尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「映画俳優 志村喬」展を見て、志村喬を振り返る

2015年10月18日 22時03分50秒 |  〃  (旧作日本映画)
 フィルムセンターで「生誕110年 映画俳優 志村喬」をやっている。また大ホールでは、関連作品を4回にわけて上映している。見ている映画が多かったり、旅行や仕事でうまく合わなかったりしたが、今日(10.18)の今井正「砂糖菓子が壊れるとき」はいつも見逃しているので、見ておこうと思った。その後、展覧会の方も見て、もう一本「男はつらいよ 寅次郎恋歌」も見て来た。

 志村喬(1905~1982)と言えば、何と言っても黒澤明の「生きる」である。あるいは「七人の侍」である、とまあ、誰もがそう思う。映画ファンならいつかは見るだろうし、見れば永遠に忘れられないのが志村喬という俳優である。他にも、「酔いどれ天使」や「野良犬」、「醜聞」など黒澤映画の初期には欠かせない俳優だった。「戦後」という時代のイメージを、多くの黒澤映画で共演した三船敏郎とともに形作った一人である。だけど、どういう人なのか、あまりよく知らない人が多いだろう。

 もっとも志村喬には、僕の敬愛する澤地久枝さんの「男ありて」という評伝風の作品がある。1994年に出たこの本は、出た当時に読んで感銘を受けたが、もう20年以上前のことになってしまい、細部は忘れてしまった。だから、この展覧会で、家族のこと、舞台俳優時代、戦前の主に時代劇の脇役が多かった時代、夫人のことなどがいっぱい判って興味深かった。黒澤作品のシナリオなども展示されているが、個人的には志村喬という人の個人的な部分が面白い。というのも、このいつも仏頂面している感じながら、時に感情をあらわにするほどの激情を見せる、貫録たっぷりの老俳優がずっと好きだったのである。まあ、日本映画が好きな人で、志村喬を嫌いな人は誰もいないだろうが。

 黒澤映画の印象が圧倒的な志村喬だけど、もちろんその他のたくさんの映画に出ている。戦前・戦中期に時代劇の出演が一番多いことを今回知った。中でも、先の澤地さんの本の題にもなっている「男ありて」のプロ野球監督、あるいは「お吟さま」の千利休役などは非常に感銘深い。戦前の「鴛鴦(おしどり)歌合戦」という不思議なミュージカル時代劇では達者な歌も披露している。「ゴジラ」では博士役だし、「次郎長三国志 第八部 街道一の大親分」の身受山鎌太郎という親分役の貫録はものすごい。この役はその後も演じたし、任侠映画での親分役は他にも何本かある。これがなかなかいい。

 「砂糖菓子が壊れるとき」はマリリン・モンローの人生を日本に移した曽野綾子の原作を今井正が映画化したもの。今井作品としては大したものではないが、主演の若尾文子を見るという意味では非常に大切な映画だと思った。志村喬は恵まれない女優だった若尾を見出し売り出して、結婚を申し込む芸能プロの社長。ちょっと無理がないでもないが、こういう役柄もオファーされる俳優だったのである。志村喬の社長は、熱海の別荘で倒れて、あっという間に死んでしまう。

 「男はつらいよ」シリーズでは、寅さんの妹さくらの夫、博の父親役をやった。何回も出てる印象だが、リストを見たら3回だった。意外な感じがする。第一作で、さくらは裏の町工場の労働者と仲良くなり、いろいろあるが親が結婚式にやってくると、これがインド哲学を教える老大学教授だったという設定。いかにも志村喬にふさわしい役柄だった。出た回数は少ないが、寅さんシリーズの重要メンバーである。

 「寅次郎恋歌」(1971)は第8作で、シリーズの評価が高くなって、この映画から洋画ロードショー館での公開も始まった。最近見直した寅さん映画は覚えているのだが、リアルタイムで見た映画はどれがどれだか、よく覚えていない。この映画も見たと思いつつ、よく覚えていなかったのだが、志村喬の父親が寅さんに「日常生活の大切さ」を説く場面で、見ていることをはっきり思い出した。その後、志村喬が柴又へやってきて、幼い満男(中村はやとの時代)を膝にのせて可愛がっている場面があった。

 この展示のチラシの志村喬は喫煙シーンの写真が使われている。昔は男は大体喫煙者だし、会議中はもちろん、医者も患者もタバコを吸っている。「砂糖菓子…」でも、産婦人科医が患者の家族に説明するシーンで喫煙している。「映画の中のタバコ」をずっと調べてみれば面白いと思う。それはともかく、「生きる」や「七人の侍」など名場面がいくつもあるのに、何も喫煙シーンをチラシにしなくてもいいだろう。喫煙写真をチラシに使うというのは、今は避けるべき行為だと思う。
(追記)(10.19)
1.志村喬は兵庫県北部の生野銀山が生地だったとこの展示で初めて知った。生野銀山に志村喬記念館があるということも出ていた。いつか行ってみたいものだ。書き忘れ。
2、志村喬の役柄として、「牝犬」(木村恵吾監督、1951)の、京マチ子の色気に迷って人生を棒に振る男というのがあった。「生きる」と同年の映画である。いうまでもなく、「嘆きの天使」のエミール・ヤニングスと同じだが、ヤニングスは志村喬の好きな俳優に入っていた。京マチ子はマレーネ・ディートリッヒにも負けないビッチぶりを発揮している。堅気の会社員だった志村が、浅草の踊り子に夢中になった部下を探しに行って、逆に人生を誤ってしまう。こんな情けない役を堂々と演じられる人はいない。
3.助演の任侠映画では、マキノ雅弘監督、高倉健主演の「侠骨一代」(1967)が最高だと思う。
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「あいつと私」という映画-芦川いづみの映画を見る⑤

2015年09月27日 00時28分56秒 |  〃  (旧作日本映画)
あいつと私」(1961)は2回見ている。今回はいいかなとも思ったが、せっかくだから時間を見つけて見直したら詳しく書きたくなった。「あいつと私」は石坂洋次郎(1900~1986)の原作である。石坂作品は、「若い人」「青い山脈」「陽のあたる坂道」など何度も映画化されてきた。若い世代の恋愛や性を真正面から取り上げ、それまで日本では隠されがちだったテーマを明るく陽性に描いて、非常に人気があった。大量に文庫に入っていたが、いつの間にか一冊もない。戦後の作品は「戦後民主主義」の啓蒙的な傾向が強く、時代が作家を追い越してしまったのだろう。

 「あいつと私」は、有名な美容家を母に持つ裕福な若者、黒川三郎石原裕次郎)の生活を描いている。忙しい母(轟夕起子)は子どもにはお金を与えて育ててきた。思春期になると「性欲処理係」の女性まで与えた。この母は家に愛人を連れ込むなど、普通の感覚では「異常な家庭」である。(時々、夫(宮口精二)がヒステリーを起こして家出を試みるのが笑える。ごひいきの宮口精二が情けない役柄を楽しんで演じている。)そんな家庭だが、息子の裕次郎は「なぜか母が嫌いになれない」。この点が映画のポイントで、観客がここを納得できないと映画に入り込めない。確かにエネルギッシュな轟夕起子の姿は、素晴らしいコメディエンヌぶりを発揮して、戦前からの女優としての確かな力量を満喫できる。
 
 この美容家の生き方は俗人には理解しがたいレベルだが、それなのに魅力的なのはなぜか。今は細かく書かないが、学園ドラマの定番のようにして、黒川を取り巻く学友グループが出来、さまざまなエピソードを経て、同級生の浅田けい子芦川いづみ)と親しくなっていく。浅田家は田園調布にある上層の中産階級である。夫が働き、妻が主婦をしている。(ちなみに下の妹は吉永小百合、その下はまだ小さな酒井和歌子が出ている。)よりによってクラスメートが1960年6月15日(東大生樺美智子が国会デモで死んだ日)に結婚式を行い(東京会館)、その流れで裕次郎と小沢昭一と芦川いづみがデモに行く。(その女子大生にほのかな思いを寄せていた小沢昭一は、酔っ払いながら「おれだって、今回の政府のやり方には怒っているんだ。アンポ、反対!」と叫ぶ。)

 芦川は家に電話して、母に「今日はデモに行く」と宣告し、ダメですと絶叫する母親を振り切る。もっともデモ隊には入らない。その後でもう一回電話して、「お母さんが私にいつもくっ付いていて重いの。もっと私から離れて」と叫ぶ。母は「あなたは難産で…」などと昔話を始めるが、娘は「初めてのお産で産道が小さかっただけよ」と恩着せがましい母の言葉に反発する。一家はその日テレビでデモの様子を見続ける。吉永小百合の妹は姉を応援している。(「60年安保」の翌年に作られたこの映画では、安保反対デモが観客にとって共感の対象であるということが、自明の前提になっている。)

 黒川家と浅田家の母親のあり方は正反対と言ってよい。もちろん、けい子の母は娘を心配してデモを止めている。それはケガや政治的な心配というよりも、デモでは「何かまがまがしいこと」が起こり、娘に「傷がつく」ことを怖れるという感じだ。それが娘には「重い」。貧困や差別などと無縁な中産階級の家庭でも、何か精神的な渇きを覚えるような時代になったのである。それまでの石坂作品のように、「家族みなで話し合う」などといった方法では、もうこの焦燥感は解消できない。家庭に囲い込まれた「主婦」という生き方を象徴する母像と反対に、黒川家の母は「自立した女性」である。「(性的に)過激な」家風ではあるものの、息子が母を嫌いにならず、けい子が魅力を感じ、観客も納得してしまうのは、この「自立した女性」の魅力ゆえだろう。「あいつと私」は、性や家族をテーマとする以上に、「女の自立」をテーマにしている

 もっとも、けい子の母の心配はあながち過保護とも言いきれない。デモの後に、結婚式を欠席してデモに行っていた同級生(吉行和子)の部屋を訪ねると、同級生と同居している友人の悲劇を目撃する。彼女は途中ではぐれた後、男の「同志」二人に「連れ込み宿」でレイプされたのである。安保反対運動に加わる「政治的」学生でも、男にはそういう「獣的」な側面があるとされる。(左翼学生運動の中で、男女差別や家父長制意識、暴力的な性関係などが横行していたことは多くの証言がある。「革命のために」女性革命家は男性リーダーに「奉仕」するものだという意識さえなかったとは言えない。)

 そのことはもう一つのシーンでも描かれている。同級生の結婚やデモなどで親しくなって、仲間で夏の大ドライブ旅行を敢行する。黒川=裕次郎は車を持っているから、そんなことができる。裕次郎、芦川いづみの他、小沢昭一、伊藤孝雄、中原早苗、高田敏子という豪華メンバーである。東北ドライブの途中、山の中で道路工事の若い工事人夫多数にからまれる事件が起きる。山奥で女子大生を見て興奮し、学生という「身分」に対する反発が噴き出したのだ。

 最後に軽井沢の黒川家の別荘に着くと、母と愛人が差し入れにきて、そこに裕次郎をよく知っていると豪語する渡辺美佐子もいる。この女性が何故か気になり(気になるのは、この時点でけい子が三郎に好意を持ち始めているという意味だ)、けい子は三郎を問い詰める。その結果、渡辺美佐子は「母が与えた性的な玩具」だったという衝撃的な黒川家の秘密が明かされる。別荘を飛び出したけい子は、追ってきた三郎に抱きとめられ、台風の雨の中でキスする。これはこの映画の一つのクライマックスだが、裕次郎と芦川いづみという主演者のイメージもあいまって、非常に清潔なラブシーンになっている。

 まあ大学生という設定ではあっても、裕次郎(1934~1987)も芦川いづみ(1935~)も25歳を超えているんだから、ちょっとのことでおたおたせずに、実際の学生よりも大人びているのも当然である。(もっとも1929年生まれの小沢昭一はいくら何でも大学生はきつい。)こうしたエピソードを経ても、二人の関係が切れずに続くのは、黒川の母がけい子を気に入っていることが大きいと思う。けい子は派手ではないが、落ち着いたファッションで、感情におぼれず自分で考えるタイプである。(芦川いづみが演じるのにピッタリだが、そのイメージで服装を決めているんだから、当然でもある。)

