goo blog サービス終了のお知らせ 

尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

追悼・姫田忠義、日本の民俗を映像に残した人

2013年08月01日 23時14分08秒 | 追悼
 民族文化映像研究所姫田忠義が7月29日に死去した。84歳。と言われても知らない人が多いと思う。現代日本のもっとも重要な映画作家の一人だと僕は思ってきた。劇映画の人ではない。普通の意味での記録映画でもない。映像民俗学というべき仕事をした人で、日本の知られざる民俗文化を映像に留める活動をしてきた。その中にはもう二度と見ることのできない永久に失われた貴重な風景や文化も多い。また、映像化をきっかけに甦った祭りや生活習俗も多い。
(姫田忠義)
 姫田忠義(1928~2013)は、昭和19年に予科練に志願した特攻隊最後の世代である。神戸出身で戦後に労働者演劇から上京して新劇に参加、NHKの人形劇「チロリン村とくるみの木」の演出もしたという。その時期に、民俗学者の宮本常一と知り合い、圧倒的な影響力のもと、一緒に全国を回って歩くようになる。そうして山村文化アイヌ文化の精神性の高さを知り、映像として残す活動を始めるようになったのである。初めはグループ現代で作っていたが、1976年に民族文化映像研究所を設立した。

 キネマ旬報は大正時代から内外の映画ベストテンを選出しているが、劇映画と違って文化映画ベストテンが判らない。文化映画というのは、劇映画ではない様々な記録映画、産業映画等の総称として使われている。そこで過去のキネ旬ベストテン号を調べてみると、姫田忠義が中心になって作った映画は以下のようにベストテンに入選している。ベストワンはなかったし、羽田澄子の活躍ほどではないかもしれないが、劇映画で言えば山田洋次か深作欣二かというほど、70年代、80年代は毎年のように入選した。

 74年 5位 チセ・ア・カラ-われらいえをつくる アイヌの伝統的な家つくり
 76年 3位 奥会津の木地師 奥会津の木工技術を伝える人々
 77年 2位 椿山 焼き畑に生きる 現代に残る焼き畑農業の記録
 79年 10位 沙流川アイヌ・子どもの遊び アイヌの自然の中での遊び方
 80年 3位 周防猿回しの記録 猿回し復活を目指す人々の記録
 82年 9位 アマ・ルール 大地の人・バスク バスク民族の牧畜生活の記録
 84年 2位 越後奥三面 山に生かされた日々 ダムに沈む山村の文化
 88年 7位 からむしと麻 福島県昭和村 伝統的な織の記録
 89年 7位 カタロニアの復活祭 
 96年 7位 越後奥三面 第2部 ふるさとは消えたか
 97年 3位 シシリムカのほとりで アイヌ文化伝承の記録
 98年 5位 コガヤとともに 岐阜県白川の合掌造りのカヤの処理の技術
 01年 9位 越前笏谷石 石と人の旅 
 05年 2位 粥川風土記 長良川の源流部・粥川(かいがわ)を守る人々
 
 日本中を駆け回り、さらに出会ったフランスの学者とともにバスクやカタロニア(スペイン)にまで足を伸ばした。アイヌ文化をめぐっては、萱野茂という素晴らしい人との出会いが大きい。ベストテンに入っていないが、「イヨマンテ」(77)という世界的に認められた映画もある。アイヌの熊祭りの記録である。アイヌの家作りと言い、その当時すでに失われかけていた伝統文化が、萱野茂との共同作業により甦った記録である。自然の中で自然とともに生きる、エコロジー映画と言ってもいい映画群で、萱野茂という非常に特別な知識人、思想家、政治家を生み出した映画とも言える。
(「イヨマンテ」)
 すでにダムに沈んでしまった越後の奥三面(みおもて)の記録、滅びかけていた猿回しの復活の記録、今に残る焼き畑農業の記録など、その時点で撮っておかなければ永遠に見ることができなかった日本の姿が姫田により残された。この偉大な事業はもっともっと知られるべきだったし、文化勲章にも値する素晴らしいものだと僕は思っている。

 映画としては、外から静かに見つめるのではなく、文化を持つ人々とともに一緒に映画を作り上げていくスタイルで、小川伸介が三里塚で、土本典昭が水俣で、撮りつづけていた映像と共振するものがある。しかし、姫田はあくまでも「生活」に根ざしたものを撮りつづけた。これは他の映像では決して見られない、他のどんな劇映画やテレビドキュメントやノンフィクションなどでも見られない、日本の奥底の文化である。
(「アマ・ルール 大地の人バスク」)
 今調べると、民族文化映像研究所は、今でも場所を日本橋馬喰町に移して毎月の上映会を行っている。場所を移してというのは、前は確か四谷三丁目にあった。僕は70年代から80年代初期に何回か、見に行った覚えがある。姫田氏も参加して、上映後のトークなども盛り上がった記憶がある。非常に感動した映画は、知人を連れていった覚えもある。萱野茂という人は姫田の映画で知ったし、被差別の文化であった猿回しの映像を見たことで考えたことも多い。このような映画は劇場で上映されるものではない。しかし、案外地域の図書館に入っていて上映会もあるかもしれない。姫田忠義の名を見逃さずに、是非参加してみて欲しい。何しろ研究所のサイトを見れば、119本もの映画が残されているのである。それらは新たな発見の日を待っていると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする