国立近代美術館フィルムセンターが、日本で6番目の美術館、国立映画アーカイブとして独立した。大ホールは「長瀬記念ホールOZU」と命名され、今日から特集「映画を残す、映画を活かす。」が始まった。最初の上映が五所平之助監督の「煙突の見える場所」である。「三浦光雄の映像表現が、今回新たに作製した可燃性オリジナルネガからのダイレクトプリントであざやかに甦った」というので、また見たくなった。2012年に再見してブログにも書いたけど、北千住にあるお化け煙突のモニュメントも見に行ったので、合わせて書いておきたい。
(お化け煙突)
今回見直して、暗い感じだった画面が確かに鮮やかになって、人物像もくっきりとした。「煙突の見える場所」(1953、スタジオ・エイト・プロ=新東宝)は、やはり五所監督の戦後の代表作だと思う。的確な人間描写が今でも秀逸な、戦後風俗を後世に伝える佳作で、53年のベストテンで4位になっている。(2位が「東京物語」、3位が「雨月物語」の年である。)五所監督は日本初のトーキー「マダムと女房」や無声映画の「恋の花咲く 伊豆の踊子」などを作った。戦後も「今ひとたびの」「大阪の宿」などの傑作がある。「大阪の宿」は最近フィルムセンターで見直して感心した。
「お化け煙突」というのは、北千住にあった「千住火力発電所」のことである。1926年から1964年まで存在した。様々な映画や小説に出てくる有名な「下町のシンボル」だった。お化けというのは、見る場所により煙突の本数が違って見えるからだ。実際は4本あるのだが、細長い菱形に配置されているため、ところによっては3本、2本、さらに全部重なって1本に見える場所さえある。僕は煙突の本数が違って見えるからお化け煙突と言うんだよと親に教えられた。小さい頃に電車から見た記憶がある。9歳の時に撤去されているんだけど、ちゃんと覚えている。
煙突は1963年に稼働を停止し、翌1964年に撤去された。その時に煙突の一部が3mほど切り取られ、さらに二つにカットして、地元の元宿小学校の滑り台に利用されていた。小学校の閉校後、跡地の帝京科学大学にモニュメントが残されている。北千住駅から西へ歩いて、日光街道を超えて墨堤通りを北へ向かい、帝京科学大学本館キャンパスのところで、隅田川の堤防に上るとすぐ。大きな輪になっていて、その中からスカイツリーが見える。煙突の位置を示すポールもある。

映画の中で登場人物が不思議だ不思議だと言ってるが、東京東部でこれを知らない人がいたとは思えない。東京以外の観客向けなんだろうけど、東京東部生まれとしてはリアリティがないセリフである。しかし、映画ではこの煙突を「見る角度によって、真実は様々な形を取る」ということの象徴として使っている。それが戦中戦後を生き抜く庶民の様々な姿と重なっている。
東京大空襲で夫とはぐれた田中絹代は上原謙と再婚した。仲は良いがすきま風も吹いている。2階は高峰秀子(上野商店街のウグイス嬢で、商店の案内放送を読んでいる)と芥川比呂志(税務署職員)に貸している。その家に突然赤ちゃんが捨てられる。田中絹代の前夫が実はどうやら生きていて、生まれた子供が育てられず勝手に置いて行ったらしい。この子がまたよく泣いてうるさい。夫婦はおろおろ、仲は悪化する。そもそもは誰が悪いか。それは置いて行った前夫が悪い。これを許してはいけない。正義の問題だと意気込むのが芥川比呂志で、自分で休暇を取って前夫を探すという。で、探索を経て見えてきたそれぞれの人生模様はどのようなものか。それこそ「お化け煙突」ではなかろうかという感慨を与えて映画は終わる。
(田中絹代と上原謙)
この映画の多少観念的で議論好きなところは、原作の椎名麟三によっていると思う。椎名麟三は今ほとんど読まれていないだろうが、最も早く登場した「戦後派」作家の一人である。戦前は共産党員だった時期もあるが、1950年にキリスト教に入信、以後はキリスト教に基づく作品が多い。共産主義、実存、キリスト教、救いといった主題が最近は文学からも少なくなったけど、椎名麟三の文学は「戦後の香り」をもっとも濃厚ににおわせている作風で、僕は大好きである。
(高峰秀子と芥川比呂志)
主要登場人物の田中絹代(1909~1977)、高峰秀子(1924~2010)は日本映画史でも最高の女優たちだから、今もよく上映される。上原謙(1909~1991)は、戦前の松竹で大スターだった。どうも頼りない男がはまり役。加山雄三の父親である。芥川比呂志(1920~1981)は芥川龍之介の長男で、文学座の名優。「ハムレット」で有名になった端正な俳優だった。文学座を脱退して「雲」「円」を作ったが、1981年に61歳で亡くなった。演出や著作も多く、映画やテレビにも出ていたので、親の知名度もあり、弟の作曲家芥川也寸志とともに広く知られた存在だった。早く亡くなったので、若い人は顔が思い浮かばないかもしれない。この映画は音楽を芥川也寸志がやっている。
4月15日(日)午後4時にも上映あり。(2012年4月3日の記事を改稿)

