東京芸術劇場シアターイーストで18日までやっている、マームとジプシーという劇団の「COCOON」を見た。とても刺激的な体験で、是非多くの人、特に若い人に見て欲しい舞台。主題は「戦争」である。
この「演劇」は木曜の朝日新聞劇評で読んで是非見たいと思った。今でも新聞の演劇評は役に立つのである。僕は京マチ子は知ってるけど、今日マチ子は知らない。「マームとジプシー」という劇団名もPC的に問題ではないか。だから劇評を読まなければ行ってない。今日マチ子と言う人は、1980年生まれの漫画家で、「COCOON」(コクーン)は2010年に発表された沖縄戦を描いた作品だとある。でも、いわゆるリアリズムに基づく戦争マンガではなく、兵隊を繭(まゆ=コクーン)として描くような作品だという。「ユリイカ」7月号で特集されている注目漫画家らしい。(ちなみに、京マチ子は黒澤明「羅生門」などに主演した戦後を代表する名女優である。)
ということで、あまり事前情報を知らずに劇場へ行った。すでに前売は完売で、当日券のみだが、まあ猛暑だからそんなに来ないだろうと期待。キャンセル待ちだったけど、なんとか入れた。全自由席である。舞台の真ん中に大きな砂場があり、客席は三方から舞台を囲んでいる。客席最前列には大きなバスタオル(?)が置いてある。砂が飛んでくるという。希望者にはマスクも配ってる。大相撲の砂かぶり席なのかと思ったら、そこまでのことはないけど、五感に訴える舞台芸術だった。
奥には幕があり、ほとんど常に映像が映っている。その場で撮った舞台の一部を拡大した映像が多いが、違う映像を使うシーンもある。普通の意味の会話劇ではなく、モノローグのようなセリフが何度も繰り返されることが多い。「リフレイン」と呼ぶ手法で、作者の特徴らしい。舞台上を走り回って砂が立つし、戦傷者の手術シーンではチェーンソーで木を切る音が大きく響く。(それが映像で拡大される。)舞台上では演技と言うよりコンテンポラリーダンスをしているような時が多い。28歳の男を名乗るラップみたいな場面も繰り返される。このように、主に登場人物の会話によって葛藤を描く普通の芝居に対し、この舞台はセリフ(独白も含め)、映像、音楽、ダンスなどに加えて、砂が立つ匂いなども含めた総合的な体験をするのである。
最初は小さな声のリフレインが理解できない部分もあるが、だんだん戦争になってしまい、女子高生が看護隊になり戦場シーンになると、ようやくこの舞台の意味が納得できる気がしてくる。「ガマ」という言葉が出てくるから、これは沖縄の「ひめゆり」にインスパイアされた物語だと判るが、でも登場人物は現代の高校生と言ってもいい。そこに不思議な体験、つまり戦場は沖縄と思われるのに、イラク戦争や湾岸戦争など現代の戦争に紛れ込んだ女子高生ものという感覚もするわけである。
この舞台は、役者やセリフと言う「装置」を使っているから「演劇」というしかないけど、想像力に訴える総合芸術とでもいうべきパフォーマンスだ。作者は藤田貴大という1985年生まれの若手劇作家で、2011年に岸田國士賞を受賞している。ウィキペディアには平田オリザの下で口語演劇を学ぶとある。確かにそういう感じもするんだけど、「リフレイン」という手法は特徴的だろう。映画的という解説もあったけど、別に映画がすべて、同じシーンをリフレインするわけでもない。「桐島、部活やめるってよ」を見た人には判るだろうけど、ああいう感じ。世界が一面的に理解されることを拒む「現代」を描くときには、非常に巧みな方法だと思う。
戦争体験を語る人、元兵士や原爆や沖縄戦の「語り部」は非常に高齢化している。当たり前である。だから戦争体験を今のうちに継承していくべきだという考えで、多くの学校が修学旅行で話を聞かせたりした。生徒からすれば「おじいちゃん、おばあちゃんの話をガマンして聞く会」である。でも、そのおじいちゃん、おばあちゃんと言えども、昔は若かった。20代か、「ひめゆり部隊」なら10代の時の出来事である。その今の若い世代の10代、20代が戦争に行くと考えたら、つぶやきのようなセリフのリフレイン、ダンスやラップなどで表現するのがふさわしいではないか。
その結果として見えてくることは何か、戦争というのは、人が死ぬ、友達が死んで行く。死んで行く前には、腕がもがれて取れたり、顔が半分なくなったりして、そこからは血がいっぱい出て、傷口には蛆(うじ=蝿の幼虫)がわくということだ。そして人の心は狂わせられ、殺したり殺されたりするが、それは観念的な問題ではなく、血が流れ、匂いが充満する。この舞台はもちろん血が流れるわけではないけど、音楽や映像に加えて砂が立つ匂いや役者が動き回る音やなんかでいっぱいになり、そこに観客が想像力を加えれば、いろいろと感じてくるのである。それは気持ちのいい世界ではないけど、それこそがかつてあり今も世界にある「戦争」というものである。これはとても刺激的な舞台体験で、多くの人が体験する価値があると思う。なお、作者の藤田氏は桜美林大学の卒業で、ここは卒業生が行ってるから身近な感じ。