 黒川の母の誕生パーティに、けい子も招待される。そこで、三郎の出生の秘密やデモの時にレイプされた学生(金森)のその後を知る。大学をやめた金森を三郎が母に紹介し、今は美容師を目指して頑張っている。そのことをけい子は全く知らされずにいて、たまたま金森が帳簿を持ってきて初めて知る。何で知らせてくれなかったと問い詰め、「あなたのすることは全部先に知っておきたいの」と言ってしまって、これが「愛の言葉」だと相互に理解し合う。

 「あいつと私」という映画は、最初に見た時から好きで、好感を持った。60年代初めの映画では、中村登監督「古都」(岩下志麻主演)や吉田喜重監督「秋津温泉」(岡田茉莉子主演)なども好きで何度も見ているけど、女優が清楚で清潔に描かれているのが好きな理由かもしれない。この「あいつと私」は、特別な家庭に育った裕次郎演じる青年を中心に、「女性の生き方」を考察した映画である。まさに、けい子から見た「あいつ」(黒川三郎)の物語である。60年代初頭の風俗や風景も興味深い。

 監督の中平康も巧みに物語を進めている。娯楽映画としての確かな手腕を楽しむことができる。石坂洋次郎原作映画はこの語も続々と作られた。「あいつと私」も1976年に、三浦友和、壇ふみでリメイクされた。「青い山脈」も60年以後に3回も映画化された。しかし、もはや青春スターの定番という位置づけでしかなく、ほとんど話題にもならなかった。時代と合わなくなってしまったのだ。 
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「純潔」時代の青春映画-芦川いづみの映画を見る④

2015年09月26日 00時43分02秒 |  〃  (旧作日本映画)
 以前、勤務先の高校で生徒会誌をズラッと並べて振り返ったことがあるんだけど、現在では考えられない「時代相」がまざまざと見えてきて面白かった。中でも、1960年代初期の年間行事予定が掲載されていて、その中に「純潔教育」と書いてあったのには、心底ビックリした。「防災」だの「防犯」だの、行事予定に必ず載せて届け出なくてはいけない項目があるが、その時代には「純潔教育」が正規の教育課程として学校全体で行われていたのだ。

 60年代初頭が一番「純潔」が叫ばれた時代だというのは、例えば藤井淑禎「御三家歌謡映画の黄金時代 橋・舟木・西郷の「青春」と「あの頃」の日本」(2001、平凡社新書)で指摘されている。学校現場では現実に行われていたのである。ここで「純潔」というのは、主に「正式な結婚前には性的な関係をガマンする」という意味である。もちろん、特に女性の「処女性」が尊ばれるわけだが、「男女同権」の戦後では男子の放蕩無頼もダメだという認識が強くなる。三島由紀夫原作、若尾文子、川口浩主演の映画「永すぎた春」では、知り合ってからもなかなか結婚しないカップルの話だろうと思っていた。でも、川口浩は現役の東大法学部生で、東大前の古本屋の娘若尾文子と婚約したが、卒業までの一年にいろいろあるという話だった。その間に性的関係は不可なので、その一年が「永すぎる」わけである。

 こういう意識は今はすっかり変わってしまって理解しにくい。「あいつと私」(1961、中平康監督)は、慶應をモデルに大学生の青春を描くが、1学期終了前に学校の裏山でパーティ(というか学芸会のようなもの)が行われる。そこに「童貞と処女のままで9月に会いましょう」とスローガンが書いてある。そんな時代だったのである。もっとも「美人女子大生がキスしてくれる」(有料、キスは頬にする)とか「女子大生の逆立ち」(パンティが見える。終了後に男子学生からお金を取る)などの企画もある。ガチガチのマジメ企画ではなく、その程度のお遊びは許されている。そこで得たお金は病気で休学中の級友の見舞いに当てると報告される。まだ多くの学生が結核で入院していた時代である。

 「あいつと私」は別に書くとして、今回見た映画では「真白き富士の嶺」(1963、森永健次郎監督)が興味深かった。「真白き富士の嶺」(ましろきふじのね)と言えば、1910年に起きた逗子開成中学生によるボート事故の悲劇を歌った歌である。この映画は直接この事件を描いたものではないが、随所に曲が流れて感傷的なムードを盛り上げる。原作は太宰治「葉桜と魔笛」という小品。太宰は生誕百年時にほとんど読んだんだけど、こんな作品があったのか。調べると、新潮文庫「新樹の言葉」に収録されている。(ネット上でも読める。)太宰の映画化は、生誕百年時の「ヴィヨンの妻」「人間失格」「パンドラの匣」なんかしか思い浮かばないが、こんな映画があったんだ。原作は日本海海戦ころの島根県の話だが、60年代の湘南に移している。
(「真白き富士の嶺」)
 妹の吉永小百合は難病で逗子の病院に入院していたが、退院するにあたって、宮口精二の父、芦川いづみの姉とともに東京から逗子へ越してくる。吉永小百合は本当は不治の病だが、小康状態の時に家に帰したのである。吉永小百合には秘密の手紙が来ている。「М・T」と名のる男の手紙で、誰も心当たりがない。姉は何とかこの謎の人物を突き止めたいと思う。自分は婚約者とも清らかな交際なのに、妹にはなんだかもっと深い交際もあったかのようで、嫉妬のような感情も起こるのである。しかし、ある日妹に詰め寄ると「もういいの」という。「М・T」からは絶交の手紙が来たのだと言う。それを読んで、姉が仕組んだことは…。原作はそこだけがメインで、心に響くシーンである。

 芦川いづみは服飾学校の先生で、恋人の服飾デザイナー、小高雄二は車を持っていて、東京と逗子を何回か往復する。そういう描写も興味深いが、基本は「誰にも愛されずに死んでいく難病の少女」がテーマである。庭で水まきしている時に知り合う高校生、浜田光夫が、唯一現実の「異性の友人」に近い存在になる。高校生が「純潔」であることが当然であるような時代で、特に難病の少女には誰にも知りあう機会もない。そのことを哀れに思う感情が全篇に満ちていて、まさに同年代の吉永小百合の魅力もあって、観客が感傷にたっぷりと浸れる映画。

 「難病」映画、特に「難病少女映画」というものは昔からずいぶんたくさんあるが、「難病少女」は「恋愛も知らずに死んでいかないといけない」ということが、観客の同情のポイントである。「難病」ということで、さまざまな現実社会の問題は考える必要がなくなってしまうから、ただひたすら泣ける。でも、生きている人間は現実の問題、青春を左右する経済力や進路、性などの問題に直面せざるを得ない。「知と愛の出発」(1958、斎藤武市監督)という映画は、まだ若々しい芦川いづみのセーラー服姿がまぶしいファンにはうれしい青春映画だが、「性に関するコード」が今では全くずれてしまっている。
(「知と愛の出発」)
 長野県の諏訪湖のほとりに住む高校生・芦川いづみは、仲良しの病院長の娘(白木マリ)に同性愛を迫られ逃げ出す。白木は自分のボートで帰ってしまい、たまたま湖にいた同級生、川地民夫に助けられ親しくなる。川地民夫は後に奇矯な役柄が多くなるが、この映画では「成績優秀な美少年」的な役をやっている。田舎ではトップで東大を目指していて、地元の有力者の父親は勉強以外に時間を割くことを許さない。その厳格ぶりは今見るとコメディである。(特に、息子と親しくなった芦川の父が中学教員と知り、「日教組か」と決めつけるセリフがおかしい。)

 芦川の父、宇野重吉は娘を進学させる資力を亡妻の病気治療でなくし経済的に苦しい。大学を目指していた芦川は反発して、自分で何とかすると夏のホテルで働き始める。同級生の中原早苗もアルバイトしているが、ある夜の帰りに、不良大学生グループに車で連れ去られレイプされてしまう。この事件は何と中原早苗の実名入りで地元新聞に報道されてしまう。(こんな人権無視があるのかと思うが、それなりの現実があったということだろう。)「傷物」になった中原は追いつめられて自殺してしまう。スティグマ(烙印)を押された女は当時の社会ではもう生きていけなかったのである。

 それよりすごいのは、友人であるはずの芦川いづみの言動である。たまたま同時に盲腸で入院した芦川は、中原早苗から輸血されたと信じ、「汚れた血が入った自分もまた汚れてしまった」と絶望するのである。(実際は川地が血を提供した。)「レイプされたことで、女性の血が汚れてしまう」という発想は今では誰にも理解不可能だろう。だけど、20世紀前半には、そういう「性科学者」の怪しげな「学説」が結構はびこっていた。川村邦光の本などで知ってはいたが、改めてビックリする。絶望した芦川は白木マリの病院の医師、小高雄二に犯されそうになり、かえってメスで小高を傷つけてしまう。これがまた「女子高生、四角関係のもつれ」などといった扇情的な報道をされてしまう。

 最後は芦川と川地が徹夜で登山して、大自然の力に感動して新生に向かう。これは娯楽映画のパターンだけど、この映画の性意識や「世間」の無理解ぶりには絶句である。世の中が「純潔」を守る清純派ばかりだと、物語に葛藤が作れない。だから、片方に「清純派」がいれば、その片方に「お色気たっぷり」の「発展家」が必要である。芦川いづみも、60年代になると、ある程度そういう役柄も出てくるが、持ち味的にはしっかり者の「清純」派である。「真白き富士の嶺」では、自立した職業人になっている。そういう「自立」感が芦川いづみの持ち味で、単に清楚なだけの「カワイ子ちゃん」ではない。

 前近代的な共同体規制が強い時代には、「結婚は家どうし」のもので、家長である父親が決めた相手と結婚するものだった。そういう社会では、「処女性」は結婚という取引の商品価値に関わるものだから、絶対に守らなければならない。経済の高度成長が進むと、男女の交際空間は圧倒的に広がるが、だからこそ「自らの強い意志で純潔を守る」ことが大切にされる。もっとも「欲望に負ける」場合もあるから、そういう女性に同情しつつも実際は興味本位で描く映画もたくさん作られた。その場合、処女を失った女性の側が不幸に落ちていくのが、「お約束」の展開である。

 「まだフェミニズムがなかった頃」は、左翼陣営でも「純潔」が価値として浸透していた。ハリウッド映画は、3S(スリル、スピード、セックス)で青年たちを堕落させる「アメリカ帝国主義の陰謀」なのである。だから、左翼運動の青年たちは(タテマエ上は)「清い交際」しか認められない。50年代から60年代にかけて、清楚で可憐なスターたちが画面上でいくたびも清らかな交際をしていた。しかし、それはその時代には、前時代の性意識がすでに崩れつつある状況を反映していたのだろう。60年代末の世界的な「若者の反乱」「肉体の解放」を経て、70年代の青春映画のスター、秋吉久美子や桃井かおりなどになると、あっけなくヌードになって性関係を結んでしまう。それがリアルな設定になったのである。スターがヌードになっても、もう何の問題もなくなった。今では誰も「純潔」なんて言葉を使わないだろう。
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日活アクションの中で-芦川いづみの映画を見る③

2015年09月24日 00時13分56秒 |  〃  (旧作日本映画)
 芦川いづみの映画を見てまとめるのが2回で中断してるので、続き。まず「日活アクション」映画で出演した映画を振り返る。「日活アクション」というのは、石原裕次郎や小林旭が主演して続々と作られた日活のプログラム・ピクチャーである。アクションと言っても、本質的には「青春映画」と言ってよく、正義のヒーローに対する可憐なヒロインが必須である。初期の裕次郎映画では、大体その役は北原三枝が演じた。芦川いづみも出ている場合もけっこうあるが、役柄的に北原が姉的、芦川が妹的な存在になっている。一方、小林旭の出演作では、ほぼ浅丘ルリ子がヒロインだった。

 芦川いづみは裕次郎との共演がかなりあるけど、石坂洋次郎原作の「青春文芸映画」などの場合が多い。これは芦川いづみの持ち味を生かしているんだろう。だから、アクション映画の共演は少ないし、出ていてもヒーローの運命的な愛人役ではなく、ヒーローを陰で支える妹なんかの場合が多い。(裕次郎主演の「紅の翼」など。青春文芸映画では裕次郎に対して、自立した女性として交際する。)

 一方、裕次郎、旭以外のスター、赤木圭一郎宍戸錠などとの映画では、アクション映画での共演がかなりある。1960年の「霧笛が俺を呼んでいる」はその代表。だけど、この映画では芦川は赤木の先輩である葉山良二の恋人という設定になっている。葉山は死んだことになっているが、それを疑う赤木が真相を追求し、芦川との心の結びつきが生まれてくる。だから、対等な恋人ではない。赤木圭一郎(1939~1961)はわずか21歳で事故死したが、芦川の方が4歳年上である。そのキャリアの差が対等の恋愛関係を難しくさせるわけである。

