インド映画の本を読んだので、次に室橋裕和『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)を買ってみた。昔から町の喫茶店のメニューに、ナポリタンやエビピラフなんかと並んで「カレーライス」というメニューがあった。小さい頃はよく知らずに「カレーはインド」と思っていたけど、日本のカレーライスはイギリス経由で伝わった独自の洋食というべきものだった。(昔タイに行ったときに、ホテルのレストランにただのカレーと別に「ジャパニーズ・スタイル・カレーライス」というメニューがあった。)その頃はちゃんとした「インドカレー」を食べられるお店は東京でも幾つかしかなかった。
それが21世紀になると、あちこちでインドカレーの店が出来てきた。それは僕も知ってるし、食べたこともある。そういう店はネパール人がやっていることが多いという話も聞いたような気がする。ものすごく大きなナンが付いているのが特徴で、バターチキンカレーを出すのも特徴。夜だけじゃなく、お昼のランチメニューが充実していて、時にはワンコイン(500円)で食べられたりした。(今は物価が上がって無理だろうけど。)そういう店を「インネパ」というらしい。まあ業界用語だろう。著者は新大久保に住んで外国人に関する取材を続けてきた人で、「インネパ」系カレー店の大増殖に関心を持って、どうしてそうなったか取材した。その結果ネパールまで出掛けて、知られざる歴史と現状を探った本である。
(代表的なセットメニュー)
読んでみて「日本を制覇する」は大げさだと思ったが、なかなか考えさせられるエピソードがいっぱいだった。まず「バターチキン」などのインドっぽい、高級っぽいカレーは、もともとムガル帝国の宮廷料理(ムグライ)だったという。日本でちゃんとしたインド料理店を始めるときに、メニューに取り入れたんだそうだ。日本人だって、家で毎日スシやテンプラ、スキヤキを食べてる人なんかいない。「ご飯と味噌汁」に焼魚、野菜の煮物とかを(少なくとも昔は)食べてるわけで、インドやネパールだって日常生活では違うものを食べているのである。
ところでネパールは世界有数の「出稼ぎ大国」だという。イギリス軍最強と言われる「グルカ兵」は有名。観光と農業ぐらいしか産業がないから、昔から隣の大国インドに働きに行く人が多かった。今は中東初め世界中に行くが、やはりインドに行く人が多いという。ビザもパスポートも不要という協定があるからだという。そしてインドのホテルやレストランでネパール人は重宝されてきた。インドには根強い「カースト」意識があって、インド人の調理人は給仕や清掃をしないのに対し、ネパール人は何でもこなしたからである。そして、インドでカレー料理人として活躍した人が独立して日本を目指したのである。
その中に努力して成功した人が出て来て、家族や親戚を呼ぶようになり同郷のコックを呼ぶようになった。日本語が判らないから遊びにも行けず、次第にお金が貯まったら独立して自分の店を持つようになった。単なる料理人より、経営者のビザを取れたら有利になる。そうして「のれん分け」式に増えていったという。その際、前に勤めていた店のメニューを真似したし、ホームページやチラシも(時には無断で)借りたわけである。なるほど、なんかどこも似たチラシを配ってたりした。
そして、子どもも呼び家族で暮らすようになると、別の悩みが起こった。それは子どもの教育で、日本の学校に行かせても言葉が判らないから不登校になる。東京では阿佐ヶ谷(杉並区)にネパール人学校が作られたそうで、そこで中央線沿線にインドカレーの店が多くなったという。この問題は非常に重大で、今では14万人近くになっている。(2022年末段階。)数自体は中国、ベトナム、韓国、フィリピン、ブラジルに次ぐ6位だが、本国の人口を考えれば、日本在住者の割合が高いことが判る。それも話を聞いていくと、ネパール中部のバグルンという地域から来ている人がほとんどだという。
(バグルン)
じゃあ、早速バグルンに行ってみよう、というところが非常に面白い。それは是非本で読んで欲しいが、あまりにも日本に行きすぎて地域社会が崩壊しつつある。日本で成功したとしても、日本に居付くか、帰国したとしても都会に家を建てたりトレッキング向きのホテルを買う。故郷の村には誰もいなくなるのである。しかし、インドカレー店の経営者がほぼ同じ地域から来た人々だったというのは驚き。そして今度はネパール人同士で搾取が起こり、ネパール人の下では働きたくないという人が増えているらしい。そしてネパール人もどんどん日本を捨ててカナダを目指しているという。
(新宿に移転したアショカ)
