大島渚監督の追悼上映で多くの作品を見直したので、まとめておきたい。「儀式」(1971)以後の大島映画は、同時代に見ている。それ以前の映画も、高校、大学時代にほぼ見たと思う。その頃は非常に面白かったし、時代の先端と思っていた。その後も折に触れ見ているが、政治の季節が去ったあとでは、時代遅れの「昔のアングラ」という印象を受けたこともあった。ところが今回見直してみると、再び時代の問題意識が痛切に感じられる気がした。「3・11後」という「またふたたびの敗戦」直後という時代に、大島が描いてきた戦後史の痛みが我が身に応えるように通じる。「甦る大島渚」という感じがする。日本という国家は大島渚を超えて行くことができないままなのか。
大島映画を時系列に沿って分けると、大体4つに分けられる。多少順番に違いはあるが。
第1期 松竹ヌーベルバーグ時代と退社後の他社作品
「愛と希望の町」「浅春残酷物語」「太陽の墓場」「日本の夜と霧」「飼育」「天草四郎時貞」
第2期 創造社製作・松竹配給作品
「悦楽」「白昼の通り魔」「日本春歌考」「無理心中日本の夏」「帰ってきたヨッパライ」
第3期 ATG製作・配給作品
「忍者武芸帳」「絞死刑」「新宿泥棒日記」「少年」「東京戦争戦後秘話」「儀式」「夏の妹」
第4期 国際的活躍時代
「愛のコリーダ」「愛の亡霊」「戦場のメリークリスマス」「マックス・モン・アムール」「御法度」
おおむね順番に沿って、各期に合わせて4回に分けて書いて行きたいと思う。
まず、劇映画初監督の「愛と希望の町」(1959)。助監督としてのリーダー性や脚本能力を買われ、まだ20代だった大島が他の人に先んじて監督に昇進した。松竹は篠田正浩、吉田喜重、山田洋次など重要な監督を生んだが、中でも一番早い。「愛と希望の町」は62分の白黒中編だが、脚本、演出共にすでに技術的に確立されている。この映画は「脚本のお手本」と言ってよい。川崎駅前で鳩を売る貧しい少年が、買ってくれたブルジョワの娘と知り合いになる。母が病弱で高校進学をあきらめた少年は、少女の父が経営する会社を受けられることになる。しかし、鳩が帰ってくるたびに何度も売っていたことが問題化して…。という「貧困の中でやむを得ず犯してしまう非倫理的行為」にどう向き合うかをめぐり、登場人物の立場がくっきりと分けられていく。
(「愛と希望の町」)
主要な対立(金持ちと貧乏人という「階級対立」)を主軸とし、もう一つ「年長者と年少者」(「世代対立」)という副次的対立を置く。対立するはずの両者を「学校という装置」や「愛情や友情」が媒介し、その形象化として「鳩」がある。その鳩を最後に撃つことで、劇的な切断が明らかになる。様々な対立関係を媒介していた「鳩」が撃たれるという映像的体験が見る者に痛切な衝撃を与える。決して観念的なセリフの説明で終わらせずに、映像の力で語らせていく素晴らしい映画世界である。
翌1960年に「青春残酷物語」が作られ大評判となった。他の若手監督の昇進作は白黒だが、この作品はカラーという点を見ても、会社の期待の大きさが判る。この映画は今見ても大変に面白い。「若い世代の無軌道な性と犯罪」という、日活「太陽族」映画みたいな内容。その中には今見ると他愛ない映画も多いが、これは女子高生が「美人局」(つつもたせ)行為を繰り返し、大学生と同棲、妊娠というのだから、今の感覚で見ても「無軌道」である。(実際にラスト近くで逮捕されてしまう。)主演女優は1942年7月生まれの桑野みゆきで、戦前の美人女優桑野通子の娘。公開は1960年6月だから、まだ17歳である。セックスはともかく、劇中でタバコを吸ってるのは、今なら大問題だろう。
(「青春残酷物語」)