 赤木が事故死し、裕次郎がスキー事故で骨折した1961年は、日活にとって難局の年になった。そこで二谷英明やまだ若い和田浩治を主演級に抜てきした。その中で作られたのが、鈴木清順の「散弾銃(ショットガン)の男」(1961)という珍品。清順ブレイクの年は1963年で、まだここでは人物の出入りがゴタゴタしている。山奥に恋人の死の謎をさぐる二谷英明に対し、山の私設保安官の妹という変な役が芦川いづみ。兄の保安官がケガして、後任におさまる二谷の目的は何か。この映画では、日本アルプス級の山の奥に、秘密のけし畑を作る悪徳組織があって、山の町を牛耳っている。そこの酒場が日活的な無国籍空間になっている。横浜や神戸の港にあると言われれば、多少は納得できるのだが、山奥に悪の王国があるというのはムチャである。そこに散弾銃を抱えた男が登場するというのも…。日活アクションにリアリティを求めても意味ないけど、これはすごい。ラストは海辺の決闘になる。芦川はいつの間にか二谷を慕う役柄を好演している。

 今回一番ビックリしたのが、「気まぐれ渡世」(1962、西河克己監督)。宍戸錠が射撃の達人で、謎の事件にかかわりがあると警察に追われる。ある酒場でうっかり子どもを預かると、預けた男が殺される。子どもを預かってウロウロする宍戸錠がおかしい。アパートで違う部屋の牛乳を盗もうとして、その部屋に来ていたシスターに出会う。つまり修道女である。これが芦川いづみで、シスター姿で終始するという不思議な映画である。結局、話は死んだはずの宍戸の戦友、内田良平が生きていて、悪の組織を作っているというところになっていくが、その主筋と関係なく、宍戸錠も逆らえない芦川いづみのシスター役が素晴らしい。だから、好意は生じるものの、恋愛感情とも言えないのだが、コメディだからそれでいいのである。ただ見つめるしかない芦川いづみ。
 
 「大学の暴れん坊」(1959、古川克己監督)も、赤木圭一郎主演のアクション映画と言える。赤木は大学の柔道部員で、先輩の葉山良二の弁護士と悪に立ち向かう。悪徳地上げ屋が登場するが、東京五輪の5年前の開発ブームで、ホテル建設をもくろむ勢力が町の商店街をつぶそうとしているという設定。芦川いづみは葉山良二の弁護士をおびき出すために捕まってしまう。そういうシーンがあるが、まあ芦川いづみ映画としては普通だろう。まだ赤木圭一郎が若造で、学生の暴れん坊という設定で映画になった時代の映画である。
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中平康映画の芦川いづみ-芦川いづみを見る②

2015年09月15日 02時04分42秒 |  〃  (旧作日本映画)
 今回の上映で見ると、監督別では中平康が最多で5本もある。中平作品では、傑作アクション「紅の翼」や奇怪な作品「結婚相談」など芦川いづみ出演作はまだあるけど、とりあえず大ヒット作「あいつと私」など、芦川いづみの魅力を一番描いたのは中平康かもしれないと思う。
 
 もっとも僕の考えでは、芦川いづみ最高の映画は「硝子のジョニー 野獣のように見えて」(1962、蔵原惟善)である。この映画については、シネマヴェーラ渋谷で蔵原特集があった時に「蔵原惟善の映画⑤」で書いた。蔵原惟善(これよし)は、「南極物語」や「キタキツネ物語」の監督だが、普通代表作と言われるのは浅丘ルリ子主演の「執炎」や「愛の渇き」である。でも、僕は一般的には観念的で失敗作とも言われる「硝子のジョニー」や「夜明けのうた」が大好きだ。もともと「観念的で、なんだかよく判らない」といった映画の方が好きなのである。
(「硝子のジョニー 野獣のように見えて」)
 この映画は間宮義雄撮影の函館など北海道の暗い画面が素晴らしい。また木村威夫の美術、黛敏郎の音楽なども良い。前に書いたブログで、「芦川いづみは清楚可憐な役柄がほとんどだが、その純粋部分を抽出してさらに凝縮したような役を熱演」と書いてて、我ながら結構うまいことを言っていると思う。まあ「道」のジェルソミーナのような「聖女」である。訳がわからないながら、これほど心に残る映画もないなあ。

 中平康(なかひら・こう 1926~1978)は早く亡くなってしまい、没後に再評価の声も高いが、あまりにも多彩な作品群にまだ評価も定まらない。晩年に不幸な時期が長く、最後は忘れられたような感じだったが、50年代から60年代前半には日活で素晴らしい作品を続々と作っていた。最初の公開作である「狂った果実」(1956)は裕次郎初の本格主演映画で、「湘南海岸を舞台にした青春映画」のプロトタイプの傑作である。こういう瑞々しい青春を描いたと思ったら、後に再評価された日本で珍しいスラプスティックコメディ「牛乳屋フランキー」を撮る。「才女気質」「地図のない町」「現代っ子」のような不思議な映画をたくさん撮る。アクションの傑作も、メロドラマの傑作も、コメディの傑作もある。だけど、もっともっと不思議な映画がたくさんあるということである。

 今回上映された中平作品の最初の映画は「誘惑」(1957)で、銀座の洋品店(二階に画廊)を作ったセットが素晴らしい。店主の千田是也の昔の恋人、およびその娘の二役が芦川いづみ。現実に生きた芦川が出てくるのは終わりの頃で、この映画のヒロインは千田是也の娘の左幸子である。左幸子とその仲間たちの恋のてん末を、多くの人物をさばきながら点描していく。画廊のオープニング場面で岡本太郎や東郷青児が出てくるのも貴重。50年代にかなり作られたオシャレでソフィスティケートされた映画の典型で、楽しく見られる。ただし中平の最高傑作というほどの評価は、二回見たけど高過ぎではないか。俳優座の千田是也をたっぷりと見られるのも重要だが、芦川いづみの母が千田是也の恋人で、二役やるという設定である。

 1959年に作られた「その壁を砕け」も2回目だけど、実に本格的な冤罪映画でビックリする。新藤兼人脚本、姫田真佐久撮影、伊福部昭音楽というスタッフの力量を見る思いがする。小高雄二の恋人が2年間働いて自動車を買い、恋人の芦川の住む新潟まで飛ばしていく。その途中で三國峠を越えたあたりで、つい乗せてあげた男が殺人犯で、小高は犯人に間違えられて逮捕される。だから、観客は小高は無実であることを最初から知っている。問題は裁判なんだけど、それがどう進むか。恋人の芦川は裁判を行う新潟地裁長岡支部のそばで働きながら、無実を信じて待ち続ける。やがて、最初に逮捕に貢献した長門裕之の巡査が事件を疑い始め、実地検証が行われることになって…。
(「その壁を砕け」)
 「犯人の情婦」とののしられながら恋人の無実を信じる芦川いづみの一途な思いが素直な感動を呼ぶ。中平にこんなリアリズムの社会派映画があったのか。戦後に作られた冤罪映画のほとんどは、実際の事件に材を取った救援映画である。今井正「真昼の暗黒」(八海事件)、山本薩夫「証人の椅子」(徳島ラジオ商事件)などのように。フィクションの冤罪映画はあまりないが、この映画は出色。当時の捜査(をきちんと反映しているかどうかは別だが)の問題性もよく判る。被害者の面通しはあれでは証拠価値がない。この映画はどこでロケされたんだろう。事件の起きる山村はどこなんだか。新潟駅や長岡駅、柏崎駅や佐渡まで出てきて、新潟県の風景がいっぱい見られる。
 (「その壁を砕け」)
 「あした晴れるか」(1960)は菊村至原作の都会派コメディ。芦川いづみに黒縁の伊達眼鏡をさせて、裕次郎と共演させるのがおかしい。新進カメラマンと仕事を組む宣伝部員が、女だと馬鹿にされないためにあえて変装しているのだ。だから、裕次郎に眼鏡を取るとカワイイなどと言われる。そこに中原早苗も裕次郎に絡んできて…。登場人物の出会いに偶然が多すぎて、そう思わせてしまうレベルの娯楽編だけど、楽しく見られる。芦川いづみのイメージも他の作品と全然違って、おかしいことこの上ない。まあ裕次郎や芦川いづみファンしか楽しめないかもしれないが。
(「あした晴れるか」)
 「学生野郎と娘たち」(1960)は快作とか秀作という評価もあるが、僕には受け入れられない。芦川いづみの女子大生は、言い寄る男に犯され、学費稼ぎに怪しいアルバイトをさせられ、挙句に自殺してしまう。そういう暗い設定がダメなのではない。清楚可憐な役ばかりでなくていいし、他の女子大生もみな厳しく見つめられている。だが、これでは貧乏人が大学まで行っても、バイトに明け暮れてダメになるしかないという感じだ。最初にナレーションが入るが、もうそれが辛辣。たぶん、原作の曽野綾子「キャンパス110番」に問題があると思う。嫌味を風刺と取り違えている。木下恵介「日本の悲劇」はあんなに辛辣に登場人物を見つめていても、決して嫌味な感じを残さない。芦川いづみ(藤竜也夫人)、中原早苗(深作欣二夫人)、清水まゆみ(小高雄二夫人)などがおバカな女子大生を演じる映画。

 それに比べると、「あいつと私」(1961)のストレートな描写がうれしい。これは石坂洋次郎の原作という違いだろう。戦後民主主義にたつ石坂と、批判ばかりの曽野綾子の違いである。登場人物の裁き方のうまさが、中平の手腕か。裕次郎の青春映画は、というか日本の青春映画はどれも現実離れした設定が多いが、「陽のあたる坂道」よりも「あいつと私」の方がまだしも現実感がある。この二人の共演では石坂原作の「乳母車」が最初だが、それも現実離れした設定。どれもセックスをめぐって、今では考えられない設定になっている。「純潔」が叫ばれ、今とは全く違った性的環境だったことを理解しないといけない。そんな中で、悩みながらも自分に素直に、社会に負けずに歩んで行く芦川いづみのヒロインには、見ていて熱いものがこみ上げてくる。当時のキャンパス風景も面白い。貴重な映画だと思う。
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芦川いづみの映画を見る①

2015年09月13日 23時36分58秒 |  〃  (旧作日本映画)
 僕の好きな女優、芦川いづみの特集上映が東京・神保町シアターで行われている。全15作品のうち、見ているのは6作品しかなく、かなりレアな作品も多い。前に「芦川いづみを見つめて」という記事を書いたところ、今も時々読まれているようなので、続報的意味で紹介。
   
 今回の目玉は、映画というより、本人自筆の手紙(あいさつ)である。藤竜也と結婚以後、一切映画やテレビなどに出ていないが、新聞のインタビューなどには応じている。だから、今回の企画にお礼の手紙があっても不思議ではないが、本人の自筆が会場に展示されているのはとても貴重である。まず、それを掲げておく。印刷したものは、チラシの映画紹介欄に出ている。


 芦川いづみ(1935~)は、SKDだからデビューは松竹である。川島雄三の「東京マダムと大阪夫人」というシャレたコメディ。その後、1955年に川島監督の日活移籍後に日活に入った。日活が生んだ大スターと言えば、まず思い浮かぶのは石原裕次郎吉永小百合だろう。芦川いづみも両者との共演がたくさんある。映画史的には、裕次郎の青春映画に欠かせないヒロインだったことが一番重要だと思う。僕が最初に見たのは、たぶん文芸坐のオールナイト上映の石坂洋次郎原作特集。「陽のあたる坂道」「あいつと私」「あじさいの歌」の3本だった。「あいつと私」「あじさいの歌」は芦川いづみが非常に印象的なヒロインを演じていて、魅せられてしまった。また、その頃僕が好きで何回か見ている熊井啓監督の「日本列島」の女性教師役も忘れがたい。

 「陽のあたる坂道」や今回上映の「風船」では、芦川より北原三枝(1933~)が姉的な存在で出ている。1960年に北原三枝と裕次郎が結婚すると、年下の浅丘ルリ子(1940~)が成長してきて、裕次郎の「ムードアクション」の相手役は大体ルリ子になっていく。吉永小百合(1945~)はさらに若く、「あいつと私」では芦川いづみの妹役で出ている。1963年には浦山桐郎「非行少女」で認められた和泉雅子(1947~)の人気も出てくる。他にも、松原智恵子(1945~)など「清純派スター」をたくさん輩出した。男優の裕次郎、小林旭、宍戸錠、二谷英明など、芦川いづみの相手役を務めた代表的スターを思い浮かべても、性別を問わず気持ちのいい役柄を持ち味にする人が多い。それが日活の持ち味だろう。