東京のインドカレー店の歴史も書かれている。それは「インド独立運動」と関わっていたというのは、有名な話。新宿中村屋の「インド・カリー」や、銀座歌舞伎座近くにある「ナイル・レストラン」である。その後、ムグライ料理を本格的に提供したのが銀座にあった「アショカ」である。ここはインド政府観光局が開いたレストランだが、僕も昔一度行ったことがある。素晴らしく美味しかったけれど、なかなか高かったので次に行く前に無くなってしまった。ところがこの本で、今は新宿のヒルトンホテルでやっていると出ていた。それと、東京に夜間中学や定時制高校があって良かったなと改めて思わせられた本だった。
それが21世紀になると、あちこちでインドカレーの店が出来てきた。それは僕も知ってるし、食べたこともある。そういう店はネパール人がやっていることが多いという話も聞いたような気がする。ものすごく大きなナンが付いているのが特徴で、バターチキンカレーを出すのも特徴。夜だけじゃなく、お昼のランチメニューが充実していて、時にはワンコイン(500円)で食べられたりした。(今は物価が上がって無理だろうけど。)そういう店を「インネパ」というらしい。まあ業界用語だろう。著者は新大久保に住んで外国人に関する取材を続けてきた人で、「インネパ」系カレー店の大増殖に関心を持って、どうしてそうなったか取材した。その結果ネパールまで出掛けて、知られざる歴史と現状を探った本である。
(代表的なセットメニュー)
読んでみて「日本を制覇する」は大げさだと思ったが、なかなか考えさせられるエピソードがいっぱいだった。まず「バターチキン」などのインドっぽい、高級っぽいカレーは、もともとムガル帝国の宮廷料理(ムグライ)だったという。日本でちゃんとしたインド料理店を始めるときに、メニューに取り入れたんだそうだ。日本人だって、家で毎日スシやテンプラ、スキヤキを食べてる人なんかいない。「ご飯と味噌汁」に焼魚、野菜の煮物とかを(少なくとも昔は)食べてるわけで、インドやネパールだって日常生活では違うものを食べているのである。
ところでネパールは世界有数の「出稼ぎ大国」だという。イギリス軍最強と言われる「グルカ兵」は有名。観光と農業ぐらいしか産業がないから、昔から隣の大国インドに働きに行く人が多かった。今は中東初め世界中に行くが、やはりインドに行く人が多いという。ビザもパスポートも不要という協定があるからだという。そしてインドのホテルやレストランでネパール人は重宝されてきた。インドには根強い「カースト」意識があって、インド人の調理人は給仕や清掃をしないのに対し、ネパール人は何でもこなしたからである。そして、インドでカレー料理人として活躍した人が独立して日本を目指したのである。
その中に努力して成功した人が出て来て、家族や親戚を呼ぶようになり同郷のコックを呼ぶようになった。日本語が判らないから遊びにも行けず、次第にお金が貯まったら独立して自分の店を持つようになった。単なる料理人より、経営者のビザを取れたら有利になる。そうして「のれん分け」式に増えていったという。その際、前に勤めていた店のメニューを真似したし、ホームページやチラシも(時には無断で)借りたわけである。なるほど、なんかどこも似たチラシを配ってたりした。
そして、子どもも呼び家族で暮らすようになると、別の悩みが起こった。それは子どもの教育で、日本の学校に行かせても言葉が判らないから不登校になる。東京では阿佐ヶ谷(杉並区)にネパール人学校が作られたそうで、そこで中央線沿線にインドカレーの店が多くなったという。この問題は非常に重大で、今では14万人近くになっている。(2022年末段階。)数自体は中国、ベトナム、韓国、フィリピン、ブラジルに次ぐ6位だが、本国の人口を考えれば、日本在住者の割合が高いことが判る。それも話を聞いていくと、ネパール中部のバグルンという地域から来ている人がほとんどだという。
(バグルン)
じゃあ、早速バグルンに行ってみよう、というところが非常に面白い。それは是非本で読んで欲しいが、あまりにも日本に行きすぎて地域社会が崩壊しつつある。日本で成功したとしても、日本に居付くか、帰国したとしても都会に家を建てたりトレッキング向きのホテルを買う。故郷の村には誰もいなくなるのである。しかし、インドカレー店の経営者がほぼ同じ地域から来た人々だったというのは驚き。そして今度はネパール人同士で搾取が起こり、ネパール人の下では働きたくないという人が増えているらしい。そしてネパール人もどんどん日本を捨ててカナダを目指しているという。
(新宿に移転したアショカ)
東京のインドカレー店の歴史も書かれている。それは「インド独立運動」と関わっていたというのは、有名な話。新宿中村屋の「インド・カリー」や、銀座歌舞伎座近くにある「ナイル・レストラン」である。その後、ムグライ料理を本格的に提供したのが銀座にあった「アショカ」である。ここはインド政府観光局が開いたレストランだが、僕も昔一度行ったことがある。素晴らしく美味しかったけれど、なかなか高かったので次に行く前に無くなってしまった。ところがこの本で、今は新宿のヒルトンホテルでやっていると出ていた。それと、東京に夜間中学や定時制高校があって良かったなと改めて思わせられた本だった。