尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

マッカーサー記念室を見にいく

2015年07月29日 21時05分08秒 |  〃 (歴史・地理)
 東京のお堀端に立つ第一生命館。日本が占領されていた時に、そこはGHQに接収され連合国軍最高司令官マッカーサーが執務する部屋が置かれた。返還後も部屋は当時のままに残され「マッカーサー記念室」となっている。ある時期までは常時公開されていたが、いつからか原則的には非公開とされた。今年は戦後70年ということで、完全事前予約制だが特別公開を行っている。これに当選して、29日の午後に見に行ってきた。「第一生命館」は1938年に建てられ、東京都選定歴史的建造物に指定されている。1995年に中央農林金庫と一体化した高層ビルとなった。写真にある奥の高いビルがそれ。
  
 受付を済ませて(本人確認がある)、エレベーターに案内され6階に上る。多少待ったが、ものすごく混雑しているわけではない。廊下を少し行くと、マッカーサー記念室。隣が第一生命の歴史資料室。そこは私室に使われていたらしい。また廊下の向かいにある貴賓室が、応接室として使われていた。この3つの部屋を見ることができる。記念室に入ると、真ん中に机があり、向こうに椅子が一つ、入り口側に椅子が二つ。左奥に銅像があり、彫刻家川村吾蔵が作り、1996年から飾られているとある。写真は撮れるが、見学者が多いし窓から午後の光が差し込んで撮りにくい。ここでは、千代田区観光協会掲載の写真を使うことにする。記念にくれたクリアファイルの表裏も載せておきたい。
   
 部屋は案外小さい。考えてみれば当たり前で、マッカーサーが来ると想定して作った部屋ではない。日本人の社長が入る社長室だったわけである。こういうところを見る時にいつも感じるが、歴史的な想像力を刺激されるヒマもなく、淡々と見てしまう。部屋の中には、絵が二つ架かっている。どちらもイギリスの海洋画家オルドリッジの絵で、「アドリヤ海の漁船」と「干潮」。元々この部屋に架かっていたもので、マッカーサーはそのまま飾っていた。他にも家族のレリーフ、写真や肖像画、サミュエル・ウルマンの「青春の詩」などが置かれている。皇居を見下ろしているわけではなく、お堀もほとんど見えない。社長室がそんな道路側に置かれるはずがない。(写真は資料室から見たもの。)
  
 クリアファイルに入っていた資料は判りやすくて面白いので、最後に載せておきたい。マッカーサーと当時の日本人、あるいは占領期のさまざまな政策に関しては多数の本が出ている。中公文庫の袖井林二郎「マッカーサーの二千日」は、なかでも一番興味深い。ともかく、この部屋がある一時期には日本の(実質的)最高権力者の執務室だった。ここで執務していたのかと思うが、第一生命に返還され(1952年9月17日)、この部屋だけ隔離されたように案内される。何だかあっけなく見終わって、そそくさと厚い東京の夏に戻ってしまう。そんな見学だった。見学出来て良かったけれど。なお、第一生命のホームページの「マッカーサー記念室」から、部屋の様子を見ることができる。
 
コメント
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