尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「デナリ」か「マッキンリー」かー「トランプ2.0」の世界観

2025年01月27日 22時21分16秒 |  〃 (歴史・地理)

 アメリカ大統領にドナルド・トランプが正式に就任した。一度間を空けて当選したのは、19世紀末のクリーヴランド大統領以来である。クリーヴランドは第23、25代大統領で、次の26代が今回の記事の主人公マッキンリーである。トランプが大統領に返り咲いてどんな大変なことになるかと心配され、実際に大変なことが次々と起こっている。移民送還を強行し、国籍出生地主義を見直し、パリ協定を離脱した。でも、まあ8年前ほどの驚き、怒りは世界に広まってないような気がする。

 僕もそうだけど、要するに慣れてしまったのである。とんでもない人物が世界最強の権力を持つ恐ろしさ。しかし、それは4年で終わるわけだし、予測不能なトランプ政権を「予測」しようとしてあれこれ気をもんでも仕方ない。そんなムードが世界を覆っている気がする。そんなトランプ政権当初の大統領令の中に、「デナリの呼称をマッキンリーに戻す」「メキシコ湾をアメリカ湾と呼ぶ」というのがあった。僕なんか昔に覚えた知識がすぐ出てくるから、そうか今はデナリって言ってたのかと思った。

(デナリ山)

 デナリ(Denali)はアラスカ州にある北アメリカ大陸最高峰である。標高は6190mで、2015年から正式にデナリという呼称となった。近隣の先住民の言語(コユコン語)で「偉大なるもの」を意味するという。1897年に当時の大統領の名をとって「マッキンリー」と名付けられた。1975年からアラスカ州では呼称をデナリとするよう運動を始め、1980年には一帯を「デナリ国立公園」とした。以上の記述はWikipediaにあるものだが、地元ではデナリという名前に親しみがあるようだ。

(デナリの位置)

 昔はよく「各大陸最高峰」というのを覚えたものだ。南アメリカはアルゼンチンのアコンカグアで標高6962m。デナリよりずいぶん高い。アジアは「エヴェレスト」「チョモランマ」で、この呼び方の違いはデナリと似ている。ヨーロッパはアルプスのモンブランではなく、実はカフカス山脈のエルブルス山(5642m)。冷戦中はソ連の山に登れないし、モンブランと覚えた人が多いだろう。アフリカはキリマンジャロ(5895m)で、オーストラリア、南極大陸もあるわけだけど省略。

 世界的に30年ぐらい前から、地名の「呼称変更」が多くなった。インドの大都市が特に有名で、ボンベイがムンバイ、カルカッタがコルカタ、マドラスがチェンナイなどである。ロシアではソ連の人名にちなんだ都市名が続々と元に戻された。レニングラードがサンクトペテルブルク、ゴーリキーがニジニ・ノヴゴロド、スヴェルドロフスクがエカテリンブルクといった具合である。ロシアの例は特別だが、アジアやアフリカで多いのは「脱植民地化」として宗主国が付けた地名を現地名に戻す動きである。

 デナリをマッキンリーに戻すというのは、まさにこの「脱植民地化」に反する動きだ。まあアラスカは1867年にロシアから購入した地域で、武力で征服したわけではない。しかし、州に昇格したのは1959年で、住民の自治権もない時代に時の大統領の名前を付けたのだから、ある種「植民地主義的」ではある。では、そのマッキンリーとはどんな大統領だったのか。

(マッキンリー大統領)

 ウィリアム・マッキンリー(William McKinley、1843~1901)は、1896年と1900年の大統領選に当選したが、2回目任期の初期に暗殺された。アメリカ大統領は現職中に4人が暗殺されている。リンカーンケネディは有名だが、他の二人は20代ガーフィールドマッキンリーである。そして、マッキンリーを調べてみると、この人は何だかトランプに似ているのである。マッキンリーは大統領になる前に連邦下院議員、オハイオ州知事を務めたが、下院議員時代に高額の輸入関税を掛けることを主張して実現させた。それを「マッキンリー関税」と呼ぶんだそうだ。それで知られて彼は共和党の有力者になっていった。

 大統領時代の1898年には、本格的な対外戦争として米西戦争を勝利させた。スペイン植民地だったキューバとフィリピンを占領し、フィリピンプエルトリコグアム島を領有しキューバを事実上の保護国とした。アメリカはこの戦争を契機に本格的な帝国主義国となった。民主党はフィリピン領有に反対したが、マッキンリーは押し切った。また同じ1898年にハワイ共和国(1894年に白人系住民がハワイ王国を転覆させてハワイ共和国となった)を併合したのである。

 しかし、1901年8月31日、マッキンリー大統領はニューヨーク州バッファローのパンアメリカン博覧会を訪れて、そこで暗殺された。犯人は無政府主義者のレオン・チョルゴッシュという人物だった。大統領死亡直後に直ちに副大統領セオドア・ルーズヴェルトが昇格したが、当時42歳で史上もっとも若い大統領である。日露戦争のポーツマス講和条約締結に尽力したことで、1906年のノーベル平和賞を受賞した人物でもある。しかし、マッキンリー、T・ルーズヴェルト時代はアメリカが世界に帝国主義的野望をむき出しにした時代だった。こうしてみてくると、高率関税、領土的拡張という点で、ドナルド・トランプは同じ共和党のマッキンリーに共感を抱いているのではないか。そのためデナリをマッキンリーに戻すという決断をしたのかもしれない。

(長尾三郎「マッキンリーに死す」)

 ところで僕の世代だと、どうしても「マッキンリー」は「植村直己が遭難した山」として忘れられない。1984年のことで、冬季初登頂を果たした後で帰還しなかった。今も行方不明のままである。植村は世界初の五大陸最高峰登頂者で、その時点ではモンブランをヨーロッパ最高峰としている。マッキンリーには1970年8月26日に登頂して、それで五大陸最高峰登頂を成し遂げた。植村直己が書いた本はものすごく面白いので、読み継がれて欲しいと思う。映画にもなり、国民栄誉賞も受賞した人だけに、忘れられて欲しくない。その植村直己が帰ってこなかった山という意味で、僕はこの山を忘れることが出来ない。

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