19日は4月並みに気温が上昇するという予報で、散歩日和だなと思った。そこで、茨城県古河(こが)市の歴史散歩に行ってきた。この前読んだ新書『大塩平八郎の乱』に、鎮圧の最高責任者は当時大坂城代だった古河藩主土井利位(どい・としつら)だと出ていた。この人は「雪の殿様」として知られ、26日まで古河歴史博物館で「雪の殿様 土井利位」という展示が行われている。また最近、作家の永井路子氏の訃報が報道された。古河市の出身で、旧宅が保存されている。今が行くべき機会かなと思った。
自分の家からは東武線に乗って、埼玉県の久喜まで行ってJRに乗り換え。案外早い。古河駅構内に観光案内所があって案内地図が置いてある。実は数年前の地域紙に載ってた古河散歩の地図を持っていたのだが、それが間違いだらけ。迷ううちにパラパラ降ってきた。城下町の風情なら去年秋に行った岩槻(埼玉県)の方が残っていたかも。
いつも書くけど、関東人は関東の歴史を知らない。多くの地方ではお城が残って、町のシンボルになっているところが多い。関東には現存天守閣は一つもなく、本格的な復元も小田原城ぐらい。そもそも関東は徳川幕府の天領が多い上、天守のない御殿が多かった。維新期に取り壊された城が多く、なかなか知られた城が少ない。古河も城下町のはずなのに、どんな城だか全然知らない。今回調べたら、渡良瀬川の改修で城跡はほとんどなくなってしまったのだという。それじゃ知らないはずだ。
さて、駅を降りて西口へ。まっすぐ行くと県道261号に出る。これが旧日光街道で、古河は9番目の宿場町だった。道には「古河宿」の標しがあった。北上して迷走したが、普通は「古河歴史博物館」直行がいいのではないか。
(古河宿)
町並みを歩けば、歴史的なムードが確かに感じられる。途中で曲がったり行き止まりの道にお寺が多い。また、うなぎ屋が多いのは、川沿いの町だからだろう。大回りして古河歴史博物館に行った。ここは立派な展示があって、この種の歴史博物館の中でも優れている。1992年建築で、建築学会賞を得たという。古河城の諏訪曲輪(すわくるわ=出城)の跡地に建てられている。
(歴史的な町並み)(古河歴史博物館)
原始から近代まで展示するが、やはり土井利位と家老鷹見泉石のものが充実している。土井利位(1789~1948)は、分家筋の愛知県刈谷藩の土井家の4男に生まれて、本家の養子に迎えられた。老中になり、水野忠邦の政敵だった人である。フィクションだが、映画『十三人の刺客』で暗殺指令を出す殿様。日本で初めて雪の結晶を顕微鏡で観察し、『雪華図説』『続雪華図説』にまとめた。そもそも雪の結晶を「雪華」と名付けたのも、この殿様。なんかお殿様趣味みたいなものかと思っていたら、その本の影響で当時「雪華」デザインの着物が大流行し、その様子が当時の浮世絵に残されているのである。
(土井利位)(「雪華図説」)(雪華模様の着物)
今でも古河市の小学校の校章は雪華文様になっているという。また近隣の古河第一小の付近には雪華の石畳がある。その小学校の体育館裏あたりが、家老鷹見泉石の生誕地。碑があるとのことだったが、日曜日で閉まっていたので見れなかった。
(雪華の石畳)(古河第一小学校)
歴史博物館の真ん前に「鷹見泉石記念館」がある。鷹見泉石(1785~1858)が死去したのはこの屋敷だという。もとは藩士用の武家屋敷で、本来はもっと大きな屋敷だった。一時は天狗党投降の水戸藩士の仮収容所になったこともある。明治後になって鷹見家の所有となって、鷹見泉石関係資料はここで保管されていた。資料一切が近年歴史博物館に寄贈され、2004年に重要文化財に指定された。今まで「渡辺崋山の肖像画に描かれた蘭学者」ぐらいしか知らなかったが、博物館に展示された史料を見ると、なかなか奥が深い人だ。殿様の雪の研究を支えた人でもあり、膨大な地図のコレクターでもある。古河藩関係の絵地図だけでもいっぱいあった。オランダ由来の品々もたくさん残されている。「記念館」自体は、無料で中にも上がれない。建物を外から見るだけの場所。
(鷹見泉石記念館)