 その女優たちが4人も姉妹役で出ているのが、「若草物語」(1964、森永健次郎監督)。日活の女優、特に和泉雅子などが楽しそうに回想していて、姉役の芦川いづみと目を合わせるたびにドキドキしたと言う。一体、どんな映画だろうと思っていたのだが、今回初めて見た。長女が芦川いづみ、次女が浅丘ルリ子、三女が吉永小百合、四女が和泉雅子という日活映画女優史に残る豪華編である。名前はアメリカの小説と同じだが、長女が東京に嫁いでいて、残りの三人が大阪から家出して東京へ出てきてしまう。設定は「細雪」に近いが、みな若くて元気で恋に憧れている。
(「若草物語」)
 浅丘と吉永はデパートで働き始めて、物語の中心はこの二人になる。一番上の芦川は相談役で、一番下の和泉は中心的な恋物語の外にある。浅丘ルリ子を浜田光夫と和田浩治が争い、小百合は浜田に憧れている。まあ大した映画ではないんだけど、当時の東京風景が楽しめる。芦川いづみを見るという観点からは、主要な映画ではないけれど、日活の女優を考える時には面白い。なお、浅丘ルリコと和田浩治がヨーロッパに飛び立つ飛行機が一瞬映るが、「よど」と書いてあった気がする。
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夏目雅子没後30年

2015年09月08日 23時47分40秒 |  〃  (旧作日本映画)
 最近は昔の映画を見ていて、それに時間を取られる。本が読めないし、国会前にも行けないので困る。神保町シアターで僕の大好きな「芦川いづみ」の特集をやっているが、そのことは別に書きたい。今、早稲田松竹で、夏目雅子没後30年ということで、絵葉書まで作って4本上映している。そんなにファンだったわけでもないけど、もう30年経ったのかと思い、全部見直してみた。

 一週間のうち、初めの3日は「鬼龍院花子の生涯」(1982)と「時代屋の女房」(1983)、後半の4日(11日まで)「魚影の群れ」(1983)と「瀬戸内少年野球団」(1984)である。このうち「時代屋の女房」だけは公開時に見逃し、10数年前に森崎東監督特集がどこかであった時に見た。他の三本は公開時に見て、「魚影の群れ」はちょっと前に相米監督特集で再見した。でも、やはりどの映画も細部を忘れていたのには自分で驚いた。「鬼龍院」なんか、夏目雅子がタイトルロールだといつの間にか思い込んでいたぐらいである。没後30年なんだから、いずれも30年以上前の映画である。忘れるわけだ。

 夏目雅子(1957~1985)という人は、そのあまりに短い人生が「悲劇の女優」と伝説化したけれど、同時代的には誰もがまずモデルとして知った。カネボウのキャンペーンガールの印象が強く、女優としての演技力は当時はあまり評価されなかった。映画会社に所属して、同じようなプログラムピクチャーに連続的に出演して俳優イメージが作られていく時代はもう終わっていた。70年代はそれでも「日活ロマンポルノ」というプログラムピクチャーがあったけど、80年代になると一本ごとに違う色合いの映画に出る。あるいはテレビに出る。さらに舞台にも出る。夏目雅子は1978年にテレビの「西遊記」の三蔵法師役で人気が出たというけど、僕は見ていない。舞台にもいくつか出ていたようだが、見ていない。

 フィルモグラフィーを見ると、出演映画は13本。ナレーションもあれば、大作の中の脇役もある。(「大日本帝国」や「小説吉田学校」など。ちなみに後者では吉田の娘の麻生和子、つまり麻生太郎元首相の母親役だった。見たけど覚えてない。)主演レベルが案外少ない。そんな中で貴重な4本の映画だが、あまり共通したイメージは感じられなかった。美人は美人なんだけど、60年代までの「誰が見てもうっとりする」「壮絶なまでの美女」ではない。だからと言って、「美人というより隣に住んでるカワイイ子」でもない。ある種、ファニーな感じもさせるけど、基本は美人女優。そういうタイプは扱いが難しい。今回上映の4本は、いずれも原作があり、監督も有名。だから、主演女優のイメージもそれぞれに違う。存在感のようなものが求められる時代に入っていたのだ。

 それぞれの映画に簡単に触れておきたい。「鬼龍院花子の生涯」は実質的なブレイク作品で、決め台詞の「なめたら、いかんぜよ」は大流行した。宮尾登美子原作の初映画化で、そのことの功績も大きい。高知の侠客や娼家の世界を華麗なる映像で描く五社英雄監督作品。五社監督と仲代達矢に圧倒されて、とても面白かった記憶がある。今見ても十分に面白いが、夏目雅子追悼という目で見ると、ものすごい頑張りが素晴らしく、ここに大女優現るという現場を見た感がある。侠客仲代の養女となり、鬼龍院一家の全盛期から没落までを見届ける役である。養父仲代に犯されかかるシーンがあり、ヌードシーンがある。ウィキペディアによれば、事務所は反対したが、本人が押し切ったとのこと。
(「鬼龍院花子の生涯」)
 「時代屋の女房」は、村松友視の直木賞受賞作の映画化。僕はこの映画が今一つ理解できなかったのだが、今回やっと判った。つまり、二役であることが。同時代に見たわけではないので、前はうっかり見過ごしてしまったのである。今見ると、東京の大井町に実在したという「時代屋」という古道具屋をめぐる都市風景が素晴らしい。夏目雅子というより、町を見る映画とも思える。夏目雅子は時代屋にふらっと現れて居ついては、時々消えてしまう謎の美女という役。主人は渡瀬恒彦で、古道具屋をめぐるさまざまな人々の様子を描きながら、人間模様を映し出す。森崎東監督作品としては異色で、僕にはどう評価すべきかよく判らない。(つまり、いま一つ面白くないということだが。)

 「魚影の群れ」は、吉村昭原作相米慎二監督が映画化。でも有名な原作とも言えないし、大間のマグロ漁師をめぐる「作家の映画」になっている。相米映画の特徴が一番はっきりする映画だと思う。だけど、大間の海でマグロを追う緒形拳がすごすぎて、本物の漁師のドキュメントだと思うぐらいすごい。夏目雅子はその娘で、佐藤浩市と結婚して、親と衝突する。重要な役ではあるが、海とマグロに圧倒されて、夏目雅子を見る映画とはとても言えない。今見ると、こんなすごい(危険なと言ってもいい)映画を撮る力量がまだ30年前の日本映画にはあったのだと感慨を覚える。ただ、映画としては漁の場面の迫力に依存し過ぎている感じがする。初めて見た時から「これは何だろ」感を覚える。他の相米映画の方が好きだけど、こんな映画があったことは多くの人に知って欲しいと思う。

 「瀬戸内少年野球団」は作詞家阿久悠の初小説として話題を呼んだ原作を、篠田正浩監督が映画化。映画としても面白いが、夏目雅子映画としても一番いい。敗戦直後の淡路島の小学校先生役。役柄から、清楚できちんとした場面が多く、アップも多い。後半になると、少年野球チームを率いることになり、野球場面も楽しい。「戦争で死んだ夫」の弟が迫ってきて、義父母も家を考えろと言う。この義弟は渡辺謙のデビューで、若々しい。そこに死んだはずの夫が戻ってくる。そこに子どもたちや漁村の人々のドラマが重なるが、「戦後映画」というか「占領期映画」として今も色あせない。
(「瀬戸内少年野球団」)
 英語題名が「マッカーサーズ・チルドレン」で、日本の占領を考えるためにも重要。高校野球(中等学校野球)も重要な意味を持っている。今年もっと再注目されるべき映画だと思う。今はなくなったという徳島県の小学校の建物が懐かしい。島の風景は岡山県笠岡市の眞鍋島で撮影されている。そのような風景も貴重。篠田監督も戦争映画をたくさん作っているのだが、夏目雅子の夫、郷ひろみは八路軍に囚われて救われたという設定。いろんな意味で興味深い。「野球」と占領期というのも、大きなテーマだと思う。ベストテン3位。夏目雅子は、とてもいい。劇映画の遺作。27歳で、美しい盛りの病死だった。
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「死闘の伝説」と「夜の女たち」

2015年08月23日 23時13分24秒 |  〃  (旧作日本映画)
 今日見た古い日本映画2本のことを書いておきたい。一本目はフィルムセンターで見た木下恵介監督の「死闘の伝説」(1963)。名匠・木下恵介は作品数が多いので、ほとんど忘れられている作品がかなりある。それらの多くは軽いコメディやうまくいかなかった社会派映画なんだけど、この「死闘の伝説」はぶっちぎりの怪作だと思う。あまり上映の機会がなく、初めて見た。菅原文太が重要な役どころで出ていて、松竹時代にあまり恵まれなかった中で貴重な作品。菅原文太の追悼上映である。

 昭和20年、終戦間近の北海道の奥地。どこだか判らないけど、相当の山奥という設定である。そこに病気で軍を除隊になった園部秀行(加藤剛)が帰ってくる。家族がここに疎開していたのである。そこには田中絹代の母や岩下志麻の妹の他、祖母、弟、妹が暮らしている。岩下志麻には地域の有力者、鷹森家の息子(菅原文太)から縁談が持ち込まれている。あまり気が乗らないが、有力一族だけに苦慮している。ところが、迎えに出た鷹森を見て、秀行は思い出すのであった。彼は天津戦線で上官だった人物で、率先して中国女性を襲っていたということを。

 この話を聞いて、岩下志麻は縁談を断る決心がつき、世話になっている清水(加藤嘉)を通じて鷹森家に伝える。その後、馬に乗った鷹森が園部家の畑を荒らしまわり、そこから村がおかしくなっていく。8月13日、岩下志麻が山道を歩いているときに、馬に乗った菅原文太と行き交い、文太は馬で追いまわす。馬から引きずり落とすと、激高して襲ってくる。そこに清水の娘、百合(加賀まりこ=加藤剛に好意を抱いている)が助けに掛けつけ、加賀まりこが文太を石で打つと、動かなくなってしまう。
(「死闘の伝説」)
 この事情を見ると、鷹森による強姦未遂事件に対する正当防衛または過剰防衛というケースなんだけど、有力一族の息子を疎開ものが殺したということで、村人は扇動されて銃を持って山狩りを始める。その時には、再疎開先を求めて、加藤剛は仙台に行っていて不在。知らずに町へ出た弟は襲われて死亡。逃げるのは岩下志麻、田中絹代など園部家の女4人に清水家の2人。銃はあるが男は加藤嘉だけ。こうして村を二つに割る壮絶な死闘が始まった。という展開で、たくさん死者が出る。

 北海道を舞台にして、日本離れした設定のアクション、あるいは大ロマンを繰り広げる映画はたくさんあるが、「死闘の伝説」は中でもぶっ飛んでいる。どう考えても「中国での日本軍の残虐行為の批判」である。文太の行動は、中国戦線の行動を繰り返しているし、園部家には火を付けて燃やしてしまう。まるで「三光作戦」である。祖母(毛利菊枝)が「こんなことをして恥ずかしくないのか。こんなことでは日本は負ける」と批判すると、村人は銃撃して殺してしまう。祖母はまるで「日本帝国主義打倒」と叫んで殺された中国農民ではないか。あまりにも凄絶な犠牲を出した「死闘」は、戦後になるとタブーになり、今では大昔の「伝説」とされる。事件当時はモノクロで、冒頭とラストだけカラーで現在。映画の出来は悪くないのだが、木下映画としては異色すぎて評価にとまどう「怪作」。63年は岩下志麻と加賀まりこがもっともチャーミングだった時代だった。

