大林宣彦監督の追悼上映の続き。「青春デンデケデケデケ」(1992)と「時をかける少女」(1983)だが、後者は見なかった。2017年に国立フィルムセンターで「再タイミング版」を見てるので、今回はまあいいかと思ったのである。筒井康隆原作を尾道で映画化したもので、同時代的にはすごく面白かった。しかし、趣向は覚えているので再見したら案外面白くなかった。原田知世の記憶が改変されてしまって、尾美としのりが可哀想。「ラベンダーの香り」も今じゃ珍しくもないが、あの頃はほとんど誰も知らなかったのである。
「青春デンデケデケデケ」は、公開当時に2回見てるので3度目になる。非常によく出来た青春映画で、いい映画を見たなという気持ちを見る者に残す。芦原すなおの直木賞受賞作の「完全映画化」で、物語にある適度なセンチメンタリズムやユーモアはほとんど原作由来である。尾道シリーズなど冒頭に「A movie」と表示されるが、この映画にはない。原作があって、石森史郎(ふみお、「旅の重さ」などの脚本家)のシナリオがあって、原作の舞台となった香川県観音寺市でロケをした。プロの技量を十分に楽しめる幸福な映画だ。

主人公(語り手)である「ちっくん」こと藤原竹良(林泰文)が高校時代にロックバンドを作った思い出を振り返った物語である。ロックバンドじゃなくても、高校時代に何かに打ち込んだ経験を描くという意味で「部活映画」的な構造を持っている。というか、「軽音楽部」として正式に学校で活動できるようになって、高校3年の文化祭(燧灘祭=すいたんさい)がハイライトになる。「王道文化祭映画」の最高峰レベル。(ヘタレ文化祭映画の最高峰は「リンダ リンダ リンダ」。)
(練習シーン)
今回一番驚いたのは、ちっくんと一緒に最初にバンドを作ることになる白井清一が浅野忠信だったこと。全然知らなかった。浅野忠信の名前は、多分「幻の光」(是枝裕和、1995)や「PiCNiC」(岩井俊二、1996)あたりで認知したと思う。今調べると、それ以前に僕の見ていた映画に結構出ているじゃないか。しかし、この物語で白井清一よりも重要なのは合田富士男(大森義之)の存在だ。お寺の息子で、時には父に代わって法事を務める。
世慣れていて、エロ本をちっくんに貸したり、檀家を通していろんな話を知っている。エレキギターを買うために夏にバイトするが、その工場も合田が見つけてくる。その手腕は周囲でも認められていて、男だけでなく女生徒も恋愛相談を持ちかけている。物語の中のユーモラスなエピソードには大体彼が絡んでいる。スクーターに乗って、丸刈りの合田が法事に出掛けるシーンなど、通りすがりの誰彼に話しかけながら、ちっくんと話し続ける場面がとてもいい。お寺を練習に使う目算もあって、合田の参加がキーになる。夏休みの思い出にと同級生の女の子が海に行こうと誘うシーンも、裏に合田の企みがあった。
(自宅近くの海でデート)
ドラムに岡下巧を吹奏楽部から引き抜いて、バンドが出来る。白井のエピソードとして「八百屋お七みたいな」引地めぐみ、岡下のエピソードとして、石川恵美子の好きな三田明「美しい十代」を演奏するシーンなど、それぞれのメンバーを生かしながらの語り口がうまい。みんな原作にあるわけだが、実際の映像や音楽が加わると説得力が増す。これが映画にするという意味だろう。祖谷渓(いやだに)の小歩危(こぼけ)に合宿に行くシーンも、映画を見たときは行ってなかった場所だが、今見ると行ったなあと懐かしく思い出す。「かずら橋」はほんとうに怖かった。
(合宿シーン)
大林監督の初期作品のような特撮を駆使した映画ではないが、編集で見せる映画でもある。カメラはパンや移動で激しく動き、それを自由自在に編集している。音楽の使い方もうまく、見る者を青春の懐旧に浸らせる。一体何カットあるのかと思うぐらい、上手に編集している手腕も見どころだ。原作の舞台でもある観音寺第一高校でロケできたのも大きいだろう。故郷の人々が映画製作に協力していることも、暖かなムードを醸し出している理由だと思う。そして、最後の感傷がまた多くの人に自分の青春を思い出させる。ところで、僕の世代には古いイメージのベンチャーズだが、ちょっと前の世代にはこれほど大きな衝撃だったのである。
「青春デンデケデケデケ」は、公開当時に2回見てるので3度目になる。非常によく出来た青春映画で、いい映画を見たなという気持ちを見る者に残す。芦原すなおの直木賞受賞作の「完全映画化」で、物語にある適度なセンチメンタリズムやユーモアはほとんど原作由来である。尾道シリーズなど冒頭に「A movie」と表示されるが、この映画にはない。原作があって、石森史郎(ふみお、「旅の重さ」などの脚本家)のシナリオがあって、原作の舞台となった香川県観音寺市でロケをした。プロの技量を十分に楽しめる幸福な映画だ。

主人公(語り手)である「ちっくん」こと藤原竹良(林泰文)が高校時代にロックバンドを作った思い出を振り返った物語である。ロックバンドじゃなくても、高校時代に何かに打ち込んだ経験を描くという意味で「部活映画」的な構造を持っている。というか、「軽音楽部」として正式に学校で活動できるようになって、高校3年の文化祭(燧灘祭=すいたんさい)がハイライトになる。「王道文化祭映画」の最高峰レベル。(ヘタレ文化祭映画の最高峰は「リンダ リンダ リンダ」。)

今回一番驚いたのは、ちっくんと一緒に最初にバンドを作ることになる白井清一が浅野忠信だったこと。全然知らなかった。浅野忠信の名前は、多分「幻の光」(是枝裕和、1995)や「PiCNiC」(岩井俊二、1996)あたりで認知したと思う。今調べると、それ以前に僕の見ていた映画に結構出ているじゃないか。しかし、この物語で白井清一よりも重要なのは合田富士男(大森義之)の存在だ。お寺の息子で、時には父に代わって法事を務める。
世慣れていて、エロ本をちっくんに貸したり、檀家を通していろんな話を知っている。エレキギターを買うために夏にバイトするが、その工場も合田が見つけてくる。その手腕は周囲でも認められていて、男だけでなく女生徒も恋愛相談を持ちかけている。物語の中のユーモラスなエピソードには大体彼が絡んでいる。スクーターに乗って、丸刈りの合田が法事に出掛けるシーンなど、通りすがりの誰彼に話しかけながら、ちっくんと話し続ける場面がとてもいい。お寺を練習に使う目算もあって、合田の参加がキーになる。夏休みの思い出にと同級生の女の子が海に行こうと誘うシーンも、裏に合田の企みがあった。

ドラムに岡下巧を吹奏楽部から引き抜いて、バンドが出来る。白井のエピソードとして「八百屋お七みたいな」引地めぐみ、岡下のエピソードとして、石川恵美子の好きな三田明「美しい十代」を演奏するシーンなど、それぞれのメンバーを生かしながらの語り口がうまい。みんな原作にあるわけだが、実際の映像や音楽が加わると説得力が増す。これが映画にするという意味だろう。祖谷渓(いやだに)の小歩危(こぼけ)に合宿に行くシーンも、映画を見たときは行ってなかった場所だが、今見ると行ったなあと懐かしく思い出す。「かずら橋」はほんとうに怖かった。

大林監督の初期作品のような特撮を駆使した映画ではないが、編集で見せる映画でもある。カメラはパンや移動で激しく動き、それを自由自在に編集している。音楽の使い方もうまく、見る者を青春の懐旧に浸らせる。一体何カットあるのかと思うぐらい、上手に編集している手腕も見どころだ。原作の舞台でもある観音寺第一高校でロケできたのも大きいだろう。故郷の人々が映画製作に協力していることも、暖かなムードを醸し出している理由だと思う。そして、最後の感傷がまた多くの人に自分の青春を思い出させる。ところで、僕の世代には古いイメージのベンチャーズだが、ちょっと前の世代にはこれほど大きな衝撃だったのである。