技法的には、画面で常に二人以上の人物がドラマを作り、それをワンショットで語りきるというシーンが多い。カットの切り返しが多い映画ではなく、何か現実に起きている新しい世代の物語を実際に横で眺めているような感覚で作られている。特に、木場で水に突き落とされ、結ばれるまでのシーン。あるいは妊娠中絶の病院で、大学生(川津祐介)がリンゴをかじり続けるシーンなど忘れがたい名場面だ。これらの映像は確かに「日本のヌーベルバーグ」(新しい波)というべき魅力をたたえていた。「金のない若者」に愛の自由はあるのかという「貧困という暴力」が、この映画の真の主題だが、同時に「世代間対立」が副主題にあるのは前作と同じ。前世代(姉の世代)が自由を貫けず、今もなおその傷を忘れられない姉(久我美子)と恋人だった医者(渡辺文雄)が、若い二人と対比される。
もぐりの中絶の医渡辺文雄は、最後に逮捕されるが、警察署の前で「おれたちの世代の過ちが、君たちの世代をダメにしたのだから、恨む気はないけどね」と語る。いくら何でも観念的に過ぎるセリフだが、大島渚は「世代対立」を描いた作家とも言える。日本の戦後思想史では「世代」という問題がある種のキーワードだったが、この映画はその代表格だろう。同時期の安保反対デモと韓国の「4・19学生革命」のニュースフィルムが挿入されるのも、後の大島映画を予見している。韓国学生の民主化運動に日本からの連帯の表明として忘れがたい。
続いて「太陽の墓場」を大阪を舞台に撮る。通天閣の近く、釜ヶ崎のドヤ街で売血で稼ごうとする女(炎加代子)とのし上がろうとする愚連隊、対立するヤクザ組織、気持ちがふらふらする若者たちの愛と激情と対決を描いている。問題作ではあるが、様々な主題がごった煮的に混ぜ合わされ、前作のようなスピードある統一感がない。大島映画にはそういう映画がかなりあるが、この映画はその最初の例だろう。失敗のもう一つの原因は、主演の炎加代子に桑野みゆきほどの強い魅力がなかったことだろう。それでも随所にエネルギーが感じられ、映像的に見所は多い。「釜ヶ崎映画」の代表作。
そして60年3本目の「日本の夜と霧」。この映画は社会党の浅沼稲次郎委員長暗殺事件のあと、4日で上映中止となった伝説的な政治映画である。映画で安保闘争の総括というか、50年問題以後の日本共産党の官僚的体質を(「より左」の立場から)批判しつくしている。世界のメジャー映画会社で作られた一番過激な新左翼映画だと思う。安保闘争で結ばれた渡辺文雄と桑野みゆきの結婚式で、新旧の闖入者が大演説を繰り広げて、新郎新婦および司会者夫妻(吉沢京夫と小山明子)の大批判大会が始まってしまう。大島「世代映画」の代表作であり、またプレ「儀式」とも言える。
(「日本の夜と霧」)
技法的には極端な長回しで有名だが、ほとんど実際の演説会をパン(カメラの平行移動)しながら一気に撮影している感じがする。映画内で時間が前後するから(それとフィルムで一度に続けて撮れる時間に限界があるから)、仕方なくシーンが変わるだけという印象だ。そういう映画を撮りたかったんだろうが、会社にちゃんとしたシナリオを渡さず急いで撮ってしまう策略でもあった。その結果、異様なまでの緊張感に満ちた映像空間が出現した。結婚式や同窓会などで傷つけ合う映画はかなりあるが、この映画は世界的にみて相当に激しい。
映画としては「倒叙ミステリー」みたいな語り口が面白く、何回見ても飽きない映画だ。この映画の成功は、いかにも党官僚めいた空疎な演説がうまい吉沢京夫の演技にある。「高尾の死をもたらしたのは、米日反動ではないのか」などという学生寮での演説は、問い詰められた時の開き直りとしてのタテマエ用語使用法として「実践的意義」さえある。(ちなみに、「誰がベルを押したのか」という謎は最後まで解かれない。回想中の映像を信じるならば主要登場人物の誰もベルを押せないと思うが…。)