 フィルムセンターの2回目は「仁義なき戦い」で、もう何度も見ているから神保町シアターへ行って溝口健二「夜の女たち」。本当はここで今井正「人生とんぼ返り」という作品も見たかったのだが、「死闘の伝説」とかぶる。今、神保町シアターは「1945、46年の映画」を特集している。なかなか貴重な映画が多いが、フィルムセンターから借りた映画は3回しか上映がなく、なかなか時間が合わない。それに敗戦直後だからと言って、面白いわけでもない。映画史的に貴重な「初接吻映画」である「はたちの青春」を今回初めて見たけど、まあ映画としてはつまらない。日本国憲法の結婚規定、「両性の合意のみ」が本来はどのような意義があったかを考える意味があるけど。
(「夜の女たち」)
 「夜の女たち」(1948)は前に見ているが、ほとんど忘れていた。東京の戦災ロケ映画は多いけど、これは大阪の映画。復興に向かいつつ戦災を残す大阪の街をロケする場面も多い。戦後の溝口復調の始まりと評価される映画だが、溝口特集で見ると今では少しきつい。戦争の犠牲と生活苦から、売春婦に「堕ちて」ゆく女たち。だけど、その真情をみると「男への復讐」があるのである。その戦争の犠牲のすさまじさに、改めて絶句する設定である。戦後直後には黒澤明や木下恵介がすぐに活躍し始めて、年長世代の溝口や小津が作った映画は失敗だったと言われる。概ねその通りだと思うが、時勢の急変の中で不得意な分野の映画を撮ると不本意な出来となる。それこそ巨匠であって、何でも小器用に撮れるようでは真の巨匠ではない。

 やはり溝口は虐げられた女たちを描くときに本領を発揮する。それを確認したような映画だが、主演の田中絹代は溝口の前作「女優須磨子の恋」では松井須磨子役だった。それより庶民の女が街娼になるという役の方がうまい。ところで、田中絹代や山田五十鈴のように高齢時代をリアルタイムで知っている人と違い、戦前に活躍した女優は名前を知っていても、細かい情報を知らないことが多い。田中絹代の妹役で、姉と男を張り合う高杉早苗(1918~1995)は、戦前の松竹で「隣の八重ちゃん」以来島津保次郎のメロドラマなどにたくさん出ていた。僕も何本か見ているが、その後のことを知らなかった。人気絶頂の1938年、歌舞伎俳優の市川段四郎(三代目)に見初められ結婚。長男がなんと、2代目市川猿之助(現・猿翁)で、次男が4代目段四郎。次男の子が今の4代目猿之助である。高杉早苗は、当代の猿之助と香川照之の祖母だった。
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日本の戦争映画を選ぶ②

2015年08月13日 00時51分23秒 |  〃  (旧作日本映画)
 前回に挙げた6本の映画は、非常に力強い映画である。見ればさまざまなことを考えると思う。簡単に触れておくと、まず「野火」は、大岡昇平の原作が傑作である。フィリピンのレイテ戦を舞台にしているが、もはや敗戦というか、日本軍も「解体」している段階。1959年だから、もちろん現地ロケはできないが、人間性の極限を見つめる原作の迫力は十分伝わると思う。場所は違うが、テレンス・マリックの「シン・レッド・ライン」は米軍側から見た太平洋の戦いとして必見。

 「軍旗はためく下に」は、結城昌司の直木賞受賞作の映画化だが、この原作は普通の意味での娯楽作品を超えている。スパイ小説や私立探偵小説を書いた結城昌司は僕の好きな作家だが、検事局の事務官だった。ニューギニア戦線で処刑された夫の真実を突き止めようとする妻・左幸子の演技がすごい。戦争責任を突き詰めようとした日本では稀な戦争映画であり、大変な問題作。
(「軍旗はためく下に」)
 「一枚のハガキ」を作った新藤兼人は、広島出身で「原爆の子」「さくら隊散る」などの作品もある。100歳まで生きたが、最後に作った「一枚のハガキ」の迫力がすごい。あらゆる希望を戦争で失った大竹しのぶのすさまじい演技。その再生を描き、戦争の悲劇性を圧倒的な迫力で伝える。感服。

 「海軍特別年少兵」は、東宝の戦争映画シリーズの一本だが、非常に重要な作品。今井正は「ひめゆりの塔」の他、「また逢う日まで」「純愛物語」「キクとイサム」など広義の戦争映画をたくさん作った。最後の作品も、東京大空襲を扱った「戦争と青春」だった。戦後を代表する左翼リアリズム作家の、戦争ものの代表作は「海軍特別年少兵」だと思う。14歳で海軍兵学校に入った「特別年少兵」というほとんど知られていない少年兵の物語。

 「肉弾」は、岡本喜八の洒脱な資質が生きている。「特攻」に選ばれた兵士の物語ではあるが、いわゆる「特攻映画」ではない。特攻隊映画は、映画会社の商業映画でも独立プロの社会派映画でもいっぱい作られている。主演は興行用の必要もあり、人気スターが演じる。だから、人気スターが軍に反抗したりする映画はなく、結局悲劇の運命を受け入れて殉じていく主人公に涙する映画になっている。そういう難しさがある。「月光の夏」などはかなり健闘していると思うが。

 「TOMORROW/明日」をはじめ、広島、長崎の原爆を扱った映画は数多い。しかし、不満の方が多い。描けないのである。「男たちの大和」は戦艦大和を実物大で再現した。「アメリカン・スナイパー」も、イラクで撮った記録映画みたいだが、常識で考えてありえないから、どこかにオープンセットを作ったわけだ。お金をかければそのぐらいはできるだろうが、町ひとつ全部壊滅した広島、長崎を全部再現する映画は作れない。どんなにCGが発達したとしても。では、じっくりと人々に密着しても「黒い雨」は(悪い映画ではないのだが)今村昌平の映画を見る時の楽しみであるダイナミクスが少ない。
(「TOMORROW/明日」)
 他の作品を選んでしまおう。いろいろ考えて、次の4本を加えて10本。
★「人間の条件」(1959~1961、小林正樹監督)
 1・2部(ベストテン5位)、3・4部(10位)、5・6部(「完結編」として公開、4位)と3回に分けて公開された。全部で9時間31分。とにかく長くて、僕も一回しか見ていない。五味川純平の大ベストセラーの映画化。仲代達矢の主人公・梶があまりにも超人的だが、「満州国」の実態がよく伝わるのは間違いない。超大作シリーズの代表という意味で。マキノ雅弘の「次郎長三国志」シリーズ、深作欣二の「仁義なき戦い」シリーズのように、戦争映画の大シリーズとして有名なのだから。五味川の「戦争と人間」も山本薩夫監督で全3部の映画になっている。これも面白いが、鳥瞰図の面白さ。

★「春婦傳」(1965、鈴木清順監督)
★「赤い天使」(1966、増村保造監督)
 この2作は「慰安婦」と「従軍看護婦」を描くという貴重さから。ただし、戦争の中の女性問題を告発する社会派映画ではない。それぞれ野川由美子、若尾文子という女優を生かすプログラム・ピクチャーである。だから、この映画だけで慰安婦や従軍看護婦を論じることはできない。描写自体は史料批判をしないと、戦争理解には使えないと思う。だけど、恐るべき迫力で描かれた中国戦線の映画であり、それがなんらかの「現実」を反映していることも間違いない。また、日本映画が男たちだけでなく、戦場の中の女性、特に慰安婦を主人公にした映画も作られて普通に公開されていた事実も大切だと思う。「春婦傳」は田村泰次郎原作では朝鮮人の主人公を日本人に変えている。朝鮮人慰安婦も描かれている。「赤い天使」は有馬頼義原作。映画が持つ熱という意味では、この2本の映画はすさまじい。

ゆきゆきて、神軍(1987、原一男監督、ベストテン2位)
 ドキュメンタリーでも一本と思って考えてみると、これが「戦争映画」と言えるかどうかという問題もあるけど、やはりこの映画になるか。これもとにかく、すさまじい。原一男という人の映画はみなすさまじいけど、この映画の主人公ほど、ぶっ飛んでいる人も滅多にないだろう。

 「ビルマの竪琴」は、物語の偽善性に付いていけない。竹山道雄の原作のはらむ問題だが、これが今も「平和の物語」として知られているのが解せないから、パス。「私は貝になりたい」はB級戦犯に問われて死刑になる庶民の物語で、今でも日本人に「戦争の不条理」として知られている。だけど、上官に命令されて残虐行為に加わった時に、本来なら上官に反抗すべきなのである。だから、次に生まれる時には、貝になってはいけない。そういう問題もあるけど、そもそも上官の命令で戦犯に問われた下級軍人が死刑になった例はないことが、今は確認されている。物語の前提が崩れている。大島渚の「戦場のメリークリスマス」は僕にはよく判らない。大江健三郎原作の「飼育」の方がいいと思うんだけど。「火垂るの墓」も、もちろん悪くないですよ。でも、直木賞取った原作を読んでないの?

 「ひめゆりの塔」を始め、沖縄戦の映画がない。僕には不満というか、どうも悲劇を描くことへの通俗的な昂揚感が先に立つ映画が多いように思うのである。米軍統治下ではロケ出来なかったし。目取真俊原作、脚本、東陽一監督の「風音」(2004)などのように、現在につながっている映画もある。また「芥川賞を取ったもうひとりの又吉さん」である又吉栄喜の「豚の報い」の映画化(1999、崔洋一監督)もある。沖縄戦も映像化するのが難しいということだと思う。

 次点以下に挙げるとしたら、
◎「兵隊やくざ」(増村保造監督、1965) 日本映画では珍しく痛快娯楽の戦争映画。ただし、それは非人間的な軍上層部に反逆するという痛快性である。
◎「真空地帯」(山本薩夫、1952) 野間宏の有名な原作の映画化。軍の非人間的な構造を暴く反軍映画の代表作。軍内の私刑や腐敗が描かれるが、今では話が伝わりにくい。
◎「執炎」(蔵原惟繕監督、1964) 銃後の映画で、反戦映画の名作だと思うが、戦争映画として挙げるのには、ちょっと…。大好きな映画で、愛の崇高さにうたれる。
◎「少年時代」(篠田正浩監督、1990) これも名作で「学童疎開」の映画だが、集団疎開ではない。だから戦争映画というには弱い面がある。篠田監督には、直接戦争映画ではないが「あかね雲」のような脱走兵が出てくる名作がある。
◎「海と毒薬」(熊井啓監督、1986) 遠藤周作の傑作の映画化で、ベストワンになった。九大の生体解剖事件の話で、うーん、どうしようかと思った。傑作ではあるけれど、正直言って、これは辛い。一度は見ないといけないと思う。だけど、どうなんだろうと思うような映画である。これを入れるべきだったかな。最後まで迷う。
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日本の戦争映画を選ぶ①

2015年08月12日 00時13分35秒 |  〃  (旧作日本映画)
 日本の戦争映画を選んでみたいと思う。それは「戦争映画のベスト」ではない。大体、そういうものがありうるのかどうかも判らない。普通なら、楽しい映画、好きな映画を見ればいいだけだが、「戦争映画」には「見ておくべき映画」とか「評価はできないが、見るべき映画」というものが存在する。特に、戦時中に作られた数多くの映画は、今の基準で見ると、内容的にも技法的にも批判の対象となることが多い。だけど、その中にこそ、日本の戦争映画、さらには日本人の特徴や戦争の不条理が見て取れるのである。番外で、まず戦時中の日本映画から。

 まず、日中戦争初期の段階では、田坂具隆監督、火野葦平原作の「土と兵隊」(1939、ベストテン2位)。田坂監督は1938年に「五人の斥候兵」でベストワンになった。そっちはまだしもドラマ性があるが、原作の有名性ゆえにこちらを。火野葦平は従軍中に「糞尿譚」で芥川賞を受賞し、従軍記の「土と兵隊」「麦と兵隊」が大ベストセラーとなった。戦後に書いた「花と龍」が何度も映画化されたことで記憶される。ペシャワール会の中村哲の伯父にあたる。「土と兵隊」は二度見ているが、はっきり言って苦痛の映画体験だ。日中戦争の本質に迫れとは要求しないが、せめてもう少し物語性が欲しい。ひたすら泥にまみれて従軍するだけの映画で、ある意味では確かにそれが日中戦争だった。テキスト批判の必要性はあるが、この苦痛映画は今も「問題作」ではないか。「敵」を撃破するのでなく、苦難を共有する重苦しさが日本の戦争映画なのである。
(「土と兵隊」)
 もう一本は山本嘉次郎監督「ハワイ・マレー沖海戦」(1942)を挙げたい。非常に有名な映画である。円谷英二による特撮は、今も鑑賞に耐える。だけど、その特撮ではなく、主に描かれる予科練生徒の訓練のようすに一見の価値があると思う。それがどこまで現実の描写かはともかく、戦時中の公認された戦争映画とはどういうものか。その最も「成功」した姿がここにある。成功し過ぎて、これを見て海軍を志願したとか言われ、戦後は「戦犯映画」的な扱いを受けた。そこも映画史的に重要である。