鷹見泉石記念館の庭から奥に続いて、奥原晴湖画室がある。奥原晴湖(1837~191)って誰よという感じだが、明治時代を代表する女性南画家だそうである。「南画」もよく知らないけど、中国南宋時代の様式に影響された文人画。古河出身で、鷹見泉石の姪にあたる。木戸孝允や山内容堂に庇護されて多くの文人と交流したとウィキペディアにある。明治3年に東京に画塾を開き大繁盛したが、明治24年に熊谷に転居した。この屋敷は昭和4年に熊谷から移築し、さらに歴史博物館前に移した。博物館に説明があって、初めて名前を知った画家。ウィキペディアを見ると、代表作が掲載されている。
(奥原晴湖画室)
そこから5分ほど歩くと、古河文学館がある。永井路子の追悼コーナーもあった。永井路子の他は、佐江衆一、小林久三、粒来哲蔵(詩人)とか。小林久三は『暗黒告知』で乱歩賞を取ったミステリー作家(それ以前は松竹のシナリオライター)だが、同作の主人公は鉱毒事件で有名な田中正造だった。佐江衆一も田中正造を描いているが、渡良瀬川に接し谷中村にも近い古河の風土によるものだった。文学館からさらに5分ほどに永井路子旧居がある。中に入れるけど、何となく通り過ぎてしまった。
(古河文学館)(永井路子旧宅)
永井路子旧宅に行く前に、文学館から大きな道に出たところに「篆刻美術館」がある。別にそんなに関心はないんだけど、歴史博物館、文学館と3館共通券を買ったので行かないと。篆刻(てんこく)とは、「印章を作ること」で、主に篆書を印文に彫るから篆刻だそうである。「篆書」は字体の一つで、見れば何となく判ると思う。1991年に開館したもので、国登録の有形文化財の蔵を利用している。この蔵に風情があるので、篆刻には特に興味ないけど見た価値はあった。
(篆刻美術館)
永井路子旧宅から少し行くと、正定寺(しょうじょうじ)がある。藩主土井家の菩提寺だという割りに小さいなと思ったら、もう一つ東の方に大きな正定寺があるんだそうだ。下の画像真ん中は土井利勝像で、土井家藩祖になる。この寺を「利勝山」と呼ぶぐらいである。いろいろと文化財もあるらしいが、この頃雨が降ってきたから退散することにした。
(正定寺)
渡良瀬川を渡って、東武線新古河駅から帰ろうかと思っていたんだけど、雨のためJR古河駅へ戻る。駅ビルで鮒の甘露煮がいっぱい売っていた。小さいとき、よく家にあって結構好きだったけど、まあ買わずに帰ることにした。
自分の家からは東武線に乗って、埼玉県の久喜まで行ってJRに乗り換え。案外早い。古河駅構内に観光案内所があって案内地図が置いてある。実は数年前の地域紙に載ってた古河散歩の地図を持っていたのだが、それが間違いだらけ。迷ううちにパラパラ降ってきた。城下町の風情なら去年秋に行った岩槻(埼玉県)の方が残っていたかも。
いつも書くけど、関東人は関東の歴史を知らない。多くの地方ではお城が残って、町のシンボルになっているところが多い。関東には現存天守閣は一つもなく、本格的な復元も小田原城ぐらい。そもそも関東は徳川幕府の天領が多い上、天守のない御殿が多かった。維新期に取り壊された城が多く、なかなか知られた城が少ない。古河も城下町のはずなのに、どんな城だか全然知らない。今回調べたら、渡良瀬川の改修で城跡はほとんどなくなってしまったのだという。それじゃ知らないはずだ。
さて、駅を降りて西口へ。まっすぐ行くと県道261号に出る。これが旧日光街道で、古河は9番目の宿場町だった。道には「古河宿」の標しがあった。北上して迷走したが、普通は「古河歴史博物館」直行がいいのではないか。
(古河宿)
町並みを歩けば、歴史的なムードが確かに感じられる。途中で曲がったり行き止まりの道にお寺が多い。また、うなぎ屋が多いのは、川沿いの町だからだろう。大回りして古河歴史博物館に行った。ここは立派な展示があって、この種の歴史博物館の中でも優れている。1992年建築で、建築学会賞を得たという。古河城の諏訪曲輪(すわくるわ=出城)の跡地に建てられている。
(歴史的な町並み)(古河歴史博物館)
