尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

都教委、ふたたび育鵬社を採択

2015年07月28日 22時40分09秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 7月23日(木)に行われた定例に東京都教育委員会で、中高一貫校の中学校特別支援学校で、来年度から4年間使用する教科書が選ばれた。予想された通り、今回もまた(前回に続き)、社会科の歴史と公民両分野ですべての学校で育鵬社が採択された。くわしい採択結果は、都教委HPの「平成28年度使用都立中学校及び都立中等教育学校(前期課程)用教科書並びに都立特別支援学校(小学部・中学部)用教科書の採択結果について」に掲載されている。

 毎回のことだが、今のところ何の理由説明もない。実に不思議なのだが、例えば中高一貫校の国語地理を見てみたい。国語は全10校のうち、光村図書が7校(白鴎、小石川、両国、桜修館、立川国際、大泉、南多摩)、学校図書が2校(武蔵、三鷹)、東京書籍が1校(富士)と3社の教科書に分かれている。社会科でも地理分野は、東京書籍(7校)、日本文教出版(2校)、帝国書院(1校)と3社に分かれている。中高一貫といえども、各校で重視する所は少しずつ違うので、教科書が違ってもいいだろう。だけど、歴史と公民に限って、すべての学校で育鵬社なのである。右派系だったら自由社もあるというのに、「なんで自由社ではないのか」さえ判らない。今は細かく分析しないが、「平成28~31年度使用教科書調査研究資料(中学校)について」という資料を見ても、何にも判らないのも例年と同じ。

 もっともこの結果は、大方の人が事前に予測していたことである。決めたのは、教育委員の6人である。新たに今年の4月から、教育長になった中井敬三氏(それまでは東京都の財務局長)の他、木村孟(きむらつとむ、元東工大学長、前独立行政法人大学評価・学位授与機構機構長)、竹花豊(元東京都副知事、元警察庁生活安全局長)、乙武洋匡山口香(筑波大准教授、女子柔道指導者)、遠藤勝裕 (日本学生支援機構理事長、元日銀神戸支店長)の計6人が現在の委員である。木村、竹花両氏が石原知事時代、乙武、山口両氏が猪瀬知事時代、中井、遠藤両氏が舛添知事時代の任命である。だから、もう「石原元知事の意向」などではありえないだろうが、この間に作り上げられてきた強権的教育行政には目だった変化が起こっていない。やはり石原時代以来の路線を支持する多数派が形成されていると考えられるのである。

 今回は投票が割れた。前回も一人他社だったが、今回は二人である。歴史では、全校で4人が育鵬社、2人が東京書籍。公民では、全校で4人が育鵬社、6校で教育出版、4校で東京書籍。以上の投票結果を見ると、4人が多数派(育鵬社支持)で、2人の反対派が存在する。無記名投票なので、誰がどの社を推したかは不明である。ただ、7月24日の乙武氏のツイッターには「全会一致だったわけではなく、育鵬社に票を入れなかった教育委員が6名中2名いたことも、きちんと報道してほしい。 /都教委 育鵬社の教科書を採択 - NHK 首都圏 NEWS WEB 」というNHKニュースの報道にかんする「つぶやき」が投稿されている。ニュースが採択結果だけを報じるのは当然ではないかと思うけど、自分が育鵬社だったら、こういうことは言わないだろう。常識的に考えると、乙武氏は他社を推したのだろう。

 今回注目されるのは、採択理由を公表すると教育長が発言していることである。23日付の東京新聞では、以下のように報じている。「委員会後に取材に応じた中井敬三教育長は「採択理由は各委員から聞き取りをして、一カ月後に都教委のホームページに載せる」と話した。」これは期待できるのだろうか。いつものように、法令に基づいて適切に採択したなどというだけではないかとも思う。普通、採択理由といえば、なぜその社の教科書がふさわしいかの中身がなければ無意味である。ぜひ、理由ある説明を聞きたいと思う。また、竹花委員は今年9月、木村委員は来年10月で任期を迎える。それぞれ、2期、3期と長期間委員だったので、時期が来れば勇退すると思われる。その後の新委員が誰になるか、非常に重大ではないだろうか。場合によっては、多数派が交代する可能性もありうるのだから。なお、今回の都教委を傍聴していた小松久子都議(生活者ネットワーク、杉並区)のブログもぜひ参照を。また根津公子さんの都議会傍聴記も参考になるので、ぜひ。
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中学教科書で「憲法制定過程」を比べてみる

2015年07月28日 00時30分34秒 |  〃 (教育問題一般)
 前回書いたように、中学社会科の歴史分野の教科書を比較してみたい。取り上げるのは、日本国憲法の制定過程がどのように書かれているかという問題である。ただし、自由社は取り上げないことにする。また清水書院も取り上げないが、これはうっかりミス。(南京事件などを書き移しているうちに、憲法制定の方を忘れてしまったので、他意はない。)公民教科書でも、もちろん憲法制定は記述されているが、当然だろうが、その社の歴史教科書とほぼ似たような記述になっている。公民には「学び舎」版がないので、歴史で比較することにしたい。

 全部を引用すると長くなり過ぎるので、途中で省いたものもある。教科書により、GHQとあったり、連合国軍総司令部とあったりするが、そのまま記述する。日本の降伏で、それまでの章が終わり、戦後民主化の最初の部分に記述がある。焦点は、「もともとの政府原案をどう記述するか」「民間草案を取り上げているか」「議会審議をどう記述しているか」などである。東京書籍から見てみたい。