多少の知識がないと判りにくいから、簡単に書いておきたい。共産党の50年問題(国際的批判から党が分裂した)は長くなるので省略。60年安保闘争の「主役」「全学連」(全日本学生自治会総連合)では、共産党から離れたブント(共産主義者同盟)が1959年に指導権を握った。「全学連主流派」(ブント)が国会突入をめざす立場で、映画の中では津川雅彦演じる学生。「反米愛国」を唱える共産党は、アイゼンハワー米大統領来日阻止を掲げ、秘書のハガチーが羽田空港に来た時に取り囲んだ(ハガチー事件)。国会デモでは「流れ解散」を主導して、全学連主流派から強い批判を浴びた。映画では「川崎」や女子学生の大部分がそっち。新婦の桑野みゆきも初めは共産党系だったが、だんだん懐疑的になっている。新郎渡辺文雄は学生時代はバリバリの党員だったが、卒業して新聞記者になりスターリン批判、ハンガリー事件をきっかけにして党の体質を批判するようになった。
新安保条約は60年5月19日に衆議院で強行採決された。憲法の規定により参議院の決がなくても、6月19日には成立する。この「強行採決」が民主主義に反するとして、安保以上に「民主主義の危機」として反安保闘争は大きな盛り上がりを見せた。6月15日に東大女子学生、樺美智子が死亡し国民に大きな衝撃を与えた。この映画にも、その報を聞いて黙とうするシーンがある。「警官隊も心あるものは鉄かぶとを取れ」と呼びかけている。ヘルメットと言わず、鉄かぶとと言うところに時代を感じる。映画で何度も出てくる「若者よ」と始まる歌は、その名も「若者よ」。ゾルゲ事件追悼集会のために1947年に作られた。作詞はぬやま・ひろし。本名は西沢隆二で、60年代後半に中国派として党を除名された。「学生の歌声に」と始まる短調の曲には「われらの友情は、原爆あるもたたれず」という印象的なフレーズがある。これは「国際学連の歌」で、いかにもロシア民謡風に暗い情念を歌いあげる。学生団体の国際組織があったのである。今でも一応組織が残っているらしい。
「日本の夜と霧」の上映禁止に怒った大島は、ちょうどそのころ挙行された小山明子との結婚式を、映画の再現のような大演説大会にしてしまい、そのまま松竹を退社した。以後、しばらくの間、他社またはテレビで活動する。家計は同時に退社した小山明子がテレビ出演で支えたようだ。まず作った「飼育」は、大江健三郎の芥川賞作品の映画化。配給した大宝映画は、新東宝が倒産した後に数カ月だけ存在した幻のような会社である。戦時下のムラ共同体を批判した作品で、映画の出来そのものだけで言えば初期の最高傑作かもしれない。戦争末期、米軍機から墜落した黒人兵を捕虜として「飼育」する山奥の村の、共同体内の階級矛盾、大人と子供、男と女などの相克の中、悲劇に向かって進んで行く様を暗い画像の中に描いている。
(「飼育」)
原作は子どもの目で書かれているが、映画は共同体を俯瞰する。長回しという特徴は変わらないが、あまり方法的な突出はない普通の「文芸映画」。「本家」を演じる三国連太郎他、沢村貞子、山茶花究、加藤嘉、岸輝子など戦後日本映画の演技派が結集した。60年の3作では、新しいエネルギーを感じる映像があるが、この作品では日本社会の自由圧殺、責任不在の体質が重く描かれている。ムラ共同体の分析という点で今村昌平的な主題だが、「重喜劇」にならない。当時の大島の心境の反映でもあるだろうが、これはこれで重要な戦争映画(「銃後」を描く映画)だと思う。