 他に劇映画だと、「上海陸戦隊」(熊谷久虎、1939)、「燃ゆる大空」(阿部豊、1940)、「加藤隼戦闘隊」(山本嘉次郎、1944)などが重要だと思うが、ここでは吉村公三郎監督「西住戦車長伝」に触れたい。今ではあまり取り上げられず、4年前のフィルムセンターの吉村監督特集でも上映されなかった。1940年のベストテン2位。1939年に「暖流」でデビューした吉村監督の第2作。戦死して「軍神」とされた戦車長の伝記だが、中国軍側から日本軍を描く場面があったと思う。40年近く前に一度見ただけなので、はっきりしないけど。劇映画だから、もちろん中国兵だって日本人俳優が演じているはずだが、貴重な映像だと思う。また記録映画としては、映画人としてただ一人、治安維持法で投獄された亀井文夫による「上海」「北京」及び上映禁止になった「戦ふ兵隊」がある。

 以下は敗戦後の映画を取り上げる。占領中はもちろん検閲があり、初期には「民主主義映画」がたくさん作られた。一方、原爆に関しては占領中は表立っては描けなかった。先に紹介した戦争映画ランキングを見ても、「有名な原作」の映画化が多い。戦後作られた優れた映画には、原作ものも多いが、小津や黒澤などはオリジナル脚本が多い。だが、銃後の生活なら創作ができるが、戦場が主舞台の映画だと、従軍経験のある作家が書いた原作ものを映画化することが多い。「ビルマの竪琴」「野火」「人間の条件」「黒い雨」「火垂るの墓」など、みな原作がまず有名だった。その意味で、映画だけを論じてもダメで、戦後の日本で書かれた戦争文学の検討と合わせて論じるべき問題だと思う。

 今回気付いたのだが、戦争映画の傑作がたくさん作られたのは、1980年代だった。同時代に生きていて、そう思っていた人は一人もいないだろう。それは量的には少なかったからである。50年代、60年代のように、続々と公開されるプログラム・ピクチャーの中に戦争ものがたくさんあった時代ではない。日本の映画界は角川やテレビ会社製作の大作ばかりが話題になっていた。だが、「戦場のメリークリスマス」、「東京裁判」、「瀬戸内少年野球団」、「ビルマの竪琴」(リメイク)、「海と毒薬」、「ゆきゆきて、神軍」、「TOMORROW/明日」、「火垂るの墓」、「さくら隊散る」、「黒い雨」など名作が続々とベストテン入りしている。これらは、監督たちがどうしても作っておきたかった「作家の映画」が多い。戦争を知るものも少なくなった時代である。「戦争40年」は中曽根内閣で、今の右傾化、軍国化、新自由主義のルーツである。時代への危機感が背景にあって、名作が続々と作られたのだろう。

 長くなっているので、今回は以下に個人的な「ベスト6」を書いて、次回に続けたい。順位は付けない。だけど、まあ何となく書く順番に評価しているようなもの。
★「野火」(1959、市川崑監督、大岡昇平原作、ベストテン2位)
 毎年のように新文芸坐で上映されていたが、今年はない。大映を引き継いだ角川が、若尾文子映画祭に続いて、年末に「市川崑映画祭」を企画中である。だから、多分そこまで見られない。現在、塚本晋也監督によるリメイクが上映中。ちなみに、市川崑は長く活躍したので、訃報でも「犬神家の一族」を代表作みたいに書いたものもあったが、あれは余技でしかないだろう。60年前後の、作る作品すべてが傑作だった時代の中でも、「炎上」(1958、三島由紀夫「金閣寺」)、「おとうと」(1960、幸田文)などと並ぶ傑作が「野火」で、市川崑の最高傑作と言っても過言ではない。
(「野火」)
★「軍旗はためく下に」(1972、深作欣二監督、結城昌司原作、ベストテン2位)
 深作欣二と言えば、1973年の「仁義なき戦い」だが、その前年に作られ、初のベストテン入り。深作監督はそれまでは売れないし評価もされなかった。真の問題作。
一枚のハガキ(2011、新藤兼人監督、ベストワン)
 新藤兼人最後の大傑作。
海軍特別年少兵(1972、今井正監督、ベストテン7位)
 綿密な取材をもとに、少年兵を描く。少年兵教育において、「体罰」が有効かどうかという、そのテーマ性が今もなお有効であるという悲しき事実を考えて、あえてここに挙げる。
肉弾(1968、岡本喜八監督、ベストテン2位)
 岡本喜八は「独立愚連隊」という日中戦争を西部劇に見立てたようなアクションシリーズで有名になり、のちに「日本のいちばん長い日」などを作ることになった。だけど、一番作りたかったのは、ATGで作った「肉弾」だろう。この切々とした抒情的な映画こそ、多くの人に記憶されて欲しい。岡本映画はよく上映企画があるので、そのうちどこかで上映されるだろう。
TOMORROW/明日(1988、黒木和雄監督、井上光春原作、ベストテン2位)
 岩波ホールで黒木監督の戦争レクイエム4部作上映中。「美しい夏キリシマ」「父と暮らせば」「紙屋悦子の青春」のどれも高い評価を受けたが、僕はこれが一番好き。「原爆映画」で選ぶなら、これだと思う。もう少し詳しく、他の映画とともに次回に触れたい。
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日本の戦争映画を考える②ー「ジャンル」としての戦争映画

2015年08月10日 22時34分27秒 |  〃  (旧作日本映画)
 そもそも「戦争映画」とは何だろう。日本では、軍や政府の上層部がズラッと出てくる一種の「歴史劇」、または戦争の悲劇を後世に伝えるマジメ映画という感じが強い。だけど、それは特殊日本的なことで、映画史的にみれば「アクション映画の一ジャンル」ということになる。アメリカで最初に大々的な映画産業が発展した時から、西部劇や恋愛ロマンス、またはチャップリンなどのコメディと並んで、戦争映画も盛んに作られた。当時は無声時代で、字幕は付けられるが英語の読めない移民には理解できない。映像と動きだけで十分楽しめるのは、アクションや体技によるコメディである。

 「戦争を楽しむ」というと今では不謹慎な気がするが、アメリカ史は「よい戦争」に大勝利した歴史である。いや、先住民やメキシコとの戦いで、カスター将軍やアラモ砦などの例外もあるが、そういう場合でも最終的には「良きアメリカ人」が勝つのである。戦争だから、人が死ぬことは避けられない。しかし、戦友は悲劇にあうが、ヒーローの主人公は常に生き残って敵を討つ。特に第二次世界大戦究極の「よい戦争」と認識され、ナチスを悪役にして、見ていて痛快な戦争映画が量産された。(対日戦映画もあるんだろうが、圧倒的にナチスが多い。まあ日本軍が類型的な悪役になってる通俗娯楽映画はあまり日本公開されてないんだろう。)僕がテレビを見始めたころに、「コンバット」という傑作ドラマがあった。また「史上最大の作戦」とか「大脱走」もテレビで見て興奮したものである。

 「よい戦争」にアメリカ人が疑いを持ち始めるのは、ベトナム戦争が激化し反戦運動が国内でも高まるころからだ。僕にとっての戦争映画は、実は「地獄の黙示録」や「プラトーン」、あるいは朝鮮戦争を舞台にした「M★A★S★H」、第一次世界大戦を舞台にした「ジョニーは戦場に行った」などをまず思い出す。当時は夏になると、東宝や東映では戦記映画のようなものを公開していた。ほとんど僕は見ていない。川本三郎も戦争映画は見ないと言っていたが、日本の場合、負けていくのである。判っているのである。軍部は本土決戦などと呼号していたが、早く講和すべきだった。バカな上層部がウロウロし、空襲、沖縄戦、原爆に至る。見ていて可哀想でならないし、軍に対しては怒りが沸騰する。ウッディ・アレンの「カイロの紫のバラ」のように、画面の中に入れるんだったら、入っていって歴史を改編したくなる。(山田洋次「母べえ」で、檀れいが故郷の広島に帰るシーンなんかでも、ダメだ!広島に帰っちゃダメだと画面に叫びたくなる。)
(「地獄の黙示録」)
 もちろん、もっと早く講和していればよかったという問題ではない。そもそも中国ともアメリカとも戦争すべきではなかった。それなのに、戦争が始まった。自然現象ではない。日本が始めたのである。それなのに、なんだか知らないうちに始まって、知らないうちに終わって、何人も死んで、悲しいねというような映画が多い。おかしいだろ、どうして怒らない。どうして、起ち上がって戦争はいやだと叫ばないのか。そういう歴史的事実はなかったのだから、言ってもムダではある。戦争を起こすファシズム勢力を国民の抵抗運動が打倒した、例えばイタリアのような歴史がない。ドイツにも、白バラの若者たちがいて、ヒトラー暗殺計画も何度もあった。だけど、日本にはなかった。だから、日本の戦争映画には、抵抗運動の民族的英雄を描く映画がない

 僕は大手の映画会社がたくさん作った、連合艦隊とか特攻とかの映画が好きではない。見なくても結末が判る、忠臣蔵や寅さん映画と同じだ。日本の古い映画も観るようになると、独立プロが作った反戦、反軍、あるいは反差別や冤罪救援などの優れた映画をいっぱいあることを知った。それはぜひ伝えていきたいと思うけど、マジメ社会派映画の暗さがあることは否定できない。では、日本で戦争映画で楽しく反戦の思いを伝えることはできるか? どんな悲惨な状況であっても、そこには日常があり、小さな喜びがあるものだが、日本の「玉砕」した戦場、文字通り「必死」の特攻攻撃、あるいは沖縄戦や原爆投下などを思い起こすと、どう描こうが最後は悲惨になることを避けられない。だけど、優れた映画(に限らないが)は、悲惨な出来事、悲しみに満ちたストーリイを描きながらも、ユーモアに満ちた語り口で見るものを飽きさせないものだ。

 日本の大手会社で作られた戦争映画は、「任侠映画」と構造が似ている。政界や軍閥とヤクザ組織が構造的に似ているというのは、考えてみれば当然だ。上層部が出てくる映画、政府内の対立を描く場合は、ヤクザ組織どうしの争いを描く映画と似ている。特攻ものは、こう言ってしまうと身もふたもないかもしれないが、「鉄砲玉」映画に似ている。志願していることになっているが、「事実上の強制」に近いことも似ている。そもそも、日本が戦争に乗り出した理由も、世界の「反日包囲網」(当時、ABCD対日包囲陣と呼ばれた)にも関わらず、「隠忍自重」を重ねていたものが、ついに堪忍袋の緒が切れて、敵に殴り込みをかけるという任侠映画にそっくりとなっている。今でもそういうことを言う人がいるのは、「任侠映画的世界観」といったものが、日本の民衆感情にいかに深く根ざしているかを示しているのだろう。そういう戦争映画は、僕は見ていても面白く思えないのである。
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日本の戦争映画を考える①

2015年08月09日 23時00分19秒 |  〃  (旧作日本映画)
 戦後70年。映画はどのように戦争を描いて来ただろうか。上映企画もある今夏、ガイドも兼ねて映画で戦争を考えてみたい。きっかけは、朝日新聞土曜版(be青)7月25日付に掲載された「beランキング」である。読者のネット投票で「もう一度見たい 日本の戦争映画」という記事が載っている。
火垂るの墓(1988、高畑勲)
ビルマの竪琴(1956、市川崑)
私は貝になりたい(1959、橋下忍)
戦場のメリークリスマス(1983、大島渚)
ひめゆりの塔(1953、今井正)
人間の条件全6部(1959~1961、小林正樹)
永遠のゼロ(2013、山崎貴)
日本のいちばん長い日(1967、岡本喜八)
黒い雨(1989、今村昌平)
二百三高地(1980、舛田利雄)

