尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

高校授業料無償化の末路

2013年12月11日 23時36分23秒 |  〃 (教育行政)
 11月27日にある法律が成立した。「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律の一部を改正する法律」という。いわゆる「高校授業料無償化」が終わりになる「改正」である。衆議院選挙で自民党の公約だった。参議院本会議の投票で、自民、公明、維新、「みんな」が賛成(177票)。(民主、共産、社民、生活その他合計77票の反対があった。)

 高校授業料無償化問題については、民主党政権で成立した時に問題点も残り、当時4回にわたって記事を書いた。
①「高校無償化は人権問題である」(2011.8.9)
②「朝鮮高級学校の場合」(2011.8.20)
③「留年してはいけないのか?」(2011.8.22)
④「定通はかえって『損』なのか」(2013.10.13)
 国際人権規約との関係や朝鮮学校の問題は他の人も言っているが、「留年者からは取る」「定通高校ではかえって負担増なのではないか」という問題は、あまり論じられなかった。

 今回の「改正」は、高額所得家庭からは授業料を取るという変更だと思ってる人が多いと思うけど、実は少し違う。とても面倒な制度設計になっていて、家庭と学校事務の負担はとても大きくなるのではないか。「高額所得者に授業料がかかる」のではなく、「低所得家庭に就学支援金を支給する」のである。ただし、それは学校に集約して、学校に支払われる。「高等学校就学支援金について」という文科省の説明サイトを参照。

 その説明によると、就学支援金はすべての国公私立生徒に出るが、課税証明書と申請書を学校に提出しなくてはならない。逆に言えば、高校教員(あるいは高校事務職員)は、全生徒の家庭から課税証明書を集めなくてはならない。何という面倒な仕事をまた押し付けられるのか。学校はその支援金を授業料と相殺するというのである。

 ところで「市町村民税が30万4200円以上の世帯」では「授業料をご負担いただく」という。これは「両親のうちどちらか一方が働き、高校生1人、中学生1人の家庭であれば、市町村民税所得割額が30万4200円の場合、年収は910万円」なんだそうだ。しかし、いまどきそんなモデル家庭がどれだけいるのか。とにかく、新聞記事などでは「世帯収入910万」という説明がよく出てるけれど、そうではなくてあくまで住民税額の方で判断するということらしい。(ところで、東京23区には「市町村民税」を払っている人が誰もいないんだけど、なぜ特別区民税が書いてないのか。)

 さて、そうすると高校は、支援金の支給申請をまず行い、その結果課税証明で住民税額が判ったら、あらためてその家庭から授業料を取るという段階になる。一体何月から授業料を徴収できるのか。なんでこのような面倒な制度にするのか。全く判らない。これで判るのは、学校事務がものすごく大変になるということである。ところで、この制度改正で浮いたカネを何に使うのか。「低所得層の私立生加算を手厚くする」という。これも全く判らない。何で公立に通わせる親のカネで私立に通わせる親を支援するんだろうか。自民党には私立学校関係者が多いということか。こんな面倒な制度を作ることなく、高額所得者の所得税率をアップし、公立高校はすべて授業料無償とすればいいと思うんだけど。授業料の所得制限は事務負担を増すだけだから、所得税率の方をアップして高額所得者は税そのものを多く負担してもらえばいいのではないか。

 もし高校授業料を高額所得家庭からは徴収するというんだったら、それは大学、専門学校等への進学の奨学金に使うべきではないか。「国際人権規約」に反する政策を堂々と進めるのも不可解だが、中等教育無償化に例外措置を作っても、高等教育への支援を強めるというのなら理解は得られるかもしれない。とにかく、最初から訳の分からない部分もあった無償化措置は、こういう末路を迎えたということの報告。
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漱石の生誕・終焉の地-早稲田散歩②

2013年12月11日 00時54分39秒 | 東京関東散歩
 太宰治のように、生誕地も終焉地も知ってる読者が大半という作家もある。一方、夏目漱石のように、「坊ちゃん」は道後温泉、「三四郎」は東大の三四郎池などと作品情報は知っていても、作家個人がどこで生まれたか、ほとんどの人が知らない場合もある。まあ東京のどこかなんだろうけど。実は漱石の生誕地も終焉地も早稲田である。終焉の地は10分くらい歩くが、そこは「漱石公園」になっていて、銅像も作られている。そこが「漱石山房」という最後のすみかだった場所。そこへ行く通りは「漱石山房通り」と名付けられている。地下鉄早稲田駅で大学と反対の、神楽坂寄りの出口から地上に出て少し歩く。小さな下宿などが今でも多い地域である。ここは新宿区が夏目漱石記念館を建てようと計画しているので、いずれもっと有名になるだろう。
   
