6代目三遊亭円楽が9月30日に死去、72歳。(「圓楽」が本当だが、ここでは円楽と書く。)2022年1月に脳梗塞で入院して、8月に国立演芸場で「復帰」した。僕はそれを見たけれど、もう「本格復帰はないだろう」と感じた。そうは書けないけど、最後の公演という感触を持った。まさかここまで訃報が近いとまでは思わなかったけど。この人は「笑点」では「腹黒」キャラだが、政治絡みの回答は常識をはみ出さない。本質は気配り上手の善人だった。何回か聞いてるけど、名人級とは言えなかっただろう。むしろ各団体をまとめるプロデューサー的才能が貴重。一番記憶にあるのは、神田伯山真打披露の口上。それとその後の形態模写。大師匠の圓生や立川談志のマネが絶品だった。よほど見巧者(みごうしゃ)だったのである。
(6代目三遊亭円楽)
6代目円楽らは今でも「五代目円楽一門会」と称している。1978年に三遊亭圓生とともに落語協会を脱退したことに端を発している(落語協会分裂騒動。)その時一緒に脱退しながら復帰した圓生直弟子が3人いた。そのうち川柳川柳と三遊亭円丈は2021年11月に亡くなった。そして圓生直弟子の最後となっていた三遊亭圓窓が15日に死去した。81歳。圓窓も70年から7年間「笑点」に出ていた。落語界では「圓窓五百噺を聴く会」を完遂したことで知られている。かつて7代目圓生襲名に名乗りを上げたこともあった。
(三遊亭圓窓)
ノンフィクション作家の佐野眞一が9月26日に死去、75歳。この人は昭和史を彩る人物評伝に優れたものが多い。無着成恭『山びこ学校』に作文が載った生徒のその後を追った『遠い山びこ』、民俗学者宮本常一と渋沢敬三を描く『旅する巨人』は感銘深い。『東電OL殺人事件』では冤罪可能性を追った。しかし、2012年10月に当時の橋下徹大阪市長をめぐる連載で差別問題を起こした。その後盗用疑惑も明るみに出た。講談社ノンフィクション賞を受けた『甘粕正彦 乱心の曠野』など、持ってるけど読んでない本がある。戦前の枢密院議長倉富勇三郎の膨大な日記を読み解く『枢密院議長の日記』(講談社現代新書)が力作である。
(佐野眞一)
沖縄を代表する織物「芭蕉布」の復興に尽くした染織家平良敏子が9月13日に死去、101歳。沖縄本島北部の大宜味(おおぎみ)村喜如嘉(きじょか)に生まれ、戦時中に倉敷に徴用された。戦後に大原総一郎から柳宗悦「芭蕉布物語」という本を紹介されたという。そして、沖縄へ帰った後で、滅びる寸前だった芭蕉布の技術を復興させた。芭蕉布を沖縄を代表する工芸品に育てただけでなく、優れたデザインが海外でも高く評価されている。1965年沖縄タイムス文化賞、1973年に「現代の名工」選定、1986年に吉川英治文化賞。2000年には「人間国宝」に認定された。
(平良敏子と芭蕉布)
沖縄の「人間国宝」ではもう一人、2000年に「琉球古典音楽」として認定を受けた照喜名朝一(てるきな・ちょういち)が10日死去、90歳。幼少期から三線に親しみ、86年に「組踊」で国の重要無形文化財保持者に認定された。世界に琉球芸能を紹介するとともに、後継者育成にも努めた。
(照喜名朝一)
考古学者、元国立奈良文化財研究所所長の田中琢(みがく)が9月16日死去、88歳。知らない人が多いと思うけど、この人は歴史関係者にはよく知られている。平城宮跡で木簡第1号を見つけた人である。91年に出た集英社版日本の歴史第2巻「倭国大乱」はこの人が書いている。また岩波新書から佐原真氏との共著「考古学の散歩道」「発掘を科学する」、また単著「古都発掘 藤原京と平城京」を著している。だから90年代にはよく読んでいた人だった。
(田中琢)
詩人、映像作家の鈴木志郞康(しろうやす)が8日死去、87歳。64年に天沢退二郎、菅谷規矩雄らと誌誌「凶区」を創刊。68年、詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』によりH氏賞。破壊的な口語表現が衝撃を与えた。同時に60年代初期からジョナス・メカスの影響で個人映画の撮影を始めた。非常の多くの映像作品があるが、1977年の「草の影を刈る」という200分の大作を四谷三丁目にあったイメージ・フォーラムで見た記憶がある。詩人としては高見順賞、萩原朔太郎賞なども受賞している。90年から多摩美大教授。「極私的」という言葉は鈴木の造語だとウィキペディアにある。追悼記事があっても良い人だと思う。