 10位まで書くと以上のようになるが、これを見て、けっこうショックというか、僕が選ぶなら大分違うと思ったのである。(大体、「永遠のゼロ」と「二百三高地」は見ていない。)
 11位以下を名前だけ挙げておくと、
男たちの大和/YAMATO戦争と人間全3部原爆の子連合艦隊司令長官山本五十六東京裁判兵隊やくざ連合艦隊日本戦没学生の手記 きけ、わだつみの声戦艦大和真空地帯…さらに、南の島に雪が降る、陸軍中野学校、海と毒薬…と続くとある。
(「火垂るの墓」)
 さて、自分ならどう選ぶだろうか。と考えてみて、その前に「戦争映画とは何だろうか」という問題があることに思い至った。例えば、上記のリストに「黒い雨」や「原爆の子」が選ばれているが、それは「戦争映画」なんだろうか。もちろん、この2つの映画は広島の原爆に関する映画である。だけど、戦時中の話ではなく、戦後の日々を描いている。「原爆病」と昔は言われた放射線障害の影響は、時間が経って発現することが多いから、その意味では「戦後の日々も戦争中」だとも言える。そうリクツを考えるまでもなく、多くの日本人はこの映画を見れば、二度と戦争はしてはならない、原水爆は世界からなくさなくてはいけないと考えるだろう。だから、これは戦争映画であると多くの人が認めると思う。

 一方、長崎に原爆が落とされる前日を描いた黒木和雄監督の「Tomorrow / 明日」はどうだろうか。翌日に何が起こるかをわれわれは判っていて見るのだから、この映画の哀切は極まりない。本来、9日の第一目標は長崎ではなく、小倉だった。曇っていたために、第二目標の長崎に向ったのである。だが、そのような偶然が翌日に起こるかどうかに関わらず、現代戦は総力戦なんだから、戦艦武蔵を作った長崎造船所のある8月8日の長崎は戦争中である。当時の言葉で言えば、「銃後」を描くことは「戦争映画」に他ならないだろう。井上陽水のヒット曲で有名な「少年時代」(篠田正浩監督)も、戦争中の子どもたちの疎開を扱っているから「戦争映画」だと僕は考える。

 このランキングに「二十四の瞳」(木下恵介)が入っていない。事前に編集部が60本のリストを作ったとあるから、多分そのリスト段階でなかったのではないか。投票傾向を見れば、リストにあれば入っていたように思うのである。「二十四の瞳」の映画、原作は、多くの人に戦後を代表する反戦映画、反戦小説と思われている。だけど、その物語は戦争のずっと前から始まり、戦争の日々は最後に出てくるのみである。もっとも物語の構造は、「戦争という悲劇」の詠嘆に向って計算されていて、やはり僕には「戦争映画の一種」と言っていいのではないかと思う。

 では、小津安二郎「東京物語」や成瀬巳喜男「浮雲」はどうだろうか。この二つの名作は、戦争が日本人にどれほど深い傷を与え、大きな社会変動をもたらしたのかを印象的に語っている。戦争という出来事がなければ、これらの映画は成り立たない。だが、そうは言っても「東京物語」や「浮雲」を戦争映画というのは言い過ぎだろう。常識的に考えて、「戦後」を描くことが物語の眼目であって、戦争は背景装置であると理解するべきだ。戦後20年ぐらいまでは、ほぼすべての映画に何らかの形で「戦争の影」が濃厚に落ちている。だけど、それらは「戦後映画」でこそあれ、「戦争映画」というのは無理がある。黒澤明のいくつもの映画も同様である。
(「ビルマの竪琴」)
 前記のランキングには、「二百三高地」が挙げられているが、日露戦争の映画もかなり多い。世界では、第一次世界大戦の映画もとても多い。日本では戦争の規模から言って、日清戦争や第一次世界大戦の映画はほとんどない。第二次世界大戦後にも、世界は朝鮮戦争、ベトナム戦争、ボスニア戦争、イラク戦争など、多くの映画に描かれた戦争があった。しかし、日本映画では第二次世界大戦以後をテーマとする映画はない。そういう戦争がないのだから当たり前である。

 言うまでもないかもしれないが、「エイリアン」や「アベンジャーズ」は「戦争映画」と言わないだろう。「ゴジラ」も同じ。相手が宇宙人や怪獣の場合、やってる中身は戦争と同じような感じだけど、戦争映画と言わない。「のぼうの城」も同じである。織田信長や徳川家康の映画はものすごくたくさん作られている。それも「戦争」を描いている。あるいは、ナポレオン最後の戦いを描く「ワーテルロー」という映画もある。もっと言えば、ローマ帝国時代の「スパルタカス」や「グラディエーター」なども、戦争映画と思っては見ない。たぶん、こういうことではないかと思うのだが、「戦争映画」も映画のジャンルの一つであるから、「時代劇」「SF映画」「怪獣映画」「歴史映画」などと他のジャンルに分類可能な映画は、そっちの方で認識するのである。
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李香蘭の2本の映画(「萬世流芳」と「私の鶯」)

2015年07月15日 01時01分39秒 |  〃  (旧作日本映画)
 あまりに暑くて出かけたくない。国会情勢も緊迫し日比谷野音の大集会もあるんだけど、今日はフィルムセンター李香蘭(山口淑子)の2本の映画を見た。「逝ける映画人を偲んで」という特集である。山口淑子としては、黒澤明「醜聞」が選ばれている。今回は戦時中の李香蘭時代の映画。こちらの上映は珍しい。

 3時から「萬世流芳」という1942年の映画を見た。製作したのは「中華聯合製片公司=中華電影=満映」で、形の上では「中国映画」として作られた「反英映画」である。アヘン戦争南京条約(香港割譲、上海等の開市などを決めた「国辱」条約)の100年記念である。日本でも、1943年にマキノ雅弘(当時は正博)監督による「阿片戦争」という作品が作られている。林則徐が市川猿之助(2代目)で、原節子、高峰秀子などが出ている。全部日本人である。その後、香港返還記念で1997年に謝晋監督による映画「阿片戦争」も作られた。これがまあ決定版だろう。
(萬世流芳)
 151分の「萬世流芳」は「いつの世までも芳しい香りが流れる」という原題からわかる通り、アヘン戦争というよりも林則徐の人生行路をフィクションを交えて語っている。はっきり言って、林則徐の描き方は、紋切型で面白くない。初めから立派な人物で、アヘンで清国が滅び行くのを憂えている。勉強熱心で順調に出世し、アヘン撲滅にまい進する。何の葛藤もない上に、演技も型にはまったものである。そこに2人の女性が絡むが、面倒だから省略する。李香蘭追悼なのに、いつ出てくるんだと思う頃になって、歌姫として登場する。アヘン窟に飴売りとして入り込み、好評を呼ぶ。英国人の経営者から人気を認められるが、実はアヘン撲滅の歌を歌っているのである。その「売糖歌」は大ヒットしたという。実際、李香蘭が出てくる場面になると、画面ががぜん生き生きとしてくる。実に魅力的である。

 その後の細かいストーリイは略する。英国人役はステレオタイプすぎて、今見ると可笑しいぐらい。だからベースは国策映画としての「反英映画」なんだけど、いずれ中国は立ち上がる、いつまでもアヘンに苦しんではいないと言ったセリフもある。見ていた側は容易に「反日映画」に読み替えて見ることができる。そういう意味で大ヒットしたと言われることが多い。だけど、現代の観点からは、何にしてもあまりにも通俗的で平板な人物描写が退屈な大作であるのは否定できない。李香蘭のシーンだけが魅力的なのである。それは歌手としての魅力で、歌う女優だったということがよく判る。

 夜に見た「私の鶯」は1944年に、東宝・満映の共同で製作されたものの、日本では公開されなかった幻の映画である。30年ぐらい前にフィルムが発見されたというが、画面が実にキレイでデジタル修復されたのかと思うほど。クレジットは新しく付けられているが、ほぼロシア語のセリフの翻訳字幕は旧仮名遣いなのでいつ付けられたのか。製作過程からして、謎の多い幻の映画である。大佛次郎原作、島津保次郎監督、服部良一音楽という豪華な布陣。島津保次郎は戦前の松竹、東宝の名監督で、1934年に作られた小市民映画の代表作「隣の八重ちゃん」は僕の大好きな映画だ。(3回見た。)
(私の鶯)
 明らかにハルビンにロケした映画で、それだけでも貴重。日本人の娘がロシア人の声楽家に育てられる話である。日本人一家とロシア歌劇団が軍閥の争いを逃れる時に銃撃され、夫は妻・娘とはぐれ、ずっと探し求めるが見つからない。上海、天津、北京と探し回るが、3年経っても消息がつかめず、その日本人は今後のことを友人に頼んで自分は南洋に行く。そして15年。ロシア人声楽家が美しい養女と暮らしている。満州事変が映画の中で起きているが、その辺の時間経過はよく判らない。革命を逃れた白系ロシア人の物語だとばかり思って見ていたら、革命前からハルビンにいたわけである。その声楽家が育てていた娘こそ、日本人の父とはぐれた娘であり、李香蘭が演じることは言うまでもない。李香蘭が歌える少女に育つ時間が、ロシア革命と満州事変の間では近すぎるのだろう。

 映画の中ではセリフの9割以上がロシア語で、李香蘭もロシア語で歌う。満映であれ、日本で出た東宝の「支那の夜」などの映画であれ、戦後の日本映画でもアメリカ映画でも、常に複雑で時代を背負った役柄を李香蘭山口淑子シャーリー・ヤマグチは演じ続けてきた。その数奇な女優人生の中でも、この映画のようなロシア語を話し歌う映画は、極めつけの珍品だと思う。だが、中国語で歌うよりも、純粋に歌を楽しめるかもしれない。歌唱力も美貌も絶頂期にあったことは明白である。

 戦時中に作られながら、歌それもオペラ(「スペードの女王」や「ファウスト」のシーンがある)が出てくるという、ちょっと時代離れした映画である。世の中にはいろんな映画がある。当時の観客は誰も見られなかった映画を、こうして時代を経て見ることができる。この映画の中に、山口淑子の最高の瞬間の一つがあると思う。まあ、映画としては大したことはないが。(なお、満州事変下のハルピンのようすが再現されている。日本軍が入城するまでは、在留邦人によって自警団が組織された描写がある。)

 ところで、徳光壽夫という全く知らない監督の追悼として、1940年の「五作ぢいさん」という短編が併映されている。農村のおじいさんが貧しいながら税金を納めようとするという、宣伝映画。何じゃこれという映画である。
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昭和文学の名作映画を見る(濹東綺譚、細雪、あにいもうとなど)

2015年06月30日 00時49分05秒 |  〃  (旧作日本映画)
 いわゆる「文芸映画」の前に、土曜日に神保町シアターで「暴れ豪右衛門」(稲垣浩監督、1966)を見た。稲垣監督は「無法松の一生」や「宮本武蔵」シリーズの他、多くの時代劇を山のように作っている。この後も「風林火山」や「待ち伏せ」を作るが、「暴れ豪右衛門」は知らなかった。今見ると、「七人の侍」と同じく、その後の中世史研究の水準からすると疑問点も多いが、とにかく一向一揆支配下の加賀の国で、土豪(国人)勢力と越前の朝倉氏の争いを描く映画なのである。戦国大名の支配下に入らないとあくまでも抵抗する国人層を取り上げているのが貴重。まあ、主人公の豪右衛門(三船敏郎)が字が読めないのを誇りにしているなど、疑問も多い。しかし、オープンセットの規模がすごい。

 その後、フィルムセンターへ回って「嵐を呼ぶ楽団」(井上梅次監督、1960)。近年評価が高くなってきた音楽映画の傑作である。音楽の河辺公一、助演の神戸一郎の追悼上映だけど、「ジャズ」が洋楽の王様だった時代のミュージカルの傑作。宝田明雪村いづみが主演し、高島忠夫、朝丘夢路が絡む。歌や演奏はもちろん自分でやってると思う。水原弘のように早死にした人もいるが、柳沢真一を含め先の4人いずれも存命である。恋と友情、音楽と商業主義をめぐって、話は定番通りだが、それでいいと思わせるウェルメイドな音楽映画。テレビが録画ではなかった時代も興味深い。井上梅次は日活の「嵐を呼ぶ男」で裕次郎をスターにしたが、とにかく何でも面白い。マキノ雅弘に匹敵するのではないか。香港でも撮ったが、アジアのエンターテインメント映画全体に与えた影響を再評価するべきだろう。

 さて、標題にした「昭和文学」だけど、ここで言う「昭和」は、1950年頃から1970年頃までの日本映画がもっとも力があった時代を指す。その時代には多くの映画が作られ、相当数の「文学作品の映画化」が行われた。戦争と高度成長という近代日本の最も大きな出来事がこの時代の映画に反映されている。また明治、大正に出発した作家も、多くは昭和時代まで生きて傑作を残した。島崎藤村「夜明け前」、谷崎潤一郎「細雪」、永井荷風「濹東綺譚」、徳田秋声「縮図」などで、これらはみなすぐれた映画になっている。また川端康成、林芙美子、井伏鱒二、井上靖などの作品もたくさん作られてきた。林芙美子など、もし成瀬巳喜男による多くの映画化がなかったら、今もこれほど読まれているだろうか。

 新文芸坐で京マチコ山本富士子の特集があり、数本見た。山本富士子は大昔に見た時はものすごい美人だと思ったのだが、今は顔立ちが大柄で古風すぎる気もしていた。久しぶりに数本見ると、やはり美女。今回は見なかったが、3回見ている「夜の河」が最高だと思う。「湯島の白梅」「白鷺」等の鏡花原作、衣笠貞之助監督作品もいいと思う。今回は今まで見ていなかった「細雪」「濹東綺譚」を見て、その後ラピュタ阿佐ヶ谷で「如何なる星の下に」を見た。後の2作は、東宝で豊田四郎監督、八住利雄脚本という共通性がある。でも、どちらも原作を大きく変えている。豊田四郎は織田作之助原作の「夫婦善哉」が間違いなく最高傑作だが、この時代「雁」「猫と庄造と二人のをんな」「雪国」「暗夜行路」と日本文学全集みたいなラインナップを残している。

 「濹東綺譚」(1960)は原作中の劇中小説の主人公、種田先生を主人公にしてしまい、荷風散人は別個に作品取材をしている老作家として出てくる。この荷風を演じる歌舞伎役者の中村芝鶴があんまりそっくりなので笑ってしまう。種田先生が芥川比呂志の名演で、お雪が山本富士子。なるほどこういう風にしないと映画化できないか。工夫を評価しないわけではないが、これでは原作を壊しているという不満を抑えがたい。伊藤熹朔の美術が素晴らしく、単なるノスタルジーに止まらない場末の風情を作り出していて見応えがある。単なるメロドラマにされてしまった感じがする。1992年にも新藤兼人が映画化し、ベストテン9位。豊田作品の方は31位だった。「濹東綺譚」は紛れもなく荷風の最高傑作で、短いから読書好きなら読んでいる人が多いと思うが、読んでない人は誤解していることが多い。老作家が場末の娼家に通う情痴小説みたいではない。非常時局下に「国内亡命」を試みる知的なメタ小説という枠組みに、過ぎ去ってゆく哀感漂う抒情を込めた傑作である。
(「濹東綺譚」)
 高見順原作の「如何なる星の下に」(1962)も、原作を大きく変えていて、原作が好きな僕には物足りない。浅草を舞台に「転向」知識人の苦悩を込めた原作を、映画では映画化時点の現在の銀座、佃島に変えてしまった。それはそれで、今見ると東京五輪直前の町の姿をこれほどとどめた映画はない価値が出てきた。佃島の渡しなど、廃止(1964年8月27日)直前の姿が映像に残されている。山本富士子と池部良はいいけれど、どうも風景を見る映画という感じ。ベストテン43位。
(「如何なる星の下に」)
 谷崎潤一郎の「細雪」は3回映画化されている。1983年の市川崑作品が一番である。(ベストテン2位。)最初の映画化、阿部豊作品(1950年)もベストテン9位に入っていて、それなりの評価を得た。一方、今度見た1959年の島耕二監督版はベストテンに入選しないどころか、一票も入っていない。だけど、案外の拾い物だった。フラフープをしてるから、物語は映画化時点での現在に設定されている。その結果、50年代末の阪神地域のロケが今になって価値が出てきたのだ。4人姉妹を上から書くと、50年版が花井蘭子・轟夕起子・山根寿子・高峰秀子、59年版が轟夕起子・京マチ子・山本富士子・叶順子、83年版が岸恵子・佐久間良子・吉永小百合・古手川祐子。まあ一長一短あるけれど、京、山本のコンビは大映を代表し、「夜の蝶」なんかの共演もあって息があっている。それに時間が145分、105分、140分と一番短い。長大な原作を描くには不足だが、三女、四女の結婚話に絞って上流階級の没落と結婚の階級性というテーマがくっきりさせた。

 室生犀星の原作「あにいもうと」は3回映画化され、全部ベストテンに入っている稀有な作品である。今回久しぶりに成瀬巳喜男監督版(1953)を見直した。ベストテン5位で、「にごりえ」「東京物語」「雨月物語」「煙突の見える場所」に次いでいるんだからスゴイ。その下に「日本の悲劇」「ひめゆりの塔」「雁」と続く。恐るべき年である。森雅之、京マチ子の兄妹で、戦前の木村荘十二版は丸山定夫、竹久久美子、76年の今井正版は草刈正雄、秋吉久美子である。どれも名作だが、兄はともかく、妹の方は京マチ子が一番ではないかと思う。そのくらいの迫力で兄妹げんかをしている。「けんかえれじい」などとまた違った意味で、日本映画のケンカシーンに残り続けるだろう。
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高倉健の「任侠映画」-高倉健の映画③

2015年03月13日 23時34分04秒 |  〃  (旧作日本映画)
 高倉健は60年代半ばから70年代初頭にかけて、多数の「任侠映画」に出演した。「やくざ映画」であるが、東映は「任侠映画」と呼んでいた。63年の「人生劇場 飛車角」以後、64年に始まる「日本侠客伝」シリーズ、65年に始まる「昭和残侠伝」シリーズが続々と作られた。65年に始まる「網走番外地」シリーズも「やくざ映画」には違いないが、現代を舞台にしている。明治から昭和初期の時代設定が多い任侠映画とはちょっとムードが違った。また藤純子の「緋牡丹博徒」への客演も多かった。

 自分にとっては、同時代的に見た映画ではない。最後の頃のようすは見聞きしているが、中学生や高校生が見にいく映画ではなかった。大体洋画のロードショー以外は見なくて、日本映画は高校生が見に行く映画じゃなかったのである。(ATGのアート映画はまたちょっと別で、個人的には大島渚「儀式」や寺山修司「書を捨てよ町に出よう」などを見に行っていたけど。)

 その後、任侠映画に「名作」がたくさんあると言われるようになって、銀座並木座とか池袋・文芸地下でたくさん上映されるようになった。僕が見たのはその時で、「明治侠客伝・三代目襲名」とか「博奕打ち 総長賭博」などの名作を見て感心した。だから、僕にとって「任侠映画」は高倉健というよりも、鶴田浩二藤純子の映画という印象なのである。やくざ映画と言えば、賭場の縄張りや組長の跡目をめぐる組織内の争いを描く映画と思いやすい。

 確かにそう言う映画がいっぱいあるのだが、今回高倉健の任侠映画を何本か見て、高倉健が「やくざ」である映画が少ないのに改めて気づいた。「日本侠客伝」(64)では木場の職人をまとめる「木場政組」に所属している。「日本侠客伝 関東篇」(65)に至っては伝統的な職人でさえなく、初めは船員だが飲み過ぎて船に乗り遅れて、やむなく築地魚市場で働くというコミカルや役柄である。全体としては「職人」の世界を描くという感じが強い。

 「任侠映画」はあまり好きではない。大体それほど見ていない。東映の時代劇もそうなんだけど、同工異曲が多くてたくさん見ると飽きてしまう。それはプログラム・ピクチャーの宿命だけど、日活アクションやロマン・ポルノはロケが多くて、そこが今見ると面白い。娯楽映画は公開時期が先に決まっていて、スターの撮影期間は限られる。だから、同じセットを使いまわしたり、どこかで見たようなロケ場面が出てきたりする。それでも面白い映画は面白いんだけど、時代劇や任侠映画はセットの制約上、どうしてもラストの見せ場が似てしまうので、他の映画以上に「似てるな」度が高くなる。(特に「日本侠客伝」(脚本・笠原和夫)と「昭和残侠伝 血染めの唐獅子」(1967、脚本・鈴木則文、鳥居元宏)は、木場が浅草のトビ職人・鳶政に代わっただけで、全く同じ話になってる。笠原和夫も憮然としたらしいが。)

 「やくざ」はアウトロー集団ではあるが、伝統的な価値感の護持を掲げて活動するから、映画においても現実世界においても、保守的、さらには右翼的な存在になる。映画において強調される「親分子分関係」も「自立した個人」ではないから、若い時代には「否定されるべきもの」と思っていた。「義理人情」の世界を強調する任侠映画は、だから苦手で好きになれなかった。でも、今回初めて見た「日本侠客伝 刃(ドス)」(71、小沢茂弘監督、笠原和夫脚本)では、高倉健はやくざではなく、郵便馬車の車夫である。九州から母の実家の金沢を訪ねてきて、車夫の仲間に入る。そこの社長は民権派の政治家で、渡辺文雄が率いる国権主義的な組織が選挙を卑劣な手段で妨害する。だから、ラストでは高倉健は自由民権運動のために、右翼組織に殴りこむという「左翼的ヒーロー」である。この映画は、いつも悪役の常連の山本麟一や汐路章が高倉健の仲間の車夫であるという点でも異色。なんだか他の任侠映画の逆を行くような映画だが、そういう映画もあるのである。

 高倉健の任侠映画の最高傑作は、「昭和残侠伝 死んで貰います」(70、マキノ雅弘監督)だろう。ここでは深川の名料亭の長男である。グレてやくざになり、いかさま賭博を見破ってケンカになり傷害で刑務所に入る。刑期を務める間に関東大震災があり、父と異母妹が死に、料亭は義理の母と義弟が継いでいる。実母が死んで義母に妹が生まれたという環境がぐれるきっかけだから、これは納得できるし感情移入できる。ぐれてた時に、賭場でカネをなくして雨に降られて、芸者の卵の藤純子に傘をさしかけられ人情に触れた思いを抱く。このちょっとした出会いをお互いに忘れられず、藤純子は売れっ子芸者になっても昔の出来事を忘れない。このエピソードも映画内でだけ許される奇跡の出会いで、任侠映画と言わず日本映画史に残る「男と女の出会い」の名シーンになっている。

 義理の母も盲目となり、出所した高倉健は料亭に名を隠して戻り、料亭を支える池部良と協力して実家を援けるようになるんだけど…。ここに料亭乗っ取りをたくらむ悪らつな親分と腐敗政治家が乗り出してきて、義弟をだまして権利書を取り上げてしまう。その間の相互の思いやりを巧みに描いて行く脚本が優れていて、泣かせてくれる。具体的には映画を見てもらいたいと思う。題名だけ見ると殺伐な映画の予感がするが、実際はしっとりした情感にあふれた名作である。

 この映画はもう何回も見ているけれど、よく出来ていて飽きない。そういう名作もあるのである。もちろん最後には出入りとなり、唐獅子牡丹のいれずみを背負って殴りこむんだけど、それもここまで相手が卑劣だと「テロ」に訴えるしかないと見ているものは納得する。ここではやくざの殴り込みではなくて、悪徳企業や政治家の癒着に苦しめられた「職人」階級の怒りの爆発なのである。高倉健の映画では、大体皆同じで、「職人」が悪徳政治家や公務員の腐敗に苦しめられ、最後に怒りを爆発させるという展開である。インドの娯楽映画だと、歌とダンスがあって陽気な殴り込みの印象だけど、日本の任侠映画はもっと暗くてねちっこかった。当時の若い観客の感性にはそれがあっていたのである。

 今見ると、職人世界の一種の「談合」で平和的にすみわけしてきた世界が、自由競争の名のもとに新興企業が進出してくる。そんな構造が任侠映画には大体共通している。しかし、その新興企業は自由な競争によって伸びたのではなく、政官との癒着により今までの利権を奪い取ろうとしているのである。これは今の現実世界も同じで、自由競争を強調する人が、実は政治力によって利権を獲得しようとしていることが多い。では、今までの職人世界を守っていればそれでいいのか。

 それはそうではないんだろうけど、映画では許されるファンタジーにより、「職人たちの失われた世界」が一種の理想郷となる。「職人世界」の親分子分関係にユートピアを見ようとする、一種の「反近代映画」が高倉健の任侠映画だと思う。60年代の高度成長期、地域共同体が解体される時代に、共同体から都市下層労働者に「転落」した青年層が任侠映画に熱狂したのは、そのような構造が共感を呼んだからだろう。今見ると、右翼というより、一種の反グローバリズムの抵抗映画に見えてくる。
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