 一方、生誕地の碑は大学方面の出口から1分もしない。いや、僕も今回まで知らなかった。駅から大学方面にすぐ行ってしまうので気付かなかったのである。早稲田通りに沿って横断歩道を渡り、角の酒屋を右に下る。その道が「夏目坂」と出ている。そこにすぐ「漱石生誕地の碑」がある。その酒屋は「KOKURAYA」と看板がある。元は「小倉屋」で、ここが堀部安兵衛が高田馬場での決闘の際に立ち寄って枡酒を飲んでいったというお店。それにちなみ、吟醸酒「堀部安兵衛」とか「夏目坂」、さらに地ビール「早稲田」を売っている。
 
 この地域にはお寺が多いので、まずはまとめて。漱石公園から少し行くと外苑東通りという大通りに出る。そこを渡って牛込保健センターを過ぎると、「多聞院」に松井須磨子の墓がある。あの「復活」のカチューシャで一世を風靡し、師の島村抱月を追って自殺したという日本の女優の草分けのような人。隣の「浄輪寺」には、和算の関孝和の墓がある。そこから早稲田通りに戻り駅に向かって歩くと「宗参寺」という大きな寺がある。ここに江戸時代の軍学者、山鹿素行の墓や中世以来の豪族牛込氏の墓がある。その他さまざまな墓や記念碑もあるが省略。あまり墓を見て歩く趣味もないんだけど、散歩途中にあれば見て行こうかなという感じ。(松井、関、山鹿の順番)
  
 早稲田通りをさらに歩き、馬場下町交差点を右に行くと早稲田キャンパス。真向かいに「穴八幡神社」がある。ここは最近工事でいい写真が撮れない。将軍吉宗以来の由緒ある流鏑馬(やぶさめ)をするところで、その銅像があるけど、晴れた日の午後は日が差して逆光。通りの向かい側あたりも寺が多い。こんな紅葉を撮ったけど、一見どこの観光地かという写真が撮れた。
  
 穴八幡を少し行って左折すると、早稲田奉仕園がある。日本キリスト教会館があるところ。僕はここによく通った時代がある。様々なボランティア活動の中心地で、奉仕園企画の東南アジアセミナー旅行に参加したのである。それ以来、そこで開かれる様々な催しによく行くようになった。30年以上前の話。最近まで宿泊ができる棟があって、様々な団体の合宿や忘年会などでよく使った。今はなくなってしまい、ここに行くこともあまりなくなった。元々は早稲田のキリスト教系学生寮に始まるという。「女たちの戦争と平和資料館」もこの敷地のAVACOビルにある。ここのシンボル的建物がスコットホールで、東京都指定の歴史的建造物である。早稲田奉仕園に行けば、何かボランティアや市民運動の集まりがあるし、またチラシが入手できる。
  
 ちょっと離れるけど、明治通りまで行って副都心線西早稲田駅近くまで行くと、重要文化財の建物がある。学習院女子大学の門で、「学習院旧正門」である。川口市の鋳物工場で作られたという。女子大だから中へは入らず、門だけ眺めて帰る。
   
 西早稲田交差点から北の方へ行くと、「甘泉園公園」がある。元は徳川御三卿の一つ、清水家の庭園だと言うが、一時は早稲田大学が管理し、今は新宿区管轄となっている。それほど大きくないが日本庭園。隣に「水稲荷神社」があって、そこに堀部安兵衛の碑がある。安兵衛の碑はあちこちにあるみたいだけど、討ち入り前の高田馬場決闘の碑である。もっとも1971年に移転してきたものらしいけど。さらに少し行くと新目白通りで都内唯一の路面電車「都電荒川線」の終点(始発と言っても同じだけど)の停留所がある。そこは早稲田大学の裏。これに乗って東京東部に行き来できる。
  
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