この「演劇」は木曜の朝日新聞劇評で読んで是非見たいと思った。今でも新聞の演劇評は役に立つのである。僕は京マチ子は知ってるけど、今日マチ子は知らない。「マームとジプシー」という劇団名もPC的に問題ではないか。だから劇評を読まなければ行ってない。今日マチ子と言う人は、1980年生まれの漫画家で、「COCOON」(コクーン)は2010年に発表された沖縄戦を描いた作品だとある。でも、いわゆるリアリズムに基づく戦争マンガではなく、兵隊を繭(まゆ=コクーン)として描くような作品だという。「ユリイカ」7月号で特集されている注目漫画家らしい。(ちなみに、京マチ子は黒澤明「羅生門」などに主演した戦後を代表する名女優である。)
ということで、あまり事前情報を知らずに劇場へ行った。すでに前売は完売で、当日券のみだが、まあ猛暑だからそんなに来ないだろうと期待。キャンセル待ちだったけど、なんとか入れた。全自由席である。舞台の真ん中に大きな砂場があり、客席は三方から舞台を囲んでいる。客席最前列には大きなバスタオル(?)が置いてある。砂が飛んでくるという。希望者にはマスクも配ってる。大相撲の砂かぶり席なのかと思ったら、そこまでのことはないけど、五感に訴える舞台芸術だった。
奥には幕があり、ほとんど常に映像が映っている。その場で撮った舞台の一部を拡大した映像が多いが、違う映像を使うシーンもある。普通の意味の会話劇ではなく、モノローグのようなセリフが何度も繰り返されることが多い。「リフレイン」と呼ぶ手法で、作者の特徴らしい。舞台上を走り回って砂が立つし、戦傷者の手術シーンではチェーンソーで木を切る音が大きく響く。(それが映像で拡大される。)舞台上では演技と言うよりコンテンポラリーダンスをしているような時が多い。28歳の男を名乗るラップみたいな場面も繰り返される。このように、主に登場人物の会話によって葛藤を描く普通の芝居に対し、この舞台はセリフ(独白も含め)、映像、音楽、ダンスなどに加えて、砂が立つ匂いなども含めた総合的な体験をするのである。
最初は小さな声のリフレインが理解できない部分もあるが、だんだん戦争になってしまい、女子高生が看護隊になり戦場シーンになると、ようやくこの舞台の意味が納得できる気がしてくる。「ガマ」という言葉が出てくるから、これは沖縄の「ひめゆり」にインスパイアされた物語だと判るが、でも登場人物は現代の高校生と言ってもいい。そこに不思議な体験、つまり戦場は沖縄と思われるのに、イラク戦争や湾岸戦争など現代の戦争に紛れ込んだ女子高生ものという感覚もするわけである。
この舞台は、役者やセリフと言う「装置」を使っているから「演劇」というしかないけど、想像力に訴える総合芸術とでもいうべきパフォーマンスだ。作者は藤田貴大という1985年生まれの若手劇作家で、2011年に岸田國士賞を受賞している。ウィキペディアには平田オリザの下で口語演劇を学ぶとある。確かにそういう感じもするんだけど、「リフレイン」という手法は特徴的だろう。映画的という解説もあったけど、別に映画がすべて、同じシーンをリフレインするわけでもない。「桐島、部活やめるってよ」を見た人には判るだろうけど、ああいう感じ。世界が一面的に理解されることを拒む「現代」を描くときには、非常に巧みな方法だと思う。
戦争体験を語る人、元兵士や原爆や沖縄戦の「語り部」は非常に高齢化している。当たり前である。だから戦争体験を今のうちに継承していくべきだという考えで、多くの学校が修学旅行で話を聞かせたりした。生徒からすれば「おじいちゃん、おばあちゃんの話をガマンして聞く会」である。でも、そのおじいちゃん、おばあちゃんと言えども、昔は若かった。20代か、「ひめゆり部隊」なら10代の時の出来事である。その今の若い世代の10代、20代が戦争に行くと考えたら、つぶやきのようなセリフのリフレイン、ダンスやラップなどで表現するのがふさわしいではないか。
その結果として見えてくることは何か、戦争というのは、人が死ぬ、友達が死んで行く。死んで行く前には、腕がもがれて取れたり、顔が半分なくなったりして、そこからは血がいっぱい出て、傷口には蛆(うじ=蝿の幼虫)がわくということだ。そして人の心は狂わせられ、殺したり殺されたりするが、それは観念的な問題ではなく、血が流れ、匂いが充満する。この舞台はもちろん血が流れるわけではないけど、音楽や映像に加えて砂が立つ匂いや役者が動き回る音やなんかでいっぱいになり、そこに観客が想像力を加えれば、いろいろと感じてくるのである。それは気持ちのいい世界ではないけど、それこそがかつてあり今も世界にある「戦争」というものである。これはとても刺激的な舞台体験で、多くの人が体験する価値があると思う。なお、作者の藤田氏は桜美林大学の卒業で、ここは卒業生が行ってるから身近な感じ。