尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「子どもの姓」問題-夫婦別姓問題④

2015年12月24日 21時04分25秒 | 社会(世の中の出来事)
 さて、「夫婦別姓」論議の4回目は「子どもの姓」をめぐる問題である。「夫婦別姓」を選択すれば、子どもがいる場合は必ず「親と別姓の子ども」が出てくる。それがどうしたという感じだけど、反対派によれば「家族の一体感」が損なわれてしまうというのだろう。ここで問題なのは、「夫婦別姓制度を導入すれば、その結果として、新たに別姓の子どもという問題が起きる」と理解しているらしいことである。何を言ってるんだろうか?そういう子どもは常に一定数いるという現実を知らないのだろうか?

 夫婦が離婚すれば、結婚にあたって姓を変えた方は、結婚後の姓を使い続けることもできるけれど、原則的には元の姓に戻る。まあ、夫の姓を名乗っていた女性も、関係悪化で離婚するわけだから、元の姓に戻りたい人が多いだろう。でも、その際「子どもの姓」はどうなるのか。母親が親権者であっても、自動的に子どもも母の姓になるわけではない。家庭裁判所に変更手続きを行わなければ、子どもの戸籍は母と一緒にはならないのである。それに、「学校の途中で姓が変わったら何か言われるかもしれない」と心配して、子どもの姓はそのままにするケースが多い。だから、保護者である母と子どもの姓が違っているというケースなど、学校現場では珍しくもなんともないのである。

 どうしても「親子はすべて同姓であるべきだ」と主張するんだったら、例えば「子どもが成人するまでは、子のある夫婦は離婚を禁じる」とでもいった規定を作らないといけない。もちろん、そんなことは不可能である。現実の世界では、子どもがいても、父親が浮気をしたりするし、虐待したり暴力を振るったりするのである。それどころか、妻の方だって、子どもを置いて家出することだってある。それは良くないとここでいくら書いたって、防げるわけではない。もちろん、そういう夫婦は数は少ないに違いないが、「さっさと離婚しなさい」というような夫婦だっていっぱいある。子どもが成人するまでは「仮面夫婦」でいるというケースもあるが、離婚しちゃうのとどっちがいいのか、誰にもよく判らないだろう。

 だから、今だって「親子で姓が違う」子どもはいっぱいいる。そういう子どもは何か問題があるか、いじめられるかといえば、今は「保護者名簿」なんかないし、特に関係ないだろう。昔は「PTA会員名簿」なんかで判る場合もあったと思うが、地域ではお互いに知ってるんだから、特に問題になった記憶もない。でも、単親家庭であることは経済的にも大変だから、子どもの積極性な学びを奪ったりするケースはあったかもしれない。一人ひとりによって、人さまざまなのだから、何とも言えないが。

 「単親家庭」には、死別、離別や「未婚の母」の場合など、さまざまなケースがあるだろう。「父子家庭」も今はかなりある。それらの家庭は、三者面談の時間など、教員側も対応に配慮が必要だから、学級担任は把握はしているが、踏み込んで事情までは聞けない。両親がいても事情は様々で、単親家庭だからどうだこうだと言うほどの問題はないと思うが。でも、もし「夫婦別姓」が導入されて、親子の姓は違っても当たり前なんだという理解が進んだら、その方が生徒指導がやりやすくなるのは間違いないと思うのだが、どうだろうか。

 ところで、「子どもの姓」の問題はもっと大きな問題を持っていると思う。今までは、子どもは「父と母が結婚する時に決めた同じ姓」になる。(大部分は父の姓。)一方、夫婦別姓が導入されれば、子どもは「父の姓か、母の姓」になる。決め方の詳細は、さまざまなやり方があると思うが。でも、どっちにしたって「親の姓」だし、「親が決めたルールで名乗る姓」である。子どもが決めてはいけないのか。もちろん、出生時は親が決めるしかない。だけど、成人したら、父の姓でも母の姓でも、本人が自由に選べるというやり方はどうなんだろうか。それでも、「親の姓」に違いない。虐待等で、親の姓を継ぎたくないという人はどうしたらいいんだろうか。

 現実的には、「結婚して結婚相手の姓に変える」というのが、最も簡単な方法である。強権的な父親とぶつかりながら、自分の力で高等教育を勝ち取ったという女性も昔は多かったと思うが、結構「意識の高い」女性でも、夫の姓を名乗った場合も多いと思う。それは、社会通念に従ったのかもしれないが、それ以上に「さっさと父の姓から脱出したい」という願望があったという人も多いのではないだろうか。さらに、離婚して、また別人と結婚して相手の姓を名乗り…を繰り返せば、姓は変えられるわけである。だけど、「ペーパー結婚」は、詐欺や借金逃れに使われやすく、おススメできない生き方だ。

 だから、成人以上の子どもに「姓の決定権」を与えるというやり方をここでは提唱しておきたい。父または母の姓(同姓結婚の場合は、旧姓)から選ぶことを原則とし、それ以外の姓にしたいときは家庭裁判所に申し立てることとするといったことにすればどうだろう。それでは親子が全部違う姓になってしまうかもしれないが、今はウェブ上でさまざまな名前を登録して活動している人などいっぱいいる。本名にしたって、そんなに困るだろうか。それこそ「個人識別番号」(いわゆる「マイナンバー」)があるんだから、納税や社会保障では継続して本人確認できるはずだろう。

 結婚に際しても、外国では「複合姓」が認められている国がある。そう言えば、ニュースやなんかで、ハイフンでくっ付いたやたら長い名前がある。日本では、漢字3字ぐらいまででないと「姓」というイメージが湧かない。だから、田中さんと佐藤さんが結婚して「田中佐藤」さんにするというのは、無理無理感が強い。でも、例えば「中村」さんと「山田」さんが結婚した場合、「中村「山田」だけでなく、「中山」とか「村田」、あるいは「中田」や「山村」という姓を作ってはダメなんだろうか。この場合、字の順番を入れ替えても、日本人の姓として違和感がない。(まあ、そういうケースを一生懸命考えたわけだが。)

 結婚する時に「入籍」というのは、今は正しい使い方ではないとよく言われる。戦前は確かに結婚相手の戸籍に入ったから「入籍」だった。戦後の民法では、結婚までは親の戸籍にあるが、婚姻届を提出すると、両者ともに親の戸籍から抜けて、夫と妻の戸籍を作ることになっている。いわば、「創籍」である。そこで新たに戸籍が作られるのだったら、そこで本人たちが選んだ新しい姓になったっていいんじゃないだろうか。結婚、離婚を繰り返して、自分の痕跡を消してしまおうなんていう人より、ずっと健全ではないかと思うが。(ところで、ここで「戸籍」というものが出てきたが、それはどう考えればいいんだろうかということは次回に。)
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