尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

神田伯山TVにはまる

2020年03月04日 22時04分06秒 | 落語(講談・浪曲)
 毎日のように新型コロナウイルスに発する日本社会の「てんやわんや」(by獅子文六)を考えたり書いたりして、少し疲れた。特に「肺炎」から「日本人の死因」にわたって調べてみたので。言うまでもなく、新型コロナウイルスインフルエンザも危険だけれど、若い世代にとっては「不慮の事故」の方がずっと危険である。今年は3月中旬に桜が咲き出すらしいが、そうなると子どもたちも外へ出て活動したくなるだろう。事故に巻き込まれる危険性は休校によってずいぶん高まったと思う。

 ところで、ここしばらくブログは何とか書いてるけれど、それ以上にパソコンでやってるのは「神田伯山TV」を見ることだ。これは何だというと、YouTubeの番組。リンク先のクリックすると、トップ画面が出てくる。6代目神田伯山の襲名披露を毎日まとめている。15分から20分あって、それだけで済めばまだいいけど、つい見てない以前のものを見てしまう。抜群に面白くて全然飽きない。家にいる子どもたちやテレワークで家にいる大人の皆様に、絶好のオススメだ。
((密着#19、2.29浅草演芸ホール最終日)
 真打披露興行は2月11日に新宿末廣亭で始まった。その前の「襲名披露パーティ」からあって「密着#0」。11日から20日の末廣亭が「密着#1」から「密着#10」。浅草演芸ホール初日が「密着#11」で、浅草は29日までだったから「密着#19」まで。上の写真は浅草の29日のもので、披露口上の春風亭昇太が抜群におかしい。浅草演芸ホールの「看板猫」ジロリが毎日出てくる。そして3月1日から池袋演芸場に移って、「密着#20」から始まって毎日更新中。3月3日分まで公開されている。(3月4日現在)
(新宿末廣には爆笑問題が登場)
 披露口上は基本的には、所属する「落語芸術協会」幹部が登場する。春風亭昇太会長、春風亭柳橋副会長、三遊亭小遊三参事、桂米助参事、瀧川鯉昇理事、桂文治理事らで、肩書き付きで書くのは変な感じだが司会がそういう風に紹介するのである。そしてもちろん伯山の師匠である人間国宝の講談師、神田松鯉も列席する。他の人は交替出演だが、師匠は毎日だから大変だ。浅草最後の頃は出番が終わったら帰った日もあり、そんな日に神田伯山が「楽屋うるさい」と言って大受けしたのがおかしい。他にもゲストが出る日があり、特に新宿で爆笑問題が出る日の口上が爆笑かつ問題。

 桂文珍毒蝮三太夫なども出ているが、三遊亭円楽が自分も6代目と笑わせながら、講談の思い出を語るところなど実に奥深い。本人の講談のシーンは最後にちょっと出てくるだけで、ほとんどは楽屋風景口上である。自分が見た日以外の口上が全部じゃないけど見られるのが嬉しい。寄席に行ったことがない人にも、あるいは関東以外に住んでいて襲名披露には来られない人にも、こういう襲名披露があるんだと判って貰えるいい機会だと思う。見れば判るけれど、すごく面白いのである。

 また楽屋風景が見られるのはすごく貴重。楽屋に入る機会など普通はないわけで、こういうところなのかと思った。YouTube番頭を名乗る二つ目3人が交替でカメラを担いで映像を撮っている。初めの頃は出演者の面々は慣れてなかった感じで、お年の芸人だと何してるの?という反応も多かった。やがて多くの芸人が「見てるよ」と反応するようになり、次第にカメラに向けて演技する。口上に参加してくれた先輩方に伯山が帯を配るシーンも面白かった。お金が掛かるものだ。最新の3日付を見ると、明日(3月5日)発売の「週刊モーニング」で講談を扱ったマンガが載るから買ってねとのこと。またマクラで三遊亭笑遊師匠の思い出を語るシーンは必見だ。若い世代に何を見せるか、「3・11」での被災地公演の思い出なども貴重である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立劇場で文珍・鶴瓶を聴く

2020年02月28日 22時33分06秒 | 落語(講談・浪曲)
 萩生田文科相が26日に国立劇場の休館を要請したというニュースを聞いたときに、僕は思わずエエッと思った。それは28日に国立劇場に行くことにしていたからだ。「芸歴50周年記念」と銘打って「桂文珍国立劇場20日間独演会」という壮挙が行われるのである。国立劇場のメール通信を登録しているんだけど、その日遅くに国立劇場の休館のお知らせが届いた。国立演芸場で行われる定席も3月15日まで中止で、中席の神田伯山襲名披露は前半が無くなってしまった。しかし「貸劇場に関しては主催者に確認してください」と出ていた。主催者はどこだろうと調べてみたら、何と読売新聞社吉本興業だった。アベ友番付の東西横綱みたいなとこだから、こりゃあダメかと覚悟した。

 ところが27日に何回もスマホで確認したところ、「予定通り開催させていただきます」と書いてあるじゃないか。ただし来場できない場合は払い戻すと書いてある。ということで出かけていったのだが、チケット完売というのに結構空いていた。もったいないというか、2階席だったから空いてる1階席に替わりたかった。冒頭に文珍は白衣で出てきて「ケーシー高峰」とか言いながら「微妙な時期」の判断だったと言っていた。国立劇場休館と言いながら、国立劇場が開いているんだから不審な感じもある。無くなったと思って来なかった人もいるのかもしれない。

 さて、それはともかく、文珍は前にも10日間国立劇場独演会をやっている。他にも歌舞伎座でやった落語家もいる。寄席ではなくホール落語の方がいいという人もいるが、国立劇場は大きすぎると思った。1700人も入ると言ってたが、寄席ぐらいがちょうどいいなあと思った。歌舞伎のように登場人物も多く舞台装置も大きな場合は、大舞台がちょうどいいぐらいだ。でも落語は基本は一人のしゃべり芸だから舞台が広すぎる。ポツンと一軒家ならぬポツンと一人感がしてしまう。それに2階席だったから、声が聞きとりにくかった。僕は右耳の聴力が落ちているんだけど、同行の妻も聞こえないと言ってたから、マイクの調子を調整して欲しい。

 まず最初は弟子の桂楽珍で、徳之島出身の「方言」が興味深かった。続いて桂文珍の「新版豊竹屋」。人形浄瑠璃(文楽)マニアの男が町へ出ても浄瑠璃語りで話し不審を招く。その後「文楽茶屋」という店にたどり着き、何でも浄瑠璃みたいに注文を取るのがおかしい。この文楽調が実にうまくて笑える。文楽を一回も聴いてないとちょっと判らないかもしれないけど。桂文珍は若い頃からラジオ・テレビで活躍し東京でも知名度が高かった。大学で講師をして講義がベストセラーにもなった。そんな文珍がある頃から、全国で落語公演を重視してきた。その集大成的な20日間公演である。

 続いてゲストの笑福亭鶴瓶。今回は日替わりゲストが豪華メンバーで、それが楽しみ。どの日にしようかと思ったけれど、立川志の輔神田松之丞(現伯山)は即売り切れ。東京の人は大体聴いてるから、上方で一度も聴いてない鶴瓶の初日を取りたいと思った。鶴瓶は映画でもテレビでもおなじみの顔だが、近年は落語公演にも力を入れている。テレビで聴く話術を楽しめるかと思ったけど、残念ながらかなり聞き取れなかった。マクラでも一階中央席はかなり受けていたから面白いんだろうが、けっこうボソボソ的なしゃべりだなあと思った。ネタは「子はかすがい」。

 中入り後に大ネタの「らくだ」。元々上方落語の演目だが、東京でもやられている。前に文珍でも聴いているが、その時の圧倒的な面白さは今もよく覚えている。「らくだ」は大男のあだ名で、冒頭からネタの名前の当人が死んでいるというトンデモな設定だ。その後も「死人のかんかん踊り」など奇想天外な展開が続き、知らずに聴くと何だこれはと思うだろう。時間も長いからダレるところもあるが、まずは面白く聴けた。しかし、前に聴いたときの方が面白かったと思う。今回は開催をめぐってゴタゴタして疲れていたのかもしれない。神田伯山襲名披露ほどの盛り上がりにはならなかったかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六代目神田伯山襲名披露興行

2020年02月22日 22時35分18秒 | 落語(講談・浪曲)
 神田松之丞の真打昇進、六代目神田伯山襲名披露興行浅草演芸ホールで見た。披露興行は2月11日に新宿末廣亭から始まり、その後浅草演芸ホール池袋演芸場国立演芸場と続いてゆく。松之丞は若手ながら講談界起死回生のホープで、当代きってのチケットが取れない芸人だ。テレビやラジオでも活躍し、末廣亭初日の大入り満員の様子は一般ニュースでも報道された。僕は遠い新宿は諦め、自宅から近い浅草で見ようと思って初日に早起きして駆けつけたわけである。

 ホームページを見ると、10時から夜の部のチケットを販売し整理券を配布するって出ている。何時に行けば間に合うんだろうか。何とか9時過ぎに着くと、何百人も並んでいるわけじゃなかった。何と整理券53番をゲットできたのだった。この行列は何ですかと聞いてくる人がいて、珍しく前後の人としゃべったり。前の人は広島から来たと言っていた。そして、夜になって入場してみると、なんと満員じゃなかった。「早くも落ち目か」なんて本人も自虐ネタにしていた。

 何でだろうかと考えてみると、まずはやっぱり「新型コロナウイルス」だろう。政府が不要不急の外出は控えてとか言ってる。高いカネ出した歌舞伎やミュージカルのチケットは放棄しないだろうが、当日券のみの寄席なんか確かに「不要不急」だもんな。それと浅草で16時50分から入場開始では働いている人には行きにくい。6時過ぎに行っても、どうせ満員、よくても立ち見かと思って、わざわざ来ない。いつもなら遅く来る客がいるもんだが、そういう人がいなかった。

 また、落語芸術協会会長の春風亭昇太が出なかった。仲入り前直前は、昇太、小遊三、米助の交替とあるが、この日は予定の小遊三もいなくて師匠の三遊亭遊三だった。芸協じゃない三遊亭円楽が口上に加わっているものの、芸協代表が副会長の春風亭柳橋じゃ、ちょっと寂しい。それも満員じゃなかった理由かもしれない。ところで口上では、司会の桂米福がうっかり円楽を飛ばしてしまう失敗があった。その後の様子をみると、わざと仕組んだ受けねらいじゃないらしい。テレビ撮影があったけど、そこはカットしないようにと伯山が言ってた。

 10時過ぎに整理券を貰って、再集合は16時45分。どう過ごすべきか。映画館に行っても寝たらもったいない。ということで、この機会に横浜の県立神奈川近代文学館獅子文六展を見ようと思っていた。3月8日までだから、そろそろ行かないと。横浜まで寝て行けるし。つくばエクスプレスで秋葉原まで行って、京浜東北線で石川町へ。軽く洋館散歩をしながら文学館へ行って、帰りは元町・中華街駅から帰る。中目黒から日比谷線に乗り換えて北千住までひたすら眠って鋭気を養った。

 さて、ようやく浅草に戻って、興行が始まる。全員に触れていても仕方ないけど、「色物」(漫談、漫才、曲芸等)を含めて次第にムードが高まってゆく。若い頃はムダみたいに思っていた時間だが、いろんなものが複合的に面白い。全部書いてると長くなるが、春風亭柳橋雷門小助六桂米福などいずれも好きなタイプだから楽しんで聴く。「成金」ユニットの二つ目桂伸三(しんざ)の超絶的「寿限無」もおかしい。同じく長すぎ名前のスペイン人と結婚するくだりまで作ってしまった。

 ねづっちは客からの謎かけお題が受けた。「伯山先生」とリクエストがあって、「甲子園で勝つたびに強くなる野球部」と解いた。その心は「勝利(松鯉)のもとで大きくなりました」(拍手!)。三遊亭円楽はさっきの口上でちゃんとしたネタをやる気が飛んだと言って、先人の声帯模写、形態模写をスペシャルでやった。これはすごく珍しいものを見たと思う。昔いっぱい講談を聴いたと言って、講談師の物真似。これが上手で、自分でもよく出てくるなと言って、じゃあ落語家もということで。

 大師匠にあたる六代目三遊亭円生の真似。出てくるところからやって大受け。ついで林家彦六(8代目林家正蔵)も受けて、続いて立川談志。これがもう最高で、機嫌の悪いときと良いときを似せ分ける。ちょっと斜めに下を向いて「松之丞、力みがあるな」とつぶやくところなど実にありそうで笑わせる。ついで死んだ順と言って桂歌丸。最後に生きてる小遊三までやった。これは単に真似てるだけじゃなくて、批評性も感じられて、やはりよく見てるんだなと思わせた。伯山もネタ半ばですごかったと言ってた。

 師匠の神田松鯉が水戸黄門を軽く語って、曲芸のボンボンブラザースを経て、いよいよ大トリ6代目神田伯山である。45分の長講で「中村仲蔵」。これは末廣初日と同じだが、当初40日すべて違う演目というのも考えたという。口上司会の米福はそれをやったらしいが、いろいろな人に相談してそれは止めたという。それはその方がいいと僕も思う。新真打が自ら納得できるネタはそんなたくさんはないだろう。「中村仲蔵」は落語にもあるが、僕は聴いたことがない。中村仲蔵は18世紀の歌舞伎役者で、実在人物。歌舞伎界の外から大役者になった人物である。

 周りから疎まれながら、仮名手本忠臣蔵の五段目の工夫が今に伝わるという。その悔しさ、頑張りが報われるか。当初は大昔の芸界の話でよく判らない面もあったが、次第に熱演に引き込まれていった。ラスト近く、もうすっかり心が奪われていた。幕が下りても拍手が鳴り止まない。ついに再び幕が上がり、伯山が再び出てきて、自分でも今日はよく出来たと述べた。観客の中には立ちあがって拍手をしている人もいる。寄席でもスタンディングオベーションがあるのか。僕も珍しく立ちあがってみたが、二度とないことかもしれない。落語じゃどうかと思うが、講談はそれもよしか。
(伯山と松鯉の色紙)
 神田伯山は3代目が大名跡だったらしい。4代目は不在で、5代目は1976年に亡くなった。当代円楽も6代目だが、三遊亭円生も6代目。歌舞伎界では「六代目」は尾上菊五郎にとどめを刺す。だから6代目は大きな名前だと円楽は笑わせた。今は「熱演」タイプだが、この「熱演」は「感染」するなと思った。観客にもパワーが伝わり、頑張る力が増える気がする。いずれ大名人と言われるだろう、伝説の襲名披露である。行ける人は是非行っておくべし。国立演芸場はパソコンで取れるから、あっという間に売り切れ。何日もあるのは浅草と池袋だけ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木馬亭で玉川奈々福の浪曲を聴く

2019年12月18日 22時21分37秒 | 落語(講談・浪曲)
 トロイの木馬像がトルコの町チャナッカレという町にあるという話を書いたばかり。一方、浅草には「木馬亭」という寄席がある。日本で唯一「浪曲の定席」があるところだ。今朝新聞を見たら、席亭の根岸京子さんが91歳で亡くなったという記事が掲載されていた。根岸京子という人は、浅草で有名な根岸興業部の一族で、僕の大好きな映画監督根岸吉太郎の母にあたる。1970年以来、浪曲の定席を守り続け、その功績で2015年に松尾芸能賞功労賞を受賞した。

 僕はその木馬亭に16日の夜に行ってきたばかり。浪曲の玉川奈々福と上方落語の桂吉坊が二人で続けてきたコラボ企画「みちゆき」の第10回にして最終回である。僕はその会に後半半分ほどを妻に連れられて見に行ってる。7時始まりで、最後にある実に面白いトークまでたっぷりと聞いてると10時になってしまう。翌日が早かったので、トークを聞かずに出てしまって残念だった。この会は相当に「通好み」の演題が多く、あまりここでは書かなかった。
(玉川奈々福)
 今回もスルーするつもりだったが、席亭の訃報を聞いて書いておこうかと思った。浪曲という芸能は、昔は大人気だったと知ってるが、僕はマキノ雅弘監督の「次郎長三国志」シリーズで広沢虎造がうなっているのを思い出すぐらいだ。一時は国本武春が若い人気者になったが早く死んでしまった。もう聞くこともないかと思っていたら、女性浪曲師、玉川奈々福の人気がブレイクしてきた。今や「知る人ぞ知る」段階を過ぎて、「えっ、まだ聞いたことないの」レベルまでは来てるだろう。

 今回の「親鸞聖人御伝記 六角堂示現巻」は他では聞けない演題だった。何しろ築地本願寺の依頼るで作った新作で、他ではやってないという。それをやったのは本人の希望と言うより、企画者がリクエストしたらしい。親鸞、あるいは鎌倉仏教の始祖たちの浪曲はかなりあるというが、築地本願寺住職でもある宗教学者、釈徹宗氏が今までの台本は却下、新作を依頼したという。そこで出来た作品だが、叡山を下り京の六角堂で聖徳太子の夢告を受けた場面に絞り込んでいる。奈々福さんの声はいつものように素晴らしいんだけど、「親鸞聖人」という枠がある以上マジメ一途で、どうもゆとりがない。
(吉坊と奈々福)
 桂吉坊の落語は「弱法師」(よろぼし)という噺で、これは冒頭で断りがあったが全く笑いもギャグもない。それどころか内容が暗くて、これは何だという思い。元々謡曲だったもので、おとなしくて口答えできない息子に父親が怒鳴りつけ家を出て行けという。真に受けた息子が家を出てしまい、それ以来どこでどうしていることやら。そして一年が経って…という展開だが、頑固な父と間に入って取りなそうという母を演じ分ける吉坊の芸は完成されて見事だ。だけど、一体何なの、この噺、笑いがなくてもいいけど、その場合は涙と人情が欲しいのにそれが全くない。浪曲の方とは「聖徳太子」つながり」かな。
(天中軒すみれ)
 今回の収穫は、前座で出た浪曲の天中軒すみれ。なんと芸大出の才媛で「すみれ嬢」と呼びたい感じ。演題は「山内一豊の妻」だったが、時間的に中途で終わった。声が素晴らしくて顔もカワイイんだから、アイドル浪曲師としてブレイク必至と見たがどうだろう。今後の成長が注目される期待株。
(根岸京子さん)
 木馬亭の席亭はどうなるんだろうか。今や浪曲定席も一週間だけで、後は貸席である。上が木馬館という大衆演劇の舞台。東京で二つしか残っていない。僕は夜行くと、いつも迷ってしまう。不思議に毎回迷うんだが、夜の浅草も迷宮的でどこがどこだか判らない。そんな浅草に残った不思議の空間がいつまでも続いて欲しいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神田松鯉の講談を聞く

2019年11月29日 21時14分00秒 | 落語(講談・浪曲)
 新宿末廣亭11月下席は、落語芸術協会所属の講談師・神田松鯉(かんだ・しょうり、1942~)がトリを務めている。そのちょっと前には、2月に真打昇進、伯山襲名が決まっている超人気の神田松之丞も出ている。松鯉は今年「人間国宝」に認定され注目が集まっている。人気の師弟を聞こうと末廣亭はいっぱいだである。もっとも夜の部始め頃に行けば、まだまだ一階桟敷席が空いていた。
(神田松鯉)
 松鯉の出し物は十日間続けて「赤穂義士伝」長講である。マクラで言ってたけど、講釈師は「冬は義士、夏はお化け」でメシを食ってきた。季節柄寒くなれば、義士伝となる。なんて知ってるように書いても、僕は聞いたことがない。夏のお化けの方は、一龍斎貞水の「立体怪談」を見てるけど、冬の義士には関心がない。そもそも講談を聞いたことがあまりないが、「忠臣蔵」そのものも(そりゃあ映画は何本も見てるが)どうも好きになれない。いくら何かあったとしても江戸城内で切りつけてはまずいでしょう。それを家臣だからといって「仇討ち」と称して討ち入りするのは「テロ」じゃないの?

 なんて思ったりするわけで、最近じゃ僕は四十七士のことを冗談で「AKO47」なんて言ってる。そんな僕が松鯉の講談を聴いてどうなる。それまでの落語、講談、各種色物に湧いて、いよいよトリの登場、「待ってました!」の掛け声と共に雰囲気も最高潮に達する。演題は「赤垣源蔵徳利の別れ」である。明日は討ち入りという前夜、義士の一人赤垣源蔵は最後の別れに兄を訪ねる。兄は不在、兄嫁は病床だったため、源蔵は壁に掛かった羽織を兄に見立てて酒を酌み交わす。翌朝討ち入りの話を聞いた兄は、下働きの市助を確認に行かせる。果たして義士の列にいた源蔵は形見の品を渡すのだった…。

 もちろん、もっと多少の綾があるわけだが、基本はシンプルな話である。これがしみじみ聴かせて素晴らしい。何でこんな話が泣かせるんだよと思いつつ、涙を禁じられない。それがまあ「」なんだと思う。と同時に「死を見つめた透明な心境」がいかに心を打つことか。ところが後で調べてみると、赤垣源蔵なる人物は四十七士にはいない。実在したのは赤埴源蔵重賢で、赤埴は「あかばね」と読む。兄もいなかった。そうなんだと思ったけど、そこにこそ「日本の大衆文化」の豊かな流れを感じる。現実を少し変えても、こういう物語を作ってきたわけである。
(神田松之丞)
 少し前に出た神田松之丞(かんだ・まつのじょう)は2回目だけど、圧倒的な面白さだ。エネルギーがあふれ、場内の心を鷲づかみにする。その勢いは誰も止められない。けっこう周りの噺家が「松之丞ネタ」で売れるぐらい、当人も面白そうだ。客をあっちに連れて行き、こっちに連れて行き、ジェットコースターに乗ったようなストーリー裁きに感嘆する。この面白さはホンモノだと思う。それが「講談」に留まるのか、講談界を飛び出てしまうのか。他の仕事のオファーも多くなりそうだが、売れすぎてテレビの人気者なんかになるタイプじゃないような気がする。とにかく面白いので、ファンが熱狂するのも無理ない。チケットが取りづらいが、時々寄席でやるときが狙い目かもしれない。

 新宿末廣亭は定席で一番遠いので、最近行ってなかった。夜の部だと帰りが遅くなるが、行っただけのムードを味わえる。一番寄席らしい建物なのは間違いない。桂小文治、三笑亭夢太朗などの落語も充実していたが、バイオリンのマグナム小林が発見だった。落語協会の「のだゆき」さんみたいな芸で面白かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小痴楽再びー国立演芸場11月中席

2019年11月11日 22時52分32秒 | 落語(講談・浪曲)
 10月7日に「柳亭小痴楽真打昇進披露興行」を書いた。面白かったので、もう一回国立演芸場11月中席の披露興行に行ってきた。東京の真打披露興行は(落語芸術協会の場合)、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場と回って、国立演芸場で終わる。(上野鈴本演芸場は芸協が出演できない。)国立演芸場は他と違って指定席制である。(鈴本なども正月、5月上旬、お盆期間などは指定席だが。)他より時間が短いが、その分安いし(2100円)、都の旧職員向け割引もある。

 今回は夫婦で見に行った。口上に会長の春風亭昇太に加え、三遊亭小遊三滝川鯉昇と芸協を代表するビッグネームが揃うから、中席一日目に行くことにした。ネットでは割引が効かないので、わざわざチケットを買いに行った。ちなみに一番人気は神田松之丞で、19日(火)はあっという間に売り切れていた。今日は披露の口上が、後で小痴楽が言ってたけど「大喜利状態」で小遊三なんか「高校三年生」を歌って終わり。小痴楽は先代痴楽の子どもで、昇太は小痴楽の幼い頃を暴露して笑えた。

 弟弟子の柳亭明楽の「転失気」(てんしき)はなかなか味はあるけど、もう少し頑張ってという感じ。二つ目の「成金」グループは11人いるので、先頭を切って昇進した小痴楽の披露興行に一日一人ずつ出ている。今日は春風亭柳若で、滝川鯉昇の前座時代の名を名乗る弟子。「猫の皿」という街道を歩いていて、古い茶屋で猫の小皿に名品を見つける話。威勢がよくて面白かった。江戸屋まねき猫の動物物真似を挟んで、小遊三鮑のし」と昇太猿後家」で中入り。

 昇太は結婚ネタでしばらくマクラを持たせるんだろう。自由に生きてきて、急に元タカラジェンヌと「ご成婚」じゃ、言いたいネタは山のようにある。「家の温度」だけで爆笑させるんだから、確かにうまい。でも段々発想が平板になってきたかも。まあ寄席とホール落語じゃ少し違うのかもしれない。会長になったのを機会に、もっと寄席でやって欲しいなと思う。「猿後家」はマクラがいつの間にか噺に入ってて、羽織を脱がずに一席が終わるのを初めて見た気がする。うまいし、そのことを観客も判っていて、期待に応えるんだからすごい。でも以前の爆発的面白さは変わってきたのかもしれない。

 口上の後は、滝川鯉昇の「粗忽釘」で相変わらず非常にうまい。省エネ主義みたいな芸風がうまく効かない時もあるけど、今日はなんだか一番おかしかったかも。展開が判っているのに笑わせるのが落語だから、中味より語り口の妙が技になる。この人ほど「独自の面白さ」を維持している人も珍しい。小痴楽の師匠、柳亭楽輔代わり目」は、よく演じられる噺で時間を考えたかエッセンスだけだったか。

 東京ボーイズをはさんで、最後に小痴楽干物箱」。これが大熱演で、やはり小痴楽は華がある。道楽息子と小言親父。よくあるパターンに息子の声色が得意なもうひとりを出してきて、演じ分ける。判っているけど、おかしい。熱演もあるし、芸もあるだろうが、どうも雰囲気そのものが道楽息子風で落語の世界っぽいのである。でもうちの奥さんの言うには、先代のように病気が心配の感じだと。自愛を望むと同時に、「やまいだれ」が名前を覆うのもどうなんだろうと思ったりもする。

 国立演芸場は最近売店が閉店してしまった。一回の奥の展示場では紙切りの特集をやっていた。どうもダラダラした感想だけですいませんの記事ですね。たまに夫婦で落語を聞きに行くのもいいかと記憶にインプットする。国立演芸場は、やはりお国が芸能も守ります感がしてしまうけど、案外の穴場。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柳亭小痴楽真打昇進披露興行

2019年10月07日 22時47分40秒 | 落語(講談・浪曲)
 東京の寄席では、落語協会と落語芸術協会どっちも順次真打披露興行を行っている。今日は浅草演芸ホールに落語芸術協会(芸協)の柳亭小痴楽(りゅうてい・こちらく)の昇進披露を見に行った。珍しく一人の昇進で、二つ目時代から人気者だったので大盛況。いや、元気よくてすごく面白いな。NHK教育で時々やってる「落語ディーパー」を見てる人なら、柳亭小痴楽の面白さを知ってるだろう。同じく二つ目の落語協会・柳家わさびも今回昇進だ。6日夜に二人の昇進を追う特番を見たばかり。
(終了後にホール前で客に応える小痴楽)
 小痴楽は芸協二つ目11人で作ったユニット「成金」の一人で、最初に真打に昇進した。「成金」の面々も日替わりで高座に出ているが、今日は来年2月の昇進が決まっている超人気者の講談師・神田松之丞。初めて聞いたんだけど、やはりすごくエネルギッシュで、大物感を感じる。松之丞だけ聞いて出ていく人がいるんでビックリした。トリの小痴楽がマクラで松之丞らとのベトナム旅行での様子などを暴露しまくっていたら、着替え終わっていた松之丞が高座に乱入してきた。珍事に大笑い。

 柳亭痴楽と言えば、4代目を思い出す。「破壊された顔の持ち主」を売り物にして、「痴楽綴方教室」というネタでテレビの人気者だった。1973年に大阪で脳卒中で倒れ、20年間闘病生活を送った。その様子は弟子で、小痴楽の師匠である柳亭楽輔が笑いの中に哀歓を込めて語っていた。4代目痴楽の弟子が2代目小痴楽で、1996年に5代目痴楽を継いだ。しかし、5代目も2005年に脳卒中で倒れ、2009年に亡くなった。この5代目の次男が今回の3代目小痴楽で、父が病気のため現・桂文治に入門した。ところが度重なる遅刻のために破門となって、父の弟弟子の楽輔の門下に移った。

 このエピソードの裏に何かあるのか知らない。(「起立性失調障害」などがあったのかもしれない。)でも、高校も中退で落語家になるって、大学落研ばかりの昨今の落語界の中で貴重だと思う。その後もいろんなエピソードがあるようで、なんだか「生きていた与太郎」みたいで、こんな人がいたのかと楽しくなった。トリの落語も大受けで、エネルギッシュ。「磯のあわび」というネタで、与太郎が吉原を知らず、儲かると聞いて行きたがる噺。町内にいるという「女郎買いの師匠」に吉原の作法を教わり、そっくり再現してみせるおバカぶりが楽しく演じられる。

 襲名披露だと口上を述べる協会幹部がそろって一席語る。今日も三遊亭小遊三雷門助六春風亭柳橋らが出て盛り上げた。でも圧倒的に小痴楽と松之丞が場内の人気をさらった感じ。やがて6代目痴楽を襲名すると思うけど、その儀が楽しみだ。期待して待っていたい。

 落語ブームとかで、土日は寄席もいっぱいのことも多い。今日も後半の襲名披露あたりからは立ち見だったが、平日なら早く行けば座れるだろう。今はヒット映画も前日には席を取って見ることがほとんど。でも体調によっては、無理して行くことになる。演劇だと人気舞台なら、大分前に席を押さえる必要がある。突然行って自由席で見られる落語はいいなと思う。だから高齢者で満杯である。僕など若い方。若い頃はオリジナリティを求めていたけど、年取ったら同じ噺、同じ奇術や曲芸、紙切りなんかが楽しくなった。同じマクラでもいいのである。自分でもそうなんだと不思議。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草演芸ホール8月上席(にゅうおいらんず特別公演)

2019年08月09日 22時44分43秒 | 落語(講談・浪曲)
 猛暑続きの中、浅草の寄席に行く。出てくる芸人も大体猛暑の話から入る。僕も迷ったんだけど、今まで使ったことがない「つくばエクスプレス」で行ってみたら、浅草演芸ホールの真下に駅があるから、あまり暑くならず着いた。12時前だが、ほぼ満席。8月上席は主任が三遊亭小遊三、その前に落語芸術協会の新会長春風亭昇太という、「笑点」の人気者二人が出る。そして、お目当ては最後、小遊三、昇太らの素人ジャズバンドにゅうおいらんず」である。あんまり楽しかったので、記録しておきたい。
(浅草演芸ホール前の看板)
 いつも記事にするわけでもないけど、時々落語を聞きに行く。でも最近はあんまり行ってなかった。ホール落語はチケットが取りにくく、寄席は椅子が小さくて辛い。それは演劇も同じで、結局事前にチケットが買えて、字幕で理解しやすい外国映画を見に行くことが多くなる。(演劇や落語は席が遠いと聞こえにくい。)今日も4時半過ぎまでの長丁場だから、正直体は大変だ。暑いのも困るけど、冷房が直撃してくるのも困る。そういう問題が夏には起きるけど、それでも最後が面白いと全部忘れる。

 最近聞いた落語はほとんど落語協会。落語ブームの人気者も多くは落語協会だ。だから、落語芸術協会(芸協)は久しぶり。数年前に国立演芸場で歌丸師匠の円朝を聞いて以来だと思う。21世紀初等には、まだ春風亭柳昇の落語会で、二番手で出ていた春風亭昇太を「発見」して、ずいぶん追いかけて聞いた。はっきり言って、笑点の司会とか芸協の会長などに時間を取られて欲しくない。そんな気もするんだけど、まあそれも年齢とともにやむを得ないかと思う。

 昇太は長年「独身」ネタで売ってきたけど、最近結婚を発表した。今日もその話題で持ちきり。お店に入っても道を歩いてても、「もう、心配してたのよお」とか言われるんだとか。「それも、一昨日まで」で笑いを取った。(一昨日に小泉進次郎と滝川クリステルの結婚発表があった。)今日は昇太も小遊三も落語というより、バンドがメイン。同じくバンドを組む春風亭柳橋桂伸之介も同じ。滝川鯉昇師匠も暑すぎたか今ひとつ。満場喝采だったのは、漫才のナイツや奇術の北見伸&ステファニー。特にマジックは全然判らず、皆見とれていた。

 3時半過ぎに「にゅうおいらんず」が始まる。バンドマスターは小遊三師匠。トランペットを吹きまくる。歌も「ダイナ」の他、今年の新曲という「天使の誘惑」を歌った。黛ジュンのレコード大賞受賞曲だが、若い人は知ってるだろうか。でも場内の平均年齢は高いから、みなノリノリで拍手していた。昇太はトランペットで、歌は「ブルーヘブン」(私の青空)。エノケンなどが歌い浅草にふさわしい。

 「狭いながらも楽しい我が家」と去年も歌ったけど、実感がなかったと語りを入れて笑わせた。でも小遊三いわく「世田谷の豪邸は狭くない」。春風亭柳橋の軽妙な語りに乗せて、最後の「聖者の行進」まで盛り上がる。上手が売りじゃなく、半分が語りみたいな、見事に楽しさだけを残すバンド演奏だった。また来年も来てみたいな、皆さん健康に気をつけて来年も是非。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上野の「鈴本新緑寄席」昼席に行く

2019年05月05日 21時16分27秒 | 落語(講談・浪曲)
 10連休もあと2日となって、テレビでは渋滞とか帰国ラッシュなんかのニュースが多くなってきた。長すぎるという声も多いようだけど。確かに病気や障害、あるいは介護や育児を抱える人には長いかなと思う。しかし、それはそれとして、「ヒマなときの過ごし方」も知ってないと「長い老後」が大変だ。

 自分はこういう混雑するときは、昔からノンビリすることにしている。昔の映画を少し見に行き、後はひたすら「モンテ・クリスト伯」を読んでいる。この前ウエルベックの「ランサローテ島」というのを借りに近くの図書館に行ったら、そこに「ワイド版岩波文庫」の「モンテ・クリスト伯」があった。普通の岩波文庫全7巻は、買うには長くて重い上、字が小さいから、一度も読んだことがなかった。これがワイド版なら全然目に苦にならない。ハズキルーペなんか必要ない。今4巻目の半ばだから、10連休じゃ終わらない。 

 さて5月5日「こどもの日」は、上野鈴本演芸場の昼席で落語。長い休みの一日ぐらいは夫婦で落語でもと、家に一番近い鈴本の昼席を買っておいた。(鈴本だけパソコンやスマホからチケットを買える。)トリは林家正蔵だが、柳家さん喬春風亭一之輔、襲名披露中の4代目三遊亭円歌(前歌之介)、さらには桃月庵白酒古今亭文菊らいつもはトリを取る売り出し中の人気者も続々。いつもより高いけど、立ち見もいっぱいの連休興業の賑わいだ。

 (鈴本演芸場ホームページから)
 ただボケッと聞いてたら、最後の頃になって「子どもの噺が多いな」と気づき、そうか「こどもの日」かと思った。一之輔は「人形買い」という噺で、長屋に生まれた男の子のために男二人が人形を買いに行く。うまく値切ったつもりが、人形を持たせた店の小僧がませたガキで、あることないこと内情をバラしていく。本来もっと長い噺のようだが、とにかく「顔芸」がすごい。何度も聞いてるが、やはりただ者ではないなと思う。桃月庵白酒古今亭文菊はたたずまいが面白いけど、短い噺。
 (春風亭一之輔)
 寄席では落語の合間に「色物」と呼ばれるさまざまな芸人が出てくる。最近はそっちの方が楽しみで、今日も大満足。太神楽曲芸の「鏡味仙三郎社中」、漫才の「ロケット団」(いつもの四字熟語だが大受けだった)、浮世節の立花家橘之助、紙切りの林家二楽(場内からのお題「チョコレート」と「バルタン星人」が見事。チョコはバレンタインでチョコをあげる少女少年だった。大喝采)と満足。

 でも一番の収穫は「のだゆき」さんだった。江戸家子猫の代演だったけど、どういう人かと思うと「ピアニカ」なる楽器を持った女性が出てきた。それで救急車やコンビニの出入り音なんかを再現する。続いてリコーダーを2本、短いのと長いの(アルトとソプラノ)を同時に吹いて演奏。とぼけたムードも最高で、すごく面白かった。検索すると東京音大大学院卒で、2013年から落語協会加盟という。
 (のだゆき)
 トリの林家正蔵は久しぶり。「ねずみ」という仙台の没落した宿屋の噺。子どもが客引きをしていて、宿とも思えぬぼろ屋に案内される。訳ありとにらんだ客が話を聞き出していくと、そこには悲しい事情があった。同情した客は自分が彫り物をしていこうという。前に聞いてる噺なので、この人が左甚五郎だと判っていたけど、なかなか聞かせた。そして「彫刻なのに動くネズミ」が虎の彫刻に怯えて動かなくなる。下げは検索すればすぐ判ると思うけど、下らないところがいい。マクラの小三治師匠のことも面白かった。軽すぎもせず重すぎもしないところが、深まってるんだかどうだか不明だけど、まあ当代の正蔵の持ち味と思って楽しんだ。上野松坂屋で買い物して6時前帰着。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亀有で新春落語を聴く

2019年01月03日 21時25分25秒 | 落語(講談・浪曲)
 2018年後半は演劇や落語などにほとんど行ってない。健診でいろいろと引っかかるようになっちゃって、二次健診みたいなのが多かった。特にピロリ菌除去治療をしたときには、抗生物質の副作用がけっこう大変だった。医者にいくたびに何千円かかかって観劇代が飛んでいく。それと別に、紀伊国屋ホールや上野鈴本などは椅子席が狭いから、もうかなりつらいのである。

 まあそんなことばかり言ってても何だから、新春は夫婦で落語と決めて、亀有リリオホールの新春寿寄席を取ってあった。亀有というのは、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の亀有。北千住から地下鉄で2駅だけど、JRの駅である。駅前のイトーヨーカドーの上がホール。何回か行ってるけど、落語で行くのは初めてだと思う。寄席の正月初席にも今まで何回か行ってる。でも沢山の芸人が入れ代わり立ち代わり出てきて、本格的に落語をする余裕がない。新春のあいさつと小話程度で終わったりするから何だかなという感じ。最近の正月は近くのホール落語だ。

 今年の上野鈴本初席のトリは1部が柳亭市馬、2部が古今亭菊之丞(きくのじょう)、3部が柳家三三(さんざ)なんだけど、新春寿寄席では菊之丞、三三が出て、さらにトリが柳家権太楼というお得な豪華出演陣。その前に春風亭昇也(昇太の弟子の二つ目)、柳亭左龍の「鹿政談」。そして菊之丞の「幾代餅」。菊之丞は今年の大河ドラマ「いだてん」の古今亭志ん生(ビートたけし)の技術指南をやってると言ってた。仲入りをはさんで、三三の「転宅」。トンマな泥棒が妾宅に忍び入るがだまされる話。演じ分けが絶妙で僕は一番面白かった。

 トリの権太楼は今一番面白い落語家の一人だけど、今日も絶妙の大熱演。権太楼はマクラも面白いが、今日もつい聞き入ってしまった。噺は「笠碁」(かさご)で町内の碁仇どうしの争いごとで爆笑させる。近年寄席で聞くと、大体「代書屋」だった。「笠碁」も聴いてるけど久しぶり。権太楼は絶対に寄席で聴いておく噺家だと思う。菊之丞、三三、権太楼三人とも、今日もその後に上野鈴本がある。正月は駆け回って忙しいんだろうと思う。まあ次は寄席に行きたいな。ホールで聴くのと違って、寄席には伝統文化に触れているムードがあるのも確かだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小沢昭一七回忌追善ー「日本の翻弄芸」を見る

2018年12月07日 22時43分00秒 | 落語(講談・浪曲)
 2018年12月6日。浅草・木馬亭で「小沢昭一七回忌追善」と銘打った「日本の翻弄芸」を見に行った。「爆笑三人組」と名乗るは、上方落語の桂吉坊、浪曲の玉川奈々福、スタンダップコメディの松本ヒロの三人。それに芸能評論家の矢野誠一が加わったトークと盛りだくさんの2時間半。

 2012年12月10日、今思えば第二次安倍政権が誕生する直前だった。16日が衆議院選挙である。そんな日に小沢昭一の訃報が伝えられた。その時に「追悼・小沢昭一」を書いた。僕は映画や舞台で見る小沢昭一が好きだったけれど、それ以上にこの世代の人々から受け取ったきたものが多い。その後、池袋の新文芸座で追悼上映があり、多くの人が詰めかけたので追加の企画も行われた。その時も感想を書いたはず。ゲストもいっぱい語っていたが、永六輔加藤武が「これからも小沢昭一を語り継いでいこう」と意気投合していた。今ではその二人ももういない。

 そんなときに、もっと若手の三人が中心になって「日本の翻弄芸」なる追善公演を企画した。場所は浅草木馬亭で、小さい会場だから満員御礼。混雑が判っていたので、事前には書かなかった。僕がなんで知っていたかというと、奈々福・吉坊で続いている「みちゆき」という上方落語と浪曲の会に行ったからである。浪曲師の玉川奈々福さんは去年の今頃まで名前も知らなかった。あちこちで紹介され妻が見に行って、良かったいうことで、以後一緒に何回か聴いてる。

 今回の三人は以下のチラシ裏側のある写真の縁。小沢昭一の葬儀に際し、なんとか手伝いをしたいと思いながら、何も役がなかった松本ヒロ。見かねた奈々福さんが受付の役を代わったけれど、それが芸能人向けの受付。松本ヒロは全然芸能人を知らず、「役に立たなかった」(奈々福談)。そこに吉坊も加わり、葬儀後に写真を撮ったという三人組である。この写真を松本ヒロが「週刊金曜日」に載せたところ、マネージャーから「こころからの笑顔」と表現されたという。でも、それで小沢昭一も喜んでいるだろうとうことだったけど。

 桂吉坊は上方落語の「天王寺詣り」。これは「日本の放浪芸」に四天王寺のアホダラ経がある縁。犬の供養をめぐる笑話だけど、「俗名クロ」が昔飼ってた「クル」に似てるから思い出す。玉川奈々福は浪曲「浪花節更紗」で、これは小沢昭一や桂米朝の師である正岡容作という縁。明治期の浪曲界をめぐる情話を力強く語る。しかし、そこまでなら「みちゆき」と同じ。今回は何と言っても松本ヒロさんのトーク。何度も聴いてるけど、実は集会以外では初めて。政権批判のモノマネや「憲法くん」の話などで、「テレビに呼ばれない」芸人の本領発揮。

 小沢昭一の講演を聞いて感動して、自分も紀伊国屋ホールでやりたいと思った話。「花咲き花散る 宵も 銀座の 柳の下で」と「東京ラプソディ」を歌いだすと、そこは戦前の東京になった。「ハーモニカが欲しかったんだよ」と歌う時、そこに焼け跡の東京が見えた、と松本ヒロは語る。これは本当によく判った。ホントにそうだったよなあ。「論」ではなく、「本当に二度と戦争はしてはいけないんだ」という「庶民の非戦」を伝えていた。そういう人たちがどんどんいなくなると、戦時下で軍人と軍に追随する人たちがどれほど非道なことをしていたかを知らない人が出てくる。そんなことも感じながら、大いに笑った一日だった。小沢昭一コレクションにあった乃木将軍の映画が発掘され、12月15日に早稲田大学の演劇博物館で上映の催しがあるという。(僕は行けないけど。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玉川奈々福さんの浪曲を聞きに行く

2018年02月03日 00時37分37秒 | 落語(講談・浪曲)
 女性浪曲師玉川奈々福さんの名前は、2017年12月16日まで知らなかった。そういう人は多いと思う。その日の朝日新聞土曜版「be」の「フロントランナー」に奈々福さんが取り上げられていたのを読んだわけ。日にちがすぐに特定できるのは、その日が「高石ともや年忘れコンサート」の日だったからで、僕は夫婦で亀戸カメリアホールに行った。そこでもらったカメリアホールのチラシを見ると、1月27日の玉川奈々福さんの浪曲と映画の会のチラシがあった。それを見て、僕はこの人どっかに出てたよねと言ったら、今日の土曜版じゃないと言われた。そうか。
 (玉川奈々福)
 その会に是非行ってみたいと妻はチケットを取ってしまったけど、僕はまあいいかと思った。その会がすごく面白かったということで、今度は2月2日の「奈々福×吉坊 二人会」のチケットを2枚買ってきてしまった。うーん、どうしようかな。ホントはフィルムセンターで山際永三監督の「狂熱の果て」を見ようと思っていたのである。でも、まあせっかくだしなあと思って、浅草の木馬亭に出かけた。木馬亭というのは、月の初めに浪曲の定席を開いているところで、そんな場所は他にない。僕は初めて。

 けっこういっぱい入っていて、「みちゆき」と題した二人会も5回目だという。桂吉坊も初めてだけど、上方落語の期待の若手。今日は吉坊が「三十石夢乃通路」(さんじっこくゆめのかよいじ)という1時間かかる大ネタをやったので、浪曲の方は短めだった。この「三十石」が抜群に面白く、こんなに何も起こらないような、普通の意味の起承転結のない噺があるなんて知らなかった。大阪から伊勢参りをした後で京都を見て、伏見から船で大阪へ帰る二人組。どこまでも船に揺られて続くような心地よさ。
 (桂吉坊)
 その前の奈々福さんは「石松金毘羅代参」で、次郎長ものである。次郎長が森の石松に讃岐のこんぴらさんに代参を命じる。ただし石松は酒を飲むと訳が分からなくなるから道中は酒を飲むな。それは無理だから、引き受けられねえというくだりである。どうしてもマキノ雅弘監督の名作「次郎長三国志」の森繁久彌が思い浮かんでしまう。石松は三十石船で「寿司食いねえ」となる。広沢虎造との掛け合いも楽しく、虎造の浪曲も頭の中に浮かんでくる。今回は「三十石」つながりなんだろうけど、落語が長いから浪曲は抑え目。奈々福さんはこの前の方が面白いと妻の言。

 しかし、浪曲を聞きに行くとは我ながら思わなかった。でも、すごく面白かったのでクセになるかも。今回だけじゃ、玉川奈々福さんは語れない。後半の二人のトークが抜群に面白い。吉坊が桂米朝に付き添って旅に出たときの話なんか、抱腹絶倒である。今度は5月1日に予定。夜の浅草がライトアップされていて、9時半過ぎでも外国人がけっこう浅草寺の写真を撮りに来ているのも驚いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5代目桂三木助真打昇進・襲名披露公演を聴く

2017年10月18日 22時25分12秒 | 落語(講談・浪曲)
 東京は冷たい雨が続いていたが、ようやく晴れ渡った18日、浅草に落語を聴きに行った。落語協会の秋の真打昇進披露公演が先月下旬から始まっている。今回は5代目桂三木助柳亭こみち2代目古今亭志ん五の三人が昇進した。今日の浅草演芸ホール5代目桂三木助がトリを取る。
  
 今日しか時間が取れなかったんだけど、もともと5代目桂三木助を聴きたかった。実は三木助を一度も聞いたことがない。今まで桂三木男として勉強会などをよく開いていていたけど、寄席でもホールでも聴いたことがなかった。そして、「昭和の名人」3代目はもちろん、立教大を出てテレビでも活躍しながら、2001年に自死した4代目も一度も聴いてない。その頃は落語にはほとんど出かけていなかったのである。5代目は3代目の孫で、4代目の甥にあたる。

 今回はお勉強というわけでもないんだけど、買ったまま読んでなかった「あんつる」(安藤鶴夫)の「三木助歳時記」(上下、河出文庫)をこの機会にと思って読んでいった。作者の分身である「こんかめ」(近藤亀雄)なる人物が出てくるのは他の作品と同じだが、冒頭から相当変な本だと思う。「あんつる」の遺作で、読売に連載されもう少しのところで終わってしまった。

 桂三木助はもともと上方の名跡で、3代目が東京から逃げるように関西に行って、2代目に師事したことがある。その縁で戦後になって、3代目襲名の話が来る。その時は落語芸術協会で春風亭柳橋の弟子だった。その後、晩年になって芸協を脱退して、落語協会に移った。昭和の名人として名高い「黒門町の師匠」8代目桂文楽に私淑して、文楽の弟子扱いで特例のように移籍した。

 若いころは博打に熱を上げ、ヤクザっぽいところもあったとある。戦時中は落語を辞め踊りの師匠をやっていたこともある。女出入りもいろいろありながら、中年になるまで所帯を持つこともなかった。そんな三木助(当時は橘ノ圓)が踊りの若い女弟子に一世一代の恋をする。それが仲子夫人で、26も離れていながら50過ぎて3人の子が生まれた。というように小説に書かれている。その男の子が4代目となり、小説に出てくる長女の子どもが今回昇進した5代目である。

 そんなウンチク話をネタに、先代は、先々代は…などと語るのが、歌舞伎などの日本の伝統芸能だ。落語はもう少し外部に開かれているけれど、それでも師匠と弟子を通じて芸がつながっていく。落語家の芸名は襲名されていくから、そんな内輪話も無視はできない。そういうことばかり通っぽく語るのも嫌味だが、全然関心がないというのも「日本社会理解」のためにはどうなんだと思う。

 という風に、5代目三木助の昇進・襲名も見どころだけど、今回は他のメンバーが凄い。上野鈴本、新宿末廣と夜の披露だけど、3つ目の浅草、池袋演芸場、国立演芸場になると昼公演になる。13時から春風亭一之輔に続いて、三遊亭圓丈ロケット団柳家三三。その後も落語協会会長の柳亭市馬、今一番面白いかと思う柳家権太楼林家木久扇師匠などの他にチラシになかった林家たい平まで。まあ時間が短いから、どこかで聴いたネタが多いんだけど、十分に満腹。

 木久扇師匠はもと三代目に弟子入りした過去がある。すぐに亡くなり、林家正蔵に移るが、元の芸名木久蔵の「木」は三木助、「蔵」が正蔵からもらったという話だった。もう漫談だけなんだけど、選挙で談志を応援に行った時の話がおかしい。談志や田中角栄の声帯模写がうまくて笑える。笑点でおなじみのたい平も漫談で終わったけど、これがおかしい。最近、浅草演芸ホールのプログラムの表紙絵をたい平が描いている。三笑亭笑三が高齢になり、バトンタッチ。たい平はムサビ(武蔵野美大)卒の本格派である。これを見るのも今後の楽しみだろう。今回は米沢の笹野一刀彫というもの。

 ところで、三木助の落語はとても元気よく、廃園間近の遊園地に武士の幽霊が出るという噺をやった。ちょっと早口かなと思うけど、面白かった。先の「三木助歳時記」には三木助なりの「芝浜」を作りあげていく様子が興味深く描かれている。やがて何十年かたって5代目なりの「芝浜」が聴けるときが来るのか、そしてその時にもまだ僕が落語を聴きに行けるのか。しかし、まだそれは先の話。今回の昇進・襲名披露は、今後浅草で20日まで。続いて21日から30日まで、池袋演芸場。11月1日から10日まで、国立演芸場で続くので、本当は他の人も見てみたい感じ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寄席紙切り百年「正楽三代展」

2015年04月28日 23時17分44秒 | 落語(講談・浪曲)
 寄席の芸の中に「紙切り」がある。客の注文に応じて、即座に白い紙を切っていき、見事に仕上げていく。機知に富んだ話芸をはさみながら、よくある「馬」や「藤娘」何かを仕上げていく芸である。これを寄席の芸として磨き上げ「ハサミの魔術師」と言われたのが、初代林家正楽という人。その初代以来100年ということで、2代目、3代目と合わせた「正楽三代展」が上野松坂屋で行われた(4.22~27)。これはもう終わっているが、そこに置いてあった割引券で、上野・鈴本演芸場の記念公演に行ってきた。

 落語協会には紙切り芸人が3人いるというが、今回は3人とも出ている。最初に林家楽一(29は出演せず、30は出演)、仲入り後の7時半過ぎからは、3代目の正楽と2代目の息子、林家二楽の共演、二人が並んで出て一緒に切るという、二度とないかもしれないパフォーマンスを見せてくれる。同じお題で切り比べもあるけれど、両者のコラボ、片方が娘を切り、もう一方が頭上の藤を切るというような珍しい芸も見られた。残り二日(29.30)とも、この共演が見られるので、是非お勧め。

 ということで、どうせポール・マッカートニーには行かないんだけど、今日にした理由の交代制トリの柳亭市馬師匠の印象も薄れてしまった感がある。市馬師匠は何度も聞いてるが、会長就任後は初めてかも。春風亭一朝桃月庵白酒など何回か聞いてる名人も、今日ばかりは紙切りの方が印象深い。何しろ、正楽、二楽の持ち時間は、いつも倍の30分~40分はあるのである。今日は、楽一のときに「闇夜のカラス」、正楽・二楽の時には「アリが千匹」という難題が出た。これは僕はあまり感心しない注文だなあと思うけど。「アリが千匹」は、トンチを効かせて両者が違ったテイストで仕上げて感心した。と書くだけだと忘れてしまうので、無粋ながら細かく書くと、正楽は「カウンターを持った人間が、アリを三匹数えてる(それが998,999,1000ということで)というやり方。二楽は「アリが線引き」とシャレで。

 寄席では「色物」というジャンルで一まとめされてしまうが、落語の合間にやる、曲芸(大神楽)や奇術(マジック)、音曲や音楽漫談(ギター漫談とか、○○ボーイズなどの芸人)などが結構ある。それらも面白いんだけど、中で一番「自分では絶対できなさそう度」が断然高いのが「紙切り」である。絵にかけと言われてもできないのに、それを瞬時にハサミで切りぬいてしまえるというのは、どういう才能なんだろう。努力すれば、ある程度はできるものなんだろうか。動物やアニメの登場人物を切れるので、学校での落語教室なんかにもよく呼ばれるらしい。「三代展」を見て判ったのは、寄席では「一瞬芸」を披露するが、もっと本格的な紙切りを自宅でやっていて、それは「作品」というべきものなのである。そして、注文で何でも切るとはいえ、「横綱土俵入り」とか「勧進帳の弁慶」など、日本の伝統的なお題の方がしっくりくるということである。「お月見」とか「花火」など「季節の行事」的なものの方が見ていても面白い。やはり、「伝統の力」のようなものが寄席にはふさわしいのかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌丸の塩原多助を聞く

2015年04月20日 21時38分39秒 | 落語(講談・浪曲)
 先週、親族の葬儀があり、いわば今年の一番の出来事が終わった。そのために、行きたかったところ、マレーシア映画ウィークや世田谷美術館の東宝スタジオ展、あるいはいくつかの演劇や映画に行けなかった。完全に日程が重なったのもあるが、疲れている時に行かないでもいいかという気もしたのである。だけど、逆に行かなくてもいいかなと思っていた国立演芸場4月中席に行きたくなった。目玉はトリの桂歌丸三遊亭圓朝作「塩原多助」のうち「青の別れ」である。

 「コント山口君と竹田君」や瀧川鯉昇師の「ちりとてちん」などを堪能して、仲入り。その後は、桂竹丸の落語が快調、やなぎ南玉の曲独楽も面白かった。ということで、いよいよ長講の歌丸。そこまで頑張ってたので、不覚にもここで少し寝てしまう。疲れていたからやむを得ないか。芸協(落語芸術協会)には聞いてない人が多いのだが、歌丸師匠は最近圓朝をやってて、同じ国立で「牡丹灯籠」を、新宿末廣で「怪談乳房榎」を聞いてるはず。それに対し、「塩原多助」はほとんど知らない。映画にもなってないから、名前しか知らない。そういう点、怪談ものの方がよく残るのかと思っていたら、これも一種の怪談仕立てだった。大体、実在人物の「塩原太助」(1743~1816)と圓朝の語る「塩原多助」で字が違うではないかと今回初めて知った。江戸に出て苦労して炭商人として成功したという塩原太助の立身出世物語は、もう僕らの世代にはほとんど知られていないだろう。

 塩原だから塩原温泉にゆかりかと思い込んでる人がいるのだが、上州水上の近く、新治(にいはり)村の物語である。というのは、そこらをドライブした時に「太助の郷」なる「道の駅」に寄ったからである。ここでは「太助まんじゅう」を売っていた。資料館もあったけど入らず、今ホームページを見ると実在人物の由来が判った。「塩原多助」の方になると、もっとおどろおどろしい人間の欲が絡まりあった話になっていて、塩原多助は塩原温泉の出だという話になっている。故郷にいては殺されかねない(友人が代わって殺される)ほどの事態となり、そこで江戸へ出奔する。名前だけ僕もよく聞いたことがある「名馬 青」は、多助が殺されることを予知(?)してか、いつもは従順な多助に従わずに一歩も動かず、結果的に多助の命を救うという、まさに名馬の働き。それはフィクションとして、先のホームページを見ると、太助と青の銅像が作られている。

 最初に人間関係が入り組んでいると警告(?)している通り、途中で誰が誰だかと思うような展開はまさに圓朝。青との別れは前段で、後半部分はまた次の機会に。それは来年4月だというから、今にも危ういかのように「笑点」を見てると思いかねないが、まだまだ元気なようである。テレビでやってた笑点メンバーの健康診断でも、特に大きな問題もなかったようだし。うまいんだか何だかよく判らないところもあるんだけど、当代で圓朝をかける噺家は珍しいので気にかかる。最近、新作映画や演劇よりも、昔の映画と落語に気が向くことが多く、しばらく演劇より落語の記事が多いかも。映画は何となく東映時代劇をフィルムセンターで見たりしているのは、またそのうちまとめて書きたい。落語は来週の鈴本、紙切りの正楽三代展の記念公演を見たいなあと思ってる。紙切りの芸に特化した寄席公演なんて二度とないかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする