尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

韓国映画の50年代

2015年12月07日 23時40分27秒 |  〃  (旧作外国映画)
 フィルムセンターで「日韓国交正常化50周年 韓国映画1934-1959 創造と開花」という特集が行われている。今まで紹介されてきた韓国映画は、70年代以降が中心で、少し60年代のものが見られた程度だった。だから、今回50年代にさかのぼって、李承晩(イ・スンマン)時代の映画が見られるというのは、韓国文化に、あるいは韓国映画に関心がある人には非常に貴重な機会である。だけど、まあ映画史、あるいは韓国現代史に関心が深い人以外には、あまり興味もないだろうと思い、事前告知の記事は書いてない。「国交正常化50周年」という節目の年だけど、そもそも日韓条約締結時にも祝福されたわけでもなかったし、今年の50周年も政治状況のあおりを受けて全然盛り上がりに欠けていると思う。が、こういうレアな映画を見て、映画を通して隣国をより深く知りたいと思う。

 一日2回上映なので、とても全部見ることはできないのだが、中では巨匠・申相玉(シン・サンオク、1926~2006)の作品が4本ある。とりあえずこれは見たいなと思った。今のところ3本見たけど、どれも興味深い映画だった。この監督作品は、今までの韓国映画特集で何本か紹介されているが、「離れの客とお母さん」(1961)の傑作ぶりには非常に驚いた。同年の「常緑樹」(サンノクス)は原作が有名だが、映画の出来もなかなかだったと思う。韓国映画は70年代頃から時々日本で見られるようになったけど、「過度に感傷的」だったり、「テンポが遅い」といった、大昔の日本映画によく言われた問題が、同じように昔の韓国映画にはつきまとっていた。しかし、「離れの客とお母さん」などは、抑制された感情描写が心に残る映画で、また主演にして妻である崔銀姫(チェ・ウニ)の圧倒的な存在感も印象的だった。申相玉=崔銀姫のカップルは、フェデリコ・フェリーニ=ジュリエッタ・マシーナに匹敵するような映画史的重要性を持っていると思う。

 「同心草」「姉妹の花園」(共に1959)は崔銀姫が主演する典型的な大メロドラマで、展開は紋切型なんだけど、一度見始めると最後まで目を離せない。それは昔のソウルの様子が興味深いということでもあるが、メロドラマの作り方がうまいのである。「同心草」は「離れの客とお客さん」と同じように、「二夫にまみえず」といった儒教的道徳観に縛られて幸福になれない未亡人を描いている。朝鮮戦争後のことだから、これは切実な社会問題でもあった。同時代の日本でも似たような事情はあり、「戦争未亡人」がどう生きるかということは、「東京物語」他のさまざまな映画で扱われてきた。韓国の方がより社会的な規範が強く、非常につらい思いを耐え忍ぶ映画になる。日本で言えば「母もの」というジャンルに似ている。この映画では娘が大学生で、理解を示すのに、母は踏み切れない。今は使われない旧ソウル駅2階の食堂がうまく使われていて、とても懐かしかった。

 「姉妹の花園」では、医学者である父が亡くなり、借金を抱えて苦労する子ども達の物語である。長姉である崔銀姫は義理ある社長に請われて、料亭のマダムとなる。そもそも有産階級の女性が働くこと自体に抵抗感がある時代である。それが一挙に、酒を出す場所で男の相手をするというのだから、経営者だと言っても、これは「没落」だという意識がある。その前に姉妹をめぐる男たちの食い違い物語があって、一切悪人は出てこないから、多分こうなるだろうという方向で進展するけど、なかなか目を離せない。メロドラマの典型というしかないけど、当時の韓国社会の意識や状況をうかがう意味でも面白い。伝統的な家が立ち並ぶ街並みや、消失前の南大門(2008年に放火で焼失、2013年再建)など当時のソウル風景が楽しめる。弟役で当時7歳の天才子役時代のアン・ソンギが出ている。

 一方、1958年の「地獄花」は、日本でも同じような映画が無数に作られた「戦後の堕落」映画である。地方から出てきた兄が行方不明で、弟が探して連れ戻そうとやってくる。しかし、ソウルに来た途端にスリで財産をなくす。苦労しながら、やっと兄を見つけたら、兄は犯罪グループにいて、米軍相手の娼婦とつきあっていた。この娼婦が崔銀姫で、弟を誘惑したりして非常に印象的な名演。「肉体の門」など日本でも似たような設定があるが、「都会と田舎」という対比がこの時代の韓国ではまだ生きている。朝鮮戦争後の時代相を伝えるロケも貴重で、一種の「焼け跡闇市」映画でもある。比較映画史的にとても興味深いと思う。もう一本の「ある女子大生の告白」(1958)とともに、あと一回の上映がある。

 さて、一応書いておくが、後にこの二人は離婚することになるが、1978年に香港にいた崔銀姫が行方不明となる。その後、探しに訪れた申相玉も行方不明となり、大問題となったが二人は北朝鮮に現れ「自主的な亡命」と発言した。北でも映画を作り、ハーグ密使事件を描く「帰らざる密使」はどこかの映画祭で受賞して、日本でも自主公開運動があった。(僕は見ているが、非情な力作には違いない。)後に有名となる北朝鮮初の怪獣映画「プルガサリ」の製作にも関わったとされる。ところが、このようにして映画製作を通じて、指導部の信用を得ることにより、ウィーンに来た機会をとらえてアメリカ大使館に亡命した。後に著した「闇からの谺」(文春文庫にあり、容易に入手可能)を読むと、香港での失踪は「金正日の指令による拉致」だったことは間違いない。1988年に出た単行本の翻訳を読み、当時すでに大韓航空機爆破事件(1987年)が起きていたわけだが、朝鮮労働党による権力犯罪の恐ろしさを痛感した。その後、再婚しているが、この監督・女優カップルほど、映画史上もっとも過酷な運命にもてあそばれた人はいないのではないか。もっとも、映画マニアだったという金正日が拉致したくなるほどの、韓国映画の黄金カップルだった様子を50年代の映画に垣間見ることができる。

 後は簡単にするが、「自由夫人」(1956)は大ヒットしたというメロドラマで、女性が職業を持ち「堕落」していくさまを描くのが、韓国の時代相の中で描かれる。「ソウルの休日」(1956)はソウルの一日をロマンティック・コメディで描くが、ロケが非常に楽しい。50年代のソウル風景が非常に興味深い。「陽山道」(1955)は「怪物」キム・ギヨンの第2作で、人間の悪と欲望を描く時代劇。確かに他の監督と印象が異なっている。朝鮮総督府が作った映画まで「韓国映画」のカテゴリーに入れていいのか、僕は判らないが、日本統治下の映画はまだ見ていない。断片しか残っていない「君と僕」の上映もある。日夏英太郎とクレジットされているが、本名は許泳(ホ・ヨン)で、戦後はインドネシアで「フユン」の名で「天と地の間に」(1951)を撮り、1952年に亡くなった人である。その他、「8・15」と「6・25」の間に作られた映画も2本上映されるが、見ていない。全部はとても見ていられないが、関心のある人もいるかと思い、紹介。昨日書いた訃報特集の中で、キム・ヨンサムを別に書くと書いたけど、映画の方を先に書いた。
コメント (6)
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