東映に招かれた作った大川橋蔵主演の「天草四郎時貞」は、明らかに失敗した歴史映画だと思う。特に奇をてらった実験的失敗作ではなく、通常の意味で脚本と演出のねらいがよく伝わらない「普通の意味での失敗作」。民衆蜂起という意味では「忍者武芸帳」に、美少年をめぐる歴史秘話という意味では「御法度」に、それぞれつながる視点がある。しかし、日本には例のないキリスト教と民衆という問題が判りにくい。誰が作ってもうまく行かない題材ではないかと思う。(完全な伝奇物として作る「魔界転生」などは別として。)
大島映画を時系列に沿って分けると、大体4つに分けられる。多少順番に違いはあるが。
第1期 松竹ヌーベルバーグ時代と退社後の他社作品
「愛と希望の町」「浅春残酷物語」「太陽の墓場」「日本の夜と霧」「飼育」「天草四郎時貞」
第2期 創造社製作・松竹配給作品
「悦楽」「白昼の通り魔」「日本春歌考」「無理心中日本の夏」「帰ってきたヨッパライ」
第3期 ATG製作・配給作品
「忍者武芸帳」「絞死刑」「新宿泥棒日記」「少年」「東京戦争戦後秘話」「儀式」「夏の妹」
第4期 国際的活躍時代
「愛のコリーダ」「愛の亡霊」「戦場のメリークリスマス」「マックス・モン・アムール」「御法度」
おおむね順番に沿って、各期に合わせて4回に分けて書いて行きたいと思う。
まず、劇映画初監督の「愛と希望の町」(1959)。助監督としてのリーダー性や脚本能力を買われ、まだ20代だった大島が他の人に先んじて監督に昇進した。松竹は篠田正浩、吉田喜重、山田洋次など重要な監督を生んだが、中でも一番早い。「愛と希望の町」は62分の白黒中編だが、脚本、演出共にすでに技術的に確立されている。この映画は「脚本のお手本」と言ってよい。川崎駅前で鳩を売る貧しい少年が、買ってくれたブルジョワの娘と知り合いになる。母が病弱で高校進学をあきらめた少年は、少女の父が経営する会社を受けられることになる。しかし、鳩が帰ってくるたびに何度も売っていたことが問題化して…。という「貧困の中でやむを得ず犯してしまう非倫理的行為」にどう向き合うかをめぐり、登場人物の立場がくっきりと分けられていく。
(「愛と希望の町」)
主要な対立(金持ちと貧乏人という「階級対立」)を主軸とし、もう一つ「年長者と年少者」(「世代対立」)という副次的対立を置く。対立するはずの両者を「学校という装置」や「愛情や友情」が媒介し、その形象化として「鳩」がある。その鳩を最後に撃つことで、劇的な切断が明らかになる。様々な対立関係を媒介していた「鳩」が撃たれるという映像的体験が見る者に痛切な衝撃を与える。決して観念的なセリフの説明で終わらせずに、映像の力で語らせていく素晴らしい映画世界である。
翌1960年に「青春残酷物語」が作られ大評判となった。他の若手監督の昇進作は白黒だが、この作品はカラーという点を見ても、会社の期待の大きさが判る。この映画は今見ても大変に面白い。「若い世代の無軌道な性と犯罪」という、日活「太陽族」映画みたいな内容。その中には今見ると他愛ない映画も多いが、これは女子高生が「美人局」(つつもたせ)行為を繰り返し、大学生と同棲、妊娠というのだから、今の感覚で見ても「無軌道」である。(実際にラスト近くで逮捕されてしまう。)主演女優は1942年7月生まれの桑野みゆきで、戦前の美人女優桑野通子の娘。公開は1960年6月だから、まだ17歳である。セックスはともかく、劇中でタバコを吸ってるのは、今なら大問題だろう。
(「青春残酷物語」)
