尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ホウ・シャオシェン監督、「乾杯」を熱唱すーオリヴィエ・アサイヤス「HHH」を見る

2021年05月07日 23時10分33秒 |  〃 (世界の映画監督)
 台湾映画を代表する巨匠、ホウ・シャオシェン(侯孝賢、Hou Hsiao Hsien)監督の12作品を中心にした台湾映画祭が新宿(ケイズシネマ)で行われている。100席もない小さな映画館で、緊急事態宣言下でも上映を継続している。連休前に何本か見て、連休中も見るつもりだったが連休中は「瞬殺」で満席になってしまった。(緊急事態宣言を受けて、ウェブ予約は当日0時からとなっている。久方ぶりに「悲情城市」を見ようかと思って、0時2分にアクセスしたら満席だったのにはさすがに驚いた。)連休が終わって取りやすくなったので、今日は「HHH:侯孝賢」という映画を見た。
(「HHH」、右がホウ・シャオシェン、左がアサイヤス監督)
 ホウ・シャオシェン(1947~)については、あとでまとめて書くつもりだったが、この「HHH」が興味深かったので臨時に書くことにした。「HHH」って何だと思ったが、ホウ・シャオシェンのローマ字表記は上に示したようにHが3つ続くのだった。この映画はフランスの映画監督オリヴィエ・アサイヤス(1955~)が1997年にテレビ番組として作ったドキュメンタリーである。ホウ監督とともに台湾各地を旅し、いくつかの映画を引用しながら関連した土地を訪ねる。高雄で少年時代を探り、「恋恋風塵」「悲情城市」の舞台と成った九份でお茶を飲む。

 オリヴィエ・アサイヤスはフランスを代表する映画監督だ。「クリーン」でマギー・チャンがカンヌ映画祭女優賞、「パーソナル・ショッパー」でカンヌ映画祭監督賞を受賞している。「夏時間の庭」「冬時間のパリ」など日本公開も多く、前に「カルロス」「アクトレスー彼女たちの舞台」について書いた。そんなアサイヤスが何で台湾にと思うが、実は彼は監督になる前に「カイエ・デュ・シネマ」の批評家として台湾を訪れ、「台湾ニューシネマ」の発見者となっていた。「風櫃の少年」を見出して、ナント三大陸映画祭出品に道を開き、グランプリ獲得につながった。

 映画監督が映画監督をドキュメントするというテレビの企画で、アサイヤスは1997年にホウ・シャオシェンに密着した。それが「HHH:侯孝賢」で、2019年の東京フィルメックス映画祭でデジタル修復版が上映された。僕はその事に当時は全然気付かず、今回調べて初めて知った。上映後の監督とのQ&Aの記録が映画祭のサイトにアップされている。(『HHH:侯孝賢』オリヴィエ・アサイヤス監督Q&A)84年当時のまだ二人が世界に知られていなかった時代に育んだ「特別な友情」が語られる。エドワード・ヤンに関する証言も貴重だ。
(質問に答えるアサイヤス監督)
 「HHH」を見ると、技術的な点(録音など)も興味深いが、中でも脚本を書いている朱天文が魅力的。「冬冬の夏休み」の原作を書いた女性作家で、「風櫃の少年」以後の全作品の脚本作りに加わっている。また「恋恋風塵」に自身の体験を提供した脚本家、呉念真の証言も興味深い。しかし、何よりもホウ・シャオシェンその人が一番の謎だ。映画のラストでアサイヤスを含め関係者一同がカラオケに行く。最後にホウ・シャオシェン自身が大熱唱。それが何と「乾杯」だった。もちろん日本の長渕剛のあの曲である。
(朱天文)
 ホウ・シャオシェンの映画と言えば、この映画で語っているように「スタイリッシュ」で「鳥瞰的」だ。幼い頃の思い出を静かに描き出すような映画で世界に知られた。だけど、映画の中で語る言葉を聞けば、彼は「オス」として認められたい、闘争心のようなものがあるという。ずいぶん映画のイメージと違う。そう考えると、長渕剛を熱唱するのも判る。日本でも長渕を持ち歌にする人は多いから判るだろう。「乾杯」は大ヒットしたし、結婚式や卒業式などの定番だから、40~60代ぐらいの人だったら何かしら甘酸っぱい思い出がよみがえる人が多いだろう。

 なるほど、「かたい絆に思いを寄せて 語り尽くせぬ青春の日々」は「童年往事」や「恋恋風塵」の世界に通じている。「故郷の友は 今でも君の 心の中にいますか」。この映画で最初に訪ねるのは、青年時代を送った高雄で昔の知人を探すことだった。続けて「冬冬の夏休み」を見たけど、冒頭で「仰げば尊し」、ラストで「赤とんぼ」が流れる。台湾と日本以外の人にはほとんど伝わらないかもしれない。彼の映画はあからさまにセンチメンタルであることを拒否しているが、底の方には長渕的な熱い思いが込められていたのか。

 ホウ・シャオシェンが歌う「乾杯」はもちろん中国語だ。北京語か台湾語(閩南語)かは僕には聞き分けられないけど。だからアサイヤスには「乾杯」が日本の歌だとは判らないだろう。僕が今回ホウ・シャオシェンの映画を見てるのは、懐かしい映画を再見したいということが大きいが、それだけではない。「台湾新電影(ニューシネマ)」を通して、台湾の「地政学的環境」を考えたいということもある。彼自身は広東省に生まれて1歳で台湾に来た外省人である。ただし、革命を逃れて来たのではなく、父が友人の新竹市長の秘書として赴任したからだった。

 だが父も母も早く亡くなり、苦労した。中国史しか教えない国民党時代の教育を受けながら、台湾で生きる自身のルーツを見つめてきた。この歴史と文化の重層的結節点を生きてきたホウ・シャオシェン。彼の歴史的位置は「遙か長い道のりを歩き始めた」創始者だった。そう考えてみると、案外「乾杯」を熱唱する姿にホウ・シャオシェンの本質が見えるのかもしれない。
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