蔵原惟繕監督の4回目は「憎いあンちくしょう」に絞って書いた。
◎憎いあンちくしょう(1962)
裕次郎、ルリ子のスター映画でカラー作品。内容は非常に充実していて重要だ。日本のロードムービー史上、最高傑作かもしれない。山田信夫のオリジナル脚本で、間宮義雄撮影、黛敏郎音楽。裕次郎は売れっ子タレント北大作で、テレビ、ラジオの出演で毎日忙しい。マネージャーのルリ子がスケジュールを管理している。ルリ子の役名は榊田典子で、「のりこ」だけど周りは「てんこ」と呼ぶ。「典子(てんこ)三部作」の第一作。二人は、大作が新聞に出した募集広告で知り合い、マネージャー兼恋人となるが、忙しい日々に新鮮さを保つために、恋愛関係にあるけどキスもしない、性関係も持たないという「かせ」を自らに課している。730日ほどもそういう関係が続いている。
このような多忙なタレントの恋愛事情が語られるが、大作は単に有名タレントに留まるのではなく、高度成長時代に「自分を見失っている日本人」の象徴である。当時はまだまだ家族や地域共同体の力が強く、今ほど「個」に分断された時代ではない。しかし、高度成長期にこそ、「これでいいのだろうか」「自分たちは正しく生きているのだろうか」という思いが、人々の内面を覆っていた。先取りする映画作家の心はそれを感知したのだろう。ローマ五輪直前のローマで撮影されたフェリーニの「甘い生活」と同じく、これは東京五輪直前の東京の空疎を描いている。そういう事情がセリフで語られるわけではないが、裕次郎とルリ子の多忙さと「不自然な恋愛関係」を見れば、「何か」がない限りこの二人の関係は壊れてしまうのではないかと思う。それは多くの国民の心に響くものだっただろう。
大作がテレビで担当する「今日の三行広告から」という番組がある。そこで「ヒューマニズムを理解できるドライバーを求む。中古車を九州まで連んでもらいたし。但し無報酬」という広告を取り上げた。広告を出した井川美子(芦川いづみ)に会いに行くと、熊本の僻地に恋人の医者がいる、ジープがないと助けられない患者がいる、何とかお金を貯めて車は買ったけど、届けるお金がないと言うのである。もう2年も会ってないけど、二人は愛で結ばれていると言う。話を聞きに行った後で、裕次郎はマンションでルリ子を求めてしまうが、拒まれてジャガーで飛び出す。番組に間に合わないかと皆心配するが、本番直前に局に着いて番組が始まると、芦川いづみに2年も会わないで愛と言えるのかと詰め寄る。もう台本無視である。そして、そのジープは自分が運ぶと生番組内で宣言してしまう。
裕次郎はいったん着替えてからジャガーで下町に乗り付け、ジープに乗り換えてさっさと運転し始める。ルリ子は追ってきて、決まったスケジュールがあると止めるが、裕次郎はジャガーのキーを投げ渡し、九州に向け出発する。裕次郎の運転シーンは、ほぼ本人が運転しロケで撮影されている。(もちろんすべての道程を裕次郎が運転したわけではないだろうけど。)貴重な風景が映されていて、広島では原爆ドームも見える。日本初の高速道路である名神高速の部分開通は1963年である。日本中どこにも高速道路はない。東海道新幹線もない。ひたすら国道を西へ向かうのだ。困ったのは、マネージャーのルリ子とテレビのディレクター長門裕之。翌日の新聞には、「北大作に巨額の賠償請求か」などと載っている。しかし、その局面を逆手に取り、長門は本人に内緒で追っかけを開始し、密着取材を行う。そしてヒューマニズムに基づく行為として、特番を作って局長賞を取る。ルリ子はもうこれでいいでしょう、今東京へ帰るなら何とかなると説得する。もちろん裕次郎は拒絶して西へ向かう。
以後は、裕次郎が先行しルリ子の追跡が続く。裕次郎は明石からフェリーで四国に向かい、ルリ子をいったん撒くことに成功するが、宇野(岡山)で本州に戻るときに気づかれてしまう。このあたりはもはや意地の張り合い。裕次郎がすべての日程をキャンセルした厳然たる「再出発」において、自分との関係もキャンセルされてしまうのか。それは許さないと追っていくわけである。そしていよいよ九州に入り、山道でジャガーが前進できなくなり、ついに谷底に落ちてしまう。本人は何とか直前に脱出したが。このシーンはどこでどうやって撮ったのか。セットだろうが。記憶では、裕次郎のマンションやテレビ局は別にして、運転シーンは全部ロケかと思い込んでいたが、今回見るとルリ子の運転シーンはスクリーンプロセスがかなり使用されていた。
やっと熊本の山村に着くと、そこには小池朝雄の医師が待っている。小池は文学座から雲、昴と分裂時の中心となった演劇人だが、「仁義なき戦い」シリーズなど映画のわき役でも活躍した。それよりも有名なのは、「刑事コロンボ」のピーター・フォークの吹き替えで、小池を見るとどうもコロンボを思い出してしまう。1985年に54歳で若死にした。熊本の村では、テレビ局の企画で芦川いづみが連れて来られるが、二人は2年ぶりなのに見つめ合ったまま、動かない。それに対し、裕次郎はルリ子に「ぼくたちの第一目が始まるんだ」と告げ、二人は再出発できることを示し映画は終わる。
風景も新鮮な上、裕次郎とルリ子の関係がどうなるのか、車2台の関係が面白い。見ていてあっという間に時間が過ぎる。これは「狭義」で言えば日活アクションとは言えない。しかし、九州まで車を運転する(特に高速もない時代に)という行為は、「一般人にとっては大アクション」である。ギャングとの銃撃戦なんて一生出会わないが、そのくらいならやってできないことはない。そういう意味で「広義のアクション映画」であって、「映画内のテーマ」としてはむしろ「日活アクションの本質」を示していると考えられる。それは「自分が自分ではない状況」に抗い、「自分を取り戻すために闘う」ということである。そして、自分が自分ではない時に出会った恋人とは結ばれず(あるいは敢えて関係を断ち切り)、自分が自分を取り戻した時に二人は結ばれる。
60年代から70年代初頭には、「社会の歯車」でしかない自分とどう向き合うかというテーマが重大な意味を持っていた。成立し始めた「大衆消費社会」の中で、自己の尊厳が失われていく感覚が特に若者には強かった。当時はそれを「実存的不安」と呼んだ。今ではテレビで人気者になること自体を目的とする若者がたくさんいる。売れっ子になって忙しくて大変というのは判るだろうが、「自分のアイデンティティ喪失」という問題意識はなくなったかもしれない。高度に発達した大衆社会が、自明の前提になってしまった。この映画は、時代の社会状況を「人気者の恋愛」という形でドラマ化し、スター映画としても成功させる離れ業を成功させた。日本映画の底力とも言える。ロードムービーとしての面白さ、恋愛映画としての深さも同時代の日本映画を超えていて、非常に面白い傑作だと思う。(なお、同年に作られた山田洋次監督の松竹作品「下町の太陽」には、倍賞智恵子を好きになる工員として、役名「北竜介」が登場する。北大作と似ているのが面白い。)
◎憎いあンちくしょう(1962)
裕次郎、ルリ子のスター映画でカラー作品。内容は非常に充実していて重要だ。日本のロードムービー史上、最高傑作かもしれない。山田信夫のオリジナル脚本で、間宮義雄撮影、黛敏郎音楽。裕次郎は売れっ子タレント北大作で、テレビ、ラジオの出演で毎日忙しい。マネージャーのルリ子がスケジュールを管理している。ルリ子の役名は榊田典子で、「のりこ」だけど周りは「てんこ」と呼ぶ。「典子(てんこ)三部作」の第一作。二人は、大作が新聞に出した募集広告で知り合い、マネージャー兼恋人となるが、忙しい日々に新鮮さを保つために、恋愛関係にあるけどキスもしない、性関係も持たないという「かせ」を自らに課している。730日ほどもそういう関係が続いている。
このような多忙なタレントの恋愛事情が語られるが、大作は単に有名タレントに留まるのではなく、高度成長時代に「自分を見失っている日本人」の象徴である。当時はまだまだ家族や地域共同体の力が強く、今ほど「個」に分断された時代ではない。しかし、高度成長期にこそ、「これでいいのだろうか」「自分たちは正しく生きているのだろうか」という思いが、人々の内面を覆っていた。先取りする映画作家の心はそれを感知したのだろう。ローマ五輪直前のローマで撮影されたフェリーニの「甘い生活」と同じく、これは東京五輪直前の東京の空疎を描いている。そういう事情がセリフで語られるわけではないが、裕次郎とルリ子の多忙さと「不自然な恋愛関係」を見れば、「何か」がない限りこの二人の関係は壊れてしまうのではないかと思う。それは多くの国民の心に響くものだっただろう。
大作がテレビで担当する「今日の三行広告から」という番組がある。そこで「ヒューマニズムを理解できるドライバーを求む。中古車を九州まで連んでもらいたし。但し無報酬」という広告を取り上げた。広告を出した井川美子(芦川いづみ)に会いに行くと、熊本の僻地に恋人の医者がいる、ジープがないと助けられない患者がいる、何とかお金を貯めて車は買ったけど、届けるお金がないと言うのである。もう2年も会ってないけど、二人は愛で結ばれていると言う。話を聞きに行った後で、裕次郎はマンションでルリ子を求めてしまうが、拒まれてジャガーで飛び出す。番組に間に合わないかと皆心配するが、本番直前に局に着いて番組が始まると、芦川いづみに2年も会わないで愛と言えるのかと詰め寄る。もう台本無視である。そして、そのジープは自分が運ぶと生番組内で宣言してしまう。
裕次郎はいったん着替えてからジャガーで下町に乗り付け、ジープに乗り換えてさっさと運転し始める。ルリ子は追ってきて、決まったスケジュールがあると止めるが、裕次郎はジャガーのキーを投げ渡し、九州に向け出発する。裕次郎の運転シーンは、ほぼ本人が運転しロケで撮影されている。(もちろんすべての道程を裕次郎が運転したわけではないだろうけど。)貴重な風景が映されていて、広島では原爆ドームも見える。日本初の高速道路である名神高速の部分開通は1963年である。日本中どこにも高速道路はない。東海道新幹線もない。ひたすら国道を西へ向かうのだ。困ったのは、マネージャーのルリ子とテレビのディレクター長門裕之。翌日の新聞には、「北大作に巨額の賠償請求か」などと載っている。しかし、その局面を逆手に取り、長門は本人に内緒で追っかけを開始し、密着取材を行う。そしてヒューマニズムに基づく行為として、特番を作って局長賞を取る。ルリ子はもうこれでいいでしょう、今東京へ帰るなら何とかなると説得する。もちろん裕次郎は拒絶して西へ向かう。
以後は、裕次郎が先行しルリ子の追跡が続く。裕次郎は明石からフェリーで四国に向かい、ルリ子をいったん撒くことに成功するが、宇野(岡山)で本州に戻るときに気づかれてしまう。このあたりはもはや意地の張り合い。裕次郎がすべての日程をキャンセルした厳然たる「再出発」において、自分との関係もキャンセルされてしまうのか。それは許さないと追っていくわけである。そしていよいよ九州に入り、山道でジャガーが前進できなくなり、ついに谷底に落ちてしまう。本人は何とか直前に脱出したが。このシーンはどこでどうやって撮ったのか。セットだろうが。記憶では、裕次郎のマンションやテレビ局は別にして、運転シーンは全部ロケかと思い込んでいたが、今回見るとルリ子の運転シーンはスクリーンプロセスがかなり使用されていた。
やっと熊本の山村に着くと、そこには小池朝雄の医師が待っている。小池は文学座から雲、昴と分裂時の中心となった演劇人だが、「仁義なき戦い」シリーズなど映画のわき役でも活躍した。それよりも有名なのは、「刑事コロンボ」のピーター・フォークの吹き替えで、小池を見るとどうもコロンボを思い出してしまう。1985年に54歳で若死にした。熊本の村では、テレビ局の企画で芦川いづみが連れて来られるが、二人は2年ぶりなのに見つめ合ったまま、動かない。それに対し、裕次郎はルリ子に「ぼくたちの第一目が始まるんだ」と告げ、二人は再出発できることを示し映画は終わる。
風景も新鮮な上、裕次郎とルリ子の関係がどうなるのか、車2台の関係が面白い。見ていてあっという間に時間が過ぎる。これは「狭義」で言えば日活アクションとは言えない。しかし、九州まで車を運転する(特に高速もない時代に)という行為は、「一般人にとっては大アクション」である。ギャングとの銃撃戦なんて一生出会わないが、そのくらいならやってできないことはない。そういう意味で「広義のアクション映画」であって、「映画内のテーマ」としてはむしろ「日活アクションの本質」を示していると考えられる。それは「自分が自分ではない状況」に抗い、「自分を取り戻すために闘う」ということである。そして、自分が自分ではない時に出会った恋人とは結ばれず(あるいは敢えて関係を断ち切り)、自分が自分を取り戻した時に二人は結ばれる。
60年代から70年代初頭には、「社会の歯車」でしかない自分とどう向き合うかというテーマが重大な意味を持っていた。成立し始めた「大衆消費社会」の中で、自己の尊厳が失われていく感覚が特に若者には強かった。当時はそれを「実存的不安」と呼んだ。今ではテレビで人気者になること自体を目的とする若者がたくさんいる。売れっ子になって忙しくて大変というのは判るだろうが、「自分のアイデンティティ喪失」という問題意識はなくなったかもしれない。高度に発達した大衆社会が、自明の前提になってしまった。この映画は、時代の社会状況を「人気者の恋愛」という形でドラマ化し、スター映画としても成功させる離れ業を成功させた。日本映画の底力とも言える。ロードムービーとしての面白さ、恋愛映画としての深さも同時代の日本映画を超えていて、非常に面白い傑作だと思う。(なお、同年に作られた山田洋次監督の松竹作品「下町の太陽」には、倍賞智恵子を好きになる工員として、役名「北竜介」が登場する。北大作と似ているのが面白い。)