あまりローカルネタは書く気ないんだけど、これは記録に留めておこうかなと思う。僕の家から駅に行く途中にある「よしかわ書店」が、7月20日をもって閉店してしまった。まあ、町の書店がいかに大変かという一例である。が、それだけでもない話があるので少し書いておきたい。

3枚目の写真を見れば判るように、ここはビルになっている。前はそうではなかったけれど、数年前にビルにして、2階を美容室に貸している。だから書店をやめてもいいわけなんだろう。最近は気の毒なくらい客足が途絶えていた。そうなる理由ときっかけは後で書く。
いつ開店したかは覚えていないが、30~40年くらい前、70年代のどこかではないかと思う。「よしかわ」というのは、店主の名字で「吉河」である。ひらがなにしたのは意味があると読んだ記憶があるが、忘れてしまった。その店主は、三遊亭圓楽(先代=5代目)の弟さんで、開店当時には圓楽の花環があって、確かサイン会があったように思う。先代圓楽は僕の出た小学校の同窓で、時々駅や道で見かけたし、近所の寺に生前墓が作られていた。開店が、78年の圓楽(というか円生一門)の落語協会脱退の前か後か、今はよく覚えていない。また、圓楽の妹がスチュワーデスをしていて、1972年6月の日航機ニューデリー事故で亡くなっている。(当時はスチュワーデスと言ったが、今は客室乗務員、日本製英語でキャビン・アテンダントと言う。しかし、英語ではキャビン・クルーとかフライト・アテンダントというのが標準らしい。)その時はまだ開店していないように思うが、あまりはっきりはしない。
僕の近所では、昔から一軒の小さな本屋があった。親が「小学○年生」とかの雑誌を予約していたような本屋。その後、駅の反対側が開発され発展していき、黒田書店という本屋ができた。多分中学時代。高校生になれば、上野の明正堂なんかに寄るようになったが、基本的には雑誌なんかは黒田書店で買ってた。その後に「よしかわ書店」ができた。一時は駅の2階にも別店舗を開き、流行っているように見えた。そこはもうだいぶ前に閉店し、TSUTAYAになっていたが、今は高架工事の関係で駅ビルの店は全部閉めている。
何しろ駅に行く途中だから、「よしかわ書店」には何かにつけ寄ることが多かった。90年代には、「岩波講座日本通史」はここで予約して買っていた。つい数年前までは毎月「山と渓谷」を買っていたし、双葉十三郎先生が「スクリーン」で映画の採点をしてた時代には、よく立ち読みしたものだ。今では全くと言っていいほど週刊誌は買わないんだけど、昔は時々よしかわ書店で買ったことがある。専門書を買う場所ではないけど、雑誌や旅行ガイドを買うところと言う感じだったかもしれない。
最近あまり行かなくなったのは、近くの都営住宅跡地の建て替え工事のためという理由が一番大きい。都営住宅が昔あった場所が、長いことそのまま空地になっていた場所があるのだが、そこに「エミエルタワー」という巨大マンションがついに建設された。完工は2005年とある。その時に、駅周辺一帯が再開発され、道路が整備された。それまでは空き地側には歩道がなく、駅に向かうには(空き地と反対の)店側を歩いていくしかなかった。そしてその道沿いに書店があるので、自然に吸い込まれるように利用していたわけである。ところが再開発で両側に歩道ができ、写真では判らないが、店が奥に引っ込みガードレールができた。横断歩道の位置も変わり、駅に行くだけなら反対側を歩く方がいいし、奥に引っ込んだから寄りにくくなった。買う意思があれば行くけど、歩くついでに週刊誌を見るというような利用法が面倒になった。そういう理由があったのである。
その前に夜間定時制高校に勤務するようになり、帰るときにはもう店が閉まってるようになったというのも大きい。ネット書店を利用したり、都心の大型書店でまとめ買いすることが多くなった。こうして僕もあまり寄らないうちに、どうも客がいないし大丈夫かなどと家族で話していたら、あっという間に閉店した。本だから、閉店記念3割引きセールとかができないわけである。そういうのがあったらいっぱい買いに行ったかもしれないが。何だかちょっと淋しい。