東京書籍 民主化の中心は、憲法の改正でした。日本政府は初めはGHQの指示を受けて改正案を作成しましたが、大日本帝国憲法を手直ししたものにすぎませんでした。そこで、徹底した民主化を目指したGHQは、日本の民間団体の案も参考にしながら、自ら草案をまとめました。日本政府は、GHQの草案を受け入れ、それをもとに改正案を作成しました。

 帝国書院教育出版日本文教出版も同じような書き方になっている。
帝国書院 GHQの指示で、日本政府は新しい憲法の制定に着手しました。政府原案ができましたが、その案では民主化が徹底されないと判断したGHQは、日本の民間団体などの憲法草案も参考にしながら、みずから草案を作って日本政府に示し、修正をうながしました。
教育出版 連合国軍総司令部は、日本政府に対し、憲法の改正を指示しましたが、政府の改正案は大日本帝国憲法の一部を修正しただけでした。そこで連合国軍総司令部は、民間の憲法研究会案なども参考にした草案をつくって政府に示し、政府はこれをもとに新たな草案を作成しました。この案は議会での修正を経て…
日本文教出版 総司令部は日本の民主化の基本として、日本政府に大日本帝国憲法の改正を命じ、政府は総司令部が作成した草案をもとに改正案をまとめあげました。

 これらは大体、次のような理解に立っている。政府の改正案は「大日本帝国憲法の手直し」程度で、GHQは日本の民主化を求めて、民間団体の案も参考に自ら草案を作成し、それが日本国憲法となった…といったようなものである。つまり、政府案がダメだった(国民主権ではなかった)、単なるアメリカの押し付けではなく、日本の民間団体の案が参考にされた。(民間団体とは主に「憲法研究会」を指している。)これが現時点でのほぼ共通した理解だと言えるだろう。だけど、ここには、GHQ案作成のそもそもの理由、あるいは議会審議の過程がほとんど出ていないといった問題点もあると思う。そこで「育鵬社」と「学び舎」という、両極方向で「特色ある記述」を検討してみたい。

育鵬社 GHQは、日本に対し憲法の改正を要求しました。日本政府は大日本帝国憲法は近代立憲主義に基づいたものであり、部分的な修正で十分と考えました。しかし、GHQは日本側の改正案を拒否し、自ら全面的な改正案を作成して、これを受け入れるよう日本側に強く迫りました。
 天皇の地位に影響がおよぶことをおそれた政府は、これを受け入れ、日本語に翻訳された改正案を、政府提案として帝国議会で審議しました。議会審議では、細かな点までGHQとの協議が必要であり、議員はGHQの意向に反対の声をあげることができず、ほとんど無修正のまま採択されました。

 育鵬社をみると、政府案は「(大日本帝国憲法は)近代立憲主義に基づいた」という政府側の説明があり、うっかりそうなんだと「誤読」しかねない。しかし、帝国憲法では内閣総理大臣は選挙結果と無関係に選ばれるのだから、「近代立憲主義」としては不十分だろう。また「ほとんど無修正」と議会審議を軽視しているのだが、それは現在の研究水準からすると正しいとは言えない。しかし、「天皇の地位」を守るために日本政府は受け入れたという記述がある。これは大きな意味で正しいと言えるだろう。敗戦後の天皇の地位をめぐる問題は、重大な問題だったわけだがほとんどの教科書は触れない。育鵬社は、天皇制重視の観点から、こうした記述があるのだと思う。

学び舎 (前略)政府は、GHQの草案をもとにして、新たな憲法改正案を作成します。戦後初の選挙で選ばれた衆議院議員がこれを審議しました。このなかで、国民主権が明記され、生存権が定められるなど重要な修正が加えられました。
 提案された憲法改正案では、義務教育は小学校までとされていました、教師たちは、貧しさのため通学できない子供たちがたくさんいることを取り上げ、中学までを義務教育とするように求めました。各地で集会を開き、署名を集めて運動し、帝国議会はこれを受け入れました。

 学び舎の記述は、GHQ草案以後を引用したが、戦後初の衆議院選挙で選ばれた議員が審議したことを重視している。その選挙では、女性の参政権が初めて認められ、女性議員が多数当選していた。(ただし、沖縄選出議員はいなくなり、「内地」に住む旧植民地出身者の選挙権は認められなくなった。)そして、その議会審議では、重要な修正が加えられたと記述されている。特に、生存権(25条)が定められたことは重大である。これは案外知らない人が多い。社会党の修正案が通ったのである。

 また、当初案では義務教育が小学校に限られていた。戦前に男子の青年学校が義務化されていた。(これは小学校卒業後に、中学に進学しない大多数の子どもたちは、徴兵検査時の学力が低下していて困るという軍の意向もあった。)だから、当初政府案では、戦後にかえって退歩してしまう可能性があったのである。当初の政府案の第2項を見てみる。
 「すべて国民はその保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ。初等教育はこれを無償とする。」児童の初等教育とは、小学校のことである。ちょっと見逃してしまいがちな条項だが。
 現在の憲法では以下のようになっている。「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」
 
 こうして、中学校までが義務教育となったのである。これも知らない人がまだ多いのではないかと思う。だが、中学教科書なんだから、この重大な事実を載せて、ぜひ多くの中学生にも知ってもらいたいと思う。そういう意味で「学び舎」の記述は重大な意味を持っているのではないか。(条文等は、古関彰一「日本国憲法の誕生」による。)こうした点をみると、育鵬社の「ほとんど無修正のまま採択されました」という記述には問題があると思うが、どうだろうか。
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