マーティン・マクドナー監督の『イニシェリン島の精霊』(The Banshees of Inisherin)を見た。傑作だと思うけど、好き嫌いがあるだろう。原題の「Banshees」の意味が判らなかったが、調べてみると「アイルランドの民話に出てくる泣き叫ぶ姿をした妖精」とある。これじゃ知らないわけだが、邦題の「精霊」では伝わらないニュアンスが原題にはある。監督のマーティン・マクドナー(1970~)は、イギリス・アイルランドの劇作家で、演劇界で成功した後、近年は映画で活躍している。
マクドナー監督の前作『スリー・ビルボード』(2017)は、アメリカの片田舎を舞台にヒートアップする人間関係を精妙に描いて世界的に大成功した。5年ぶりの新作はアイルランドの孤島を舞台にしているが、やはりヒートアップする人間関係を鋭く見つめている。彼の戯曲は「ブラック・コメディ」と言われることが多いらしい。ゴールデングローブ賞でも「コメディ&ミュージカル部門」で作品賞を得ている。別に「ドラマ部門」もあって、例えば『エルヴィス』はそっちにノミネートされた。
しかしながら、日本人の感覚ではこの映画は「ドラマ部門」の作品としか考えられない。いくら何でも「コメディ」とは思えないが、そこにこの映画を理解する鍵があるとも言える。展開は自然で、どこにも難しいところはないけれど、でも何となく「何だ、これ」的な展開にあ然とする人が多いのではないか。でも僕はこの映画が判る気がした。身につまされる気がして見たのである。ある意味、この映画の話を一言で言えば、「大人のけんか」である。それが「変人」が絡み合ってヒートアップしていく。
(パードリックとコルム)
アイルランド西部の孤島、荒涼たる大自然の中で人々は伝統的に生きている。「内戦」とか言ってて、いつの話だよと思ったら「1923年」と出た。ちょうど100年前である。第一次大戦後に、アイルランドでは独立を求める反英暴動が起こって内戦になった。そんな時代だが、島にはその余波も及ばない。仕事が終われば、男たちはパブに集まって飲み明かす毎日。今日もパードリック(コリン・ファレル)は飲み友だちのコルム(ブレンダン・グリーソン)を誘いに来るが、コルムは無視して居留守を使う。仕方なく一人でパブに行くが、後からコルムも来て一人でフィドル(バイオリン)を弾いている。
パードリックはもしかして昨日酔って怒らせたかと思って謝るが、コルムはそうじゃない、もう友だち関係をやめた、二度と話しかけないでくれと言うのである。お前の話は下らないし、これからは作曲に時間を使いたいから、付き合うのは時間のムダだという。納得できなくて、教会の神父に頼んだりするが、コルムはこれ以上関わってくると、自分の指を切るという。ここら辺が訳の判らないところで、「他害」で脅すのではなく、「自傷」で脅すなんて聞いたことがない。しかも、映画内でその自傷を実行するんだから、コメディと言うよりホラーではないか。
神話的とも言いたくなる大自然をバックに物語が展開するので、人間関係の厳しさというものを見る者に刺さってくる。パードリックには賢い妹(シボーン=ケリー・コンドン)がいて、何くれとなく心配してくれる。また偏見丸出しの警官と、その少し足りない息子(ドミニク=バリー・コーガン)が事態をかき回す。狭い島はこの「けんか」をめぐって噂が飛び交い、いさかいはエスカレートしていく。何が何だか判らず、まるでストーカーになったかのように元親友との関係復活を試みる「善人」を演じるコリン・ファレルが生涯最高レベルの名演。アカデミー主演賞最有力か。名を書いた他の3人も助演賞にノミネートされている。
(マーティン・マクドナー監督)
中で語られるには、人間に2種類ある。「考える人」(シンキング・マン)と「優しい人」(ナイス・マン)は違う。パードリックの妹はいつも本を読んでいて、島からの脱出を考えている。そういうタイプと、ただ伝統に従って生きているだけの「善人」は違うという。高齢になって、コルムはただの「ナイス」と付き合う気が失せた。歴史に残る「作曲」をしておきたいのだ。これはよく判る話である。こんなのに付き合ってても時間のムダと思った時は多いが、自分は多忙とか体調不良とか理由を付けて、出来るだけ角が立たないようにフェイドアウトした。
学校でも生徒間で時々起こるの。昨日まで仲良くしていたグループが、ある日から分かれてしまう。時には一人ぼっちも出るから、仲間はずれのいじめかと探りを入れるけど、どうもそうでもない。特にけんかしたわけでもなく、付き合ってて興味の向く方向が違うことに気付いて来る。そろそろ受験勉強に本腰を入れたいのに、いつまでもアイドルの話ばかりしてるような人とは離れたいとか。長い目で見れば、新しいグループ編成に向かう過渡期の時もあるが、不登校につながることもあるから要注意。どこまで教師が介入して良いのかも見極めが難しい。ま、そんな昔の苦労を思い出してしまったです。
