『リラの花咲くけものみち』を読んだ次に、花の題名つながりで木内昇『かたばみ』(角川書店)を読んだ。東京新聞などに連載され、面白くて感動的と評判になっていた。550頁もある長い小説だけど、確かに面白くてあっという間に読める。単行本を買ってしまったが、2350円(税別)の価値は十分にあった。木内昇(きうち・のぼり、1967~)は2010年刊行の『漂砂のうたう』で直木賞を受賞した女性作家。確かな筆力で、人物と時代がくっきりと浮かび上がってくる様は見事。
冒頭は戦時中(1943年)に女子槍投げ選手山岡悌子が引退して「国民学校」(小学校から改名されていた)の「代用教員」になるところから始まる。代用教員は戦前にあった制度で、旧制中学や高等女学校を出ていれば師範学校を出ていなくても小学校で教えられた。悌子は日本女子体育専門学校(現・日本女子体育大学)を卒業したので代用教員になれたのである。この学校は1922年に二階堂トクヨ(1880~1941)が開いた二階堂体操塾に始まり、人見絹枝など8人の五輪選手を育てたという。今やパリ五輪金メダル最有力候補の槍投げ選手北口榛花がいる日本だが、何事にもこのような先駆者がいたのかと感慨深かった。
(木内昇)
検索すると角川のサイトで紹介文が出て来る。「家族に挫折したら、どうすればいいんですか?」太平洋戦争の影響が色濃くなり始めた昭和十八年。故郷の岐阜から上京し、日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊したのをきっかけに引退し、国民学校の代用教員となった。西東京の小金井で教師生活を始めた悌子は、幼馴染みで早稲田大学野球部のエース神代清一と結婚するつもりでいた…。実はもっと出ているんだけど、これ以上は読まずに読んだ方が絶対に面白い。
もともと岐阜生まれで、普通の女子がスポーツをやるために上京するなどあり得ない時代だ。しかし、幼なじみの神代清一が甲子園で活躍し早稲田に進学したので追いかけるように上京したのである。悌子は肩を痛めて競技生活は諦めたが、それでも親の圧力を跳ね返して東京に居続けたのは、清一がいたからだ。多摩地区の小金井市で職を得たが、学校は「少国民錬成」の時代だった。体育専門の悌子は竹槍訓練の中心にならざるを得ない。その中で戦時教育に疑問を持たざるを得なくなっていく。彼女は学校に通いやすい小金井に下宿先を見つけた。下が食堂で二階に部屋を作り最初の下宿人となった。
結局この下宿先の一家と知り合ったことが悌子の人生を決定するのだが、それはまだ判らない。えっ、こうなるの的な展開が続くので、一気読み必至。悲しいことが多かった戦争時代はやがて終わるが、戻る人戻らぬ人様々。悌子は思わぬ人生を歩んでいく中で、「家族」とは何かを考えさせられる。真面目一本気で、まさに槍投げのような人生を送る悌子だが、強いだけではダメな人生に立ち向かう。周囲の人物、それも後半になるに連れ子どもたちの存在が大きくなるが、その破天荒な設定は書かないことにする。厚い小説だけど、あっという間に読めるから是非読んでみて。
(カタバミの花)
カタバミはよく道端にある「雑草」だけど食べられる。戦時中はこの一家も食べていて、その酸味を好んでいた。花言葉は「母の優しさ」と「輝く心」だと出て来る。ネットで調べると「喜び」というのもあるらしいが、どれも復活祭(イースター)頃に花が咲くことに由来するという。これが題名の理由なんだろう。ものすごく面白かったが、次第に教師として以上に「親と子のあり方」みたいになってくる。小説内では端役の人物が時々思わぬ金言を吐くので油断出来ない。多分人間って誰しも宝石のような言葉をもともと持っているんだろう。そして、「思い込み」や「慣習」に囚われて生きることの愚かさを痛感する小説でもある。
冒頭は戦時中(1943年)に女子槍投げ選手山岡悌子が引退して「国民学校」(小学校から改名されていた)の「代用教員」になるところから始まる。代用教員は戦前にあった制度で、旧制中学や高等女学校を出ていれば師範学校を出ていなくても小学校で教えられた。悌子は日本女子体育専門学校(現・日本女子体育大学)を卒業したので代用教員になれたのである。この学校は1922年に二階堂トクヨ(1880~1941)が開いた二階堂体操塾に始まり、人見絹枝など8人の五輪選手を育てたという。今やパリ五輪金メダル最有力候補の槍投げ選手北口榛花がいる日本だが、何事にもこのような先駆者がいたのかと感慨深かった。
(木内昇)
検索すると角川のサイトで紹介文が出て来る。「家族に挫折したら、どうすればいいんですか?」太平洋戦争の影響が色濃くなり始めた昭和十八年。故郷の岐阜から上京し、日本女子体育専門学校で槍投げ選手として活躍していた山岡悌子は、肩を壊したのをきっかけに引退し、国民学校の代用教員となった。西東京の小金井で教師生活を始めた悌子は、幼馴染みで早稲田大学野球部のエース神代清一と結婚するつもりでいた…。実はもっと出ているんだけど、これ以上は読まずに読んだ方が絶対に面白い。
もともと岐阜生まれで、普通の女子がスポーツをやるために上京するなどあり得ない時代だ。しかし、幼なじみの神代清一が甲子園で活躍し早稲田に進学したので追いかけるように上京したのである。悌子は肩を痛めて競技生活は諦めたが、それでも親の圧力を跳ね返して東京に居続けたのは、清一がいたからだ。多摩地区の小金井市で職を得たが、学校は「少国民錬成」の時代だった。体育専門の悌子は竹槍訓練の中心にならざるを得ない。その中で戦時教育に疑問を持たざるを得なくなっていく。彼女は学校に通いやすい小金井に下宿先を見つけた。下が食堂で二階に部屋を作り最初の下宿人となった。
結局この下宿先の一家と知り合ったことが悌子の人生を決定するのだが、それはまだ判らない。えっ、こうなるの的な展開が続くので、一気読み必至。悲しいことが多かった戦争時代はやがて終わるが、戻る人戻らぬ人様々。悌子は思わぬ人生を歩んでいく中で、「家族」とは何かを考えさせられる。真面目一本気で、まさに槍投げのような人生を送る悌子だが、強いだけではダメな人生に立ち向かう。周囲の人物、それも後半になるに連れ子どもたちの存在が大きくなるが、その破天荒な設定は書かないことにする。厚い小説だけど、あっという間に読めるから是非読んでみて。
(カタバミの花)
カタバミはよく道端にある「雑草」だけど食べられる。戦時中はこの一家も食べていて、その酸味を好んでいた。花言葉は「母の優しさ」と「輝く心」だと出て来る。ネットで調べると「喜び」というのもあるらしいが、どれも復活祭(イースター)頃に花が咲くことに由来するという。これが題名の理由なんだろう。ものすごく面白かったが、次第に教師として以上に「親と子のあり方」みたいになってくる。小説内では端役の人物が時々思わぬ金言を吐くので油断出来ない。多分人間って誰しも宝石のような言葉をもともと持っているんだろう。そして、「思い込み」や「慣習」に囚われて生きることの愚かさを痛感する小説でもある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます