尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

新劇俳優・小沢昭一-本と映画②

2013年03月14日 01時11分52秒 |  〃  (旧作日本映画)
 小沢昭一の主演した映画は数は少ないが、今回まとめて見て、今までの印象を少し変えなければいけないと思った。僕の小沢昭一体験はラジオの「小沢昭一的こころ」であり、代表作の一人芝居「唐来参和」も見てるけど、どっちも「語り芸」である。新宿末廣亭のトリを取った時に聞きに行った話は追悼文に書いた。だから「語り芸の人」として、小沢昭一を思い出すわけである。同時代でもそう思われていたのではないか。大島渚の「忍者武芸帳」を再見したら小沢昭一がナレーションを務めていた。ラジオを始める前の36歳の時である。調べると50年代から、ナレーションだけ担当した映画がある。「語りのうまさ」は早くから認められていたのではないかと思う。

 小沢昭一には師と呼ぶべき人が3人いるのではないか。一人は、作家で芸能研究家だった正岡容(まさおか・いるる)である。小沢昭一は桂米朝などとともに学生時代に正岡のもとを訪ね師事している。しゃべり方や仕草まで似てしまうほどの影響を受けたようだ。まだ世の中に落語研究などという分野が認められていなかった時代の先駆者である。この時期にも昭一青年は少年期以来の寄席通いを続けていて、早稲田に「史上初の大学落研」(名前は庶民文化研究会)を作っている。だから、そのまま大学出身落語家第一号になるという選択も決しておかしくなかった。渋谷実監督「勲章」(1954)という映画に「寄席に通っている大学生」という役で映画初出演しているが、まさにそういう生活を送っていた。

 ところで実際の小沢昭一青年が選んだのは、俳優座養成所だった。第2の師は千田是也である。寄席も行ったが新劇も見ている。当時の演劇青年だから当然である。戦後の民主主義化の時代、「型の文化」である日本の伝統芸能に対して、西洋仕込みというか、スタニスラフスキーの方法というか、役柄を分析し感情を追体験してリアリズムで演技を作り上げていく手法に心酔し、千田是也に心服したのだと思う。寄席芸人を見続けてきた体験をベースにしながらも、小沢昭一の演技そのものの本質はあくまでも新劇俳優だと思う。

 3人目の師は映画監督の川島雄三である。「寄席の世界」というとても面白い対談集で桂小金治と対談しているが、その中で映画の出演料の話が出てくる。桂小金治は有望な二つ目だったが、川島監督がファンで通って映画出演を口説いた。当時の映画出演料は二つ目の落語家には魅力的すぎた。演技が好評で依頼が相次ぐまま、いつか映画俳優、さらにテレビ司会者として大成功してしまった。永遠の二つ目で、ついに真打になる機会を逸したのだが、この状況は小沢昭一にもある程度当てはまるだろう。もっとも早稲田で演劇仲間だった今村昌平が日活で監督に昇格するので、いずれ出演はしただろう。今村映画にはほぼすべて出演して重要な役を演じるのだから。

 新劇俳優では食えないのは今も昔も同じ。映画から声が掛かるのを待ち望んでいた若い俳優は多いだろう。製作を再開した日活は俳優が少なく、芸風が広い助演俳優を求めていた。各社を渡り歩いていた川島雄三監督が日活に来て、「愛のお荷物」「洲崎パラダイス 赤信号」などで小沢を重要な脇役で使った。一代の大傑作「幕末太陽傳」でも重要な脇役で出ている。この川島雄三という人に心酔したのである。以後も川島作品のほとんどで重要な役を演じ続けた。川島雄三は今村昌平の師でもあるが、軽妙かつ洒脱に重いテーマを韜晦して語る作法が、小沢昭一と共通する。

 映画を見ると喜劇が多く、コメディアンとの共演も多い。うっかりすると軽演劇出身ではないかと勘違いしかねない。浅草のフランス座というストリップ劇場では、50年代に渥美清や関敬六などが前座でコントをやっていた。座付作者に井上ひさしがいた。後年芸能としてのストリップ称賛を続けた小沢昭一も、フランス座にいてもおかしくない感じがする。でも、渥美清や井上ひさしは、ストリップ目的でいたわけではない。あくまでもキャリアのステップである。若き苦労の時代があったという話だ。小沢昭一は、ある程度余裕ができてから、「ストリップ研究家」として通った。あくまでもストリッパー自身の芸を見つめるという態度なのである。根がマジメで、コレクター志向というべき「こだわり」がある。一端評価するとはたから見たら常識を超えるくらい通い詰める。この違いは大きく、一見「粋でシャレを解する語り芸人」に見えるけど、実質はかなり違ったのではないか。

 小沢昭一が主役を演じた映画は少ないが、基本的に共通性がある。「マジメな求道者」という点である。競輪におぼれる「競輪上人行状記」(63)や性風俗を究める「人類学入門」(66)「経営学入門 ネオン太平記」(68)など皆そうである。これは本人の性格と新劇俳優としての演技術があいまって、実に見事な名演を見ることができる。ほとんどなり切ったリアリズム演技で、そういう「助平なインチキ」が本人そのままであるかのように思われたかもしれない。坊主が競輪におぼれるとはトンデモナイと言えるが、本人は寺の偽善にいたたまれず坂口安吾の「堕落論」のように堕ちていく。そのマジメな求道者ぶりが、ラストの爆笑シーン(競輪説教)に結びついている。
(「競輪上人行状記」)
 中学教員小沢昭一は、兄の死で寺に戻され、適応できず堕ちていく。はたから見るとおかしい位の一本気で、そこがコメディになる。後に団地妻シリーズで日活を救う西村昭五郎の昇進作で、非常に面白い傑作。「人類学入門」はよく取り上げられるし、今村昌平はまとめて書いたので省略する。性に関して突き詰めていく「エロ事師」を熱演した。今村の弟子にあたる磯見忠彦監督「ネオン太平記」は大阪のアルサロ支配人役で、これも風俗産業を現場で支える中間管理職の苦労を丹念に描いた傑作。あまり知られていないが、再評価が必要。桂米朝、小松左京、三国連太郎、野坂昭如らの特別出演が面白く、特に渥美清のあっと驚く女装演技は必見。これも風俗産業の「求道者」の喜劇。
(「ネオン太平記」)
 今井正監督の「越後つついし親不知」(64)は、水上勉原作の完全なリアリズム悲劇だけど、越後から伏見にくる酒作りの杜氏が小沢と三国連太郎。佐久間良子の美しい妻の忠実な夫が小沢で、いいかげんな友人が三国。キャストが逆ではないかと思うが、実はマジメで思いつめる役が小沢昭一向き、わけのわからない衝動を抱える役が三国だというのは、それぞれの役柄にあっているのである。名匠田坂具隆監督の最後の映画「スクラップ集団」(68)は、渥美清、三木のり平、露口茂と小沢が、大阪の釜ヶ崎で出会いスクラップ会社を作る話。ゴミの匂いが大好きになって、清掃の仕事を失うほどになるという奇妙な役柄を演じている。助演だが、「ごみの求道者」とでもいう役。

 マジメで弱気で運命に翻弄される役も小沢昭一にあっている。「大当たり百発百中」、「ブラックコメディ ああ!馬鹿」「サラリーマン悪党術」など皆そうである。こういう映画で「怪演」を続けるごとに、「おかしな俳優」という見られ方をしたのではないかと思う。主演と言えばセックス関連が多いし、そういう役柄が固定してしまいかねない。そういう見方をさらに拡大してしまうのが、語りの芸を生かした外国人役である。川島雄三のやり過ぎ的大傑作「しとやかな獣」(63)でも、アメリカ帰りの音楽家とされる役で怪しげなセリフをしゃべっている。これは川島監督の遊びだろう。日活アクションの傑作「紅の拳銃」(61)は赤木圭一郎の遺作だが、ここでは香港のギャングのボスという役。思えば今村の「にあんちゃん」の在日朝鮮人役がその始まりかも知れない。タモリが出てくるときに「タモリ語」なる怪しい外国語を持ち芸にしていたが、それを映画でやっていたのが60年代の小沢昭一である。
(「大当たり百発百中」)
 今回見た中で「発見」は鈴木英夫監督「3匹の狸」(66)だった。鈴木英夫は東宝でサスペンス映画や文芸映画を多作していた。鈴木英夫特集が時々組まれるが、「3匹の狸」という映画は取り上げられていないのではないか。これは純然たる悪党コメディだが、東宝を代表する宝田明、星由里子の美男美女が詐欺師の悪党をさっそうと演じるのが珍しい。ここに伴淳三郎と小沢昭一が加わり、ある財界人の葬儀に香典泥棒や詐欺の目的で集まる。続いてある結婚式でも出会い、お互いに悪党と認識しコンビを組むことにする。4人で組んだ悪事の数々が面白く、小沢昭一は出るべき時に外国人を装って出てくる。それは映画的記憶に基づく「自己パロディ」として作られている。抱腹絶倒だが二度とできない自己イメージの他社での模倣だろう。

 こうして性格俳優をベースにしながら、様々な映画で怪演を続けたが、その時期が60年代末の演劇史的転換期に当たる。所属していた俳優小劇場も71年に解散する。そして放浪芸探訪期を経て、芸能座を結成。映画の衰退期ということもあるだろうが、基本的には年齢的なものもあり「語り芸」に集中するようになっていく。映画は今村昌平作品の脇役の他はあまり出ていない。こうして性格俳優や怪演の記憶よりも、語り芸の記憶が僕の中で大きくなるわけである。

 今回見た中に「お父ちゃんは大学生」(61)という60分の小品がある。映画としては中級だが、小沢昭一ファンには見所が多い。子連れの南田洋子と結婚してしまう大学8年生という役で、それだけ見たらコメディかと思うが、実にまっとうな心温まるホームドラマだった。南田洋子も美しい。小沢が卒業できないのはマジックにはまっているからで、それは止めて卒業するのが結婚時の約束なんだけど、どうしても頼まれてデパートで演技をしてしまう。ワンカットで撮ってるから、実際に小沢昭一がマジックを披露している。さらに子どもが叱られて帰らず、探しに行って土管でハーモニカを吹く場面。ハーモニカをたっぷりと聞ける名場面である。連れ子だが仲がよく一家は幸せで、見ていて気持ちがいい。一緒に銭湯に行った小沢昭一が裸で一緒に風呂に入っている。そういう珍しい場面がちりばめられている。
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