(鈴木志郞康)
劇作家、演出家、作家の宮沢章夫が9月12日死去、65歳。1985年にシティボーイズや竹中直人、いとうせいこうらとコント集団「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成。90年からは劇団「遊園地再生事業団」を主催。90年代の「静かな演劇」系の群像劇を手掛けた。93年「ヒネミ」で岸田国士戯曲賞。2010年「時間のかかる読書」で伊藤整文学賞。僕はお芝居は見てないんだけど、朝日新聞に連載されたエッセイを愛読していたことを思い出した。
(宮沢章夫)
映画監督の澤田幸広が21日死去、89歳。日活アクション映画の最末期に監督に昇進、1970年の「斬り込み」「反逆のメロディー」などの新鮮な描写で注目された。ロマンポルノに転換後も「濡れた荒野を走れ」などを手掛けた。また一般映画として「あばよダチ公」「高校大パニック」、児童映画として「ともだち」(ベオグラード児童映画祭グランプリ)などを監督した。またテレビでは「太陽にほえろ!」「大都会」「西部警察」など多くのアクションドラマを手掛けている。池袋の新文芸坐で8月に特集上映を行っていたが、大体見ているのでパスしてしまったら、直後に訃報を聞くことになった。
(澤田幸広)
元官房副長官の古川貞二郎が5日死去、87歳。旧厚生省で事務次官を務めた後、95年に官房副長官に就任。村山、橋本、小渕、森、小泉内閣で留任して、2003年9月まで務めた。在任期間8年7ヶ月に及び、これは歴代2位になる。(1位は杉田和博、3位は石原信雄。)在任中はハンセン病国賠訴訟の控訴断念、米国同時多発テロへの対応など難局の対応にあたった。副長官退任後は、「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーとして女系天皇も認める報告書をまとめた。
(古川貞二郎)
・西東清明(さいとう・きよあき)、7月18日死去、81歳。映画編集技師。東映で『Wの悲劇』『鉄道員』など多数を手掛けた。
・小林七郎、8月25日死去、89歳。アニメ美術監督。映画『ルパン三世 カリオストロの城』『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』などの他、多くのテレビアニメを手掛けた。
・高田一郎、1日死去、93歳。舞台美術家、武蔵野美大名誉教授。59年の「マリアの首」などで知られ、85年にはミラノスカラ座で浅利慶太演出のオペラ「蝶々夫人」の美術を担当した。他に「頭痛肩こり樋口一葉」など多数。
・おおたか静流(しずる)、5日死去、69歳。歌手。「花」のカバーをはじめ多くのCMソングを歌っている。「悲しくてやりきれない」のカバーは映画『シコふんじゃった』の主題歌に使われた。
・神坂次郎(こうさか・じろう)、6日死去、95歳。作家。『元禄御畳奉行の日記』『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』など多数。
・渡部又兵衛、7日死去、72歳。コント集団「ザ・ニュースペーパー」代表。政治家に扮し時事ネタで人気を得た。
・久米是志(くめ・ただし)、11日死去、90歳。ホンダ3代目社長。本田宗一郎から直接指導を受けたエンジン開発者。初代シビックの開発責任者。72年に世界で最も厳しい米国の環境規制を初めてクリアーした。83年から90年に社長を務め、その後のロボット、航空機などの研究開発を進めた。
・彩木雅夫(さいき・まさお)、16日死去、89歳。作詞家。「長崎は今日も雨だった」で知られる。
・石井いさみ、17日死去、80歳。漫画家。「750(ナナハン)ライダー」がヒットした。
・中村健之介、22日死去、83歳。ロシア文学者、北海道大学名誉教授。ドストエフスキーの研究で知られた。他にロシア正教の大司祭ニコライの研究で知られ、全日記の監訳を務めた。新書、文庫などにあるニコライ紹介書はこの人の著書である。
・田澤耕(たざわ・こう)、22日死去、69歳。カタルーニャ語研究者。カタルーニャ語の文法書、辞書などを多数まとめるとともに、ガウディ等カタルーニャ文化を広く紹介した。また日本文学などをカタルーニャ語に翻訳するなども行った。2003年、カタルーニャ州政府よりサン・ジョルディ十字勲章を受賞した。
・有吉道夫、27日死去、87歳。将棋棋士9段。「火の玉流」と呼ばれ、公式戦1000勝を達成した。69年の名人戦では師匠の大山康晴と史上初の師弟による名人戦として注目された。
・山脇百合子、29日没、90歳。絵本作家、挿絵画家。実姉の中川李枝子との共作が多く、『ぐりとぐら』の挿絵で知られた。
(6代目三遊亭円楽)
6代目円楽らは今でも「五代目円楽一門会」と称している。1978年に三遊亭圓生とともに落語協会を脱退したことに端を発している(落語協会分裂騒動。)その時一緒に脱退しながら復帰した圓生直弟子が3人いた。そのうち川柳川柳と三遊亭円丈は2021年11月に亡くなった。そして圓生直弟子の最後となっていた三遊亭圓窓が15日に死去した。81歳。圓窓も70年から7年間「笑点」に出ていた。落語界では「圓窓五百噺を聴く会」を完遂したことで知られている。かつて7代目圓生襲名に名乗りを上げたこともあった。
(三遊亭圓窓)
ノンフィクション作家の佐野眞一が9月26日に死去、75歳。この人は昭和史を彩る人物評伝に優れたものが多い。無着成恭『山びこ学校』に作文が載った生徒のその後を追った『遠い山びこ』、民俗学者宮本常一と渋沢敬三を描く『旅する巨人』は感銘深い。『東電OL殺人事件』では冤罪可能性を追った。しかし、2012年10月に当時の橋下徹大阪市長をめぐる連載で差別問題を起こした。その後盗用疑惑も明るみに出た。講談社ノンフィクション賞を受けた『甘粕正彦 乱心の曠野』など、持ってるけど読んでない本がある。戦前の枢密院議長倉富勇三郎の膨大な日記を読み解く『枢密院議長の日記』(講談社現代新書)が力作である。
(佐野眞一)
沖縄を代表する織物「芭蕉布」の復興に尽くした染織家平良敏子が9月13日に死去、101歳。沖縄本島北部の大宜味(おおぎみ)村喜如嘉(きじょか)に生まれ、戦時中に倉敷に徴用された。戦後に大原総一郎から柳宗悦「芭蕉布物語」という本を紹介されたという。そして、沖縄へ帰った後で、滅びる寸前だった芭蕉布の技術を復興させた。芭蕉布を沖縄を代表する工芸品に育てただけでなく、優れたデザインが海外でも高く評価されている。1965年沖縄タイムス文化賞、1973年に「現代の名工」選定、1986年に吉川英治文化賞。2000年には「人間国宝」に認定された。
(平良敏子と芭蕉布)
沖縄の「人間国宝」ではもう一人、2000年に「琉球古典音楽」として認定を受けた照喜名朝一(てるきな・ちょういち)が10日死去、90歳。幼少期から三線に親しみ、86年に「組踊」で国の重要無形文化財保持者に認定された。世界に琉球芸能を紹介するとともに、後継者育成にも努めた。
(照喜名朝一)
考古学者、元国立奈良文化財研究所所長の田中琢(みがく)が9月16日死去、88歳。知らない人が多いと思うけど、この人は歴史関係者にはよく知られている。平城宮跡で木簡第1号を見つけた人である。91年に出た集英社版日本の歴史第2巻「倭国大乱」はこの人が書いている。また岩波新書から佐原真氏との共著「考古学の散歩道」「発掘を科学する」、また単著「古都発掘 藤原京と平城京」を著している。だから90年代にはよく読んでいた人だった。
(田中琢)
詩人、映像作家の鈴木志郞康(しろうやす)が8日死去、87歳。64年に天沢退二郎、菅谷規矩雄らと誌誌「凶区」を創刊。68年、詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』によりH氏賞。破壊的な口語表現が衝撃を与えた。同時に60年代初期からジョナス・メカスの影響で個人映画の撮影を始めた。非常の多くの映像作品があるが、1977年の「草の影を刈る」という200分の大作を四谷三丁目にあったイメージ・フォーラムで見た記憶がある。詩人としては高見順賞、萩原朔太郎賞なども受賞している。90年から多摩美大教授。「極私的」という言葉は鈴木の造語だとウィキペディアにある。追悼記事があっても良い人だと思う。
(鈴木志郞康)
劇作家、演出家、作家の宮沢章夫が9月12日死去、65歳。1985年にシティボーイズや竹中直人、いとうせいこうらとコント集団「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成。90年からは劇団「遊園地再生事業団」を主催。90年代の「静かな演劇」系の群像劇を手掛けた。93年「ヒネミ」で岸田国士戯曲賞。2010年「時間のかかる読書」で伊藤整文学賞。僕はお芝居は見てないんだけど、朝日新聞に連載されたエッセイを愛読していたことを思い出した。
(宮沢章夫)
映画監督の澤田幸広が21日死去、89歳。日活アクション映画の最末期に監督に昇進、1970年の「斬り込み」「反逆のメロディー」などの新鮮な描写で注目された。ロマンポルノに転換後も「濡れた荒野を走れ」などを手掛けた。また一般映画として「あばよダチ公」「高校大パニック」、児童映画として「ともだち」(ベオグラード児童映画祭グランプリ)などを監督した。またテレビでは「太陽にほえろ!」「大都会」「西部警察」など多くのアクションドラマを手掛けている。池袋の新文芸坐で8月に特集上映を行っていたが、大体見ているのでパスしてしまったら、直後に訃報を聞くことになった。
(澤田幸広)
元官房副長官の古川貞二郎が5日死去、87歳。旧厚生省で事務次官を務めた後、95年に官房副長官に就任。村山、橋本、小渕、森、小泉内閣で留任して、2003年9月まで務めた。在任期間8年7ヶ月に及び、これは歴代2位になる。(1位は杉田和博、3位は石原信雄。)在任中はハンセン病国賠訴訟の控訴断念、米国同時多発テロへの対応など難局の対応にあたった。副長官退任後は、「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーとして女系天皇も認める報告書をまとめた。
(古川貞二郎)
・西東清明(さいとう・きよあき)、7月18日死去、81歳。映画編集技師。東映で『Wの悲劇』『鉄道員』など多数を手掛けた。
・小林七郎、8月25日死去、89歳。アニメ美術監督。映画『ルパン三世 カリオストロの城』『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』などの他、多くのテレビアニメを手掛けた。
・高田一郎、1日死去、93歳。舞台美術家、武蔵野美大名誉教授。59年の「マリアの首」などで知られ、85年にはミラノスカラ座で浅利慶太演出のオペラ「蝶々夫人」の美術を担当した。他に「頭痛肩こり樋口一葉」など多数。
・おおたか静流(しずる)、5日死去、69歳。歌手。「花」のカバーをはじめ多くのCMソングを歌っている。「悲しくてやりきれない」のカバーは映画『シコふんじゃった』の主題歌に使われた。
・神坂次郎(こうさか・じろう)、6日死去、95歳。作家。『元禄御畳奉行の日記』『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』など多数。
・渡部又兵衛、7日死去、72歳。コント集団「ザ・ニュースペーパー」代表。政治家に扮し時事ネタで人気を得た。
・久米是志(くめ・ただし)、11日死去、90歳。ホンダ3代目社長。本田宗一郎から直接指導を受けたエンジン開発者。初代シビックの開発責任者。72年に世界で最も厳しい米国の環境規制を初めてクリアーした。83年から90年に社長を務め、その後のロボット、航空機などの研究開発を進めた。
・彩木雅夫(さいき・まさお)、16日死去、89歳。作詞家。「長崎は今日も雨だった」で知られる。
・石井いさみ、17日死去、80歳。漫画家。「750(ナナハン)ライダー」がヒットした。
・中村健之介、22日死去、83歳。ロシア文学者、北海道大学名誉教授。ドストエフスキーの研究で知られた。他にロシア正教の大司祭ニコライの研究で知られ、全日記の監訳を務めた。新書、文庫などにあるニコライ紹介書はこの人の著書である。
・田澤耕(たざわ・こう)、22日死去、69歳。カタルーニャ語研究者。カタルーニャ語の文法書、辞書などを多数まとめるとともに、ガウディ等カタルーニャ文化を広く紹介した。また日本文学などをカタルーニャ語に翻訳するなども行った。2003年、カタルーニャ州政府よりサン・ジョルディ十字勲章を受賞した。
・有吉道夫、27日死去、87歳。将棋棋士9段。「火の玉流」と呼ばれ、公式戦1000勝を達成した。69年の名人戦では師匠の大山康晴と史上初の師弟による名人戦として注目された。
・山脇百合子、29日没、90歳。絵本作家、挿絵画家。実姉の中川李枝子との共作が多く、『ぐりとぐら』の挿絵で知られた。