尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

どっちが「自虐史観」なんだろう

2015年07月02日 23時01分18秒 | 政治
 安倍首相の5月14日の記者会見、それは今回の安保法案を国会に提出するにあたって行ったものだけど、いろいろビックリするところが多かった。冒頭から驚きだけど、それはちょっと後に回し、僕が一番驚いたところがある。それは質疑応答に移ったあとで、フジテレビの記者から出た質問。

 「(前略)これまで、自衛隊発足後、紛争に巻き込まれて自衛隊の方が亡くなるようなことはなく、また、戦闘で実弾を使ったりすることがないことが、日本人の国内の支持であったり、国際的な支持というのも日本の平和にあったかと思います。今回、その平和安全法制が成立した暁に、こういった自衛隊の活動が重要事態に行くとか、あとは任務遂行型の武器使用になるとかいうことで、すごく危険だとか、リスクな方に振れるのではないかというような懸念があるかと思われるのですけれども、そういったことに対する総理の御説明をお願いいたします。」(太字=引用者)

 フジテレビだからかどうか、政権批判というより、むしろ国民の中にある自然な心配を質問したものとなっていると思う。これに対し、安倍首相は以下のように答えた。「(前略)今までも自衛隊の皆さんは危険な任務を担ってきているのです。まるで自衛隊員の方々が、今まで殉職した方がおられないかのような思いを持っておられる方がいらっしゃるかもしれませんが、自衛隊発足以来、今までにも1,800名の自衛隊員の方々が、様々な任務等で殉職をされておられます。私も総理として慰霊祭に出席をし、御遺族の皆様ともお目にかかっております。こうした殉職者が全く出ない状況を何とか実現したいと思いますし、一人でも少ないほうがいいと思いますが、災害においても危険な任務が伴うのだということは、もっと理解をしていただきたいと、このように思います。(後略)」

 首相の言葉が理解できる人がいるだろうか。自衛隊があれば、例えば航空自衛隊が戦闘機の訓練を行っていれば、たまに事故があるだろう。今までそういうニュースも聞いたことがあるように思う。それだって、航空自衛隊というもの自体がなければ起きなかったわけだが、そういう風に考えたとしても、首相が事故を起こせという命令を下しているわけではない。今回の法案が成立して、自衛隊が新たな活動任務を与えられ、それで犠牲が出る(と仮定する)。それは首相の命令に従った結果であり、今回の法案を成立させたことの結果である。そういう犠牲と、災害救援の任務中に殉職することは、自衛官という一人の人間にとっては「同じ死」かもしれないが、命じる側には大きく違うはずだ。

 この応答でよく判ることは、安倍首相が「自衛隊発足後、紛争に巻き込まれて自衛隊の方が亡くなるようなことはなく」といった歴史を全然尊重する気持ちがないことである。今まで「戦死者」が出ていなかったのが変わるかと問われて、今までだって「殉職者」がいるじゃないかと答えるなんて。およそ「人間性」というものを感じない答弁だと僕は思う。戦後という時間の中で、戦死者が日本人の中から出なかった。(それは「自衛隊」のような軍事組織が派遣される想定の場合で、朝鮮戦争時の機雷掃海部隊とか、報道機関の記者、米軍などに志願した日本人等の死者は出ている。)そのような歴史を安倍首相は、全然どうでもいいこと、もしかしたら「残念な歴史」にすら思っているのかもしれない。

 というのも、自民党の改憲案では、自衛隊は「国防軍」として憲法に位置づけられている。これまでのように、「専守防衛」の「自衛隊」しか持てないのでは、「不完全な国家」であり、軍隊を持ち集団的自衛権を行使できてこそ、「誇りの持てる国家」だと思っているのではないか。だから、戦前の大日本帝国時代の方が「本当の日本」であって、戦後の日本は「偽の時代」に見える。こういう感性を持つからこそ、「戦後レジームからの脱却」というのだろう。大日本帝国陸海軍の犯した戦争犯罪を問題にすると、「自国をおとしめる」などという人がいるのだから、「大日本帝国」=「自国」なのである。

 これは戦後を生きてきた、そして今に生きている日本国民の過半の思いとは違っていると僕は思っている。多くの日本国民は、「戦死者を出さなかった戦後の日本」に誇りを持っている。戦前に勝つわけのない戦争に軍部によって引きずり込まれ、国民に大きな犠牲を出したし、近隣諸外国にも大変な迷惑をかけた。謝罪すべきは謝罪して行くのは当然だ。だが、同時に戦後日本は陸海軍を放棄し、戦争をしない国となった。その歩みの中で経済と文化が発展していった。それでも多くの問題は起きたし、現在も起きている。だけど、民主主義制度は定着し、軍のクーデターや一党独裁などが戦後70年間で一度もない、アジア諸国の中では稀有の歴史を持っている。このような日本の戦後、非軍事的・民主的な枠組みで経済を発展させたことこそ、日本人の誇りだ。戦前の日本は確かに迷惑をかけたが、戦後は平和国家になったということが、日本人の誇るべき歴史だ

 以上のようなことが多くの日本人の思いだと僕は思う。違うだろうか。以上のような見方に問題がないわけではない。今となっては「近代国家」や「天皇制」をもっと厳しく内省すべきではないか。僕はそうも思うが、それはそれとして、「平和で戦死者がなかった戦後日本」を多くの人は誇りに思っている。そんな戦後日本を好きになれず、不完全な国家視するような人には、あえて言いたいと思う。自国の歩みに誇りを持てないのなら、それこそ「自虐史観」というものではないんだろうか

*一番最初に書いた安倍首相記者会見のビックリを紹介する。長くなってしまうが。
「70年前、私たち日本人は一つの誓いを立てました。もう二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。この不戦の誓いを将来にわたって守り続けていく。そして、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。この決意の下、本日、日本と世界の平和と安全を確かなものとするための平和安全法制を閣議決定いたしました。
もはや一国のみで、どの国も自国の安全を守ることはできない時代であります。この2年、アルジェリア、シリア、そしてチュニジアで日本人がテロの犠牲となりました。北朝鮮の数百発もの弾道ミサイルは日本の大半を射程に入れています。そのミサイルに搭載できる核兵器の開発も深刻さを増しています。我が国に近づいてくる国籍不明の航空機に対する自衛隊機の緊急発進、いわゆるスクランブルの回数は、10年前と比べて実に7倍に増えています。これが現実です。そして、私たちはこの厳しい現実から目を背けることはできません。」

 いやあ、ぜひ「平和安全法制」とやらで、アルジェリアやシリアやチュニジアのテロ、北朝鮮の弾道ミサイルなんかを解決して欲しいですねえ。って、全然関係ないじゃないか、今度の法案と。
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