今回見直して、暗い感じだった画面が確かに鮮やかになって、人物像もくっきりとした。「煙突の見える場所」(1953、スタジオ・エイト・プロ=新東宝)は、やはり五所監督の戦後の代表作だと思う。的確な人間描写が今でも秀逸な、戦後風俗を後世に伝える佳作で、53年のベストテンで4位になっている。(2位が「東京物語」、3位が「雨月物語」の年である。)五所監督は日本初のトーキー「マダムと女房」や無声映画の「恋の花咲く 伊豆の踊子」などを作った。戦後も「今ひとたびの」「大阪の宿」などの傑作がある。「大阪の宿」は最近フィルムセンターで見直して感心した。
「お化け煙突」というのは、北千住にあった「千住火力発電所」のことである。1926年から1964年まで存在した。様々な映画や小説に出てくる有名な「下町のシンボル」だった。お化けというのは、見る場所により煙突の本数が違って見えるからだ。実際は4本あるのだが、細長い菱形に配置されているため、ところによっては3本、2本、さらに全部重なって1本に見える場所さえある。僕は煙突の本数が違って見えるからお化け煙突と言うんだよと親に教えられた。小さい頃に電車から見た記憶がある。9歳の時に撤去されているんだけど、ちゃんと覚えている。
煙突は1963年に稼働を停止し、翌1964年に撤去された。その時に煙突の一部が3mほど切り取られ、さらに二つにカットして、地元の元宿小学校の滑り台に利用されていた。小学校の閉校後、跡地の帝京科学大学にモニュメントが残されている。北千住駅から西へ歩いて、日光街道を超えて墨堤通りを北へ向かい、帝京科学大学本館キャンパスのところで、隅田川の堤防に上るとすぐ。大きな輪になっていて、その中からスカイツリーが見える。煙突の位置を示すポールもある。




映画の中で登場人物が不思議だ不思議だと言ってるが、東京東部でこれを知らない人がいたとは思えない。東京以外の観客向けなんだろうけど、東京東部生まれとしてはリアリティがないセリフである。しかし、映画ではこの煙突を「見る角度によって、真実は様々な形を取る」ということの象徴として使っている。それが戦中戦後を生き抜く庶民の様々な姿と重なっている。
東京大空襲で夫とはぐれた田中絹代は上原謙と再婚した。仲は良いがすきま風も吹いている。2階は高峰秀子(上野商店街のウグイス嬢で、商店の案内放送を読んでいる)と芥川比呂志(税務署職員)に貸している。その家に突然赤ちゃんが捨てられる。田中絹代の前夫が実はどうやら生きていて、生まれた子供が育てられず勝手に置いて行ったらしい。この子がまたよく泣いてうるさい。夫婦はおろおろ、仲は悪化する。そもそもは誰が悪いか。それは置いて行った前夫が悪い。これを許してはいけない。正義の問題だと意気込むのが芥川比呂志で、自分で休暇を取って前夫を探すという。で、探索を経て見えてきたそれぞれの人生模様はどのようなものか。それこそ「お化け煙突」ではなかろうかという感慨を与えて映画は終わる。

この映画の多少観念的で議論好きなところは、原作の椎名麟三によっていると思う。椎名麟三は今ほとんど読まれていないだろうが、最も早く登場した「戦後派」作家の一人である。戦前は共産党員だった時期もあるが、1950年にキリスト教に入信、以後はキリスト教に基づく作品が多い。共産主義、実存、キリスト教、救いといった主題が最近は文学からも少なくなったけど、椎名麟三の文学は「戦後の香り」をもっとも濃厚ににおわせている作風で、僕は大好きである。

主要登場人物の田中絹代(1909~1977)、高峰秀子(1924~2010)は日本映画史でも最高の女優たちだから、今もよく上映される。上原謙(1909~1991)は、戦前の松竹で大スターだった。どうも頼りない男がはまり役。加山雄三の父親である。芥川比呂志(1920~1981)は芥川龍之介の長男で、文学座の名優。「ハムレット」で有名になった端正な俳優だった。文学座を脱退して「雲」「円」を作ったが、1981年に61歳で亡くなった。演出や著作も多く、映画やテレビにも出ていたので、親の知名度もあり、弟の作曲家芥川也寸志とともに広く知られた存在だった。早く亡くなったので、若い人は顔が思い浮かばないかもしれない。この映画は音楽を芥川也寸志がやっている。
4月15日(日)午後4時にも上映あり。(2012年4月3日の記事を改稿)