「イニシェリン島」というのは、架空。アラン諸島の最大の島、イニシュモア島でロケされたという。マクドナーには「アラン三部作」という成功した戯曲があるとのこと。映画ファンには大昔のロバート・フラハティ監督のドキュメンタリー映画『アラン』(1934)で知られる。またアランセーターでも知られている。どこにあるのか知らなかったけど、地図を探したり上記画像のように、アイルランド島の西部にあった。絶海の孤島というわけではなく、案外本島に近いのに驚いた。
マクドナー監督の前作『スリー・ビルボード』(2017)は、アメリカの片田舎を舞台にヒートアップする人間関係を精妙に描いて世界的に大成功した。5年ぶりの新作はアイルランドの孤島を舞台にしているが、やはりヒートアップする人間関係を鋭く見つめている。彼の戯曲は「ブラック・コメディ」と言われることが多いらしい。ゴールデングローブ賞でも「コメディ&ミュージカル部門」で作品賞を得ている。別に「ドラマ部門」もあって、例えば『エルヴィス』はそっちにノミネートされた。
しかしながら、日本人の感覚ではこの映画は「ドラマ部門」の作品としか考えられない。いくら何でも「コメディ」とは思えないが、そこにこの映画を理解する鍵があるとも言える。展開は自然で、どこにも難しいところはないけれど、でも何となく「何だ、これ」的な展開にあ然とする人が多いのではないか。でも僕はこの映画が判る気がした。身につまされる気がして見たのである。ある意味、この映画の話を一言で言えば、「大人のけんか」である。それが「変人」が絡み合ってヒートアップしていく。
(パードリックとコルム)
アイルランド西部の孤島、荒涼たる大自然の中で人々は伝統的に生きている。「内戦」とか言ってて、いつの話だよと思ったら「1923年」と出た。ちょうど100年前である。第一次大戦後に、アイルランドでは独立を求める反英暴動が起こって内戦になった。そんな時代だが、島にはその余波も及ばない。仕事が終われば、男たちはパブに集まって飲み明かす毎日。今日もパードリック(コリン・ファレル)は飲み友だちのコルム(ブレンダン・グリーソン)を誘いに来るが、コルムは無視して居留守を使う。仕方なく一人でパブに行くが、後からコルムも来て一人でフィドル(バイオリン)を弾いている。
パードリックはもしかして昨日酔って怒らせたかと思って謝るが、コルムはそうじゃない、もう友だち関係をやめた、二度と話しかけないでくれと言うのである。お前の話は下らないし、これからは作曲に時間を使いたいから、付き合うのは時間のムダだという。納得できなくて、教会の神父に頼んだりするが、コルムはこれ以上関わってくると、自分の指を切るという。ここら辺が訳の判らないところで、「他害」で脅すのではなく、「自傷」で脅すなんて聞いたことがない。しかも、映画内でその自傷を実行するんだから、コメディと言うよりホラーではないか。
神話的とも言いたくなる大自然をバックに物語が展開するので、人間関係の厳しさというものを見る者に刺さってくる。パードリックには賢い妹(シボーン=ケリー・コンドン)がいて、何くれとなく心配してくれる。また偏見丸出しの警官と、その少し足りない息子(ドミニク=バリー・コーガン)が事態をかき回す。狭い島はこの「けんか」をめぐって噂が飛び交い、いさかいはエスカレートしていく。何が何だか判らず、まるでストーカーになったかのように元親友との関係復活を試みる「善人」を演じるコリン・ファレルが生涯最高レベルの名演。アカデミー主演賞最有力か。名を書いた他の3人も助演賞にノミネートされている。
(マーティン・マクドナー監督)
中で語られるには、人間に2種類ある。「考える人」(シンキング・マン)と「優しい人」(ナイス・マン)は違う。パードリックの妹はいつも本を読んでいて、島からの脱出を考えている。そういうタイプと、ただ伝統に従って生きているだけの「善人」は違うという。高齢になって、コルムはただの「ナイス」と付き合う気が失せた。歴史に残る「作曲」をしておきたいのだ。これはよく判る話である。こんなのに付き合ってても時間のムダと思った時は多いが、自分は多忙とか体調不良とか理由を付けて、出来るだけ角が立たないようにフェイドアウトした。
学校でも生徒間で時々起こるの。昨日まで仲良くしていたグループが、ある日から分かれてしまう。時には一人ぼっちも出るから、仲間はずれのいじめかと探りを入れるけど、どうもそうでもない。特にけんかしたわけでもなく、付き合ってて興味の向く方向が違うことに気付いて来る。そろそろ受験勉強に本腰を入れたいのに、いつまでもアイドルの話ばかりしてるような人とは離れたいとか。長い目で見れば、新しいグループ編成に向かう過渡期の時もあるが、不登校につながることもあるから要注意。どこまで教師が介入して良いのかも見極めが難しい。ま、そんな昔の苦労を思い出してしまったです。
「イニシェリン島」というのは、架空。アラン諸島の最大の島、イニシュモア島でロケされたという。マクドナーには「アラン三部作」という成功した戯曲があるとのこと。映画ファンには大昔のロバート・フラハティ監督のドキュメンタリー映画『アラン』(1934)で知られる。またアランセーターでも知られている。どこにあるのか知らなかったけど、地図を探したり上記画像のように、アイルランド島の西部にあった。絶海の孤島というわけではなく、案外本島に近いのに驚いた。