原始から近代まで展示するが、やはり土井利位と家老鷹見泉石のものが充実している。土井利位(1789~1948)は、分家筋の愛知県刈谷藩の土井家の4男に生まれて、本家の養子に迎えられた。老中になり、水野忠邦の政敵だった人である。フィクションだが、映画『十三人の刺客』で暗殺指令を出す殿様。日本で初めて雪の結晶を顕微鏡で観察し、『雪華図説』『続雪華図説』にまとめた。そもそも雪の結晶を「雪華」と名付けたのも、この殿様。なんかお殿様趣味みたいなものかと思っていたら、その本の影響で当時「雪華」デザインの着物が大流行し、その様子が当時の浮世絵に残されているのである。
(土井利位)(「雪華図説」)(雪華模様の着物)
今でも古河市の小学校の校章は雪華文様になっているという。また近隣の古河第一小の付近には雪華の石畳がある。その小学校の体育館裏あたりが、家老鷹見泉石の生誕地。碑があるとのことだったが、日曜日で閉まっていたので見れなかった。
(雪華の石畳)(古河第一小学校)
歴史博物館の真ん前に「鷹見泉石記念館」がある。鷹見泉石(1785~1858)が死去したのはこの屋敷だという。もとは藩士用の武家屋敷で、本来はもっと大きな屋敷だった。一時は天狗党投降の水戸藩士の仮収容所になったこともある。明治後になって鷹見家の所有となって、鷹見泉石関係資料はここで保管されていた。資料一切が近年歴史博物館に寄贈され、2004年に重要文化財に指定された。今まで「渡辺崋山の肖像画に描かれた蘭学者」ぐらいしか知らなかったが、博物館に展示された史料を見ると、なかなか奥が深い人だ。殿様の雪の研究を支えた人でもあり、膨大な地図のコレクターでもある。古河藩関係の絵地図だけでもいっぱいあった。オランダ由来の品々もたくさん残されている。「記念館」自体は、無料で中にも上がれない。建物を外から見るだけの場所。
(鷹見泉石記念館)
鷹見泉石記念館の庭から奥に続いて、奥原晴湖画室がある。奥原晴湖(1837~191)って誰よという感じだが、明治時代を代表する女性南画家だそうである。「南画」もよく知らないけど、中国南宋時代の様式に影響された文人画。古河出身で、鷹見泉石の姪にあたる。木戸孝允や山内容堂に庇護されて多くの文人と交流したとウィキペディアにある。明治3年に東京に画塾を開き大繁盛したが、明治24年に熊谷に転居した。この屋敷は昭和4年に熊谷から移築し、さらに歴史博物館前に移した。博物館に説明があって、初めて名前を知った画家。ウィキペディアを見ると、代表作が掲載されている。
(奥原晴湖画室)
そこから5分ほど歩くと、古河文学館がある。永井路子の追悼コーナーもあった。永井路子の他は、佐江衆一、小林久三、粒来哲蔵(詩人)とか。小林久三は『暗黒告知』で乱歩賞を取ったミステリー作家(それ以前は松竹のシナリオライター)だが、同作の主人公は鉱毒事件で有名な田中正造だった。佐江衆一も田中正造を描いているが、渡良瀬川に接し谷中村にも近い古河の風土によるものだった。文学館からさらに5分ほどに永井路子旧居がある。中に入れるけど、何となく通り過ぎてしまった。
(古河文学館)(永井路子旧宅)
永井路子旧宅に行く前に、文学館から大きな道に出たところに「篆刻美術館」がある。別にそんなに関心はないんだけど、歴史博物館、文学館と3館共通券を買ったので行かないと。篆刻(てんこく)とは、「印章を作ること」で、主に篆書を印文に彫るから篆刻だそうである。「篆書」は字体の一つで、見れば何となく判ると思う。1991年に開館したもので、国登録の有形文化財の蔵を利用している。この蔵に風情があるので、篆刻には特に興味ないけど見た価値はあった。
(篆刻美術館)
永井路子旧宅から少し行くと、正定寺(しょうじょうじ)がある。藩主土井家の菩提寺だという割りに小さいなと思ったら、もう一つ東の方に大きな正定寺があるんだそうだ。下の画像真ん中は土井利勝像で、土井家藩祖になる。この寺を「利勝山」と呼ぶぐらいである。いろいろと文化財もあるらしいが、この頃雨が降ってきたから退散することにした。
(正定寺)
渡良瀬川を渡って、東武線新古河駅から帰ろうかと思っていたんだけど、雨のためJR古河駅へ戻る。駅ビルで鮒の甘露煮がいっぱい売っていた。小さいとき、よく家にあって結構好きだったけど、まあ買わずに帰ることにした。