尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『ラブレス』『家族じまい』、「家族」の過酷な歴史ー桜木紫乃を読む②

2024年08月20日 22時19分58秒 | 本 (日本文学)
 桜木紫乃の直木賞受賞作『ホテル・ローヤル』(2013)、あるいはその前に書かれたミステリー風の作品『硝子の葦』(2010)には、釧路湿原を望む場所に建つ「ラブホテル」が出て来る。両作品に共通の人物は登場せず独立した作品だが、「ホテル・ローヤル」という名前が共通する。昔『ホテル・ローヤル』を読んだときは、ただフィクションに付けられた架空の名前だと思っていた。しかし、実はこれは作者の実家だった。15歳の時、父親がラブホテル経営に乗りだし、湿原を望む郊外に作ってそこそこ繁盛したらしい。桜木紫乃は仕事の手伝いをしていたというから驚く。

 桜木紫乃は「新官能派」などと呼ばれたらしいが、その小説に出て来る性描写は渇いている。そういう生育をすれば、「愛」や「性」に過大な期待を持てなくなるだろう。道東の寒々しい風景描写の中で、人々は結ばれたり別れたりするが、どこにも湿った思い入れがない。過酷な人生を歩む主人公が多いが、孤独で厳しい人生行路も桜木紫乃の読後感を涼しくさせている。

 小説に出て来る登場人物には思いやりを持って暮らす家族などほとんどなく、天涯孤独な人も多い。普通ならそういう設定は難しいのだが、戦争直後の北海道には開拓農家北方領土からの引揚者が多く、また主産業の炭鉱には全国から労働者が集まった。どこの出身なのかよく判らない謎に満ちた人物が出て来ても、昔の北海道は妙にリアルな環境なのである。

 桜木紫乃が初めて大きく評価されたのは長編小説『ラブレス』(2011、新潮文庫)だった。直木賞や吉川英治文学新人賞の候補になるとともに、島清(しませ)恋愛文学賞を受賞した。女性どうしのいとこの話から始まって、その親たちの姉妹の長い人生が語られていく。道東の開拓農家に生まれた極貧の姉妹は全く異なった人生を歩む。姉は途中で旅芸人に一座に飛び込み、妹は地元で理容師になる道を選ぶ。ちなみに桜木紫乃の父親はホテル経営の前には床屋をしていて、作品に床屋が出て来ることも多い。

 さらに驚くべきは姉妹の母親の苦難で、くだらない男どもに翻弄されながら戦後を生きてきた。姉百合江が握りしめていた謎の位牌とは何か。今は阿寒湖や川湯温泉の方まで合併して釧路市になっているが、そのような釧路近郊も描きながら壮大な家族の戦後史が語られる。謎を追うミステリー的な部分もあるが、まずは姉妹を通して描き出される過酷な戦後民衆史に言葉をのむ。1970年の山田洋次監督の映画『家族』では閉山した炭鉱から新天地を求めて、長崎から道東まではるばると旅をする家族が描かれた。70年頃まではそういう「幻想」があったわけだが、現実は過酷だった。非常に見事な代表作の一つだと思う。

 もう一つ、『家族じまい』(2020、集英社文庫)は中央公論文芸賞を受賞した作品。釧路に住む老夫婦には二人の娘があるが、一人は札幌近郊、もう一人は函館と実家から遠くに住んでいる。そして横暴だった父が元気で、母の方がボケて来ているらしい。そんな家族をめぐるアレコレが語られる。長女は父と距離を置いて生きてきたが、その生き方に批判的だった妹は二世代住宅を建てて父母と同居しても良いらしい。しかし、実現した「理想の暮らし」に父親が黙って従っていられるか。

 「横暴な父」あるいは「無理解な父」というのも桜木作品の定番的設定である。現実に床屋をやめてラブホテル経営を始めるような、「家族巻き込み型」の山師的父親だったらしい。そして1970年代ぐらいまでは、そうそう理解ある父親なんていなかったのも確かだろう。特に女性の場合、大学進学を認めないとか、結婚相手を自由に選べないなどよくある話だった。それでも北の大地の極貧の父親たちの横暴は迫力が違う。そんな家族の中で生き抜いた女性も大変だった。

 「家族」への幻想など飛び散ってもおかしくない。そんな冷徹な世界を行きている女性の小説は、何も釧路が舞台だからというだけでなく、読んでいて夏の猛暑も少しは涼しくなるというものだ。他にも多くの作品があるわけだが、ハードボイルド的な『ブルース』『ブルースRed』、第一作品集『氷平線』なども釧路や周辺を舞台にしながら、どこか渇いた人間たちが出て来る。本質的に「冷涼」なのが桜木作品の特徴だ。

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