3枚目の写真を見れば判るように、ここはビルになっている。前はそうではなかったけれど、数年前にビルにして、2階を美容室に貸している。だから書店をやめてもいいわけなんだろう。最近は気の毒なくらい客足が途絶えていた。そうなる理由ときっかけは後で書く。
いつ開店したかは覚えていないが、30~40年くらい前、70年代のどこかではないかと思う。「よしかわ」というのは、店主の名字で「吉河」である。ひらがなにしたのは意味があると読んだ記憶があるが、忘れてしまった。その店主は、三遊亭圓楽(先代=5代目)の弟さんで、開店当時には圓楽の花環があって、確かサイン会があったように思う。先代圓楽は僕の出た小学校の同窓で、時々駅や道で見かけたし、近所の寺に生前墓が作られていた。開店が、78年の圓楽(というか円生一門)の落語協会脱退の前か後か、今はよく覚えていない。また、圓楽の妹がスチュワーデスをしていて、1972年6月の日航機ニューデリー事故で亡くなっている。(当時はスチュワーデスと言ったが、今は客室乗務員、日本製英語でキャビン・アテンダントと言う。しかし、英語ではキャビン・クルーとかフライト・アテンダントというのが標準らしい。)その時はまだ開店していないように思うが、あまりはっきりはしない。
僕の近所では、昔から一軒の小さな本屋があった。親が「小学○年生」とかの雑誌を予約していたような本屋。その後、駅の反対側が開発され発展していき、黒田書店という本屋ができた。多分中学時代。高校生になれば、上野の明正堂なんかに寄るようになったが、基本的には雑誌なんかは黒田書店で買ってた。その後に「よしかわ書店」ができた。一時は駅の2階にも別店舗を開き、流行っているように見えた。そこはもうだいぶ前に閉店し、TSUTAYAになっていたが、今は高架工事の関係で駅ビルの店は全部閉めている。
何しろ駅に行く途中だから、「よしかわ書店」には何かにつけ寄ることが多かった。90年代には、「岩波講座日本通史」はここで予約して買っていた。つい数年前までは毎月「山と渓谷」を買っていたし、双葉十三郎先生が「スクリーン」で映画の採点をしてた時代には、よく立ち読みしたものだ。今では全くと言っていいほど週刊誌は買わないんだけど、昔は時々よしかわ書店で買ったことがある。専門書を買う場所ではないけど、雑誌や旅行ガイドを買うところと言う感じだったかもしれない。
最近あまり行かなくなったのは、近くの都営住宅跡地の建て替え工事のためという理由が一番大きい。都営住宅が昔あった場所が、長いことそのまま空地になっていた場所があるのだが、そこに「エミエルタワー」という巨大マンションがついに建設された。完工は2005年とある。その時に、駅周辺一帯が再開発され、道路が整備された。それまでは空き地側には歩道がなく、駅に向かうには(空き地と反対の)店側を歩いていくしかなかった。そしてその道沿いに書店があるので、自然に吸い込まれるように利用していたわけである。ところが再開発で両側に歩道ができ、写真では判らないが、店が奥に引っ込みガードレールができた。横断歩道の位置も変わり、駅に行くだけなら反対側を歩く方がいいし、奥に引っ込んだから寄りにくくなった。買う意思があれば行くけど、歩くついでに週刊誌を見るというような利用法が面倒になった。そういう理由があったのである。
その前に夜間定時制高校に勤務するようになり、帰るときにはもう店が閉まってるようになったというのも大きい。ネット書店を利用したり、都心の大型書店でまとめ買いすることが多くなった。こうして僕もあまり寄らないうちに、どうも客がいないし大丈夫かなどと家族で話していたら、あっという間に閉店した。本だから、閉店記念3割引きセールとかができないわけである。そういうのがあったらいっぱい買いに行ったかもしれないが。何だかちょっと淋しい。