尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

北朝鮮・張成沢粛清の衝撃

2013年12月17日 01時01分19秒 |  〃  (国際問題)
 北朝鮮で「事実上のナンバー2」と言われてきた張成沢(チャン・ソンテク)国防委員会副委員長が失脚という情報が流れ、続いて党から除名という映像が公開され、13日には「国家転覆陰謀」を理由に死刑が執行された。この事態の持つ意味を考えておきたい。

 まず確認しておきたいのは、この事態が「国際人権規約」に反しているということである。朝鮮民主主義人民共和国も、なんとこの国際人権規約の締約国なのである。人権規約には、自由権規約と社会権規約があり、さらに自由権規約には二つの選択議定書がある。個人通報制度と死刑廃止である。(どちらも日本は批准していないのは承知の通り。)自由権規約では死刑廃止はうたってはいないものの、死刑に関して次のように規定している、「死刑を言い渡されたいかなる者も、特赦又は減刑を求める権利を有する。死刑に対する大赦、特赦又は減刑はすべての場合に与えることができる。」また裁判に関しては「有罪の判決を受けたすべての者は、法律に基づきその判決及び刑罰を上級の裁判所によって再審理される権利を有する。」

 国際人権規約に照らして、日本も全くほめられた状態ではない状況にある。先に書いた「中等教育の無償化」もその一つだけど、刑事司法に関しても様々な問題があるのはよく知られている。死刑執行も安倍内閣で常態化しつつある。また、中国は世界で一番死刑執行が多い国として知られている。そういう東アジアの死刑状況を見ても、今回のような特別軍事裁判の一審だけで判決後直ちに執行するというのは異常の程度が飛びぬけている。日本で言えば、明治末の大逆事件のような事例と言える。中国では今年行われた薄煕来裁判でも一応2審まで開かれ経過が報道されている。北朝鮮では様々な粛清があったが、このような「みせしめ裁判」が行われたのは1956年の朴憲永以来ではないだろうか。(朴憲永は南朝鮮労働党系を代表し、朝鮮労働党副主席に就任し副首相、外相を務めたが、朝鮮戦争が勝利できなかった責任を取らされたと言われる。)

 このような経過は予想を超えていた。張は金正日の妹であるキム・ギョンヒ(漢字表記は金敬姫と金慶喜の二つあるので不明)の夫で、「キム一族」として「保護」されると考えられたからである。処刑直前に「強制的に離婚させられた」という情報もあるが、とにかく「ファミリー」内に粛清が起こるとは何があったのだろうかという憶測を呼ぶ。キム・ジョンウンを超えるような勢力を誇り、それがつまづきのもととなったとも言う。人間性に関する罵詈雑言も流されていて、「女性関係の乱れ」が妻の怒りを買っていたという話もあるようだ。しかし、本来ならばそういうことは「表に出してはいけないこと」のはずである。支配層内部の事情をあまり表に出せば、民衆の反感を呼ぶ。張成沢だけが腐敗していて、後はみな清廉だなどということはありえないのだから。

 今までにも張は一時的に失脚し、また復活したこともあった。金日成の弟である金英柱も脚光を浴びた後で失脚し、後にまた役職についている。とにかく「ファミリー」であることは周知の事実なので、政治犯収容所送りなどで、「事実上の終身刑」にされるというような可能性が高いと思っていた。北の粛清ではそういうことが多い。支配層内部で処理され、国際的、国内的には報道されない。その方が「対民衆政策」としては優れている。「何が真相かは判らないものの、どうも失脚したようだ」という形の方が、支配する者としては有効なのではないか。

 ところがこのような大々的な裁判と即決処刑となった。その理由はどこにあるのだろうか。そこまで大きな矛盾が支配層内部にあり、隠しようもない対立関係に陥り、「公然たる処理」を行わないといけない段階に至っていたということである。それは経済開放政策をめぐるものか、対中国貿易の利権をめぐるものか、軍との対立によるものか、キム・ジョンウン第一書記の指導力をめぐるものか、真相は今のところよく判らない。しかし、本格的な対立があったと想定するしかないように思う。

 僕が張成沢という人に注目したのは、1993年に翻訳が出た「北朝鮮崩壊」という本を読んで以来である。文春から出たこの本は、キワモノ的な題名だが、尹学準氏が翻訳していたので読んでみる気になったのである。(「オンドル夜話」「歴史だらけの韓国」など尹氏の本を愛読していたので。)その本の段階ではまだ金日成時代だったわけだが、今後の北情勢のキーパーソンとして「張成沢」を挙げていた。以後の情勢を見ると、確かに節目節目に張成沢が出てきて、キム・ジョンウン時代になったら「後見役として事実上のナンバー2」とまで言われるようになった。

 そこまで勢威を誇った人物を粛清すれば、その波紋は大きくならざるを得ない。ただ失脚させるだけでは不十分で、不満を完全に抑え込むには裁判が必要だったということだろう。しかし、いくら北朝鮮でも「対立した」「気に入らない」だけでは死刑判決は出せない。そこで「クーデタをたくらんだ」という「国事犯」にするしかない。「最高指導者同志」に反逆したという「大逆罪」である。そうなると、民衆の間では「クーデタをたくらむという人がいたんだ」「そういうこともありなんだ」となってしまうだろう。すぐ幕府崩壊、大政奉還にならなくても、これは「大塩平八郎の乱」になりかねない。今後何かあれば、張成沢の方が良かったのではないかと、表立っては言えなくても心の中で思う人が出てくるのは止めようがない。「そういう人がいた」と公表したのは当局なのだから。

 そこでキム・ジョンウンが大々的な経済開放に踏み切り民衆生活のアップが実現すればいいのだろうが、それはむしろ張成沢ラインの政策である。ご本人は遊園地やスキー場を作って「名君」を演じているようだが、この錯誤ぶりは驚きである。ピョンヤンの特権階級しか知らないから、そういう思い付きになるんだろうけど、一部では相当に経済が悪化しているという現状を知らないのか。経済状況の急激な好転は全く期待できないけど、「張成沢が国家を乗っ取ろうとした」と言ってしまった以上、何か具体的な成果を国民に示さないとやっていけないだろう。それは軍関係、特に核開発やミサイル発射しかないと僕には思えるが、どうなるだろうか。核兵器開発はこれ以上本格化させると中国との関係を完全に悪化させる可能性がある。そこでミサイル発射実験やその他の軍事挑発がないとは言えないと考えておくべきだろう

 今後、張成沢の下で働いてきた党と政府の実務官僚の粛清がどうなるかは、非常に重大な問題である。当面は張だけというタテマエで進むかもしれないが、長期的には粛清が進むと考えるべきだろう。党内には「張成沢はファミリーだから安心」と思い「若いキム・ジョンウンで本当に大丈夫だろうか」などとホンネを内輪で語ってしまった人物もいたに違いない。かなり多くの人物が恐怖に囚われていると思う。現に、副首相レベルが中国亡命を申請しているという情報もある。今後公表されないまま、中国や韓国に亡命する高官が現われるのは確実である。次第にもう少し情報が漏れてくるだろうが、北朝鮮情勢は要注意であると考えている。

 簡単に言えば、「北」に対するスタンスはそれぞれ違えど、「やはり金日成はそれなりにすごかった」「金正日も党と国家を掌握していた」、それに対して「若い金正恩は大丈夫なのか」と世界が思っていることを、これで北朝鮮民衆も内心では皆思うようになったという段階に達したと判断している。中国がキーを握っているのは間違いなく、どうなるか注目して行かなくてはならない。
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