技法的には、画面で常に二人以上の人物がドラマを作り、それをワンショットで語りきるというシーンが多い。カットの切り返しが多い映画ではなく、何か現実に起きている新しい世代の物語を実際に横で眺めているような感覚で作られている。特に、木場で水に突き落とされ、結ばれるまでのシーン。あるいは妊娠中絶の病院で、大学生(川津祐介)がリンゴをかじり続けるシーンなど忘れがたい名場面だ。これらの映像は確かに「日本のヌーベルバーグ」(新しい波)というべき魅力をたたえていた。「金のない若者」に愛の自由はあるのかという「貧困という暴力」が、この映画の真の主題だが、同時に「世代間対立」が副主題にあるのは前作と同じ。前世代(姉の世代)が自由を貫けず、今もなおその傷を忘れられない姉(久我美子)と恋人だった医者(渡辺文雄)が、若い二人と対比される。
もぐりの中絶の医渡辺文雄は、最後に逮捕されるが、警察署の前で「おれたちの世代の過ちが、君たちの世代をダメにしたのだから、恨む気はないけどね」と語る。いくら何でも観念的に過ぎるセリフだが、大島渚は「世代対立」を描いた作家とも言える。日本の戦後思想史では「世代」という問題がある種のキーワードだったが、この映画はその代表格だろう。同時期の安保反対デモと韓国の「4・19学生革命」のニュースフィルムが挿入されるのも、後の大島映画を予見している。韓国学生の民主化運動に日本からの連帯の表明として忘れがたい。
続いて「太陽の墓場」を大阪を舞台に撮る。通天閣の近く、釜ヶ崎のドヤ街で売血で稼ごうとする女(炎加代子)とのし上がろうとする愚連隊、対立するヤクザ組織、気持ちがふらふらする若者たちの愛と激情と対決を描いている。問題作ではあるが、様々な主題がごった煮的に混ぜ合わされ、前作のようなスピードある統一感がない。大島映画にはそういう映画がかなりあるが、この映画はその最初の例だろう。失敗のもう一つの原因は、主演の炎加代子に桑野みゆきほどの強い魅力がなかったことだろう。それでも随所にエネルギーが感じられ、映像的に見所は多い。「釜ヶ崎映画」の代表作。
そして60年3本目の「日本の夜と霧」。この映画は社会党の浅沼稲次郎委員長暗殺事件のあと、4日で上映中止となった伝説的な政治映画である。映画で安保闘争の総括というか、50年問題以後の日本共産党の官僚的体質を(「より左」の立場から)批判しつくしている。世界のメジャー映画会社で作られた一番過激な新左翼映画だと思う。安保闘争で結ばれた渡辺文雄と桑野みゆきの結婚式で、新旧の闖入者が大演説を繰り広げて、新郎新婦および司会者夫妻(吉沢京夫と小山明子)の大批判大会が始まってしまう。大島「世代映画」の代表作であり、またプレ「儀式」とも言える。
(「日本の夜と霧」)
技法的には極端な長回しで有名だが、ほとんど実際の演説会をパン(カメラの平行移動)しながら一気に撮影している感じがする。映画内で時間が前後するから(それとフィルムで一度に続けて撮れる時間に限界があるから)、仕方なくシーンが変わるだけという印象だ。そういう映画を撮りたかったんだろうが、会社にちゃんとしたシナリオを渡さず急いで撮ってしまう策略でもあった。その結果、異様なまでの緊張感に満ちた映像空間が出現した。結婚式や同窓会などで傷つけ合う映画はかなりあるが、この映画は世界的にみて相当に激しい。
映画としては「倒叙ミステリー」みたいな語り口が面白く、何回見ても飽きない映画だ。この映画の成功は、いかにも党官僚めいた空疎な演説がうまい吉沢京夫の演技にある。「高尾の死をもたらしたのは、米日反動ではないのか」などという学生寮での演説は、問い詰められた時の開き直りとしてのタテマエ用語使用法として「実践的意義」さえある。(ちなみに、「誰がベルを押したのか」という謎は最後まで解かれない。回想中の映像を信じるならば主要登場人物の誰もベルを押せないと思うが…。)
