を利用することがほとんど。だけど、ケータイやATMを使えば一発で場所を特定される。自動車があったとしても、高速道路や主要国道にはNシステムなる監視カメラが整備されているのは周知のことである。これらを使わずに逃げることは可能なんだろうか。

 さて、その「秘密」をまったく書かないと先に進めないので、簡単に触れておく。それは80年代半ばに、秘密裡に「原爆開発のシミュレーション研究」が行われたというのである。コンピュータ研究者だった父は、その研究に携わった。父は完全にノンポリだったのである。完全に秘密を要求される、その研究はなぜか途中で止められる。その理由、今も秘密とされる理由は最後に明かされる。父は広島で体内被爆していたことを研究終了後に知る。そして「3・11」を迎え、人間は原子力とは暮らせないと考え、自分が当時何も考えずに研究に参加したことを罪だったと深く後悔した。67歳と若くしてガンになったことも罰と考え、データの扱いを娘にゆだねたのである。

 この小説は、最後に種が割れると、「冒険小説」というより「政治小説」になる。そして、原発をなぜ日本が放棄しないのか、保守政界の大物を通して語られる。非常にリアルで、なんだか本当にあったことのように思えてしまう。そういう意味で、単に面白いというだけでは読めない小説だ。むしろ、理系というか工学系に読んでほしい小説。池澤夏樹は物理学専攻だっただけあり、設定はリアルである。軍事研究をめぐって、研究者の倫理が問われる現在こそ、非常に重要な意味を持つ。

 この小説を読むと、瀬戸内海の美しさ、豊かさ、歴史的な重要性も印象的だ。実際にある島もいっぱい出てくる。主人公が住んでいた凪島(なぎしま)はフィクションらしいけど、本島犬島などは実際にあるし、印象的な「瀬戸内国際芸術祭」というアートの祭典ももちろん実際にある。行ってみたいなあと思わせる魅力である。主人公が連絡に使う時に「映画のロケで使った分校」というから、小豆島の「二十四の瞳」かと思うと、伊集院静原作「機関車先生」のロケというから、細部のこだわりがうれしい。

 小説としての面白さだけなら、「氷山の南」の方が上かもしれない。でも、完全に現実の日本を舞台にした「逃亡劇」という意味で、この小説のリアルさはすごい。こういう風にできるのか。と同時に、ここで提出されているテーマ設定が、まるで現実のように思えるのが不気味である。「原子力とどう向き合うか」という意味で必読。趣味と友人は大事だというのも教訓かな。
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風に魅せられて-日野啓三を読む⑤

2017年03月09日 21時07分58秒 | 本 (日本文学)
 日野啓三の作品を読むシリーズの最終回。芥川賞受賞作の「あの夕陽」を初め、代表的な短編を集めた「あの夕陽 牧師館」という本が講談社文芸文庫にある。今は新刊としては書店で入手できないようだけど、電子書籍で出ている。講談社文芸文庫は単行本一冊買うのと変わらない値段なので、「これで文庫かよ」と思いつつも、他で出ていない本が多いから結構買うことになる。2002年に出たこの本も出た時に買ってあって、15年して読んだ。

 その中に「風を讃えよ」という18頁ほどの短編が入っている。1986年1月の「文學界」に発表され、単行本には収録されずに「日野啓三短編選集(上巻)」に収められたと出ている。

 そういう短編だから、読んだ人はとても少ないんじゃないかと思う。でも、これはものすごく素晴らしい「風の小説」だった。「風の小説」なんて、一体なんだと言われるだろうけど、僕は風が好きなのである。ボブ・ディランが「風に吹かれて」をうたい、五木寛之が同名のエッセイを出している。五木寛之は今じゃなんだか抹香くさい印象が強いけど、若いころは「荒野」とか「デラシネ」とかいう題名の本を出していた。五木「風に吹かれて」は1968年に読売新聞社から出版された初のエッセイである。

 ここで言う「」は、どこにも所属せずどこにでも現れる精神のあり方を示すイメージである。世界を転々とし、一つところに執着しない。その反対語は「」である。堕ちてしまって閉じこもり、そこを深く掘っていく。だから、「風の小説」と「穴の小説」がある。穴に落ちてしまう「不思議の国のアリス」が典型的な「穴の小説」。村上春樹は「風の歌を聴け」から出発したけど、だんだん「穴の小説」を究める方向に進んでいくようになったと思う。

 日本で書かれた最高の「風の小説」は、多分「風の又三郎」だと思うけど、今回読んで「風を讃えよ」も同じぐらい凄いと思った。「風の強い町である」と力強く始まり、町外れにある元石切場に住みついた謎の男、そして彼とただ一人心を通わせる少年を印象的に描いていく。男は出張の途中で偶然その町を知り、子どもの時に見た巨石遺跡を思い出す。そして、一人でストーンサークルを作り始めた。そして、風に意識を集中させて生きている。

 虚弱で周囲に溶け込めない少年は、小さなころから風の声を聞いていた。そして男の様子を見つめ「風男」と名付けていた。二人は偶然知り合うことになる。少年は「風は息してるよ」という。「風はいつも同じ強さで吹いていないよ。ほら間をおいて切れ目があるでしょう。僕は切れ目の方が好き」と語る少年。男はビックリする。その通りだと思う。「風の本質は、吹くことではなく吹かぬことにあるのか。」

 と言うように、現実社会から外れた大人と子どもが「風」を通して出逢い、風をめぐって世界を理解する。どこにも幻想的描写はないリアリズムで描かれているけど、印象としてはファンタジーや寓話、あるいは神話的な喚起力を持った作品である。こういう小説があったのか。改めて日野啓三という作家の「引き出しの多さ」に驚いた。こういう小説を書ける人は他にいないだろう。なお、日本の「風の小説」としては、梅崎春生「風宴」とか坂口安吾「風博士」などがあると思う。忘れた作品、読んでない作品も多いだろうけど、「風」という視点で読んでみるのも面白いと思う。

 また映画には、ヨリス・イヴェンス(1898~1989)というドキュメンタリー監督の遺作「風の物語」(1988)がある。オランダ人でフランスで活躍した人で、「セーヌの詩」という映画が知られている。中国やベトナムで撮った映画も多く、レーニン平和賞を受けた左翼系作家だけど、最後の「風の物語」は、まさに「風」を主題にした不思議な記録映画だった。たしかユーロスペースで公開されたと思うけど、「風の小説」もあるなあと思ったのは、その映画を見たからである。
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