『カムイのうた』という映画を見た。この映画は近代のアイヌ民族の苦難と優れた文化を真っ正面から描いた作品である。北海道で先行公開された後、東京では1月末に公開された。その時から見たかったんだけど、上映時間が限定的で見られなかった。今回阿佐ヶ谷Morcという小さな映画館で見たんだけど、そこも今日が最終日。ホームページを丹念に探すと、今後も上映があるようだ。映画館以外でも自主上映や学校などでの上映があるかもしれない。どこかでやっていたら是非見て欲しい力作である。
アイヌ民族の口承文芸「ユーカラ」を『アイヌ神謡集』に翻訳したと言えば、知里幸恵(ちり・ゆきえ 1903~1922)を思い出す。この映画は明らかに知里幸恵がモデルだが、名前は北里テルに変えている。アイヌ語を研究する学者は金田一京助じゃなくて、兼田教授。この映画を見ようという人の多くは知里、金田一の名を知ってる気もする。だがフィクション化したことで、テルに婚約者がいたり、兼田教授が人類学教室に乗り込んで「盗掘」を非難するなどのエピソードが可能になった。
(ムックリを吹くテル)
アイヌ民族が登場する映画は少ないけれど、幾つかはある。武田泰淳原作の『森と湖のまつり』(1958、内田吐夢監督)、石森延男原作の『コタンの口笛』(1959、成瀬巳喜男監督)のように、微温的ではあるが一応民族差別を扱った映画もある。しかし、それらは50年代の製作時点を描いた作品である。福永壮志監督の『アイヌモシリ』(2020)も現代の話。劇映画で明治・大正期のアイヌ差別を本格的に描いた作品は初めてではないか。北海道の東川町が製作に協力し、北海道各地の美しい自然が印象的だ。ずいぶん昔の建物があるなと思ったが、札幌近郊の「北海道開拓の村」でロケされたようだ。
(テルに心を寄せる一三四)
北里テルは道立女学校を受験するも成績優秀なのに落とされて、旭川区立女子職業学校に進学した。これは知里幸恵の実話である。映画では成績に基づき副級長に指名されるも、同級生から排斥されるシーンは心に刺さる。その頃、祖母のイヌイェマツに東京から兼田教授がユーカラ研究に訪れる。小さい頃から祖母から聞いていたテルも覚えていると言うと、兼田教授は是非にと聞きたがる。そして美しいユーカラを是非日本語に訳して欲しいと頼む。テルはその後一生懸命訳したノートを兼田のもとに送ると、上京して自分の家で勉強してはと言う。旭川から東京まで、長い長い旅をして、テルは東京へ行くのだった。
(兼田教授の家で)
そういう展開はずべて知里幸恵の実話で、あの美しい「銀の滴(しずく)降る降るまわりに」(Sirokanipe Ranran Piskan シロカニペ ランラン ピㇱカン)の訳語が生まれた瞬間を描いている。心臓が弱かった知里幸恵は、その原稿が完成した日に亡くなった。わずか19歳だったが、それも実話である。僕は今まで『アイヌ神謡集』(岩波文庫)を読んで、この美しい言葉を知っていたが、どういうリズムで語られるのかは知らなかった。今回映像で聞くことが出来て感銘深い。才能に恵まれながら、差別と病苦に苦しめられた薄幸の「北里テル」の生涯が心に残る。
(監督と主演女優)
この映画の監督・脚本を担当しているのは菅原浩志(1955~)で、誰かと思えば『ぼくらの七日間戦争』(1988)の監督だった人である。その後「ぼくら」シリーズを監督したり、『ほたるのほし』(2004)などの作品がある。2018年に全国公開された『写真甲子園 0.5秒の夏』を撮っていて、そこで東川町との関わりが出来たんだろう。主演のテルは吉田美月喜、恋人の一三四は望月歩、祖母が島田歌穂、兼田教授が加藤雅也、教授夫人が清水美砂。神(カムイ)と生きている先住民族の文化を知るためにも、多くの人にどこかで見て欲しい映画だった。
アイヌ民族の口承文芸「ユーカラ」を『アイヌ神謡集』に翻訳したと言えば、知里幸恵(ちり・ゆきえ 1903~1922)を思い出す。この映画は明らかに知里幸恵がモデルだが、名前は北里テルに変えている。アイヌ語を研究する学者は金田一京助じゃなくて、兼田教授。この映画を見ようという人の多くは知里、金田一の名を知ってる気もする。だがフィクション化したことで、テルに婚約者がいたり、兼田教授が人類学教室に乗り込んで「盗掘」を非難するなどのエピソードが可能になった。
(ムックリを吹くテル)
アイヌ民族が登場する映画は少ないけれど、幾つかはある。武田泰淳原作の『森と湖のまつり』(1958、内田吐夢監督)、石森延男原作の『コタンの口笛』(1959、成瀬巳喜男監督)のように、微温的ではあるが一応民族差別を扱った映画もある。しかし、それらは50年代の製作時点を描いた作品である。福永壮志監督の『アイヌモシリ』(2020)も現代の話。劇映画で明治・大正期のアイヌ差別を本格的に描いた作品は初めてではないか。北海道の東川町が製作に協力し、北海道各地の美しい自然が印象的だ。ずいぶん昔の建物があるなと思ったが、札幌近郊の「北海道開拓の村」でロケされたようだ。
(テルに心を寄せる一三四)
北里テルは道立女学校を受験するも成績優秀なのに落とされて、旭川区立女子職業学校に進学した。これは知里幸恵の実話である。映画では成績に基づき副級長に指名されるも、同級生から排斥されるシーンは心に刺さる。その頃、祖母のイヌイェマツに東京から兼田教授がユーカラ研究に訪れる。小さい頃から祖母から聞いていたテルも覚えていると言うと、兼田教授は是非にと聞きたがる。そして美しいユーカラを是非日本語に訳して欲しいと頼む。テルはその後一生懸命訳したノートを兼田のもとに送ると、上京して自分の家で勉強してはと言う。旭川から東京まで、長い長い旅をして、テルは東京へ行くのだった。
(兼田教授の家で)
そういう展開はずべて知里幸恵の実話で、あの美しい「銀の滴(しずく)降る降るまわりに」(Sirokanipe Ranran Piskan シロカニペ ランラン ピㇱカン)の訳語が生まれた瞬間を描いている。心臓が弱かった知里幸恵は、その原稿が完成した日に亡くなった。わずか19歳だったが、それも実話である。僕は今まで『アイヌ神謡集』(岩波文庫)を読んで、この美しい言葉を知っていたが、どういうリズムで語られるのかは知らなかった。今回映像で聞くことが出来て感銘深い。才能に恵まれながら、差別と病苦に苦しめられた薄幸の「北里テル」の生涯が心に残る。
(監督と主演女優)
この映画の監督・脚本を担当しているのは菅原浩志(1955~)で、誰かと思えば『ぼくらの七日間戦争』(1988)の監督だった人である。その後「ぼくら」シリーズを監督したり、『ほたるのほし』(2004)などの作品がある。2018年に全国公開された『写真甲子園 0.5秒の夏』を撮っていて、そこで東川町との関わりが出来たんだろう。主演のテルは吉田美月喜、恋人の一三四は望月歩、祖母が島田歌穂、兼田教授が加藤雅也、教授夫人が清水美砂。神(カムイ)と生きている先住民族の文化を知るためにも、多くの人にどこかで見て欲しい映画だった。