2017年11月は大きな訃報は少なかったけれど、やはりまとめて書いておきたい。まず僕にとってということでは、歴史学者の姜在彦氏や荒井信一氏から書きたい。
(前=姜在彦、後=荒井信一)
姜在彦(カン・ジェオン、11.19没、91歳)氏は僕にとって一番信頼できる朝鮮近代史の研究者だった。60年代までは民族運動に関わっていたが、70年代以後に組織を離れ歴史研究に入り、『朝鮮の攘夷と開化 近代朝鮮にとっての日本』『朝鮮の開化思想』などのすぐれた著作を書いた。これは要するに、朝鮮には自発的な近代化の可能性はあったのかどうかという切実な問いを研究したものだ。その後にまとめた一般向けの『日本による朝鮮支配の40年』『玄界灘に架けた歴史 日朝関係の光と影』などは実に使い甲斐のある本で、歴史教師必携だと思う。今もそれらの本の多くは文庫や選書などで手に入る。日本人にとっても知っておくべき朝鮮史の第一人者だった。
荒井信一氏(2017.10.11没、91歳)は10月に亡くなったが、公表されたのは11月になってからだった。現代の様々なテーマ(第二次世界大戦、原爆、戦争責任等)についての著作があるが、むしろ編著者としての仕事で知っていたような気がする。それにやっぱり「日本の戦争責任資料センター」の共同代表ということで僕も一番知っていたかなあと思う。茨城大、駿河台大名誉教授。
(岩田正)
歌人の岩田正氏が11月3日に死去、93歳。僕は短歌のことはよく知らないんだけど、馬場あき子さんの夫だった人で、独特のユーモアと平和への思いを歌った。「現代秀歌」には、
ときにわれら声をかけあふどちらかがどちらかを思ひい出だしたるとき
が取られている。他にも紹介されている短歌は、
イヴ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年
オルゴール部屋に響けり馬場さんよ休め岩田よもすこし励め は思わず笑える
東京新聞の追悼文には
九条の改正笑ひ言ふ議員このちんぴらに負けてたまるか というのがある。歌を詠むだけではなく、「万葉九条の会」というのを立ち上げたそうである。
元赤軍派議長の塩見孝也氏が11月14日死去、76歳。1970年に赤軍派は日航機よど号ハイジャック事件などを起こすが、塩見氏はその直前に別の事件で逮捕された。よど号事件の共同共謀正犯として起訴され、本人は無罪を主張するも他の事件と合わせて懲役18年が確定した。1989年12月に出所したのちは独自の立場で思想的、政治的活動を続けていた。晩年になって地元の東京清瀬市で駐車場の管理人の仕事について、65歳になって初めて「労働者」になったと話題を呼んだ。著作もいくつかあるが読んでない。でも、結構面白いタイプの人だったんだろうなと思う。
(塩見孝也)
元朝日放送アナウンサーで、参議院議員となった中村鋭一氏が11月6日に死去、87歳。活動のベースが関西だったから、全然知らない。大の阪神ファンで有名だったというが、1980年の大阪選挙区に民社党推薦で出て当選したということで名前を知った。86年は西川きよしが出たから落選。89年に出身の滋賀県から連合の統一候補として当選。96年には大阪から衆議院議員に当選した。
史上最高齢の囲碁棋士、杉内雅男九段(11.28没、97歳)、声優の鶴ひろみ(11.16没、57歳)、などが亡くなった。経済学者の西山千明(11.20没、93歳)は大学で講義を聞いた記憶がある。
外国では、マルコム・ヤング(AC/DCのリーダー、11.18没、64歳)やデビッド・キャシディ(歌手、俳優、11.21没、67歳)、ファッションデザイナーでボディコンの創始者、アスディン・アライア(11.18没、77歳)などの訃報があった。しかし、やっぱり一番の「大物」と言えば、チャールズ・マンソンだろう。1969年に映画監督ロマン・ポランスキーの妻だった女優シャロン・テート等を殺害したカルト集団のリーダーである。この事件こそ、多くの恐るべき事件の元祖とでも言えるおぞましい惨劇だった。終身刑でカリフォルニアで拘禁されていた。83歳。
マンソンの今昔)
(前=姜在彦、後=荒井信一)
姜在彦(カン・ジェオン、11.19没、91歳)氏は僕にとって一番信頼できる朝鮮近代史の研究者だった。60年代までは民族運動に関わっていたが、70年代以後に組織を離れ歴史研究に入り、『朝鮮の攘夷と開化 近代朝鮮にとっての日本』『朝鮮の開化思想』などのすぐれた著作を書いた。これは要するに、朝鮮には自発的な近代化の可能性はあったのかどうかという切実な問いを研究したものだ。その後にまとめた一般向けの『日本による朝鮮支配の40年』『玄界灘に架けた歴史 日朝関係の光と影』などは実に使い甲斐のある本で、歴史教師必携だと思う。今もそれらの本の多くは文庫や選書などで手に入る。日本人にとっても知っておくべき朝鮮史の第一人者だった。
荒井信一氏(2017.10.11没、91歳)は10月に亡くなったが、公表されたのは11月になってからだった。現代の様々なテーマ(第二次世界大戦、原爆、戦争責任等)についての著作があるが、むしろ編著者としての仕事で知っていたような気がする。それにやっぱり「日本の戦争責任資料センター」の共同代表ということで僕も一番知っていたかなあと思う。茨城大、駿河台大名誉教授。
(岩田正)
歌人の岩田正氏が11月3日に死去、93歳。僕は短歌のことはよく知らないんだけど、馬場あき子さんの夫だった人で、独特のユーモアと平和への思いを歌った。「現代秀歌」には、
ときにわれら声をかけあふどちらかがどちらかを思ひい出だしたるとき
が取られている。他にも紹介されている短歌は、
イヴ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年
オルゴール部屋に響けり馬場さんよ休め岩田よもすこし励め は思わず笑える
東京新聞の追悼文には
九条の改正笑ひ言ふ議員このちんぴらに負けてたまるか というのがある。歌を詠むだけではなく、「万葉九条の会」というのを立ち上げたそうである。
元赤軍派議長の塩見孝也氏が11月14日死去、76歳。1970年に赤軍派は日航機よど号ハイジャック事件などを起こすが、塩見氏はその直前に別の事件で逮捕された。よど号事件の共同共謀正犯として起訴され、本人は無罪を主張するも他の事件と合わせて懲役18年が確定した。1989年12月に出所したのちは独自の立場で思想的、政治的活動を続けていた。晩年になって地元の東京清瀬市で駐車場の管理人の仕事について、65歳になって初めて「労働者」になったと話題を呼んだ。著作もいくつかあるが読んでない。でも、結構面白いタイプの人だったんだろうなと思う。
(塩見孝也)
元朝日放送アナウンサーで、参議院議員となった中村鋭一氏が11月6日に死去、87歳。活動のベースが関西だったから、全然知らない。大の阪神ファンで有名だったというが、1980年の大阪選挙区に民社党推薦で出て当選したということで名前を知った。86年は西川きよしが出たから落選。89年に出身の滋賀県から連合の統一候補として当選。96年には大阪から衆議院議員に当選した。
史上最高齢の囲碁棋士、杉内雅男九段(11.28没、97歳)、声優の鶴ひろみ(11.16没、57歳)、などが亡くなった。経済学者の西山千明(11.20没、93歳)は大学で講義を聞いた記憶がある。
外国では、マルコム・ヤング(AC/DCのリーダー、11.18没、64歳)やデビッド・キャシディ(歌手、俳優、11.21没、67歳)、ファッションデザイナーでボディコンの創始者、アスディン・アライア(11.18没、77歳)などの訃報があった。しかし、やっぱり一番の「大物」と言えば、チャールズ・マンソンだろう。1969年に映画監督ロマン・ポランスキーの妻だった女優シャロン・テート等を殺害したカルト集団のリーダーである。この事件こそ、多くの恐るべき事件の元祖とでも言えるおぞましい惨劇だった。終身刑でカリフォルニアで拘禁されていた。83歳。
マンソンの今昔)