多少の知識がないと判りにくいから、簡単に書いておきたい。共産党の50年問題(国際的批判から党が分裂した)は長くなるので省略。60年安保闘争の「主役」「全学連」(全日本学生自治会総連合)では、共産党から離れたブント(共産主義者同盟)が1959年に指導権を握った。「全学連主流派」(ブント)が国会突入をめざす立場で、映画の中では津川雅彦演じる学生。「反米愛国」を唱える共産党は、アイゼンハワー米大統領来日阻止を掲げ、秘書のハガチーが羽田空港に来た時に取り囲んだ(ハガチー事件)。国会デモでは「流れ解散」を主導して、全学連主流派から強い批判を浴びた。映画では「川崎」や女子学生の大部分がそっち。新婦の桑野みゆきも初めは共産党系だったが、だんだん懐疑的になっている。新郎渡辺文雄は学生時代はバリバリの党員だったが、卒業して新聞記者になりスターリン批判、ハンガリー事件をきっかけにして党の体質を批判するようになった。
新安保条約は60年5月19日に衆議院で強行採決された。憲法の規定により参議院の決がなくても、6月19日には成立する。この「強行採決」が民主主義に反するとして、安保以上に「民主主義の危機」として反安保闘争は大きな盛り上がりを見せた。6月15日に東大女子学生、樺美智子が死亡し国民に大きな衝撃を与えた。この映画にも、その報を聞いて黙とうするシーンがある。「警官隊も心あるものは鉄かぶとを取れ」と呼びかけている。ヘルメットと言わず、鉄かぶとと言うところに時代を感じる。映画で何度も出てくる「若者よ」と始まる歌は、その名も「若者よ」。ゾルゲ事件追悼集会のために1947年に作られた。作詞はぬやま・ひろし。本名は西沢隆二で、60年代後半に中国派として党を除名された。「学生の歌声に」と始まる短調の曲には「われらの友情は、原爆あるもたたれず」という印象的なフレーズがある。これは「国際学連の歌」で、いかにもロシア民謡風に暗い情念を歌いあげる。学生団体の国際組織があったのである。今でも一応組織が残っているらしい。
「日本の夜と霧」の上映禁止に怒った大島は、ちょうどそのころ挙行された小山明子との結婚式を、映画の再現のような大演説大会にしてしまい、そのまま松竹を退社した。以後、しばらくの間、他社またはテレビで活動する。家計は同時に退社した小山明子がテレビ出演で支えたようだ。まず作った「飼育」は、大江健三郎の芥川賞作品の映画化。配給した大宝映画は、新東宝が倒産した後に数カ月だけ存在した幻のような会社である。戦時下のムラ共同体を批判した作品で、映画の出来そのものだけで言えば初期の最高傑作かもしれない。戦争末期、米軍機から墜落した黒人兵を捕虜として「飼育」する山奥の村の、共同体内の階級矛盾、大人と子供、男と女などの相克の中、悲劇に向かって進んで行く様を暗い画像の中に描いている。
(「飼育」)
原作は子どもの目で書かれているが、映画は共同体を俯瞰する。長回しという特徴は変わらないが、あまり方法的な突出はない普通の「文芸映画」。「本家」を演じる三国連太郎他、沢村貞子、山茶花究、加藤嘉、岸輝子など戦後日本映画の演技派が結集した。60年の3作では、新しいエネルギーを感じる映像があるが、この作品では日本社会の自由圧殺、責任不在の体質が重く描かれている。ムラ共同体の分析という点で今村昌平的な主題だが、「重喜劇」にならない。当時の大島の心境の反映でもあるだろうが、これはこれで重要な戦争映画(「銃後」を描く映画)だと思う。
東映に招かれた作った大川橋蔵主演の「天草四郎時貞」は、明らかに失敗した歴史映画だと思う。特に奇をてらった実験的失敗作ではなく、通常の意味で脚本と演出のねらいがよく伝わらない「普通の意味での失敗作」。民衆蜂起という意味では「忍者武芸帳」に、美少年をめぐる歴史秘話という意味では「御法度」に、それぞれつながる視点がある。しかし、日本には例のないキリスト教と民衆という問題が判りにくい。誰が作ってもうまく行かない題材ではないかと思う。(完全な伝奇物として作る「魔界転生」などは別として。)